• どくしょかんそうぶん

    「夢をかなえるゾウ」を読んだ

    読み終わってから何年たつねーーーん!!!五年ぐらいか???どうだろう。下書きの掘り起こしと供養となります。あまりこれといった良い文句が思いつかなかったのであります。南無。


    自己啓発なんて書籍に興味の薄い自分が、本書のタイトルに覚えがあったということは、当時相当に売れて話題になってたんじゃないか?しかし読んだことは無かった。わたくしと同じく、最近になって本書を初めて読んだ方には、このように思われた方もいるかもしれない。

    「ネットで目にしたようなことばっかり書いてある…」

    自分もそう思った。この既視感の正体は、SNSだと思われる。いわゆるバズって「いいね!」がいっぱいついたような投稿。本書はそういうツイート(現ポスト)とかの言い分と内容が近いんじゃないだろうか。本書は2007年の刊行。2007年であれば、SNSはまだインターネット住民や若者だけのものだった時代だ。本書の内容がすぐにネットでバズることは少なかったかもしれない。でも、ことしに至るまでのあいだに、何度か似たような内容が広まったりした結果、本書の内容に既視感を覚えるに至ったと。そうであれば、内容は多くの人が共感できるもの。…と見せかけてあるいは?単に耳障りが良い言葉がぞろぞろ並んでいるなんてことも?さてさて。

    本書は、「神様」と主人公?のダイアログをメインにした読みやすいつくり。ちょくちょく差し込まれる過去の人物のエピソードは(多分)客観的な事実を並べている。事実ってんだから異論も何もない。それを架空のキャラとはいえ「神様」に語らすのだからその御言葉の威光たるや絶後…っ!!しかし関西弁にすることで妙に人間臭くなるちゅうカラクリやな。神の言葉なんてものは神を信じる人あんちゃんたちの身内ネタだが、しかし人の言葉は時にあまねく人の胸に響く。子羊のラッパなんてものとは馬力が違いまんがな。こちとらほんまもんのMade in Japanやで。

    つまりは、人間がかわってないから。人間の社会が。だから同じ事ばかり身に染みる。スマホもネットもできたけど、大枠は変わってない。例えば、202X年世界は核の炎に包まれた後の世界だったら「ライバルは家族ごと確実に殺すこと」なんて書いてあるかもしれへんのやで。

    「そうでしょうか」

    そやで自分まだわかっとらんのかいな。

    やってしまえば取り返しがつかない、こともまた、真だと思う。この世の中、何をやっても「体験ができたから良かった。成長の糧だ!」で済むわけない。本書に倣って自分が今までやらなくて後悔していること、考えれば当然ながらいくつも思い当たるが、そのうちの一つは実行すれば刑務所にお世話になるだろう。仮にあした実行しても同じだし、このブログに訪れてくれたあなたと実行しても同じだ。実行しなかった理由は、「教育」とか「常識」という言葉で説明できる。体験したわけでもないのに、知っていた。

    神様に感謝としか言いようのない本当の幸運は、成功を求める先にあるとは限らない。道理に背いた時に訪れることもあるだろうし、ほとんどは気づきもせずに享受しているのかもしれない。「日本に生まれ育っただけで大当たりだ」とか聞いたことあらへんか?

    しかし、「最後の課題」何個出てくんねん。

  • どくしょかんそうぶん

    「スモールビジネスの教科書」を読んだ

    サラリーマンという日常的な表現はいわゆる和製英語という事で、英語勢に通じない…らしい。ではサラリーマンは自己紹介する時に自分の職業をなんと説明すれば?一般的にはオフィスワーカーで良いらしい。ここで、ビジネスマンは(昨今の世相ではbusinesspersonというらしい)という表現だと、経営層や自営業のニュアンスになるらしい。そろばん弾いて利益を掴みにいく立場で職務にあたる人。本書はそのbusinesspersonにならんと一旗揚げようとする人への、先達の教科書。リンク先Amazon~。

    https://amzn.to/3FB4cUM

    しかしスモールとはなんだろうか。本書内にその意味するところも書かれているのだが、どうも言葉のイメージとは異なって、フリーランサーの一人営業みたいなものではなく、そこそこでっかい商取引も含むみたいだ。いや、その「でっかい」ってなんだよ。草。

    こういう本をあまり読んだことは無いけど納得できることが書いてあった。経営実戦の経験はないが、それなりに生きてはいるので、本書の所々に同じ事あったな~なんなら同じ状態の企業さんあるな~って感心もあった。ざっくりというとこんな事かいてあった。

    • 企業の経営というかビジネスの進め方というのは徐々に効率化されるので、大企業が支配しているようなサービスでもどこかに意図的に切り落とされる客とニーズがある。そのおこぼれをもらう。
    • ユーザーに新たな課題を啓蒙するのは無理ゲーと割り切って、今コストをかけている課題に自分の商品を挿げ替える戦略で。
    • 人間の欲望は無限なので、何かが解消するサービスを提供されてもそこでニーズが消失するということはない。

    その他細かいこともちゃんと書いてあった。ちゃんと儲けを試算して挑めとか、属人性で勝負するので自身の能力を仕上げていけ、とか。でも、大本の、根本のビジネス運用の部分については、敢えて言えば「パクって儲けろ」「人の弱みに付け込め」を意識高い系で包んだように読める。いや、本当にそう書いてあったのではないか…?

    こういう書籍を読むと、Amazonさんは類似書籍をお勧めしてくる。「スモールビジネス企業の教科書」「二番煎じを究める」←タイトルで言ってしもてるがな。草。

    ビジネス書って実践しないとすぐに忘れてしまうな。いわゆるビジネスマンで生きてないから、生活の習慣にかすりもしない。例えば「issue driven」とか読んだのになんの話だったかすっかり覚えていない。geoguessrに出てきたタイの田舎道のほうがまだ記憶に残ってるかもしれん。これは書籍の内容が云々の話ではなく、自分の取り組みの問題だとは思うんだけど。あるいは課題が明確になっているから、か。geoguessrの場合、この画像はどこか解き明かすという課題が明確なので、フォーカスすべき点もまた定まってくる。あー…まあこれ余談ってことで。

    しかし…。本書にはインターネットとAIが登場しない。そんな古い書籍ではないのにも関わらず。なるほど、それが本書自身で言及している取りこぼしを狙える部分ってことになるんですかね。うーむ。それとついでにもう一つ、「法に適っているか」という課題については触れられていなかった。最重要な気もするが、先行者がいる前提で語るならばそこは検証済みという考え方だろうか。

  • どくしょかんそうぶん

    「図書準備室」を読んだ

    「苦役列車」のエントリでも触れましたが、文学ってどこが面白いんだっけ?というおももちのままに本作を拝読。「図書準備室」のほかに「冷たい水の羊」という作品も同梱されておりました。

    「苦役列車」のエントリの続き的な感じですが、よくわからなくなってきた。だからわかりたいのだ!という事でもないように思う。壁にはっつけられた絵画や、奇をてらってないアートなんかをまじまじと眺めるように、たとえそんなに興味がわかなくとも、落ち着いてその傍らに佇む。ウケた受けた印象を味わってみる。そういう態度で臨むのが大人の所作であるみたいに、ツウ気取りの愉悦であるみたいに、「いや、ま、読んではみましたが。どうにも自分には、わはは」と答えたいがためにわざと音を立ててページをめくってみる。あ、電子書籍版でした。わはは。

    どちらの作品も青春が主人公である。名前はまだない。いやあった。覚えてはいない。片方は包丁で自害を試みようとする話で、片方は包丁で殺害を企てる話…あれ?同じ作品だったっけ?どっちの作品にもケツに棒を突っ込んだとか鶏に睾丸をつつかせたみたいな話があって、あれ、同じ作品だったっけ…。これネタで言っているのではなくて、読み終えてから二週間ほどでこんな有様だ。

    どちらの作品もちゃんと読んだ。一字一句飛ばさずに読んだ。ほんまやで。でも何というか、タイプして残すほどの感想にならんのだよなあ。これは何だろうね。つまらなかったとか退屈だったとか、そんなのだったら、そのまま書けばいい。難しくてわからんのだったら、そう書けばいい。これはわたくしの見栄なのかね、やっぱり。読んだけどよくわかりませんでした、とは書きたくないのか。言葉にできない感情に打ちひしがれてさまよい、トンネルを抜け前頭葉の底が白くなったのか。もう、わたくしもお年を召しまして、自分でわかってないんだろう。耄碌。まさにモーロク。大破。玉砕であります。もう文学というコンテンツのお客様ではないのだ。

    …ほんとかな?わからん。何もわからん。( ・´ー・`)ドヤァ

    しかしこれは当然ながら、文学なんて狭いカテゴーリの話に留まるわけがない。なんでもかんでも「自分には合わないねえ」などと言って背を向けるような事になりかねない。幸い、インターネットは広い。人間も多様であって、文明も健在。回転すしぐらいの頻度で教養もエンタメもやってくる。好きなネタにばかり手が伸びること当然だけど、たまには文学もいってみるか、ぐらいの感じでやっていきましょう。…。

    …。折角なので文学とやらを寿司ネタに例えたかったんだけど、なかなかうまいこと言えない。生タコかなあ。かみ砕くのも飲み込むのも一苦労ですが、XXXXXXがあります、とかXXXXXXXもあります、みたいにまとめたい。まとめたいってなんだよ。

  • えさのじかんだ

    めし短観2025年6月

    納豆ふりかけ。元来納豆が好きなので、ものは試しに。…うーん。味わいがまろやかすぎる。海苔が多めに入ってるのはとても良いし、ポリポリした歯ごたえもよいので、このふりかけを納豆のトッピングにして食べたい。単体じゃちょっと弱いかー?ふりかけというカテゴリは、既に神域に到達した「のりたま」という存在があるため、すべてが見劣りしてしまう。

    https://tuhonori.co.jp/product/recommendation2/

    「ふわもちたい焼という」スイーツ。ふわふわのたい焼き…もどき。まずまず美味しい。4月に下書き書いている間は存在した抹茶味の商品だけど、生産終了なんだろうか、404になってしまったのでリンク掲載せず。

    叙々苑のライスバーガー。冷凍食品。叙々苑も食べた事なければライスバーガーも…流石にあるか?でも好んで食べないから本当に無いかもしれない。バーガーの形にするために中途半端に形成されたコメ部分が好きじゃないんだよなー。味わいもこれといって美味いも不味いもなく。

    https://j-products.net/products/riceburger.html

    「こんがりチーズオニオンスティック」セブンイレブンの食い物は全般的にうまい。パンも例外なく。これは10代の頃に喜んで食ったあのパン屋の味わい。

    https://www.sej.co.jp/products/a/item/300248

    国産小麦のクラウンメロンパン。クラウンメロンってなんだか分からないが、きっと高いメロンなんだろう。とはいえ味わいは普通のメロンパン。高級だろうとなんだろうと、メロンパンから本当のメロンの味がしてもあまり美味しくないと思うんだよなあ。どうだろか。これ何回も言ってる気がする。

    https://www.pasconet.co.jp/products/89/index.html

    すしざんまいの社長のツラが目に入ったのでカップ麺お買い上げ。まぐろダシのカップラーメンですってよ。酒のつまみで、四角く圧縮された魚肉あったの覚えてらっしゃいますか。一個一個金とか銀の紙で包装されていた気がする。あれの味。商品ページすでに404なのは、売れなかったんだろうねえ…。

    「世界のkitchenから」シリーズは大好きだ。このたびライムソルト味が爆誕。ライチは「ソルティライチ」なのにライムは「ライムソルト」なんだな?しかし過去の商品ラインナップには「ソルティライム」もあってマジ世界。ディアボロジンジャー再発売しねえかなあ、あれ好きだったのにな。で、このライムソルト君はもっと香りが強くても良かったんでは感。やさしい味とも言えるけどね。

    https://www.kirin.co.jp/softdrink/kitchen/products/product_detail41.html

  • どくしょかんそうぶん

    「苦役列車」を読んだ

    たまには文学作品読もう部。著者の西村賢太は時折テレビなんかにも出ていた気がするが、既に身罷ってしまった。

    怠惰で小賢しく卑しい人物の愚痴がずっと続いている様子で、漫画や文学ではこーいうひと居ますねえって。現実にもそら居るだろうけど、あまり進んでお近づきにはなりたく無いタイプといいますか。怠惰ならわたくしも負けておらんのですが、彼ほど捻くれたままで生きてはいないと信じたい。

    作中、10代後半の主人公の生活から、突如40代となった主人公の生活に場面が映る。以降の場面はもはや著者自身の述懐みたいなものなんだろうか。

    あとがきというか解説は石原慎太郎だった。その冒頭には以下のようにある。

    小説の魅力の大方は描かれている主題、人物の非日常性、非通常性にあるともいえる。

    そうなのであれば、小説というものが数多あるなかで、一様に非日常を制作しているんだろうか。そりゃあ「実際のお知り合い」には居ないのに「漫画や文学では良くいる人」ばかり登場する事になるような。しかしファンはそれこそが読みたかったと目尻を緩ませ、人間とはこれのことよと喝采する。ファンだ。文学ファンだ!ちゃわうぉっしゃー!しかし非日常にも限りがあり、作品たればなおのこと、書き手がプロならなおのこと、もろもろまとめて納得感のある筋書きにする必要があるんだろう。

    ただ、作品だから濃縮されて描かれていると言えばいいんだろうか。例えば捻くれて友人にとげのある言葉を吐いてしまった、これは普通の人でもあるあるじゃないですか。作中の場面にも実際に登場するが、現実世界でもそんなことを(し||され)た人だって多かろう。わたくしは無いですよ、大学を出ておりますから。酒も飲まねえわ。いやちょっとだけありましたが、作中ほど下品ではありませんでしたよ、大学を出ておりますから。中卒の文学かぶれなどと非日常に喝采するような人のいうことなんぞ、

    「冗談が通じない人たち」という非日常の親戚がこちらを覗き込んでおりますのでここらで扉を閉じておきますが。小説やあるいは映像作品・漫画などの類も、そういうスジがあってこそ読み手の感銘や面白さに繋がっていく仕組みなんでしょう。

    でも、文学の面白さってなんだっけ?グルメと同じで、面白い(美味い)と実際思ったんだからそれ以上語る事もなくておkという立場ではあります。前述の石原の言葉にも、大方はという前置きがついてはいるものの「描かれている主題、人物の非日常性、非通常性にあるともいえる。」だそうだ。「ともいえる」?処方箋じゃねえんだから「この本を読むと〇〇という見識がたかまります」とか「感動のあまり二日ほどの余韻に浸ります」とか「ちゃわうぉっしゃ」とか効能が添えられるものではない。しかしね、文学のみならず、ドキュメント、日記、SNSといった山ほどのStringが、そして同じような速度・粒度の感覚と共に映像と音声が放流されるようになった今、文章を再発明せねばならんのです!!

    はぁ。

    で。その石原がぶつくさ文句を言って選考に加わった芥川賞を受賞し、当人の言葉によればその石原の文句を知らずして「もらっといてやる」との言葉を残したのが、田中慎弥という小説家でありました。なんかその授賞式の様子を見た記憶もある。映像で見た。氏のwikipediaを読んだら非通常だったので興味をそそられた。読んどいてやるか。この受賞にしても、もう1n年も前なんだな。