じんぶつのぞう

人生になんどか訪れる、心を奪われるという体験、その一つに、いまだ記憶が鮮明なものがある。とあるホームページを見たときのことで、stingの”Shape of my heart”のMIDIと共にゆらゆらと揺れる地球の画像があった。ホームページでこんなこともできるんだな、という驚きとともに、どうしたことか、ゆらゆらした地球はそのまま心に沈み込みんでくるが如くに。考えてみればこれは20世紀の話かもしれない。勝手にMIDIが再生されるホームページとか、まさにおじさんの思い出ってエピソードだ。SNSも出会い系も産まれる前の、静かな静かなやり取りの記憶は、一つの青春と言えるのかもしれない。

梅雨が明けては思い出話。ただの思い出ばなし。ああ美しい小説でも読もうかしらん。あ、小説、そうだそうだ、当時、夏目漱石が好きでしょと聞かれて、夏目漱石なんて読んだこともない自分は、その時名前を思い出した村上龍なんかが好きって答えたら、はぁ?って驚かれたのだった。以降も、特に好きな作家はいない。

仄かであることは美徳と思いたい。

そんで電子書籍を買うかとごそごそしていると、週刊漫画雑誌も電子書籍で売っていることに気づく。お値段びっくり300円!あれ、400円のもある!!高い!!調べると、コンビニで売っている紙のほうももっと高かったりするらしい。自分は180円とかで買えた時代があったと記憶している。少年ジャンプしか買ったことはないと思う。途中で紙の色が変わっていた。緑とか薄いピンクのような色の紙に印刷されていて、塗りつぶしの個所はかすれて白っぽいまだらになっていた部分とかがあったもんだ。

電子書籍なら印刷や紙質の問題は何も関係ないはず。どうなってるのだろうかと先ほどの週刊漫画雑誌のサンプルを見る。なんというか、単行本の色をしていた。グラビアも、まだあるんだなー…需要はあるのかしら。

筒井康隆氏のサイトで印象深いものがあった。http://shokenro.jp/00001692

筒井康隆かな、好きな作家。でも正直に言えば、「夢の木坂分岐点」とか「旅のラゴス」とか面白かった筈なのに、内容なんぞ何も覚えていない。一方で、生放送の朗読会でおまんことかきちがいとか読み上げている映像は記憶に鮮明だ。当り前だ、わはは。ググって近影を拝見するに、さすがにお年を召されたね、と。好きな作家と心当たりがあるものの、氏のキャリアの長さと、自分の読書嗜みの乏しさによって、すくなくとも半分は未読のはずである。なんか適当に読んでみようか。

ところでつげ義春をググるたびに存命だったと驚いている気がする。

昨今のコロナウイルス

感染者数の数ばかりがトピックになっている。

きっちり調べてゼロが続けばそれに越したことはないのだが、「きっちり」調べるなんて出来ないし。越したことはない、というかひとまずの人類側勝利条件やんけ。検査の精度が向上したとかあったら良いんだけど、どうなんだろう。無自覚で感染しているケースもあるので、いったん全国民を収容所送りにして…ぐらいのことをやらないとだめか。それこそ無理な相談だが。もうずーっと、お薬の開発頑張ってくださいとしか言えないまま。当初から、数年かかるという専門家の発言は目にしていたので、今年中に安心できる状況にはならないと思う…毎月同じこと言ってる気がする。

もし、このコロナが原因で文明が無くなるようなことになれば、わずかに生存した人類は「数年間に合わなかったんだ!」なんて考えるだろうか。ドローンによる無人宅送や、自動運転、ナノテクノロジーによる体内での対応。わずかばかり、実用が間に合わなかった。特に根拠もなく楽観して言えば、もしコロナ騒動がなければ、5Gについては限定エリアで人数制限付きだろうけども、サービスが始まっていたかもしれない。上記三つとの事例ともデータのやり取りに高度なワイヤレス通信の需要があると思う。手遅れだった、なんてつらい。

オリンピックは来年もやれないんじゃないの。参加予定のあったスポーツ選手にはお気の毒としか言いようがないが、個人には最初から開催は好んでなかったし。単純にメリットないもんね。日常生活の面倒ごとが増えるだけなんだろうなと。それでも、方々の駅が工事されて使い勝手が改善されたりしてよかったのか。でもインフラ周りの改善がオリンピックなんぞに縋らないと出来ないなら、もう国の仕組み破綻してないか。…いや、実際は自分が目にしないところでしっかりメンテされているんだろうけど。

流行り病の存在自体に日本政府が負うべき責任もなにもないが、昨今の判断には首を傾げるばかりだ。行動制限するけど旅行のキャンペーン?転売規制もやめると。何もかもがもとに戻ることを目指しているんだろうか。地震の後も復興することはなさそうだ。

1984

どうやら、2009年の新約版というバージョンを電子書籍で拝読した。雑に説明するなら「いうこと聞かない奴はぶん殴って黙らせるぞ」というだけの話。刊行が1949年のエスエフ作品であり、作中の舞台設定が1984年。これを2020年に読んでも、描写される作品舞台に感銘をうけることも、さすがにない。ないでしょう。ないです。ないっつてんだろ党の決定だ黙れ。党の決定により、歴史的な傑作とされております。

プライバシーという言い方が1949年にあったかは分からないけど…。テクノロジーによりプライバシーが奪われ、そして思想の自由をも奪われるという話の筋。実際はテクノロジーによるものではなく、その陰の権力、暴力に対する恐れがある。だから、テレスクリーンどころではないテクノロジーが現存する今に読んでも、国家の権力で強要されるというところに全く現実感がない。それどころか、もうされてるんでしょ、ぐらいに認識していることが、そんなにおかしい考え方ではないと思うがどうだろう。未来は呑気だねって?

監視どころか、お部屋の中から世界中に向けて公開しておる人も珍しくない。本アカ裏アカ身内アカ、ダブルシンクどころの話ではないんじゃない?そりゃあもちろん、カメラのon/offはこちらにコントロールがあるという前提にはなる。つまりは自由がある。コントロールの確実性がいまんところは保証されているからこそ、誰も入れないお部屋の中から声高らかにこんにちは世界!

この現実はどういうことだろう?と考えてみたけど、作品の筋書きと対比するからずいぶん変容があったと錯覚しているだけで…。この現実に至るまでに、実際の歴史を紐解けばそれなりにそれなりの、自然な理由がある筈。だからと言って、1984の作者が危惧したような世の中が現実になってしまうことに対して、許容するなんてことは全くあり得ないことだ。ただ、そういう過ちが起こる可能性を、いつかの時代よりは少なく見積もっていたと思う。

心細くも、矛を手に入れた。我々の手にもテレスクリーンがあり、真理省がある。自由を守る盾ではなく、矛を手に入れた。強大な国と従順な国民ではなく、個人が国とお隣とインターネットに矛を向けあい、暮らしている。気分はもう戦争!!そういう気分でいたんだけども、ところが。それでもやはり、国家の権力というものは強大なもので、そこに不当な意思がなくとも自然に大きくなっていくもの。テレスクリーンなんて置かずとも、スノーデン氏のエピソードにあるがごとく、テクノロジーの「自然な」進化により国家が「自由に」あの世界と同じことができるようになったているというのが、現実かもしれない。中国もNSAも実際にそうしているんだから、かもしれないの話ではない。

ほんで。2020年に読んだからこその印象なんだろうけど、1984年という時代設定が妙にハマったと思う。1940年代からの進化であって、現代よりは前の時代のもの。つまりテレビとか、マスコミに勢いがあったような時代。日本だと経済はバブルの始まりぐらい?made in JAPANの福音高らか。インターネットはその概念すら世間に知られることもなく。アパルトヘイトは紛糾しつつも実施中。自分は7,8歳だったから、そういったものは個人的な思い出として残っている。そして世界中には諸々が記録されている。俺たちは知っていると。確かな証拠があると。ビルに飛行機が滑らかに吸い込まれていったのが青空に映えた朝を、ロベルトカルロスのフリーキックの弾道が、UDOミュージックフェスティバルの熱狂が、ナチスのガス室はなかった!といって雑誌ごと無くなった騒動あったね。

「記録は書き換えるにしても、人々の記憶はどうするのか。記憶しようとしなくても、勝手に記憶されるではないか」

作中の主人公の主張だ。作中では記録の書き換えを紙とペンと焼却で行っている。現代、記録の書き換え作業が容易になった。最近はadobeの映像ツールの広告がyoutubeでも流れているが、ああいうふーにあけすけに見せられると素直に驚愕する。これははたして捏造というのだろうか…。自分は過去に、とある動画が十秒ちょっとカットされただけでずいぶん印象が違うというのを、たまたま体験した。カットされてないバージョンもyoutubeにUPされていて、容易に比較できた。カットされた内容に自分は驚いてしまった。もともとテレビ?の映像なので、いったんは世に出たものである。どういう意図でこのような手を加えてyoutubeに公開するのか。その意図の察することができる内容だったのでゾッとした。いやまてまて、それを言ったら元々の映像の意図はどうなる。テレビの意図を認めるだけの世界のほうがゾッとする、いやいや、こんな記憶だけでブログに公表している人物の意図が、いやいや、いやいや、

もちろん、書き換え以上に、複製が簡単になっていることも間違いないなく、それは保全に役立っている筈なのだ。結果としてゴロゴロ出現しうるデータの真偽を何処に委ねるべきなんだろう。これは真理省が必要なんじゃないの…あれまあ…。

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作品としてはまずまず面白かった。オールドスピークがどうのとか、ゴールドスタインの書物がどうのとかは読み飛ばしましたが。国家の監視など許容しないが、あがなうすべもなく取り合えず自由っぽいことをしている、というのが現実に当てはまっているというのは、戦時下のリアリティに晒された作者の鋭さなんだろうか。

雑記

「ニュートン」という雑誌を読んだ。特集は超ひも理論。聞いたことはあるけど、まったく意味は分からないものだ。頑張って読んでみたが、もちろん、わからない。現実世界は9次元である可能性とか言われてもさあ。専門用語が多くて内容が難しいというのは、もちろん想定の範囲内だ。それにもまして、本書は一体何を言わんとするのかがさっぱりわからなかった。世界の学者が取り組んでいる内容と、同じレベルで紹介しようとしたのかな?この、超ひも理論の追求は、いったい何を解決しようとしているんだろうか。

観測はできたけど説明のつかないものを追求する。およそ科学のモチベーションかと思う。実験したいから宇宙を再現するってもさすがにアレなので、仮説を立てて理論を書いてとやっていくんだろう。結果、行きつくところはどうなんだろうか。例えばなにか数式にたどり着いたら、芋づる式に他の「観測はできたけど説明のつかないもの」が判明したり、コンピュータプログラム上に再現できたりするのかね。ポアンカレ予想みたいに「これが解決すればいろいろ捗るのになー」なんてもの、説明されてもわかんないことが多い。自分の脳みその能力の問題なので致し方ないとして、読むからにはせめて「ふ~ん」ぐらいの感想は得たかったもんだ。

ハッブル宇宙望遠鏡の特集もあり、数は少ないものの宇宙の写真が多いのは面白かった。ネットで探すとナショナルジオグラフィックの画像など沢山見つかる。宇宙ヤバい。

「& Premium」という雑誌を読んだ。キッチンというのは家の中にあります。家がないとキッチンもないです。お金がないと無理です、といわんばかりの豪勢なキッチンを見せられ頭痛がする。無駄な皿無駄な棚無駄な食器にしか見えない。でも自分もLANケーブルとかネットワークハブとかノートPCの予備なんてあるからな、似たようなもんか?しかし犬がキッチンの傍らに寝そべっている画像で少々薄気味悪さを覚えた。厨房に食材と人間以外の動物は立ち入り禁止じゃないの。あ、食材か。…介助犬ってことにしとこう。キッチンが広い部屋、現実的なご予算で住めるかな?と探したことはあるには、あるのよ。一人暮らし賃貸でキッチンが広い物件となると、かなり絞られる。古い物件でも人気があってまだ賃貸され続けているようなものとか…あるいは、逆に新しいうえにえらく贅沢なもの。または単身者もOKな家族向け物件とか。ただ広いだけではなんとも、とは思うけど、プロじゃあるまいしまずは広いほうが単純に使いやすいよなあ。いつかそんなところに住める身分になれるだろうか、ずっとそう思ってたんだけどね。広い風呂とかさ。20にもならない頃からあああああ。

ちぇ。

まあ、超ひも理論クラスの視座におればね?まな板買い替えなくてはならなかったキッチンも、江戸時代の墓みたいに膝折りたたんで入るバスタブも、食い物が提供されているわけでもないキッチンの犬が許せない狭い心ですら3次元球面 S3 に同相、虚数を超えたリンゴは闇鍋に入れるとのどごしが堪りませんな若旦那。

厨房に動物はないよね。

「ディア・ハンター」を観た

(結構前に鑑賞したはずなのだが、書き掛けで放置されていた?ので半端に公開)

ネタばれもりもり

なんとなくタイトルを耳にしたことはあった。DearHunterだと思っていたが、DeerHunterだった。鹿。あのメリル・ストリープの出世作と言われても、ピンとこない。調べたところ、彼女の出演している映画で観たことあるの一個もない。はじめまして。いわゆる「ベトナム戦争もの」なのだが、戦場で大爆発したり銃を撃ったりに重きを置いた作品ではなく、じんわりと味わい深いストーリーの作品になっている。

いつものようにぼんやりと視聴を初めて、結婚式の場面がずいぶんと長いと気づく。見ているうちに残り再生時間が気になってくるほど、テッテ的にいつまでも続く。若者ばかりでなく、老夫婦もすっかりパリピになっておられる。みんなこんな乱痴気騒ぎするもんかね。あちらの文化はそういうものかなと納得するものの、少し奇異に映る。実際、あちらの人が見てもちょっと奇異に映ったりはしないかな?というのも、作中の背景がある。登場人物は、結婚式を挙げてすぐにベトナム戦争に赴くという状況。もぉまぢやけっぱちの狂乱でも始めてしまえといったところだろうか。当時はアメリカ中がそういう雰囲気だったのかもしれない。

結婚式が終わり、みなが家路につく。場面は唐突に戦場に変わる。この切り替わりが妙に気に入った。彼らは戦場で捕虜となってしまい、仲間同士で銃口を向けあうロシアンルーレットを強要される。狂気の遊びに興じるベトナムの兵士は、満面の笑みで本当に楽しそう、このようすが…結婚式の参加者たちと同じで。

場面は進み、クライマックスのシーンで狂乱に包まれる。オチが見えてしまう展開で、見えた通りのオチになってしまうんだけど、あの長々と描かれた結婚式。これもまったく同じ狂乱だったなと思い当たる。新郎新婦を祝っているふりをして、嗤っていたんだ。間抜けな面と装いで将来を夢見ている阿呆を指さして嗤っていたんだ。みんなで大笑いして楽しむんだ。

人間が必死で生きようとする姿の滑稽なこと。

鹿はただ静かに佇んでおりました。