ふでのゆくまま

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    嫁のメシがまずい、を超えて

    同じ話書いたことある気もするけど。

    普段の食事を頂くにあたって、家族と同居とか、寮にでも長いこと住んでいないと、他の人と食べるものが一緒になることなんてほとんど無いでしょう。外食に行っても同じメニュー頼むってそんな多くないでしょうよ。特に子供の頃は一般的にはご家庭のごはんが多いですから、ご家庭ごとのユニークな料理の味で育つ。加えて地域の特産がなんたらとなれば、食べ物の好き嫌いとか味付けの嗜好の多様な事ったらないわけです。自分は寿司は好きですが、ウニ、イクラはダメだ。あと、卵は火を通せ。半熟トロトロなどくだらない。広く一般的な食べ物だと、親子丼、カルボナーラ、目玉焼きを使いそうなものが地雷になるので外食では選ばない。オムレツは地雷どころか見えているアレってえすんぽーで。

    で、個人の事情以前にね?料理には本質的で絶対的な評価パラメータがあります。それに比べれば、味付けの好みなんて本来どうでもええねん。食べても健康を害さないかどうか。この点に重きを置かずして食は語れないのであります。水銀は白身魚と相性がいい、とか言うやついない。

    「そらそうだろ」という意見が殆どだと思いたい。改めて書きしたためる気になったのは、嫁のメシがまずいの何のという書き込みとか読んでて、そこにあったとある印象深い事例に触れたからでした。といいますのも、「嫁」はそもそも料理経験がない人だったようです。たまにそういう人もおりますね、では済まなかった。料理の経験がないと、料理に取り掛かる以前の「食材」に触れる経験も当然に乏しいのだということに気づいたのです。読んだ事例では基本的な食材の見分けもできないようでした。そら当然、調理前→調理後のイメージが全くないのではないか。そしてそして、これは腐っているのかどうか、火が通っているのかどうか、これ生で食べて良いんだっけ?…そういう知識もない。これは例えば歩き始めぐらいの子供が、刃物や炎、高所の怖さをしらないがためにケガをしたり命を落としたりする。料理でそういう事が起こるというわけだ。うーん怖い。

    もちろん、料理をいただくほうにも常識はあるわけで、これは食べてはダメなのではないかという判断ぐらいはできらあ!口にしなければ健康不安は回避できる。しかし悲しいかな、嫁に気を遣えばこそ、どストレートに言う事ができなかったりもするもので御座いますね。世界はそれは愛と呼ぶのかもしれませんけど間抜けだわ。大体、美味い不味いの問題ではないときにどう表現したらいいのだろう。「(自分の好みではなく、人類の)口に合わないかな~」そんな指摘だけでは変わらない。自発的にレシピを読むような人間なら最初からこんな料理は出てこないんだ。味見をしてもわからないんだ。

    料理の経験がない、という状況自体は案外簡単に起こるらしい。親が料理しないご家庭なら誰だってそう育つかもしれない。料理をする必要性に迫られるということが無いままに大人になると、上記のような事態も。しかし料理の鉄人だろうと、最初はだれだって未経験で、卵が上手に割れるようになった、というような所から始めていくんです。個人的な経験からしても、料理をしてみるというのは実益を兼ねた健全な趣味としてお勧めなんだよね。子供の趣味にしてはお金はかかるけど、そこは親御さんがお財布ということでさ。無駄にならない暇つぶしぐらいに考えて気軽にいってみよう。一人暮らしになるとお財布にもシビアになり、食材の管理にも気が回るように。料理の経験積めば、自動的に衛生的面でアウトかセーフかの判断も身につくと考えているけど…この考えは甘いでしょうか。

    レシピを読んでもその通りに仕上がらないという事案もあります。「メシがまずい」とは本来このこと。こんなの単なる経験値だと思う。場数を踏んで徐々にメシが不味くなっていくことなんてあるわけない。夫婦間の関係でいえば、単に味わいの好みが合わない事案のことも多々ある。これは夫婦二人で頑張ってとしか言えない。どっこい、ここが悲劇に繋がる分水嶺。夫は味わい以前の命を守るかどうかの問題だと思っており、嫁はアレンジが良くなかったかな次は違うアレンジしてみよう♪と思っている。逆のことも、もちろんあるよね。これは中立な立場の軍事介入が必要になる場面なんです。勝手に攻め込んでは問題だけど、ご家庭からヘルプを出されれば助けることができる。嫁の飯が不味い件が解決できない人は、マジな話、常識的な一般人にきっちり事情を説明したうえで介入を頼むと良いと思います。旦那が自分の飯を食べてくれない人もですよ?嫁は真っ当な飯を作るのに旦那が偏執的なこだわりがあってちょっとでも好みと違うと受け付けない、なんて事例も御座いますので。

    重たいご家庭の問題に首を突っ込むわけだから、はたしてどれだけの人が助けてくれるかって話ではあるんですが。

    現代の暮らしでは、料理が無理なら無理で外食だけでも暮らしていけるのは事実なんだけど。状況はいつ変わるかわからないし、お料理できて損になることはないんだよね。コロナ騒動で飯に困ったなんて人、いるのかもしれない。選択肢一つ増えるだけで得られる豊かさを知っておりましょう。レトルトだって暮らしていける。それはそう、そうなんだけれども、世代を繋ぐ負の連鎖になっちゃわない?自分だってくいしんぼキッズの頃に料理を作っているところ眺めたり、手伝ったりして覚えていったんだから。とんでもない失敗して家族の晩飯をぶち壊し、しょぼくれてふてくされて励まされて。

    世界はそれをメシとよぶんだぜ。


    裏陳家奥義!女死不味喫鎮!

    ぬうっ…あれが世に聞くめしまずきっちん…っ!

    何っ!知っているのか雷電!

  • ふでのゆくまま

    雑記

    どえらい台風がやってきて、幸いにも歴史的な被害とまでは言えない規模のままに去っていった。じっさい、事前の予報程の威力ではなかったことに加えて、あれだけ事前に勧告をしていればそれなりに対策はされるもの…だと良いんだけどね。30分後に東京に来ます!とか突然言われたらどうなることやら。データ上は観測史上最大の風速を記録したということだし、油断ならんもんですな。その夜は、鹿児島の海辺にあるホテルのライブカメラなど見ていたが、何せ映っているのは夜の海であるからして、何かがすっ飛んでいくようなこともない。やがて映像は途切れてしまい、これはヤバいのかなあと思っていたが、翌日にはしれっとライブカメラが復活していた。停電の影響でもあったんだろう。

    防災の日ということもあって、非常のリュックをごそごそしたりした。消費期限の切れた缶詰を恐る恐る食べてみたり、家にある備蓄で消費期限が一番遠いものと入れ替えたりした。電池の充電や入れ替えなど。何年以内に関東大震災クラスの地震が起こる確率が~~なんて言われているが、地球の仕組みが変わってないんだから、そらいつか100%起こるんじゃないの?これが「5年で90%発生」とかだったら、首都を移転しましょうとか始まるかもしれないし、都内に家を買う人はいなくなる。土地はわかんないけど。買い時かもね。でも、果たして、その情報が公開されますかね。

    なにしろ、もうちょっと防災に個人的予算を割くべきだと思ったが、それなりのものは、当然それなりのお値段。ガチの災害時に使える携帯浄水器は4万円ほどするようだ。TEDでセッションするぐらいだからガチもガチの商品だと思ってチェックしたのだけどな。数千円もしないような価格のものは、魚が泳ぐ川とか雨水なら大丈夫です、という程度のもの。数万円で命が助かるなら安い買い物だよ、と言われればその意見自体に納得はする。するものの、二の足を踏んでしまうあたりの判断力の覚束なさは、非常時にまったく頼りない。およよ。俺さっき100%起こるとか言ってなかったか?

    コロナ騒ぎでリモートワークが盛んになった印象があるが、リモートワークなんてものはほとんどの企業で10年前にでも実施できたこと。そのコストをかける理由がある企業は、そう多くなかったかもしれない。あるいは従業員から要求がなかったかな。地震が来た後に「本当は10年前に東京から出れたのに」という後悔が無ければいいと思う。いいと思うなんて書きながら、考えてみれば実際は、後悔をするか死ぬかの選択しかない暮らしをしている。困ったときの選択肢の少なさは、アリとキリギリスの例えの通り、自分が悪いんですが。

    おさかなグリルに皿を入れたまま十分ほど空焚きしてしまう。鶏肉を炒めようとして水分が多すぎた結果、弾いた油で火柱がたち、火事になりかけた。あわわわわって言ってるうちに火は消えたからよかったのだけど、振り返ればそこに消火スプレーが置いてあるのに、驚いてしまって気が回らなかった。火柱は間接的な原因として、鉄のフライパンを使い始めたこともある。毎回カンカンに熱して使うのがセオリーのようだし、使う油もテフロンに比べて多くなる。そこに、まな板の上から雑に鶏肉を放り込んだ。手入れも面倒だし、使うのやめようかな。自分に向いてない。少なくとも学びがあったということで次に生かしたい。…「放り込んだ」が一番ダメだったんじゃねえのか。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    ざっき

    dancyuを懲りずに読んでいたら、大竹聡という名前を見かけた。おや?この御仁は確か、T倶楽部の酒飲み企画に何度か登場していた人ではないのか。焼酎お湯割りに合う梅干しはどれか、みたいな企画。これは個人的に傑作だと思う企画だ。大竹氏が企画する「酒とつまみ」という…冊子…?は自分も読んだことがある。Amazonでも売っていた。

    んで、梅干しを買ってきた。夏には、衛生面を懸念して自作のお弁当を職場に持っていかない。自分の弁当にはほとんどご飯は入れない。でも、お弁当と言えばご飯に梅干しがちょこんと。これが伝統的な設えで、母親の弁当にもコンビニの弁当にも梅干しは入っているもんだ。ご飯の雑菌を抑えるとかなんとかいわれがあるけど、実際のところは、昔ながらの強烈な塩と酸味が効いたような梅干しじゃないと衛生面での効果は期待できないらしい。スーパーの店頭においてあるのは、減塩だとかハチミツだとかで、いかにも効果がなさそうだ。自分で漬けるなんてのもなあ…そんなわけで、梅干し作戦を実践したことはない。では今回スーパーで買ってきた物はどうするのか、そらあ冷房効いた部屋で麦茶のつまみでモニュっと一つつまんで食べてみるとうますっぺえという、

    塩梅で。

    みそ汁のだしっていつもの粉のやつをファーって振りまいて終わりだったんだけど、かつおぶしで出汁を取るのに挑戦。挑戦もなにも、湯がく程度のことなんだけど。本格的にはちゃんと漉したりするらしいんだけど、自分は面倒なので穴あきのお玉で掬って、八割程度は鍋のかつおぶしを回収したかな、ぐらいで妥協。あとはいつも通りに、具材入れて火が通ったら味噌。特に美味いとも不味いとも思わない、試しがいのない結果になった。

    じゃあ、いりこだしにもトライしよう。カーチャンの作るみそ汁は、にぼしが入っていた。カルシウムとらせようという母のこだわりだったのかな?と思いながら料理サイトで調べると、どうも「みそ汁はいりこだし」という風潮があるらしい。今までずうっと、先に挙げた顆粒のファーで満足してきたんだけどな。昆布とかつおの二択も適当に選んで使っていた。こちらはかつおぶしに比べて試しがいのありそうな予感がある。ネット調べで前の晩から水につけておくと良い、と書いてあったので、ボールに水、いりこを適当にどぼっと、冷蔵庫へ。これが流石に多すぎたようだ。翌朝、いりこを入れたままに鍋に移して着火、あとは具材を入れて火が通り次第味噌。これはこれは、確かに別の味わいだけど、頭もワタも取らないままでいりこを沢山入れすぎて、少々苦い。いりこを食べてみるも、身もあまりおいしくないぞ?次は頭は取ってみよう。

    https://www.youtube.com/watch?v=mIHe9–dpdA

    おさかなグリルが折角あるものの、掃除や準備が面倒に思えて、焼き魚が大好きな割にはあまり使ってない。週に一回もない。アルミホイル敷いて焼いてるから、かなり掃除の手間は軽くなっている筈と思っているんだが、そもそも面倒だったら、ホッケの干物だって鰤の切り身だってフライパンで焼けるもんな。逆に、おさかなグリルで焼くの、別に魚じゃなくても良いよね、とばかりに鶏のモモ肉焼いたらそこそこ美味しかった。アスパラガスなんかも良い感じ~。使えるものは使わないと、とはいえやっぱり、アルミホイルは事実上の使い捨て、掃除とのバーターとはいえ面倒でもったいないし、ホイル外すとき結局汁をそこらにこぼしたりするし。足の甲にサバの油こぼしたことありますか皆さん。

    そこでグラタンとか焼いたりするような、オーブンに突っ込むような皿は使えないかと思ってしらべてみると、そのものズバリ(昭和)さかなグリルに入れて使う調理皿があった。なるほどねえ。小ぶりなの一個お買い上げ。グリル用途ならずとも、例えば作ったものの冷蔵庫ストックとしても便利そうなサイズ感。気を払うべきはこいつは落としたら割れるということ。割れ物なしの気軽さに甘えて数年、器を流しに投げ込んでガロロン!音を立てるもいとをかし、そんなことやってる自分がこのシャレオツ皿を無事に扱えるだろうか。ううう精神の不安を覚える梅干し食べよう。

    すごく見たかった映画がAmazonプライムビデオにあって、喜んでみようとしたらお住まいの地域では見れませんという。たまにある「おま国」状態。ちぇ。プライム無料枠じゃなくて有料でも見たい作品だったんだけどね。見れないんじゃ無料も有料もない。

    頭を取ったいりこだしの味噌汁も美味しくはなかった。あれまあ。もっと減らすのかな。

    遠きかな 出汁の塩梅 つゆ知らず 

    残暑の一日でございました。

  • ふでのゆくまま

    ケイコとヨシエ

    自分はまだ、子供の頃に見た記憶がある。三味線しょって大声張り上げてやいのやいの、にぎやかで大変楽しかったもんだ。その当時だって、元気な婆さんという印象だった。長生きしたもんだわ。内海芳江が亡くなったのは1997年だというが、そんな前だったのねえ。いやーげんきだ。

    しかしね、不謹慎ながら誰の目にももうそろそろ、という大往生でありますから、驚きもなく、しみじみとするばかりで…。世間の注目はもちろん、ナイツに集まるわけです。どんな芸能人も弄ってきた漫才で、師匠が身罷ってさあ、どう弄るだろうか。あるいは弄らないだろうか。

  • ふでのゆくまま

    翼よあれがごみの日だ

    最後の一枚、コンビニでDANCHUと炭酸水を買った時の袋を使ってしまった。もはや私はゴミを捨てることができない。

    冷蔵庫の鶏もも肉や玉ねぎを見て途方にくれる。卵にトマトに絹ごし豆腐…。中身や玉ねぎの皮はともかく、パッケージがあるのをどうしたものか。非常事態だ、トイレに流してしまおうか、とも考えたが思いとどまった。賃貸暮らしでそんな無茶をしてはあとあと痛い目にあう。それに非常事態は自分だけの話で、明日の朝にはいつも通りにゴミ捨て場が賑わうことだろう。だってしょうがないですもん、なんて言い訳も通らない。これは自分でなんとかせざるを得ないわけだが、幸いにしてガスコンロがある。燃やしてしまおうかと考えなくもないが…それでも燃やしたところで無に帰るわけではないのだ、何かしらが残る。理科で習ったわ。結局はゴミ爆誕のはなし。

    捨てれないなら使えばよいじゃない。名案の響きがあるが、それでも、それでも。最後にはゴミなのだ。生涯使えそうなものも、自らの亡き後誰かに引き取って貰うようなものも、人類文明の域にとどまる限りは行きつく先はゴミでしかない。沈んだ船が魚の住処になったり、廃墟に野鳥のコロニーができたりもするが、同じ文脈を文明に当てはめようとすれば、先に滅ぶことが条件だ。ゴミとそれ以外を仕分けする文明がなくなることが。ひらめいた。捨てれないならなくせばよいじゃない。今は亡きオリンピックの送り火。象徴としての炎をともす依り代の豊富さゆえに文明は美しく滅ぶことができる。ニュートン力学にそんなエピソードがあったはずだ。幸いにしてガスコンロがある。割りばしの先にピザハットのチラシを巻き付けて火をともす。ゴミを捨てれないなら、炎を呼び寄せればよいのだ、俺は嬉々として部屋を飛び出し、出鱈目に駆け抜け、教会の桜によじ登って眼下に焼け落ちる街へ絶叫する。

    プリンキピア!

    好きな作家が筒井康隆だなんて思い出すからこんな目に遭う。綿矢りさあたりに宗派替えすっか。

    で。

    今までの人生で数回と買ったことのない、半透明ゴミ袋をかった。自治体所定のゴミ袋を要求された街に住んだことはある。あれとは違って、色気のないしょぼいポリ袋。薄い。いかにも簡単に破れそうであまりすすんで使いたくない感じがある。スーパーやコンビニの袋と比べて手提げ部分がないため、不便だ。うちに生ごみ用のゴミ箱なんてないわ。フックで手提げ袋引っ掛けてそこにポイってな。一人暮らしでは、自分のように自炊派でもコンビニ袋ぐらいのサイズが適切だ。もちろんゴミには燃やすごみ以外もあるけどさ。結局45Lとか買っても無駄が多い。20Lぐらいのサイズで手提げ付きのゴミ袋、いちど見かけた気がするんだけどな。

    これは完全に気のせいだ、と思いたいのだが、その、うっすいゴミ袋に生ごみを入れると、妙に匂いが漏れる。結果ゴッキーとご対面したりもしたのだが気のせいで済ませていいのだろうか。今後も適宜買い物の際はレジ袋を買うことにした。ほんと、なんだこれおい。