ふでのゆくまま

いたいけな携帯(回文) みたいな。

ケータイ小説というジャンルがある、らしい!携帯の画面でメールとtwitter以外読むということをしたことが無いので、そんなに読みやすさに影響があるかどうかわからないけど、文体の特徴としては短いセンテンスをぼっつりもっさりつなげていくのが人気、らしい!最近話題になっているのが、「あたし彼女」って作品で、パロディ生成のシステムも実装されるなど、えらくフィーバーしている、らしい!

実際に読みにいくと、文章がどうのこうの内容がどうのこうの以前に、この程度の情報量でいちいち次へを押して進まなきゃいけないストレスで沸騰する、じっさい!コンビニATMとかで苦戦する御老の気持ちがわかる気がする、じっさい!などと・・・・憤慨したことでも書こうと思ったらさあ、そうでもないんだよね。ただただ次へ次へをクリックしていくというのは、文章にスピードやリズムをのせる良い手法なのかもしれない。切り替わった画面にシンプルに一言ふたこと、一瞬で表示される文字はやっぱり印象的だ。一人称のモノローグ文章なので、思考においてその彼氏がどんだけぇ大きな割合を占めているかってのが、まんじりと伝わってくる。・・・・・・、しばし読み進めると、審査員の秋元康(最近は俺も似てきた)氏が、「台詞のリアリティ」を評価していたのを思い出した。氏は確か恋愛云々的なエッセイも書いていたはず。ブックオフのエリア105で見かけたことがある。しかして稀代の売れっ子作詞家の感性とこの作品のムードがマッチするのもさも、ありなん!・・・でも200ページほどで挫折した。

なんか見知らぬ人のミクシーの日記読んでるような感覚なんだろうなー、これは。作者の最後のコメントも、まあ、なんかそれっぽいよな。フィクションの日記って言うなら自分も相当に自信があるからな、こんな時代が来るのなら、ずっと作家でも志してればよかった、みたいな。

2件のコメント

  • いおり

    俺も読んでいったけど、意図的に読点を抜いてると
    理解はしていても、果てしなく読み辛くて、いらいらしたわ。
    今は、多くの書きパターンが出尽くして1周も2周もしちゃってるから
    奇をてらってではないとは思うけど、新しいパターンで
    書くっていうのを模索する時代なのかも知れないねー。

    もひとつ思ったことは、やっぱり紙がいい。
    紙とインクの匂いをかぎながらするのが読書の醍醐味じゃないかなー。
    俺には現状、携帯小説は毒書にしかならない。

  • いしにょ

    自分はあまり媒体にはこだわらないけどねえ、まあ携帯で読むよりは紙の本のほうがいいわなあ。そいえば、自分は一時期アウトドア読書に嵌ってたのを思い出したよ。新宿の高島屋のテラスとか、公園のホームレスの隣のベンチとかで読むのな。匂いどころじゃないw

    でもアウトドア読書はビジュアルがはんぱないので楽しい。ちょっと顔上げると本の世界からログアウトできるのが良い。

    と・・・。

    文章のスタイルはまだまだあるとは思うけどねえ。広告とか見てるとそう思うなー。小説というか、文芸に限ると俺にはわからん。

    筒井康隆の本に一文字ずつ減っていくってのあったな、なんだっけあれ。

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