ふでのゆくまま

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    鉄のフライパンを一年使ってみたので雑感

    一年とちょっと使いました。今回はその雑感を書いてみます。お買い上げした鉄のフライパンは以下の商品。本商品は、事前にいわゆる油馴染ませを済ませた状態で出荷されるとのことだが、あまり細かいことは気にせずに使い続けた。

    メンテナンス

    ご家庭で使う鉄製フライパンの特徴の一つには、テフロン等とは違ったメンテナンスをする必要があるとのこと。メンテナンス方法は概ね以下の通り。「使用後に熱いうちに洗剤を使わず汚れを落とす。その後、火にかけて水分を飛ばし、油を馴染ませる。使った油は油さしに戻す」この手間を真面目に受け入れるには、それなりに広いキッチンがないと難しいと判明した。「使用後」というのは、料理が出来上がったということだ。料理は皿や保存容器に盛り付ける。一方で熱いうちにお湯をフライパンにぶっかけながら、柄のついたブラシや竹のササラでこすって汚れを落とすというのは、作業スペースに余裕が要る。油さしに戻す作業スペースも必要だ。油なんぞ塗ったら壁掛けにもできないし、重ねて収納も出来ないと思うのだが、みんなどうしてんのマジで??テフロンが世に出る前ってどうしてたんだろうか。自分が小学生低学年ぐらいの頃は、真っ黒な鉄のフライパンが家にあった気がするんだが、どうしてたんだろうか。

    自分の場合は、最初の一週間ほどは上記の手順を試みた。当然ながらすぐに面倒くさくなり、使い終わったものはそのまま五徳の上に置いておき、後で手が空いたら水とたわしでざぶざぶゆすぐ。火にかけて水を飛ばすという方法にした。水ではなく熱湯やぬるま湯の時もある。油馴染ませはやらない。上記の「後で手が空いたら」という部分に、10分から2日ぐらいまで大きく幅がある。例えば、サバなどの臭いが残るものをフライパンで焼いたときは、流石に食べ終わったらすぐ、ぐらいの感じで処理した。これがたとえば目玉焼きだと、気ままに放置した。

    メンテナンスに関して言えば、この一年ならば上記のように雑でも大丈夫だった、というのが自分の結論。本来推奨されるメンテは例えば中華料理屋の厨房とかでやるやつでしょ。家じゃできんわ。

    一年使ったフライパン近影

    お掃除

    相対的に油の量が増えた。ガス火力であるから調子こいてフライパン振り振り炒め物をした。結果、換気扇のフィルターの交換サイクルが短くなった。調理後に周囲に飛び散った油をふき取ることも増えた。何より、今まで気にしなかった換気扇フィルターの周りの部分も油汚れが付着した。こういう汚れについては、普段から毎日の如くに丁寧な掃除する人にとっては、なんてことないのかもしれない。どうしても手を抜いてしまう人は、たまった汚れにげんなりすることになりそうだ。テフロンにしても掃除が不要になるわけではないんだけどね。テフロンと鉄で比較したら増えました、というのは確信している。

    もう一つ。洗剤を使わないので、フライパンの油がそのまま排水溝に流れていくことになるが、大丈夫なんだろうか。地球環境の話ではなく、流しからの排水管の話。パイプユニッシュ的なもんは気づいたら使っているが、気付かなければ一か月放置もあり得る。

    味わい

    鉄のフライパンは、テフロンに比較して高火力で調理ができる。そのため、何かこう、美味いらしい。この一年ほど、手元にテフロンのフライパンがなく、比較しようもないけど、素人の調理ではそんなに差がある筈ないよね?ただ、炒め物が手早いという点はなんとなく実感できた。強火のままジュワジュワと。でも、「単に油の量がテフロンより多いから早く火が回るのでは?」と思う。兎に角、プロでもねえのに、微差の味わいなんか気にしても詮方なしというのが自分の意見です。火加減味付け目分量の癖にさ。

    結論

    どちらを使うにしろ、自分のフライパンの扱いは雑だ。お掃除が簡単、軽いという点でテフロンに分があり、火力調整をさほど気にしなくて良い、テフロンよりは長持ちする可能性という点では鉄に分がある。ここ最近は、テフロンというかチタンとかなんとか書いてある商品を買ってきて、並行して使い始めたところ、ほぼチタンを使っている。冗談みたいに軽くて楽だ。やはり扱いが簡単なものが良い。鉄フライパンのメリット、なかったのでは…。

    賃貸1KのKからは以上です。

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    地震が来りて

    あのアラート音は傑作だなと思う。

    ついに来るのか!と覚悟を決めたつもり、すでに大きく揺れ始めている。ガチのマジで慌ててしまい「うそうそうそうそ」と呟きながら避難場所と想定している机の下にスマホとそこらに落ちていた上着を放り込み、台所を覗き込んで火の気がないのを確認。自分の体を机の下に潜り込ませる前にまだできることはあるかと躊躇しているうちに、揺れが収まっていく感覚があった。いったん落ち着く。

    親に無事を報告メールうちつつ、外の様子を見る。異常なし。

    二発目が今以上の規模で来る可能性があると思い、机の下の装備をチェック。LEDマグライトOK、靴下も放り込んでおくか、だったら着替えもってそれは違うか、トイレ行こ。バケツに水をためる。靴を放り込む。五分ほど静観。ああ肝心の地震情報調べてなかった。震源が近傍なので二発目きたら本物の大震災なのでは?と脳みそが止まってしまう。風呂に入るならむしろ今しかないのでは?五分でシャワー浴びて適当に体洗って着替える。

    寝る。寝るなら今しかないのでは?椅子を無理やり隙間に移動させて、体を転がせば机の下に入るフォーメーションを組む。今振り返れば、ここで外の様子を見ないのは失敗だった。寝入ったころに火の手が回ってくるかもしれない。どうなんだろうなーやべなーーーって思いながら簡単に寝入ってしまった。

    その後何もなく朝。今回は東北大震災の時より揺れたという話も耳にしたけど、あの時自分はビルの上のほうに居て、長い時間ぐわんぐわん揺れて心底恐ろしかった。それと比べると揺れは小さかったと思う。それに、準備したものが全て手元にある状態の心強さ。なんといってもリモートワークの有難みを感じる。

    おそらく自分が生きているうちに本番が来ることでしょうが、何をどれだけ準備しようとも、それがお散歩中か家でゲームしてる時かは、運次第だもんなあ。

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    雑記

    I shot the vaccine♪

    医療専門の施設ではないところだったので、受付担当とか待機場所への案内役とかがそこらにいる様子というのが、緊迫感を煽る。会議用の長椅子が廊下に並べられ、パイプ椅子。その様子はなんとなく、投票所に近いものを感じた。あれも国政の根本だが、専用の施設などはない。有事の際?には手続きさえ適正なら、どこでも実行できる余地を残す運用にするのが正しいんだろうなあ。ネットワーク障害とか言っているときの、現金の強さ。

    この場所は、世が世なら、なんなら数か月後に、助けをえられず呻きながら息絶える人々、白い布に包まれた遺体が並んだりもしたんだろうか。

    椅子に座り待つ。右に夏の気軽な装いのお兄さん。自分は同じような装いのおっさん。前にご婦人。左に落ち着きのないおっさん。

    おちうしゃは一瞬で簡単に終わる。shotの前に、有事の連絡先を記入するように言われてうろたえる。親の家にしたが、事前に知っておけば、近くの親戚とかにお願いできたかもしれない。普通は近くに頼れる人がいるんですってーああそうですかーあーはいはいー。

    待機。

    スマホを操作することは問題無いようなので、接種を済ませたことを親にメール。近しい人多めのSNSに告知。リアル付き合いのほとんどないSNSにもぶん投げる。何かあったら看取ってくだせえ。医療スタッフと思しき人々が、まじまじと待機中の人々の様子を伺っている。近隣の病院から集められたんだろうか。世が世ならこの方たちは。経過に問題はなかったようだ。スタッフに促されて退出する。このような状況の場所からの退出であるので、人の流れが途絶えることはなく、しかしキッズもいないのでとても静かだ。なんだろう、あえて言うなら満喫した。

    飯を買って帰る。問題が起こるならここからだ。医療スタッフ総出のまえで泡吹いてひっくり返るよりも、自宅で「なんか体調おかしいな?」というほうが死に近い。粉ポカリを薄めに作ったものを1リットルほど用意。窓は開けておく。何かあったらこの番号に…といわれた番号をスマホに登録する。スマホのロックを無効にしておく。冷凍庫の氷を増量すべく適当な容器に水を入れて格納。ロキソニンはあるが解熱剤はないな。体制を整えたところで、テレワークでお仕事再開。あれ?休みにしなかったんですか、なんていう人もいて、逆に慌ててしまうが、体調に問題はない。

    ところが日が落ちる頃になると、ちょっとポカポカしはじめる。体温を測ると発熱はしていない。接種個所に痛みが出始める。定時で仕事を撤収。椅子を回せばお布団がある。横になったらすぐに眠くなった。

    初めて道行く人の足音を聞いた。

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    雑記

    作業しながら将棋中継を何となく見たり、見なかったりしていた。CMに入ると「水戸泉、関東初の冠番組」と音声が耳に入る。関東初…地方タレントとして人気がでたのだろうか?次のCMで画面を確認すると、水戸泉ではなく「見取り図」という若手の芸人コンビであるとのこと。水戸泉の冠番組…どんな内容なんだろうか、大喜利のお題みたいである。

    鶴瓶の麦茶パック、今年も愛用して、最後の1個が残るのみである。…54個入りを毎回2個ずつ消費していたのだが、残り1個て。なんだこの怪奇現象は。そういえば洗い物の中に落として洗剤まみれ、なんてことがあった気がするし、1パックだけにしてみたこともあった気がする。いっそ54が素数になった、というぐらいの怪異でもあれば残暑も涼し。

    シャツのボタンを上から3つぐらいだけ留めて、電車で出勤してしまう。怪異。白いシャツに白いTシャツ、ボタンも白っぽい。電車の中はずっと座って膝の上にカバン。だから目立っていた事は無いと思うが、気付いたのは昼過ぎなんで、そこまでに勤務地の人々には気付かれたか。

    夜の心地よさが一番良い季節。台風過ぎて阿呆みたいな青色が広がったその夜、田舎の真冬を思い起こす冷たいお月さま。団子なんて何年も食ってねえんじゃないかな。

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    映像には温度と匂いがないから

    映像が、証言が、実際の体験者が、陰謀論が、山ほどの情報を語るが、ここに20年前の空気が漂ってくることは二度とない。お前も現地に居たわけじゃないだろ、ってその通りだ。ネット麻雀のチャットで事件を知った。そうだ、当時はテレビがあったのだ。慌ててテレビをつけた。

    今のティーンは誰もこの当時を知らない、というこの事実が驚愕だ。本当に20年も経ってしまったんだな。震災もそのたなんやかんや、忘れられることはなかったとしても、薄れてはいくんだろう。それが世界の流れであり、進化である。そんな風にポジティブにとらえようとしても、抵抗がある。だって「それなら積極的に記憶からも記録からも消しさろう!」という考えは、ありなんだろうか。

    映像を見ているこの瞬間をカウントダウンの始まりとして、やがて、あるいは五分後にでも、同じ厄災が我が身に降りかかるのではないか。そういう恐れが、自分の内側から湧きあがってきた。本当に忘れてしまうものは、これだろうな。恐怖を覚えたということを、無かったことにしてしまう。私が広島や長崎に投下された原子爆弾の映像を初めて見たときも、ビルに突っ込む飛行機の音を、津波に流されたながら軋む家屋の音を聞いたあの時と、同じ恐怖を覚えることはなかった…筈だ。日本の事情としてキッズのうちに何度も見ることになるからな、よう覚えん。

    忘れることは欠損なのか慈悲なのか。

    とりま20年間進捗ダメでしゅ。