ふでのゆくまま

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    雑記

    さぁて雑記だ雑記だ落ち葉炊き。

    ユニクロで愛用のフィンガーソックス・黒を買い足そうとしたら、黒色のお取扱いがなかった。ここ数年はこれ一択という靴下だったんだけどね。勤務に私用に弔事にと使いまわせたのだけどなー。リアル店舗で売ってるかもしれないけども、そんなん買いにいくのもめんどくせえのが当方の生活習慣。困ったな。お目当てのものがないとなると、途端に実感する。黒の靴下なんていくらでもあるのに何が困るのかと。そ、フィンガーソックスじゃないと嫌だ、というほどに馴染んでしまったわけだわ。

    グレーのものでいいか、数点お買い上げ、ついでにTシャツなど。

    タクシーの運転手の名前が著名漫画家と同じだった。世話しなくタクシーにのって都内の煌びやかな通りを過ぎる…高層マンションの明かりが空高く伸びている光景に、その漫画家の作品を思い出し、子供が舞い降りてきてビルをぶっ壊すなどしねえだろうなと身構える。

    コートのポケットから三月のレシートが出てきた。クリーニングだしてなかったらしい、と書こうとしたのは去年の11月の半ばの話でありました。ついでだ書いておけ。ミルクたっぷりとろりんシューですってよ。

    次の発車時刻を知らせる電光掲示板に、警視庁から危険ドラッグについてのお知らせなど流れていた。もっと目を背けるような過激な内容にすりゃあいいのに。デジタルサイネージなどと気取った広告に、子供が泣きわめくぐらいの過激なやつを。免許更新でも違反者はなかなか「重い」ものを見せられると聞くし、そういうのを世にぶちまけないと啓蒙ということはなかなか成功しないのではないか。高度な情報化社会などと言っても、首が切られた画像みないと、やっぱ危険地域は危険なんだと実感できない。危険が作動しないのだ。なんならラリラリしている人を鎖でつないで駅前に展示とか、あるいは著名人の方々を使ったりしてな。

    今回のデザイン死亡案件です。http://insyoku.livedoor.biz/archives/39014847.html

    ちょっと飲み屋の開拓などしてみたい。人付き合いに乏しいのでなかなか捗らない。大衆酒場的なもんが良いですね。

    いつ公開しようかと思っているもの、三か月過ぎてしまった。「職場の近くのビルが解体が始まった」というだけなんだけどな。

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    洗い髪が芯まで冷えて

    別に自分だけではないだろうけど、このようなブログに書く文章の下書きつうものが幾つかある。単位は本で良いのか?では、何本かあるということで。これが溜まると内容の鮮度が下がる。例えば今その下書きとやらをdropbox覗いてみると、師走だのなんだのと書いてある。あゝ。季節のことがらに対する公開日のズレによる鮮度の低下もそうだ。下書きを認めた時に頭に浮かんだことを、ただ投稿フォームにコピペするだけでもそこに古さを感じる。これも20年もすれば懐かしいという感情に変わるもんだろうが、今この時点では「機を逸したか」という感情のほうが先に来る。メールでもあるよね、下書きの時点で送り損ねたなあということ。

    そこでTwitterですよ、ということになる。日本で流行り始めるちょっと前、2007~2008年ぐらいが一番使っていた。今ではfacebookがその役を担う。facebookで繋がり所望の方は良ければご連絡。ネット知人でも繋がってたりする。こういうのを使っていると、当たり前だと思っていた「投稿のタイトル」「メールの件名」というのが実は結構な「枷」になってたりもするんだと気付く。ところが無いならば無いで不便なもんで、例えばネットで何かを検索するとして、タイトルがないものは探す側にはとてもとても探しにくい。しかしタイトルと中身に関連性が薄いものばかり書いてるな俺は。その割に長文だったりする。

    ああ、下書きの時点ではタイトルがないからだな。それはあなたの下書きにもないでしょう?ファイルにして一個一個別の下書きにするぐらいマメな人ならあるかもしれない。また、いくつかの文章を一回の更新で突っ込んだりもするからなあ。何をテーマに書くでもない、何時何時何時(いついつなんどき)に公開するでもない。ちょっと発想を伸して広げよう。無尽蔵にストックされ続けるテキストが、何かのタイミングでひと塊の旅団となって公開されていく。これが現状だと思う。ながーーーーい布の一部だけ隙間から見えている感じ。布が動くと見える範囲が変わる。今見えているものは見えなくなる。映画のエンディングロールみたいなもんかなあ。こういう仕組み、近いものはあるけど、なんか作れないかな。ただ、いったんインターネット上に公開すると、その、過去のものを確実に無き者にする方法が難しい。

    ほれみろ。

    下書きがないともう何が書いてあるのか意味がわからないわ。文章が上手い人というのは、こういうものを読ませることが出来るらしい。さらに頭が良い人はこういう物を、読みやすいと言うか、まとまったと言うか、うーん。一つ上質なフォーマットで並べて見せる。勿論何を文章にするかによるけども。素直に嫉んでおきませう。ぐぬぬぬぬ。

    もっと頻度高く書いていたころは(このブログに引っ越してくる前。フリーターの頃だ)下書き→公開のサイクルが早かった。今では遅々としたもんで、週に一回から月に一回ぐらいに移行している。よってこのエントリが今年の二回m…って四回目だった。結構更新してるが、中身無いな。いや日記だろそんなもんだろ、といやぁそうなんだけど、もうちょっとなんとかね。高校生の頃までは勉強とかしたことないと言っても過言ではなかったけど、アラフォーとなってはもっと頭が良くなりたい。はぁーーーー。

    穏やかな苦悩を飼い馴らす。何時か成し遂げるでしょう、という望みをふっと忘れてしまうことを楽しめる。どうもその範囲と取捨選択に誤りがあったというのが反省点か。けっ。単に怠惰なだけだ。給湯器の修理がすんで何日かぶりのユニットバスにつかり、知ってますよと一人悪態をつき、洗濯物を干して夜更けの凍った月を仰ぐ。

    雪の気配がない。

  • ふでのゆくまま

    指は10本しかない

    爪切りを棄てた過去をお持ちの方?

    いるでしょうね。わたくしも勿論捨てたことがあります。この20年で僅かに一度ほど記憶にあります。今持っているのはかのミスリル製の爪切り故に、3000世代ぐらいは使い続ける事ができる、今後捨てるなど全く発想に無いのです。というわけではなく、いつの間にか紛失しておるのです。紛失するからには捨てた記憶などあるわけがない。実際、爪切りは十年使えても驚くようなものではないでしょうが、切れなくなっては捨てるしかない。

    そして使いたいときには手元にない。探して出てこないから、買うと出てくる。二つになる。しかしまた、使いたいときには手元にないので、100円ショップで買ってきたというのが僅か数日前だけど、つまりこの部屋のどこかに爪切りが二つある。手元に一つある。

    都合三つの爪切りを所持するというのは狂気を感じて恐ろしい。どうせこの文章を書いている机の裏でも探せば、一個は出てくるのだろう。

    チラッ

    ない。

    恐ろしい…。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    真狗奴那屡弩

    マクドナルドが騒がしい件が気になります。

    「メニューをなくしました♪」の時点からダメだこりゃ、と思っていた人は多いと思いますが、ここにきて毎月のように売り上げは落ち続けております。そんなことはここ数年続いている、60秒で出すけどぐちゃぐちゃです、原材料が危険、異物混入、生肉でした、これだけ続けば「そりゃそうなるだろ」なんだけど、自分が気になるのは売り上げ推移などではなく。

    そもそもマクドナルドは世界中にあるわけで、こういった騒ぎが海外まで波及するのかどうか、というところが気になります。また逆に。今までも海外のそこいらじゅうでこういう騒ぎはあったけど、日本には全然伝わってなかったのではないかな?とも思います。ここんところは詳しい人いそうだけどな。どこかに居ないかな。

    「スマイル0円」が話題になったのは自分が高校生の頃かな…。実際にやってみるような悪戯もあったかと~。ところが今となってはそんな余裕もない状態になってしまった、という印象。もし、過去にこういう問題はなかったというのなら、ここ数年でネガティブな方向にしか向いていないけど何かしらの変化があった筈です。何がどう変化したらこういうことになってしまうのか…。これにはとても興味があります。あーマクドナルドを頻繁に利用する人なら思い当たるフシあるのかも。自分は五年に一度ぐらいだからなあ…。ああ、先月その五年に一度でチーズバーガー食ったっけね。

    インターネットの普及によりネガティブな情報の伝播が云々、というのは流石に当てはまらないと思う。だったら緩めに見ても3年前にはこんな騒ぎになっている筈だ。この一年ほどで何かがあったと思うのだが。それにほら、同業他社ではこんな話が目立ってないというのも、薄気味悪いとすら思える。単に客数が圧倒的故の反動だろうか…?いやいやそこまで圧倒してないだろうと思うのだが。

    なんでマクドナルドだけこんな盛り上がっているように見えるのか。何かの陰謀か!これがオチの笑い話だったらどんなに良い事か。陰謀は実在するんですよ。某蒟蒻ゼリーの時も不自然に政治家が執拗に責め立てるという事例があった。あれだって露骨なまでに関連企g おっと誰か来たよおうくぁwせdrfgtひゅじこlp;:@」

    ハッピーセットデランランルー

  • ふでのゆくまま

    羊たちの焼き肉

    年賀状が店頭に並ぶまでは干支など気にしておらぬ、といった感じの年の瀬が何年も。「剣は一人を相手にするもの、名は自分の名が書ければ十分、万民を相手にするすべを学びたい」と言ったのは誰だったか。項羽?志は異なれど、ワテクシも干支など自分の干支だけ知っていればよいです。えーと、へびの筈。

    年明けは郷里で迎えた。年末から年明けまでを郷里で過ごしたのは数年ぶりで、混雑を嫌って年明け後に帰ったり、そもそも帰らなかったり、仕事で帰れなかったりしている。そういった年末年始休暇であるから、帰省ラッシュの予測などの情報を気にするのも久しぶりだが、あろうことか帰省予定日がピークと出ていた。其れを知ったのは前日の21:00あたりですでに荷物は郷里に送付済みだったため、早起きして始発で帰ることにした。と、同時に、新幹線切符買ってねえわと気付いた。当日朝は駅の券売機で並んでいたりするとすぐには買えないので、さらに早起き。

    翌朝、想像通り券売機に二人ほど並んでおり、始発には間に合わず。一本遅い電車で東京に向かうと、到着した東京行きの電車は通勤並の混雑を見せる。思わず乗るときにマジマジと見渡してしまった。これでは新幹線も酷い事に、いやしかしこの電車は一番早くに東京駅に着くので奪取すれば座席は確保できる筈、などと焦っていると新宿で大多数降りた。どうやらコミケ参加者らしい…。

    余裕でのらりくらり歩いて座席確保。降りる駅までひたすら寝ただけ。着いたのも午前八時前で、ちょっとお散歩。

    間もなく吹雪。

    めげずにお散歩。そこいらの写真を撮ったり、ingressしながら歩く。いい加減どこか食事をとれる場所がオープンしなかいと思いながら結局10:30ぐらいまで時間をつぶし、駅そばを食す。ホームの蕎麦やはもうなくなったらしいので、お土産やとかが並ぶ一角の蕎麦やへ。如何にも駅の蕎麦、というチープな味わいを楽しみ、また電車で郷里へと。

    スーパーに寄り道して、酒を買い帰宅してちびちび。夕飯まで寝る。夕飯後、本棚に「北斗の拳究極版」があったのを見つけ、風呂上りに最初から最後まで全部読む。寝る。

    翌日。帰省前に目を付けていたマイナーながら面白そうな観光地へ赴こうとするも、頼んでおいた自転車修理がされておらず、徒歩にて向かう。google先生に入力した住所が誤っており、想像を超えた道を通らされた上に大幅に目的地が誤っているというアクシデント。雪が降ってきたところで、傘を持ってきていない。

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    動けなくなったら白骨化するまで見つかるまいとすら思うが、ここから少し進むとサッカーのゴールが置いてある広場などあり、意味が分からない。近くに学校もないし。結果、三時間近く歩いて、小栗山観音堂という所についた。

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    写真ではニュアンスが伝わらないと思うが、圧倒的な存在感。周りはただの田んぼであるあたりが京都とは違うリアリティなのかファンタジーなのか…。このお堂について詳しい情報は一切わからない。震災の影響だろうか、落石がお堂をの一部を損壊しており、壁と床の一部が今にも崩れそう。中に入るのは本気で命の危険があると判断したのでやめた。

    ヘロヘロになって帰宅し、うだうだ寝っ転がっていると夕餉。21:00ぐらいに年越しそばを食い、23:00にはみんな寝た。地震で起きるも、異常もないのでそのまま寝る、起きると年が明けているわけです。

    あとはずっとグダグダしていただけなのでいいよね。羊が2015匹。