サンデー

生まれて初めて、サンデーという漫画誌を買った。(一カ月ほど前の話です)

知っている作品というと、毎回のように人が死ぬ著名な少年探偵作品だけかな。巻頭から読み進めると、そのコナンとは別の少年探偵めいた作品があり、冒頭から死体が転がってて失笑する。飯を食いながら、その他の作品を適当に読み進めると、やがてそのコナンも掲載されている。

冒頭から死体が転がっており、これには本気で大笑いする。死体が起き上がって「あれ、寝ちゃった」と言い出した所でひきつる。サンデーは表紙を死体にするべきだなあ。そしてデアゴスティーニが週刊他殺体を発売する。

コナンのファン層はどこなんだろう。わからん。

せいか

新たな勤務地への通勤に関して。「あゝ一日が23時間になってしまった」など18世紀の詩人みたいな嘆き方[要出典]をしてみたものだが、思いのほか苦になっていない。

何日か通勤してみて気付いたが、住宅地と大きなマンションの近くを通ることで、ここ数年の日常ではあまり目にしなかった光景が目に入る。遅刻ギリギリで学校に全力の疾走をする中学生、小学校を終えた子供らが家の周りでぎゃいぎゃいの騒いで遊んでいる様、まるで市場のセリのように一斉に保育園から子供を引き取って散っていく親御さんたち。例年にない早さの梅雨明けにより、不安視していた天候にも恵まれ、何か楽しんでいる。

何よりも、空が明るい。見上げれば、空がある。長い残業が無ければ、夕暮れにうっすらと染まっていく空を見ながらの帰路。これだけの事が新鮮に思えるとは。通勤時にも全力の青空。たったこれだけの事が…。歩きながら何かが効率的にできるものでもないので、毎日のように音楽を聴きながら歩いている…というのも15年ぶりぐらいなんじゃないか。楽しいなあ。仕事は炎上しかk…..

とは言え、やはり、「今のところは」といった言い回しになる。例えばちょっと体調が良くないな、なんていう時に何にせよ距離があるというのは不安ではある。いや、そんな何キロもあるわけではないんですけども。
飽きたらまた遠くてだるいふざけんな、しか言わなくなる。クッソ暑いし。今までより早起き必要だし。

これが少しでも楽しいと思える期間が長い事を願う。通うだけで電車に飛び込みたくなんるなんてまっぴらごめんだ。そして今度はもっと近い場所になることを強く願う。あーでも、乗り換えが一回で済むのは遠くても苦にならない主要な要因かもなー。

今年はグレープフルーツ不作なんだろうか、まだ美味しいのが見つからない。

死刑失効よかマシ

世界史に残る規模のテロリストたちを身柄確保しながら法の下の処罰ができないなんてあってたまるかっての。

事件記事などを追っていると、地下鉄サリン事件と同じ年には阪神大震災も起きており、そんなご時世に親元を離れて一人暮らしを始めるにあたっては随分と心配もされた…と思いたい。親が心配するのも無理はない、当時の自分の甘えたぼんぼんっぷりではなあ。裕福な家庭の子という意味ではなく、過保護に育ったし、世間知らずな人間が大学に受かったというだけで都会に出ていくんですから…。

親の世代の大学生たちは、「赤軍派」の騒乱の最中だった。母が言うには、父は思うように大学生生活が送れなかったことを恨めしく愚痴っていたとのこと。それらと比較なんぞしてもしょうがないけども、市民に毒ガステロってだけでも万死に値するという言葉通りだと思います。

最近、誰でも良いから殺す類の個人の暴力が勃発しており、そういう人たちが教祖様の尖兵にでもなれば次に犠牲になるのは誰ですかね?そうじゃなくても神様気取りで刃物振り回しているというのに。…ここでそういうのを怖いと口にするのは思う壺なんでしょう。恐怖に駆られて先に手を下すようなことが。

それを「不安だが用心すれば対応できるんではないのか」と思う拠り所が、人々の繋がりであり、また為政の振る舞いなんじゃないかと思うんです。現場の警官とかでもいいですけど。そういう意味で、死刑執行には私はひとつ安堵に似た感情を覚えた。

紫陽花は枯れて、梅雨が明けました。

こんな足でも歩けない筈はない

出勤先が変わる。劇的に変わる。出社したらまずエアロックルームで防護服になる必要がある。この季節、汗だくで出勤して、えーと。流石に嘘ですよ。

今までは駅からすぐだったのが、駅から徒歩15分以上という場所になる。劇的!!勿論しんどいのだが、まあ音を上げるほどでもない…と思いたい…。改札を出てから勤務先までの天気なんて、ここ何年も気にしなかったのに、かなり重要だ。台風の日とかどうしたらええねん。電車に乗っている時間も少し伸びる。通勤時間の伸びにより、一日の時間が少なくなる。だから、例えば電車に居る間に今までは家でやっていたようなことをする必要がある。これは必須だ。一日が今までより短くなるんだ。さあ何をしよう。

ところが…どう考えても通勤中に掃除洗濯調理ができるわけではない。電車の中からスマホなどでできることで、毎日毎日のタスクを減らせる工夫が、案外思いつかない。もちろん、何一つなかったわけではないけど、そんなのは大体は現時点でもやっているような事である。改めて考え直してみれば当たり前の話だ。なんせ生活自体がそこまで変わるわけではないのだ。ただ、おはようございまっすーって挨拶する場所が変わるだけなんだ。つうとますます一日の時間が減ったぶんだけ、ますますただの損だ。畜生め。

幸い、通勤電車の中では、ぎっちっぎちに詰められる区間が殆どない。なにかドキュメントを読むのには問題ない。当面はまじめにお勉強でもするか、という感じだ。ではここを変えるか。ようやっと電子書籍的なものに気が向く。…向かない。普通にスマホで用足りてます…。

何かを改善しないと損しかしないのに、今現状から改善するようなものが見つからない。追いつめられた実業家のようだ。現状に一切の不満がないとか、理想的に生きているとは程遠いのに、だ。

ほぼずっと座っているだけの仕事だから、強制的に歩く距離が伸びることによる運動不足の(少しだけの)解消は、それ自体はかなりポジティブな要素だ。そこだけか。本当にそこだけだな。しかしそれこそここ数年で、変える必要がありながらも変えれなかったことの一つ。このポジティブ要素だけに縋って今後も頑張ろう。今のお客様にお世話になる限りはたぶんずっとそこに出勤する。取引先某国に飛ばされなかっただけマシと思おう。しかし何よりも、違うお客様との取引で生活できる方法も模索しねえとな。

靴をどうしようかね。スーツ姿にスニーカー、案外見かけるし、ちょうど靴の買い替えを考えていた時期ではある。歩きやすさを志向したビジネスシューズなんてものもあるなあ。機能的な靴を得ねば。

変化の嚆矢として、全く興味が無くて読んだ事のないいわゆるビジネス雑誌を買ったら、40代のサバイバルと銘打って、新入社員の研修パンフレットみたいな事が書いてあって脱力する。宴会の作法とか明るい表情での返事がどうたらってマジかお前。日経アソシエイト、マジかお前。東京には焚書する場所もない。

もろもろポジティブ過ぎて忙しいです。ケツからため息がでました。ぷぅうう。うんこうんこ。

刃牙道->最終巻->読者層->圧倒的->低評価->大団円

タイトルはちょうど三文字区切りになったので並べて遊んだ。

実際に刃牙道22巻の評価をご覧になってはいかがかと思います。レビューなどそこまでアテにはしない性質ですが、自分も実際に読んで呆れたので、低評価は納得です。最低評価の「☆1」が7割近いです。真っ当な商品でこれは凄いことです。真っ当な商品というのは、印刷がおかしくて読めないとか返品対象ではなく、商品としてちゃんとしているのでクレーム入れて返品とかできないもの。商品として毀損無く販売できるもの。

つまり作品の内容だけで低評価が7割。

これ、雑誌の連載なんですよね。だから、最終話はそれ単体で読んだ人がそこそこ存在する筈です。どう思った事でしょう…単なる次作の構想メモみたいな内容でした。予告ですらない。次回作、読もうという気にならないなあ。どーせ、ノミノスクネが花山薫の血縁とかそんな話。

あ、大団円って作中の話ではなく、読者みんなで( ゚Д゚)ハァ?って顔をしているってほどの意味です。