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「失われた時を求めて」を一時間ちょっとで読んだ⏳
というミステリ、その答えはまんが版の「失われた時を求めて」なのでした。
「まんがで読破」シリーズのラインナップは濃い。原典を読むのはハードルが高いから漫画でその内容に触れてみよう!という目的のシリーズであるからして、気軽に読んでみるよりは、お堅いというか骨太の作品が多い。そりゃそう。しかしてここに並ぶは刮目せよ、「共産党宣言」「わが闘争」「死に至る病」「ユリシーズ」…ユリシーズ!?「資本論」「カラマーゾフの兄弟」「カーマ・スートラ」
などなど、もっとあるぞ。なんともユニークなリストであるような気がする。教科書とかにも出てくる名著なので名前は知られているが、ヒット作とは言わないのだろう。実際に読んだことある人がそんなにいないと思われる。こういうのを普遍的というんだろうか…。人類共通の叡智。しかし、私は上記いずれもその原典(の日本語訳)を読んだことはないという恥ずかしいやーつ、ふわっと思いついて今回は「失われた時を求めて」を読んだ。
もちろんあっさりと読み終えてしまった。
「おお、名作はやっぱり凄いな」という感想には及ばなかった。う~ん…。例えば、物語の終盤に「ここまでの人生むなしい」みたいな事を主人公は考えるんだけど、どのあたりがそう思えるのか分からなかった。確かに、マッチョが全裸で未来からタイムトラベルしてくるような面白イベントもなく、ただ日常が続いていた。主人公はなんとも恵まれた暮らしを続けていたじゃないか、むなしさを感じたのは何処だろう。長閑すぎたってことか。実は最初のほうを読み返せば、「作家になりたいと思った」という描写ははっきりとあった。しかし、作中ではそこに挫折したわけでもなさそうだ。目指したという描画もない。平穏に地方の貴族の暮らしを続けている。そうして「心が冷え切っていた😥」という主人公に首を傾げてしまう。なんなら主人公はどこも目指してはいない人物とまで言えるかもしれない。音楽を演奏を聴いて目が覚めた!みたいな描写は唐突過ぎて、漫画表現あるあるで納得するしかない。いや原作でもきっとそういう場面なんだろうけどさ。
これにて私は「失われた時を求めて」を読んだことがあるとは言えるだろうか。「漫画版なら読んだ事あります」とえいば嘘偽りなく事実ではあるけど、なんかこう違うよね。そもそも、本作の内容に興味があったというよりは、くそ長い作品読んだという体感を感じたかった。よくある実績解除の話です。話のタネ。だから他に候補はいくつかあった。
漫画で触れることで、最初の一歩、とっかかりには良いのではないか。そういう考えもあるけど、別に本書を踏み台に、この先の目標があるわけでもない。著者のファンでもないし、文学を修めようという気骨も無い。目指す方向がないのに一歩踏み出したもなんもないだろ。気合がねえから漫画版に手を出した。おお、なんか哀れだな。
しかしながら、今まで興味も示さなかった物語を覗き見た、ここら辺までは事実だろう。原典だけが唯一の価値を持つという時代でもあるまい。前述の通り、このシリーズにはまだ何冊も名作がある。人類の歴史に残るような文学・思想を漫画版で眺めただけで満足するのはあまり推奨されないような気もするが、しかし手が出ないまま呆けているよりは良さそうだ。例えばwikipediaのあらすじで済ますようなことよりは遥かにマシでしょう。折角なのでこのシリーズ、もう1,2冊読む機会を求めてみようか。
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「西部戦線異状なし」を観た
オリジナルと言っていいんだろうか?1930年に公開されたバージョンであります。自分が観た映画の中では一番古いものに…なるかと思いきや、「狂つた一頁」(1926年)を観たことがあるのでした。
イチ兵卒になって、WW1の戦場に送り込まれ。やっぱ戦争はしんどいな、現場の苦労も知らずにみんな好き勝手いうなあ、ってストーリー。原題は「All Quiet on the Western Front」人類初の世界大戦、その最前線の戦況も、地図上にプロットできる進展がなかったなら静かな一日だったと消化されておわり。映像にはスローモーションとかズームも無い。音響もなんかこう質素?というか。もしかしてステレオってもの自体が存在しないのか?ここまで古いと逆に新鮮ではあったのかもしれない。作品のテーマのわりにはなんとも落ち着いた雰囲気のまま最後まで観た。さすがに長閑とまでは言わないけど。
現代の映画とかゲームで”迫力のある”負傷兵とかを見慣れてしまったものの、本作はちゃんとWW1のぐちゃぐちゃした戦場の雰囲気が出ていると思う。もちろん戦場の実体験などない。でも、映像記録みたいなもので知った、当時のイメージ通りの戦場が展開されている。塹壕と鉄条網と迫撃砲。なんの遮蔽物も無い土地を大勢で敵陣へ突っ込んでいく。砲撃を受けすぎてぬかるんで沼地のようになっている土地。生き残りが塹壕に到達すると白兵戦。狭いので重宝されたのは塹壕掘りに使われたスコップ。スコップで直接なぐったらしい。現代から想像したら愉快に見えてしまうかもしれないが、それで本当に人間同士がぶっ殺し合っていたんだ。
この記事を書いている時点で、ロシアとウクライナの戦争は続いている。もはや結局どうなったんだっけ、ぐらいの認識でいると思うけど、YouTubeとかで探せば日々情報が伝わってきている。自分も面白がってそういう情報をちょくちょく追って…いたのも、もう一年以上前か。未だにウクライナ領土の東部はロシアに占領されたまま。日々小規模な戦闘は続いているが、どちらの国が勝つの負けるのという局面に近づいている気配はない。「東部戦線異状なし」の状態だ。和平はまだ遠いのか、あるいは破滅まで止める術がないのか、あるいはやめ時の分からないケンカのような…。
ロシアウクライナ戦争は、本作のように映画化されたりするのかね?おそらくはゼレンスキー大統領に焦点を当てた物語は作られるだろうか。(ちんぽピアノは無視されるかもしれない)すでにとんでもない量の戦場の映像がある。公開されてないものも含めてさらにとんでもない量になるだろう。たまたま、AIによる画像生成の隆盛と時期が重なってしまった結果、偽物だって凄い数があるかもしれない。なんなら本当は戦争もなかった、なんて呑気なジョークに結びつけようとする。
問題なんてなかった。明日も世界は順調。
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「ミザリー」を観た
ネタバレが含まれます。
誰もが知ってる有名作品でも、実際に観た事ないものというのは案外多いものでして。…という中の一つ。ここまでの有名作となれば、あらすじとかも大体知っているという状態で本作を拝見しました👀
作家とファンという組み合わせにはなっているけど、要するに精神異常者に襲われるという話で、その異常者役の俳優さんの迫力凄い。迫力というか演技力?リアリティ?本作でアカデミー主演女優賞を受賞している。これがリアルならアメリカ人が銃を手放さないのもわかりますね~。”ああいう感じ”の人が警官を襲う動画はいっぱいあります。
んで。
「要するに」なんて雑にかいつまんだけど、シナリオは良くできていると思う。単に異常者が突如襲い掛かってくるのではなく、しょうがなくあんな状況になってしまった。なんなら最初はちゃんとした善意で助けられている…であってる?その後何とか解決を試みるスリルがとても良い。ゾンビがぐおーーーって襲う訳じゃなく、言葉は通じる人間であるから、なんとかなだめようとしながらのやり取りが緊迫感をゆっくりと煽る。外からの助け船が、彷徨いながらも確実に近づいてくる心強さ。観客が一致団結して主人公を応援し、最後にはガイキチがくたばったその爽快感たるや。あいやお見事。いよっ。スティーブン屋っ。
作家をやったことがあるとか、ファンと揉めた事があるとか、そんな人殆どいないだろう。しかし、観れば妙に説得力がある。令わ8年を迎えてはそういう事例も積みあがり、明日は我が身ぐらいの感覚に思える人もあるのかも。いや流石に大袈裟か?
名作でございました。
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「純粋理性批判」を読…
まんがで読破シリーズをいくつか買ったのでもうちょっとだけ続くんじゃ。
哲学って何したいんだろうな?2025年はそんな疑問に少し理解を示すことができた。だからと言って哲学を学んでみようという気にはならないが、その成果物には触れてみるのも悪くない。例えば世間の注目が大きい先端科学みたいな感じで、どこかワクワクできるような事があったり、具体的な学びがあるかもしれない。
あれま無理でしたー_(┐「ε:)_
まんが版の作品設定は、学校で教師が生徒とやりとりしながら「純粋理性批判」の内容を説明するというもの。とてもわかりやすくまとめられている筈なんだけど、造語の説明を造語でするみたいな感じであばばば、諦めて早めに匙を投げました。チュートリアルの出来が悪くてユーザーが去っていくゲームみたいだ。尤も、これは漫画が悪いんじゃなくて、カントが悪い。難しいこと言いやがって!あと俺の頭も悪い!😇哲学を学んだという素養でもあれば、だいぶ印象は異なるもんだろうな。
人間が認識している世界は、要するに人間の認識できたものだけ、という主張らしい。そりゃそうだ。そりゃそうだ、で話が終わっちゃったぞ、どうなってんだカント出てこい。そうではない、本来の?物体の姿があるという話もあるそうです。その他もろもろ、もろもろ、思い付きにパッチを思い付きで充てていったような印象を受ける。いや哲学だから思い付きでなんの問題もないのか。…ほんとか?
一般的には分からないながらも得た知識を書くのがインターネットの読書感想文だと思われるのですが今回は豪快にスルー。
で。
「空が青いのは何故か」という話に結論が出ているのが現代ですが、古代ではそんな話も哲学分野だった。ある人(chat-GPT)はそう言いました。仮に結論が出たとしても、本当にそれでいいのか、問いを続けるべきなんだと。だから「人間が見えているものとは違う本体の物自体とは何か」に関する空想というか想像も、いつか科学の範疇に収まる日が来るのかも。これは、例えば宇宙の起源だとか生命の誕生だとか、そういう話題が近しいのかな?宇宙が”発生”したのだったら、それ以前と、その理由には当然興味が向く。因果がある筈だと。しかし人間にはそれを知りえない?体験し得ない?というのがカントの主張らしい。それが形而上学云々って所に繋がっていくんだろうか。神が光あれと言ったの言わねえのって、シミュレーションされた世界の中にいるとかって。
本書(まんがではなく、原書のほう)は西洋哲学の大きな転換点らしい。哲学を志せば必ず通る道と。今の我々には当然の考え方、物珍しくもない発想が、きっと当時は世間の目ん玉が飛び出るほどの驚きだったんだろう。発明だったのだ。世の中、そんなのなんぼあっても良いですからね。次の哲学の発明はどういうものになるんだろう。どんな疑問や思想が発生して、何を解決しようとするんだろか。我々は何に躓くんだろう。映画やゲームで予習済みのアレとかアレに、何も判断を下せず固まってしまう、そんな事態がありありと見えるだけに、そらおそろしい。あゝ「人間の存在が脆弱性」という状況がやってくる。我々に認知できない利用規約をポチる覚悟があるかね?
🤖<All your ethic are belong to us.
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とあるスピリチュアル寄りの書籍を読んだ。
特定の書籍や著者を槍玉にあげる意図はないので書籍名は伏せるものの、こういう類の書籍は好かないという事を前置きしまして。
この書籍は、生年月日を表す数字を足してどうこう、出てきた数字によって貴方の人間性とか運命どうこう、というような事が書いてある。出てきた数字が何々の人は〇〇という性格で云々とか。流し読みを進めると、「高次のエネルギーと繋がる」とか「この肉体を卒業するまで」「運気の波」みたいな不穏なフレーズが登場するので読むに堪えない。こういう書籍ってなんなのだろう。いくら何でも言ってることがめちゃくちゃだ。端的に言って薄気味悪い。
世の中には風習ってものがあります。山ほどあるけど、例えば誕生日に近しいところで、干支。あとは星座?どちらも調べればそれなりに根拠はあるのかもしれないけど、考えてみれば意味はなんも無い。極端に言ってしまえば、曜日だって意味なんかないという事になってしまうかもしれないが、しっかりと人類の暮らしに根をおろしており、ある日急に無くなってしまえば困る。しかし干支や星座は生活には特に関わってこない。
お守りを持ってる。部屋にもちろん神棚なんてものはないし、サイズも小さいものだから箱にしまって収納のどこかに入ってる。電車の中で、10代の学生さんや20代の勤め人のカバンにお守りがぶら下がっていたりする。薄気味悪いとは思わない。お守りに意味なんて…意味なんて…ねえよ。お守りっていってもその格式とか?いろいろピンキリだと思う。だけど、そりゃあ、無いよ。本物の、いわくの通りの効能が発動するなんて、ないよ。でも、人生って習わしとか伝統、合理性だけではやってない。ごちゃまぜだ。占いというものも、私はただの出まかせ、ホラでしかないと思っている。嫌い。でも、思い悩む人の拠り所として、多少は人々の暮らしに根を張っていると思っている。嫌いだけどな。
しかし誕生日ってどうなのよ。干支や星座といった物語、伝統、歴史に乗っかる切り口ならまだわかる。数字を足して云々ってちょっとテキトー過ぎやしないか。これに納得する人いるの?😰なんなら本気で信じる人もいたりするのか。占い信じる人もフラットアーサーもいるんだからなあ、誕生日と人格に関連があるみたいなことを信じる人もいるのかもなあ。
そのぐらい適当に生きていって良いというポジティブなメッセージだと思えばそれはそれで、まあまあの拠り所たりえますか。だからって「でもわたし、誕生日は良いんですよ!」ってあまりにも哀れ過ぎないか?
ちなみにわたしも持ってるドメインは良いんです😤