ふでのゆくまま

  • ふでのゆくまま

    ecoなる御神体に殉じ

    ただの袋でしかない。

    何がどうエコロジーに寄与しているのかどうか、疑問が残るけども、世の流れに一旦は身を任せてみるものなり。たまたまガラクタ箱から出てきた薄ぺらキャンバス地の袋を半年使ってきたけど、もうそろそろ駄目だ。昔の大手CDショップの袋をイメージすると宜しい、あんな形をしている。その持ち手の部分は負荷がかかり続けて少し歪になったような感じがあり、底のほうを覗き込んでみれば縫い目が解れてきている。運んでるときに崩壊したら大変だ。諦め時だろう。

    こいつは何度も漂白した。輸送中に肉や魚から出た汁がしみ込んだりしてしまって、なんとも不衛生。考えてみれば当たり前に当り前のことだけど、エコバッグなんていままで使ったことないもんね…。食品を運ぶ袋を使いまわすとなれば、衛生面に気を配る必要がある。学びがありますね。

    使い勝手の良い袋を一つ駄目にたところで、じゃあ今後は、今まで通りのビニール手提げ袋を毎回買うようにしようか?とも思ったが。乗りかけた船、さらにご時世に乗ることにして、今度は大きめのトートバッグをお買い上げした。300円ぐらいで売ってるのではなく、ちゃんとした3000円ぐらいのもの。これなら他に使い道もあるだろうけど、基本的には近所の買い出し専用だな。汁の漏れそうなものは、ビニールに包もう。あのロールになって袋詰めスペースに置いてあるやつ。今まで自分で包んだことはなかった。汁が多少漏れても、気にすることなんぞなかったんだから。これであのビニールの消費量が上がったら、エコでも何でもない。マジでどういう発想でこんな政策に…。

    三島由紀夫の「潮騒」を読んだ。なんとなく、どこかで、だれかが、おすすめしていた。紙の文庫でお買い上げして、湯船と電車のなかで読んだ。オフトゥンの中でも少々。本作は三島が実際に島に滞在して書き上げたんですって。こういう島の人の暮らしというと、最近は某人気芸人のイメージがあって。本作の主人公も大悟のちょっとやせて、さわやかでクセの薄い人物像を思い描いた。自分は文学はもうあまり嗜まないけども、本作は丁寧な文章が並ぶその様子だけですげーーってなった。久しぶりに、文字を追って読み進めるということの楽しさを感じた。こんな感情がわたくしにもございましたよ、たしか中学生ぐらいのころかな…どこかの社長だか政治家だか、インタビューに答えて言うには「夏休みには避暑地で読書をします」みたいな事を語っていて。「大人のウソだ!」って思っていたんだけど、そういうのもええなあと素直に思えるようになってきた。これが贅沢なんだと。

    とはいえ、質素に暮らしておりますので賃貸の狭い湯船というスケールに縮こまっております。実際に本作を読む気になったのは短めの作品だから、というあたりを明らかにし、マァ、自分のような人間は決して文学などを語ってはいけないという、お気持ちの表明。誰かが絶賛しているから気になった、というような作品のストックも、また、なくなってしまった。カラマーゾフの兄弟とかユリシーズとか、とにかくなげえんだよ畜生。死ぬまでに読むモチベが得れらればラッキー。

    椅子のクッションが表面ボロボロになり、そろそろ変えたいな、というところで、実は一つ使っていないストックがある。高さがあってボリューミーな、ケツの形に合わせて変な湾曲のクッション。以前これに変えたら、椅子であぐら姿勢が難しくなった。ひじ掛けの下に膝が収まらなくなる。いろいろ調整しても、結局落ち着かないなあと思って、薄いウレタンのものを使い続けていた。ストックのままゴミにしてしまうわけにもいかず、その厚いクッションを実際にいま、ケツのしたに敷いているのだが、厚みができることで、机との高さというか距離が変わってしまう。数センチ、なんなら三センチぐらい?座高が高くなっただろうか。よって、キーボードの入力にものすごい負担を感じる。どう言ったらよいだろうか、手首の角度が変わって、いかにもスジを痛めそうな負荷がある。ディスプレイも少々見下ろすような感じだ。体をおかしくしてはかなわんので、椅子か机の高さを調整すればよいのだが、五センチぐらいは調整が必要そうだ。仕事でもプライベートでもこの机にしょっちゅう座っているのだから、妥協は良くない。高さだけが問題ならば、DIY的な手法でできる範囲で、なんとかできないか。ここまで入力しただけで手首痛いぞ。こりゃあかんやで。

    100円ショップで売っているようなウレタン?の床マットを八等分ぐらいにして、何枚かずつ机の脚の下に入れ込む。こんなストックもあると便利なもんですね。高さはだいぶ快適になったが、机の脚のしたに柔らかい層があるのだ、そのぶん揺れやすくなっているようだ。キーボード入力ぐらいならなんの問題もないと言いたいところ、メインのディスプレイが揺れやすいものなので、何をしても常に揺れてるような…。あるいは今までもこうだったんじゃないか?うーん、うーん。

    乾電池を捨てるにも回収方法が特別というのは、理解できますが、いわゆる「モバイルバッテリー」は自治体の回収の対象ではないとのこと。自分で回収場所に赴いて捨てましょう、ということですが、大手家電量販店なんかに回収ボックスがあるんですって。そこで、実際に店舗に足を運んで捨ててきた。あまり目立たなかったので店内きょろきょろ探してしまった。回収ボックスというかもはやただのゴミ箱を見つけ、本当にこれか?と確認するために中を覗き込んでみる。休日のおひるごはんの時間帯で、すでに5つほどモバイルバッテリーが捨てられていた。ついでにYバシカメラでポイント残高もチェック。思ったより残っていたが、消費期限が迫っておる。そこで今この場で使い切ってしまおうとして、店内各フロアをぶら~っと見渡すも、必要なものがあるでもなく…。おお、こんなものがあるとは!なんて発見もなかった…あ、これは一つあった。電源の延長ケーブルに、USBポートが備え付きのものが置いてあった。モバイル機器の充電に便利かな?なんて思わなくもないけど、今使っているものから買い替えるほどのものとも、思えない。そのまま帰った。モバイルバッテリー捨てに来た人、ほぼ全員同じ行動するんじゃないかなー。ぼんやり思ってたら電車で3駅寝過ごし、ECOの神様の夢を見た。

    『あなたが捨てたのはこn』

    「要らないもの全てです」

    『meh』

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    めし短観

    人生で初めて、ホタルイカを食った。ボイルされたのがパックにみっちりと詰め込まれて売られていた。勿論、今までだって何度となく目にしている筈なのだ。何故だか急に、「食べたことないな~っ」と思い当たり、お買い上げ。酢味噌タレがついていたので、こいつでいただく。残念ながらお気に召しませんでした。イカスミもイカの塩辛も好きじゃないから、イカのいわゆるワタの風味が苦手なのかもしれない。

    おなじく初めて、ピクルスを食った。消費期限が近付いた卵をいっきに消費するべく、タルタルソースを自作したのですが、レシピを見るとそこにはピクルスとある。瓶詰のピクルスを買ってきて、試しに箸でつまんで一口かじると、すぐに「食べたことある」と気づく。マクドナルドのハンバーガーに入っているやつの味だ。あれがピクルスか…。これはお気に召した。気が向いたらまたいただこう。マックのハンバーガー最後に食ったのいつだか、というか今後食べる機会はあるだろか。

    人生で初めて、麩を買った。…多分初めてだと思う。ハンバーグのつなぎにしてみる。レシピによると、ジップロックに詰めて殴打粉砕して粉にして使う。こんなことするんだったら食パンを買ってきてほぐしても同じだったんじゃないのか。味わいは特にどうという感想もない。普通のハンバーグ。この麩に、トーストみたいに溶けるチーズ載せて焼くのも良い、という情報を見つけた。面倒なので、レンチンで溶けたチーズを買ってきたままの麩に乗せて齧ってみた。麩がボソボソしすぎていまいち。残りをどうしようか…。

    ペペロンチーノを作るかー、と、興に乗ってニンニク三倍ぐらい増量してみた。雑に作るのでニンニクが少し焦げてしまう。それでも味はとても良かった…といえるんだろうか、よくわからない。にんにく自体が強力だから、分量三倍したとて味わいにそんな変化があったか訝しい。こんなことをするならば全部使い切れば良かったのだが、二かけら残った。すりおろしてにんにく醤油とし、カツオのお刺身を頂く。

    中トロのネギトロ丼と、まぐろの中トロのサクを同じ店で同時に買った。サクのほうが倍の値段する。さあ食べ比べをしましょう、ということなのだが、味わいに大差なかった。正直どっちも美味しくはなかったというか…。ここ最近、中トロとかブリなんかの油の癖の強い刺身があまりおいしく感じない。アジとか真鯛が美味しい。これも歳のせいなんだろうなと思う。いうてそこいらのスーパーのお惣菜レベルの話ではあるんですが。

    ブリ大根を凝った作り方すると、先にブリを”湯引き”して氷水で冷やしたりするらしい。生臭いのを消すためなんだそうな。やってみよ。しかし面倒なので、少し傾けたまな板を流しにおいて、ぶりを載せ、電気ケトルで沸かしたお湯をダバダバとかけた。日本酒も多めに入れてみたりして、でも最終的な完成品に、今までとそんな違いがあるとは思えなかった。「生臭いのを消す」とは書いてあったが「ブリ-生臭い」を処した結果の評価基準を持たん。二度とやらないと思います~。

    セブンイレブンの容器が優良誤認の域にあるのではないか、という騒動。日本の企業でも平気でこういうことやるんだなーって思うと、もうダメだ未来は暗いなあなんて。なんにせよ、そのうちやめるだろうから、今のうち現物をみたいなーと思っていたんだけど、コンビニに行く機会もだいぶ減った。という…ある日、とある街を移動中にセブンイレブン新規オープンの幟が立っているのに気づく。おっ。幟に引かれるように少し進むと、奥まったところにセブンイレブンがあった。具体的に何を探せばいんだっけと店の横、路上でスマホ検索していると、この店舗の立地が特殊な事に気づく。車を横付けするスペースがない。そもそも車道に面してない。商品どうするのだろう?などと思っていると、搬入業者と思しき人物が、台車を押して通り過ぎていく。尾行することわずかに二分、大通りに止めてあった軽トラに到着。

    考えてみれば、例えば長い商店街の中ほどにもコンビニ店舗はある。コンビニのみならず、駅ビルの中の店舗とか、みんなこうして、どこかに車を止めて台車で運んでいるに決まってるじゃないか。尾行した先は駅の改札のすぐ近くだったので、そのまま帰宅。つまらんことをしたものだ。

    賞味期限が近付いたパスタを茹でて食べた(前出のニンニク三倍ぺペロン)のですが、麺は芯が残らないプリプリの茹で具合が良い。アルデンテなんて調理時間を短縮する単なる言い訳なのではないかと思う。ここのところ、納豆味のパスタソースがお店に置いてない。アレが一番美味いと思う。パスタって、要するに適当に味と香りをつけて食うようなものだから、各家庭の独自謎レシピがあることだろう。わたくしの場合は、ふりかけをかける。サクサクした歯ごたえが残り、手軽で美味しい。お茶漬けのもとという情報もネットで見かけたことがある。次はザーサイを使ってみようと思う。これはもう、茹で上がったパスタに瓶の蓋開けてドバーで良いような気がするな。

    クルトンを人生初お買い上げ。人参と玉ねぎのコンソメスープに投げ入れていただく。ビジュアルが池の鯉に餌を与えているみたいでおかし。でも、すぐにふやけてしまった。香ばしさを楽しむならサラダが良かったな。

    オニオンフライの瓶詰を人生初ゲット。こちら少々ふやけても野菜スープと相性がよろしい。クルトンもそうだけど、こういうのをそのまま小皿に開けて箸でつまんで食うのもいい。ザーサイもそうだ。

    太白ごま油を人生初お買い上げ。なんでも、少々グレードの高いごま油ということだが、う、うーん。そこまで違うものだろうか。まるで何の香りもしない。昨今の時節柄、自分があいつに感染してしまったかと焦る。ググると、そういう商品ということらしい。深く考えずに、普通の油の代わりに使うとする。

    とても切れ味の良い包丁の話題を見かけるたびに、迷いが生じる。自分は粗忽ものなので、切れすぎる包丁は正直危ないと思っている。非常に真面目に手にするべきではないと思っている。扱いやすいキッチンでもないし、メンテもできない。ところが世の中には防刃手袋なんてものも、ある。ううむ…いやまさか…うーん。じゃあどんな包丁を選ぶんだよ、ってことになる。過去の人生で所有した包丁は何本だろう。おそらく10本はあると思うが、同じものをリピートした記憶はない。なんとなく値段と評判で選んできたけど、どうすればいいんだろうか。手持ちの包丁もそろそろ刃こぼれが目に付いたりして、露骨に切れ味が鈍い。鶏もも肉の皮が、まな板に押し付けてギシギシしないと切れないんだもの。さあどうしよ。医療用メスというブログ映えする選択肢を思いついたが、本当にスコッと体を欠損するらしいのでさすがにやめよう。絶対だよ。良い子は真似しないでね。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    miscellaneous

    シリコンスチーマーなる物をお買い上げして、使ってみる。レンジのサイズにぴったり収まるものが手に入った。ぽちっとな、で放置できるのが便利そうだ。手始めには乱切りにした人参を調理する。運用にあたっては、レンジが持つ温め時間はおまかせ機能には向いてないようだ。時間を指定して使うものらしい。初めて使うのに全く見当がつかないんですけども…。

    二分ぐらいの加熱をして、できを確かめて、というのを何度か経由して完成。想像通りとしか言いようのないものが出来た、蒸し人参。まずは食べないことにはなんとも…箸でつまんでハフハフと噛り付く。水を使わない分味が濃いというレビューは本当だった。確かににんじん味が濃い。その後、キノコ類なんかもやってみた。味わいにはそんなうるさくないので正直そこはもうどうでも宜しい。何より、ガスやIH火力と違ってうっかり放置しても比較的安全だということ、これが実に頼もしい。

    という筈なのだが…。

    本来はレンジを使うことで、時間短縮の云々のメリットも大きい。つまり、放置している間になにか他の工程を進めることができる。でも、自分は手順や工程が複雑なご飯なんて作らない。フライパンとか鍋一個で終わるものが殆どだ。切って火を通して味をつける終了。だから、シリコンスチーマーの導入で単純な時短を目指すなら、シリコンスチーマーだけで作れるメニューがなければそうそう達成できそうにない。コンロで何かを作っている間に、レンジでも何かが完成している状態だ。そんなものあるだろうか。

    思いついたのが、麺を茹でるという作業。

    これはレンジで茹でるための商品がすでにあると思うけど…原理は一緒だろということで水と乾麺を入れて、適当に加熱。確認→全然煮えてないので追加加熱→ということを三度ほどやると、トータルで何分加熱すればよいのかがまったくわからなくなっており、今後役立ちそうなデータの取得に失敗。しかもパスタと蕎麦で二回とも失敗する。ま、まあ…仮にデータが取れたとしても、麺の茹で加減なんて結局は試しにいっぽん口にして判断することですから……あれ?

    気付いたのですが、試食の手間が半端ない。レンジ開けてスチーマー開けて熱々でブヨブヨの容器に気を付けて蓋を開けて…。それに調理中の様子も目視できないじゃないかこれ。麺を茹でるに限らず、大体でもいいからうまくいく分量と時間を見つけないと、放置していればできるというメリットが薄くない?これだけのサイズのものを、これだけの量いれる。これだけの時間加熱する。すべて数字で表現可能であるから、一度把握すれば次からは本当に放置できる。いやいやいやいや。そんなもの目分量でもOKだし、不満無いからずっとそうして自炊してるんですわ。「こうすればだいたい上手くいく」というところを把握するまで、すごく手間じゃないか?

    ネットで情報をあたると、このシリコンスチーマーのレシピがそこそこ見つかる。レシピってそういうものだ。ちゃんと読めば、切り方、下ごしらえ、火加減に時間とかちゃんと書いてある。一旦は忠実にコピーしてみることが学びでありましょう。「そんなの適当だ思うようにやったるわ平気平気~♪」などと根拠もないのに突撃するのは、以前に考えた「嫁の飯がまずい」の典型パターンだと気づく。

    何をどう作るにしろ、このシリコンスチーマーがあれば普段まったくやらない「蒸す」ができる。例えば鶏肉の塊とか、ホッケの干物でも放り込んでみるか?ああホッケを煮つけにしてみたこともあったな。納豆の自作にももう一回挑んでみようか?納豆は長時間の保温が必要だからちょっと無理かな。でも、もしかするとお高いレンジは50度で7時間保温、みたいなことできるのかな。

    などと昔の話も蒸し返しておりますけども。

    子供が絵本の中身を実体験として話している漫才あるいはつげ義春あるいは座敷童の誇張の無い物真似あるいは本物の座敷童。

    新しい洗濯機がミッションをこなす時間がはやい。洗濯が先代のほぼ半分で終わる。先代の洗濯機の製造年はたしか2009とか2008とかだった。今上のものと十年の差があるとはいえ、洗濯機なんて全体として同じような動作しているわけで、こんな進歩するものだろうか。たまたま短時間に特化した商品を選んだか?基本的にサイズしかこまかくチェックしなかったからわからないし、まぁ、調べなおすこともしない。だって不満がございやせん。何より、ガスやIH火力と違ってうっかり放置しても絶対的安全だということ、これが実に頼もしい。

  • ふでのゆくまま

    洗濯機もAmazonで買えるし設置も処分もできる

    Amazonで洗濯機が買えること自体は今更驚きもなかろ。しかし大型家電は玄関に置いて撤収されてはちょっと困ります。利用場所に設置する必要があります。また、買い替えが殆どなので現用品の処分もしなくてはなりません。これらの手間があるので、なんたらカメラで買ってその辺の手続きもしたりしていたのですが、Amazonで買っても設置、現用品の処分(家電のリサイクル処理)をやってくれるサービスがあった。素晴らしい。

    利用方法は単純で、冷蔵庫や洗濯機をカートに入れるときに、オプションを選ぶだけ。自分が買った洗濯機は、「設置」と「設置とリサイクル」と「リサイクル」の三つを選べました。それぞれ内容に応じて料金が違うようです。今回は「設置とリサイクル」を利用。こちらの準備はいわゆる水抜きを事前にしておくことと、リサイクルの処分費用は設置時に現金で支払う必要があるので、この現金を用意。当日は運び出し、設置、試運転と全部やってくれるので、特に書くこともありません。設置状況をチェックして書類にサイン。リサイクルの費用を払って終了。

    便利すぎるだろうこれ…。そんなもん、なんたらカメラのネットショップでも同じだろう、というのは全くその通りでしょう。でもね、洗濯機買うためにわざわざアカウント作らない。誰一人としていないと言い切れる。

    大型家電なのでそんな頻繁に利用する機会はないですが、こんなオプションまでついてくればもう全部Amazonで良い。なんたらカメラのような家電ストアに出向いて買い物する理由が殆どなくなりました。可能性は、現物のち密なサイズを検討する必要があるなんて時とか?

    なんたらカメラはポイント使い切るために少なくともあと一回は足を運ぶつもりでいる。実のところ、ポイントの残高が不明なのだが、仮に残高があるとしても有効期限もそろそろ…。その一回が本当に人生最後の一回ってことにする予定。博物館にでも行くような心持ちで楽しみたい。博物館だったらお土産のつもりで無駄なものをポイントで持って帰ろうかな…。一番くっそワロタものを買ったら優勝。

  • ふでのゆくまま

    雑記

    蕎麦を茹でている傍ら、となりで洗い物をマターリ執り行う。差し水を用意していなかった。マグカップに水を、しかし、冬のあらいもん、蛇口から出ているのはお湯である。たぶん40度ぐらいか。しかたなしとお湯でマグカップを満たす。こりゃ差し湯だな。効果のほどは如何なものであろう。

    麺を茹でて吹きこぼれてしまうそのメカニズムは、なんでも、お湯に澱粉が溶け出すことで、泡が壊れにくくなり、沸騰により増え続ける泡がいずれ鍋の積を超えてこぼれるとのことであります。差し水は、水を入れることで沸騰を一時的にとめて、零れるのを防ぐというからくり。ということは、もし、ぐらぐらと煮えているお湯を差し水、もとい差し湯にしても、鍋は沸騰し続けたままだろう。これは効果がなさそう…かな?では40度のお湯はどうなのだろう。確実に効果はあると言い切れる。でも、水とお湯で鍋のリアクションに差がないとも思われない。

    実行してみた結果として、体感では全く差がなかったです。沸騰したお湯は試してないので、好奇心が吹きこぼれた方はやってみたらどうでしょう。以上です。

    (二晩経過)

    前の段落は何か駄洒落にでもならんかなと考えていた。差し水なんだから、「水をさす」という言い回しと、実際に鍋に水を入れる行為そのまま同じ。これはすぐ思いついたけど、一方のお湯を使った言葉を思いつかなかった。蕎麦も絡めると…さらにわからん。蕎麦なのにスパゲティコードだ…だめだな。はたして、二晩経過して、今考えなおすに、「ぬるま湯につかる」というのを思いついた。差し水をじゃんじゃん放り込んだら、鍋の中身はぬるま湯にはなる。実際にぬるま湯が登場するから何かストリーになる。

    さらにぐぐったら「煮え湯を飲まされる」とか「湯水のように使う」とか出てきて、ほうほう、何かできそうやないかい、と。「煮え湯」に「水を差す」と「ぬるま湯」になる。この科学的事実には説明が要らないから、そこに何か人類文化的な文脈をぶち込めばよいのだ。そのような文脈が良いだろう。水と煮え湯の違いは物理的に明白ながら、人間の認知においては、錯誤があり得る。例えば、湯気の有無というのは明白に違いではあるが、これが水とぬるま湯ぐらいなら湯気がはっきりとは出ない状況もありえる。それなら見た目は変わらない。何が水で何がお湯かの認識の違いを叙述トリックにすればいいからー。えーーーと???

    湯と思っているものが水であったとか。客観的にも水と湯を間違える可能性がある状況で、無理のない状況。真っ暗だとかそういう事じゃない。また、触れれば間違えようがないので、見た目だけで判断する状況を考える。あるいは、見た目のほうからポジティブに錯誤を誘ってくるパターン。例えば、水から湯気のようなものが出ることはあり得るか?気温が低い早朝にあるよね。その状況に事前に置かれるシチュエーション。…そうだな、寒冷地の温泉のようなところならどうだろう。見た目が同じ液体が、実際にお湯のことも、水のこともあるかと思う。本当のところは、湯気の量が全然違うんじゃないかとは思うけどな…そこはええやろ。

    冬のロシアに飛んだ。Нападение!!

    YouTubeで、「Усть-Кут」という街のストリート配信カメラにたどり着いた。そこはソビエトロシア、バイカル湖の北、レナ川沿いに広がる街である。wikipediaには日本語で沿革が載っているほどの規模だが、都会というほどではない。かつてはシベリア開拓の拠点として物流が栄えたとのことだ。シベリアの街なんて全部そうなんじゃないのかとも思うが…このレナ川沿いで、バム鉄道も伸びてきている立地というのが重要らしい。川沿いにはクレーンが並び、広い倉庫やコンテナ?が並んでいるのが、グーグルマップなどで確認できる。そこそこ大規模だ。町並みは古臭く、如何にもロシア、あえて言えばソ連の雰囲気が色濃い。古びた集合住宅の壁面に大きな広告などが書かれていると、いかにもソ連だ。かつてはここにフルシチョフの姿でも描かれていたのだろうか?

    川の両岸から少し離れていくと、住宅地の後ろはもう森林である。山というほどでもないが、小高い丘が木々に埋め尽くされてその峰が続く。こういう場所に街がぽつん、とできているイメージは、日本のやまあいの街と似ているように思う。これらの景色には親しみを覚えるが、やはり先ほど見かけたクレーンの姿が異質である。日本人の感覚で見てもそう大きいとは思えない川に、ずいぶん大規模な設備に思えてならない。これは現在も稼働しているんだろうか。

    この街の、街角配信カメラの数がやたら数が多い。YouTubeの関連動画で勝手に並べられるだけでも、20か所近く見つかる。映る範囲もまちまち。中には、夜間にはまったく映らず、ただの闇が広がっているアングルもある。ただ公園のアスレチックが映っていたりする。キッズが雪の上をそりで滑っていきよる。日本とは時差が一時間だからとてもリアル感があってよい。それにしてもこのカメラは、一体なんなのだろうか、と考えてみた。観光PRかな…?渋谷や歌舞伎町みたいにただ街の様子を映すだけ。ただの路地が映っていたりするので、エンターテインメント目的ではないように思われる。なにか実用性を目的に公開されている可能性はあるか。実にシンプルに、街の様子がわかるということには実用性があると言われれば、それはそうだ。治安目的にしても然り。

    ドローン空撮もあるやん。

    おそらくは今後も足を運ぶことなど無い街に、親しみを覚えてしまう。ちょっとした景色の美しさに情が揺らぐ。言葉も通じない、文化も馴染みがない土地を慈しむ。換気扇から立ち上る湯気の、空の重さへ落ちていく様を眺めていると、空に発散する音が聞こえてくる。凍てた川面からも、雪の稜線からも遠くかすかに響いてくる。寒さが感情と風景を結び付けようとする。

    0℃

    それは情緒が吹きこぼれる温度。ある冬の一日でございました。

    (二晩経過)

    水とお湯の漫談は思いつかなかった。アイデア溢れる温度くれよ。