ふでのゆくまま
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ケイコとヨシエ
自分はまだ、子供の頃に見た記憶がある。三味線しょって大声張り上げてやいのやいの、にぎやかで大変楽しかったもんだ。その当時だって、元気な婆さんという印象だった。長生きしたもんだわ。内海芳江が亡くなったのは1997年だというが、そんな前だったのねえ。いやーげんきだ。
しかしね、不謹慎ながら誰の目にももうそろそろ、という大往生でありますから、驚きもなく、しみじみとするばかりで…。世間の注目はもちろん、ナイツに集まるわけです。どんな芸能人も弄ってきた漫才で、師匠が身罷ってさあ、どう弄るだろうか。あるいは弄らないだろうか。
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翼よあれがごみの日だ
最後の一枚、コンビニでDANCHUと炭酸水を買った時の袋を使ってしまった。もはや私はゴミを捨てることができない。
冷蔵庫の鶏もも肉や玉ねぎを見て途方にくれる。卵にトマトに絹ごし豆腐…。中身や玉ねぎの皮はともかく、パッケージがあるのをどうしたものか。非常事態だ、トイレに流してしまおうか、とも考えたが思いとどまった。賃貸暮らしでそんな無茶をしてはあとあと痛い目にあう。それに非常事態は自分だけの話で、明日の朝にはいつも通りにゴミ捨て場が賑わうことだろう。だってしょうがないですもん、なんて言い訳も通らない。これは自分でなんとかせざるを得ないわけだが、幸いにしてガスコンロがある。燃やしてしまおうかと考えなくもないが…それでも燃やしたところで無に帰るわけではないのだ、何かしらが残る。理科で習ったわ。結局はゴミ爆誕のはなし。
捨てれないなら使えばよいじゃない。名案の響きがあるが、それでも、それでも。最後にはゴミなのだ。生涯使えそうなものも、自らの亡き後誰かに引き取って貰うようなものも、人類文明の域にとどまる限りは行きつく先はゴミでしかない。沈んだ船が魚の住処になったり、廃墟に野鳥のコロニーができたりもするが、同じ文脈を文明に当てはめようとすれば、先に滅ぶことが条件だ。ゴミとそれ以外を仕分けする文明がなくなることが。ひらめいた。捨てれないならなくせばよいじゃない。今は亡きオリンピックの送り火。象徴としての炎をともす依り代の豊富さゆえに文明は美しく滅ぶことができる。ニュートン力学にそんなエピソードがあったはずだ。幸いにしてガスコンロがある。割りばしの先にピザハットのチラシを巻き付けて火をともす。ゴミを捨てれないなら、炎を呼び寄せればよいのだ、俺は嬉々として部屋を飛び出し、出鱈目に駆け抜け、教会の桜によじ登って眼下に焼け落ちる街へ絶叫する。
プリンキピア!
好きな作家が筒井康隆だなんて思い出すからこんな目に遭う。綿矢りさあたりに宗派替えすっか。
で。
今までの人生で数回と買ったことのない、半透明ゴミ袋をかった。自治体所定のゴミ袋を要求された街に住んだことはある。あれとは違って、色気のないしょぼいポリ袋。薄い。いかにも簡単に破れそうであまりすすんで使いたくない感じがある。スーパーやコンビニの袋と比べて手提げ部分がないため、不便だ。うちに生ごみ用のゴミ箱なんてないわ。フックで手提げ袋引っ掛けてそこにポイってな。一人暮らしでは、自分のように自炊派でもコンビニ袋ぐらいのサイズが適切だ。もちろんゴミには燃やすごみ以外もあるけどさ。結局45Lとか買っても無駄が多い。20Lぐらいのサイズで手提げ付きのゴミ袋、いちど見かけた気がするんだけどな。
これは完全に気のせいだ、と思いたいのだが、その、うっすいゴミ袋に生ごみを入れると、妙に匂いが漏れる。結果ゴッキーとご対面したりもしたのだが気のせいで済ませていいのだろうか。今後も適宜買い物の際はレジ袋を買うことにした。ほんと、なんだこれおい。
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じんぶつのぞう
人生になんどか訪れる、心を奪われるという体験、その一つに、いまだ記憶が鮮明なものがある。とあるホームページを見たときのことで、stingの”Shape of my heart”のMIDIと共にゆらゆらと揺れる地球の画像があった。ホームページでこんなこともできるんだな、という驚きとともに、どうしたことか、ゆらゆらした地球はそのまま心に沈み込みんでくるが如くに。考えてみればこれは20世紀の話かもしれない。勝手にMIDIが再生されるホームページとか、まさにおじさんの思い出ってエピソードだ。SNSも出会い系も産まれる前の、静かな静かなやり取りの記憶は、一つの青春と言えるのかもしれない。
梅雨が明けては思い出話。ただの思い出ばなし。ああ美しい小説でも読もうかしらん。あ、小説、そうだそうだ、当時、夏目漱石が好きでしょと聞かれて、夏目漱石なんて読んだこともない自分は、その時名前を思い出した村上龍なんかが好きって答えたら、はぁ?って驚かれたのだった。以降も、特に好きな作家はいない。
仄かであることは美徳と思いたい。
そんで電子書籍を買うかとごそごそしていると、週刊漫画雑誌も電子書籍で売っていることに気づく。お値段びっくり300円!あれ、400円のもある!!高い!!調べると、コンビニで売っている紙のほうももっと高かったりするらしい。自分は180円とかで買えた時代があったと記憶している。少年ジャンプしか買ったことはないと思う。途中で紙の色が変わっていた。緑とか薄いピンクのような色の紙に印刷されていて、塗りつぶしの個所はかすれて白っぽいまだらになっていた部分とかがあったもんだ。
電子書籍なら印刷や紙質の問題は何も関係ないはず。どうなってるのだろうかと先ほどの週刊漫画雑誌のサンプルを見る。なんというか、単行本の色をしていた。グラビアも、まだあるんだなー…需要はあるのかしら。
筒井康隆氏のサイトで印象深いものがあった。http://shokenro.jp/00001692
筒井康隆かな、好きな作家。でも正直に言えば、「夢の木坂分岐点」とか「旅のラゴス」とか面白かった筈なのに、内容なんぞ何も覚えていない。一方で、生放送の朗読会でおまんことかきちがいとか読み上げている映像は記憶に鮮明だ。当り前だ、わはは。ググって近影を拝見するに、さすがにお年を召されたね、と。好きな作家と心当たりがあるものの、氏のキャリアの長さと、自分の読書嗜みの乏しさによって、すくなくとも半分は未読のはずである。なんか適当に読んでみようか。
ところでつげ義春をググるたびに存命だったと驚いている気がする。
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昨今のコロナウイルス
感染者数の数ばかりがトピックになっている。
きっちり調べてゼロが続けばそれに越したことはないのだが、「きっちり」調べるなんて出来ないし。越したことはない、というかひとまずの人類側勝利条件やんけ。検査の精度が向上したとかあったら良いんだけど、どうなんだろう。無自覚で感染しているケースもあるので、いったん全国民を収容所送りにして…ぐらいのことをやらないとだめか。それこそ無理な相談だが。もうずーっと、お薬の開発頑張ってくださいとしか言えないまま。当初から、数年かかるという専門家の発言は目にしていたので、今年中に安心できる状況にはならないと思う…毎月同じこと言ってる気がする。
もし、このコロナが原因で文明が無くなるようなことになれば、わずかに生存した人類は「数年間に合わなかったんだ!」なんて考えるだろうか。ドローンによる無人宅送や、自動運転、ナノテクノロジーによる体内での対応。わずかばかり、実用が間に合わなかった。特に根拠もなく楽観して言えば、もしコロナ騒動がなければ、5Gについては限定エリアで人数制限付きだろうけども、サービスが始まっていたかもしれない。上記三つとの事例ともデータのやり取りに高度なワイヤレス通信の需要があると思う。手遅れだった、なんてつらい。
オリンピックは来年もやれないんじゃないの。参加予定のあったスポーツ選手にはお気の毒としか言いようがないが、個人には最初から開催は好んでなかったし。単純にメリットないもんね。日常生活の面倒ごとが増えるだけなんだろうなと。それでも、方々の駅が工事されて使い勝手が改善されたりしてよかったのか。でもインフラ周りの改善がオリンピックなんぞに縋らないと出来ないなら、もう国の仕組み破綻してないか。…いや、実際は自分が目にしないところでしっかりメンテされているんだろうけど。
流行り病の存在自体に日本政府が負うべき責任もなにもないが、昨今の判断には首を傾げるばかりだ。行動制限するけど旅行のキャンペーン?転売規制もやめると。何もかもがもとに戻ることを目指しているんだろうか。地震の後も復興することはなさそうだ。
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雑記
「ニュートン」という雑誌を読んだ。特集は超ひも理論。聞いたことはあるけど、まったく意味は分からないものだ。頑張って読んでみたが、もちろん、わからない。現実世界は9次元である可能性とか言われてもさあ。専門用語が多くて内容が難しいというのは、もちろん想定の範囲内だ。それにもまして、本書は一体何を言わんとするのかがさっぱりわからなかった。世界の学者が取り組んでいる内容と、同じレベルで紹介しようとしたのかな?この、超ひも理論の追求は、いったい何を解決しようとしているんだろうか。
観測はできたけど説明のつかないものを追求する。およそ科学のモチベーションかと思う。実験したいから宇宙を再現するってもさすがにアレなので、仮説を立てて理論を書いてとやっていくんだろう。結果、行きつくところはどうなんだろうか。例えばなにか数式にたどり着いたら、芋づる式に他の「観測はできたけど説明のつかないもの」が判明したり、コンピュータプログラム上に再現できたりするのかね。ポアンカレ予想みたいに「これが解決すればいろいろ捗るのになー」なんてもの、説明されてもわかんないことが多い。自分の脳みその能力の問題なので致し方ないとして、読むからにはせめて「ふ~ん」ぐらいの感想は得たかったもんだ。
ハッブル宇宙望遠鏡の特集もあり、数は少ないものの宇宙の写真が多いのは面白かった。ネットで探すとナショナルジオグラフィックの画像など沢山見つかる。宇宙ヤバい。
「& Premium」という雑誌を読んだ。キッチンというのは家の中にあります。家がないとキッチンもないです。お金がないと無理です、といわんばかりの豪勢なキッチンを見せられ頭痛がする。無駄な皿無駄な棚無駄な食器にしか見えない。でも自分もLANケーブルとかネットワークハブとかノートPCの予備なんてあるからな、似たようなもんか?しかし犬がキッチンの傍らに寝そべっている画像で少々薄気味悪さを覚えた。厨房に食材と人間以外の動物は立ち入り禁止じゃないの。あ、食材か。…介助犬ってことにしとこう。キッチンが広い部屋、現実的なご予算で住めるかな?と探したことはあるには、あるのよ。一人暮らし賃貸でキッチンが広い物件となると、かなり絞られる。古い物件でも人気があってまだ賃貸され続けているようなものとか…あるいは、逆に新しいうえにえらく贅沢なもの。または単身者もOKな家族向け物件とか。ただ広いだけではなんとも、とは思うけど、プロじゃあるまいしまずは広いほうが単純に使いやすいよなあ。いつかそんなところに住める身分になれるだろうか、ずっとそう思ってたんだけどね。広い風呂とかさ。20にもならない頃からあああああ。
ちぇ。
まあ、超ひも理論クラスの視座におればね?まな板買い替えなくてはならなかったキッチンも、江戸時代の墓みたいに膝折りたたんで入るバスタブも、食い物が提供されているわけでもないキッチンの犬が許せない狭い心ですら3次元球面 S3 に同相、虚数を超えたリンゴは闇鍋に入れるとのどごしが堪りませんな若旦那。
厨房に動物はないよね。