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まあ雑記
有名な宮沢賢治の「雨ニモマケズ…」を青空文庫で読んだ。最後にお経のようなものが並んでいて驚いた。俺は初めて読んだんだろうか。もはや覚えていない。冒頭と、玄米四合のあたりだけ記憶にあった。…そもそもなんでこれ有名なんだっけ?
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card45630.html
という文章にインスパイアされたわけでもないけど、本当に一日に玄米を4合食った。朝に2合炊き1合杭食い、昼に1合食い、夜に2合炊き全食いうおおおお。大満腹でありますね。納豆と焼き魚、鯛の刺身とか、さらには牛タンやら酢の物、筑前煮、大豪勢。また、玄米に味噌を乗せて柚子七味唐辛子をまぶして食ってみたりもする。うーん。うめえ。今後も玄米で良いのかもしれないな。炊飯器で普通に炊けるし、水加減を少なめにしても好みの感じに炊ける。今さっき書いたとおり、メシが好きすぎてとんでもない量を食ったりするので、日常的には炊かないようにしているという状態も踏まえたうえで、白米より良いんじゃねえの。うどんより蕎麦ぐらいの感じで。
ついでに青空文庫の話を連打、「ルバイヤート」があったので読んでみた。しかし特に面白いものでもなく、ざーっと流し読みして終わってしまった。その名前は世界史の授業で習ったんじゃなかったかと記憶しているが、なんでこれがそんなに有名なのか、イミフだったので調べてみる。よーするに、「酒のめうぇーい」みたいなこと言ってるのがウケたらしい。書かれたのは十字軍とバチバチやってるころのペルシアだけど、西洋では19世にこの作品が発見されて人気になったと。「昔の人はこんな事いってた!流石だ!」みたいな感じだろうか。例えば今の日本で徒然草とか土佐日記がウケるようなもんか?🤔あるいはそんな呑気なものではなくて、当時の世相というかそういうものにマッチしたと…AI君しらべではこの本が発見されたころ、「共産党宣言」とか「種の起源」あたりが西欧では話題になって、当時の価値観にゆすぶりをかけていたと。いわゆる教会と聖書みたいな価値観?本書はゆすぶりの追い打ちみたいなもんだったのか。太古の詩でそんな揺らぐもんかね、って思ったけど、聖書だって太古の書みたいなもんで、それでやってきた価値観だから、置き換えて考えてみるのも当時の人には受け入れやすかったのかもしれない。妄の想でやんすが。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000288/files/1760_23850.html
新たな収納を導入した。旧収納から移動させる時こそが合理的な断捨離の好機なんだけど、どれだけ収まるか検証も大事なんではと思い、ドゴシャと全量詰め込む。目論見通りに収まり、結果として旧収納の設置場所、80x80x天井までぐらいの有効スペースを増やすことが可能になりそうだ。しかし有効活用の予定はない。だから、何か新しいものを手に入れて置いてみるかという考えもあるけど、これ以上物を増やしてどないすんねん。もし部屋にある全てをうまく再配置してみれば、今より良い感じになるかもしれない。
👆…というその再配置もやってみた。住居空間の占有効率は良くなったが、収納内の効率が落ちたような感じ。生活導線の改善はできたからええか。賃貸一人住まいで導線ていうのも大袈裟な感じあるけど、確かに今までより効率的に外出の準備とか着替えとかできるようになったった。QOLとかいうの、これのことかね。
投票日が雪の予報ということで、期日前投票。同じ事を考えている人多数と見えて、案外賑わっていた…ような?期日前なんて滅多にやらないしわからん。寒々しい会場で対応してくださった皆様お疲れさまでした。あれって市役所職員なのかね?
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踝にはためく風の冷たきこと
関太よりは細い、しかしどうみても肥満、という身体的特徴なので諸々あります。パンツ(ズボン)の股が擦り切れるというのはあるあるで、こすれて薄くなり、やがては穴が開いてしまう。股下が広い?大きい?ものだったらそういう事も少ないのですが、わりとフィットしているものだと避けられない。いや痩せろ。
素材や利用頻度にもよるんでしょうけど、6年ぐらい履いたデニムにとうとう穴が開いた。もちろん予兆はあったので、ついでとばかりに何本か新しいパンツをお買い上げしておいたのだが、ネットで買ったため、裾がながーーい。ものぐさなので放っておいたものの、穴が開いてはこいつらを稼働させねば致し方なし。今回もアイロンで圧着する裾上げテープで対応しようと思っていた。以前試したときはうまくいった。
といった頃合い、洋服のお直しをやっている店があった。持ち込んでお丈の調整を願いしてみることにした。後日、無事に受け取り。勿論何の問題も無い。頼んでよかった。今では家庭にミシンなんて無いことが多いと思うけど、昔のカーチャンはこういうの自宅でやってたんだろうか。
粗大ごみ出荷待ちをしている椅子が部屋の中に置いてある。邪魔なのだけど、取り込んだ洗濯物とか薬局で買ってきたものとかをまずはドカッと置く場所として重宝している。世の人はソファでこれをやるらしい。ソファとは洗濯物置き場だとすらも。ソファのある暮らしをした事ないなあ。今後する予定も…見当たらない。広いおうち、ただくつろぐだけの部屋…。しょんぼり(´・ω・`)
I’m sofa king live alone.
夜明け前の非常に寒い薄暗い時間帯、神社に人影、らしきもの、があってギョッとする。神殿の前でじっと立ち尽くしている。たぶん手を合わせて願掛けしているのだろう。個人の願い事なんてすぐ済む。なんなら敷地に入らず、横目に通り過ぎる間に済んでしまうようなもんだろ、お金が欲しいとか無病息災とか。そんなもんでいいよ。しかし、あの人影の様子は自分のための祈りではないんだろうなと想像してしまった。なんの事情か知らんけど、こんな時刻、そんな様子、どうしてもお願いをする必要がなにかしらあるんだろう。目は開けているだろうか。物言わぬ社に、少しでも祈りの届いた印でも顕れないかと暗がりを凝視している、そんな風に思えた。俺の足音は耳に入っているかもしれない。邪魔してしまったか、菩薩到来を誤認させてしまったやもしれん。あなや、セキフトシヨリハホソイノミコト、貴下の祈りを聞き入れるに能わず、丈が合わぬゆえ。
七草粥を食べた事ないのは、まずお粥が好きじゃないからで、たぶん七草自体は食べられないということは無い筈。って調べたら、セリ以外の食材になんの心当たりもねえわ!すずなとすずしろがカブとダイコンの事らしいのでそいつらは良いとして、残りは何処で出会えるんだろうか。七草粥セットみたいにして売られているのは存じ上げてますけど、単体で売られたりするのだろうか?
二月。
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七草粥に砂糖を入れる風習があるらしい
自分は七草粥自体を楽しみません。つーか食べたことない。お粥それ自体が苦手なので…しかし正月休み余韻の頃、ぼんやり七草粥のwikipediaをその情報量に圧倒されながら読んでいると、とても興味深い記述がありました。
七草のうち手に入るものを入れた粥に、白砂糖をかけて食べる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89%E3%81%8C%E3%82%86東京は品川の風習と紹介されています。この情報の出どころは、「日本の食生活全集」という日本各地の食生活を網羅した大変なボリュームのありそうな書籍のようです。実際には読んでないので不明。
で。おはぎやおしるこだってありますので、米や餅に砂糖というのはそこまで奇抜だとも思いません。しかし七草粥に砂糖とは🤔この記述だと、出来上がった七草粥の仕上げに砂糖を振りかけるような印象。
裏を取るべくインターネットで調べてみると、この話がいくらでも出てきました。
https://hisakobaab.exblog.jp/238970504
https://kosuzume2.exblog.jp/7798239
https://ameblo.jp/rumieimur/entry-11746341325.html
https://www.hinode-net.com/weblog/?p=4712
https://www.instagram.com/reel/DTNIhLuAS1a
https://www.navi-tomo.com/user/blog/diary_detail768954.html
特にはっきりと書かれているのはこちら。これまでのリンクの情報から考えてみると、江戸である程度生計に余裕があるような家庭では、砂糖をまぶした七草粥というのは、当時そこそこ一般的な頂き方だったのではなかろか。
https://www.museum.city.katsushika.lg.jp/blog/2021/12/post-20.php
で、ここまでダラダラとネット徘徊したところでふと思いついたんですが、最初から砂糖だったんだろうかということ。関東で「たぬきそば」っていうと揚げ玉が乗ってますが、もともとはかき揚げとかの具材が乗った「天ぷらそば」があった。そこからの、揚げ玉を使ってみたというのがたぬきそばってわけでしょう。だから、最初から七草粥に白い砂糖をまぶしたのではなく、当初は砂糖に関連した何かを乗せていたという説はどうか。
例えば金平糖とかどうだろう。そこから、江戸っ子の気性で気が短けえんだてやんでい、いうて砂糖をぶっかけたとか。羊羹、氷砂糖とか。まかさ落雁ってことは…どうだろな。
ううむ推論が雑ぅ!冒頭に挙げた通りそもそも食べたくもないので、実践もせず、この辺で匙投げます。実際に食べた事あるかたいらっしゃいますかね。
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めし短観2026年1月
「ウィルキンソン タンサン タグソバー ライチトニック」ライチ風味のノンアル…というよりは、清涼飲料水。もうちょっと濃いほうが良いかな?ソルティライチの割りベースみたいなもんが売られていた時、炭酸水で割った事あるけど、どうだったかな、美味しかったかな?なんでこんなぼんやりした所感なんだろな。
https://www.asahibeer.co.jp/products/non-alcohol/sober/4B814.html
「キューピーマヨネーズ、コク深アイオリ味」あらま販売終了なのか😧アイオリソースというのは、マヨネーズににんにくの風味を効かせたものだそうな。ちょっと変な味のマヨネーズって感じ。不味くはないけど。野菜スティックとかについてるマヨネーズってこんな味じゃないかな?そこで、生人参をスティックにしてポリポリと頂いた。うまい。しかしあたりめに付けて頂いたら不味かった。ノーマルまよの汎用性が勝りますかねー。
https://www.kewpie.co.jp/products/close/recipes/45218699
「糖質50%オフ 伊達巻」何でもかんでも糖質オフ。しかしこれは納得できるというか、そもそもの伊達巻が甘すぎる。去年、おととしあたりも甘すぎてびっくりしたと記憶している。この糖質オフ版でも十分に甘いなあ…という味わいでした。お菓子枠と考えよう。
https://www.kibun.co.jp/products/ny_524610s/index.html
特水。お茶があるなら水だってできらぁ!でもなんだか気色悪くないか。少し前に無色透明の味付き水が流行ったの思い出した。しかして本品の味わいは…うーん。多少何かの風味を感じるが、水。想像以上に、水のあじ。水道水と言われればそれが近いのかもしれないが、腑に落ちるかどうかは極端な地域差があると思われます。水だというのなら、蕎麦を茹でるとか焼酎を割るだとかに使えるのだろうか。
https://www.suntory.co.jp/softdrink/iyemon/tokucha/tokusui
ガチ濃いじゃがザックガーリックバター味。背徳感に溺れたい、なんて銘打ってる。じゃあ1kgとかのサイズで出してみてはどうっすか。商品自体はどうも、芋っぽくなくて味わいはいまいち。リンクなし。
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「失われた時を求めて」を一時間ちょっとで読んだ⏳
というミステリ、その答えはまんが版の「失われた時を求めて」なのでした。
「まんがで読破」シリーズのラインナップは濃い。原典を読むのはハードルが高いから漫画でその内容に触れてみよう!という目的のシリーズであるからして、気軽に読んでみるよりは、お堅いというか骨太の作品が多い。そりゃそう。しかしてここに並ぶは刮目せよ、「共産党宣言」「わが闘争」「死に至る病」「ユリシーズ」…ユリシーズ!?「資本論」「カラマーゾフの兄弟」「カーマ・スートラ」
などなど、もっとあるぞ。なんともユニークなリストであるような気がする。教科書とかにも出てくる名著なので名前は知られているが、ヒット作とは言わないのだろう。実際に読んだことある人がそんなにいないと思われる。こういうのを普遍的というんだろうか…。人類共通の叡智。しかし、私は上記いずれもその原典(の日本語訳)を読んだことはないという恥ずかしいやーつ、ふわっと思いついて今回は「失われた時を求めて」を読んだ。
もちろんあっさりと読み終えてしまった。
「おお、名作はやっぱり凄いな」という感想には及ばなかった。う~ん…。例えば、物語の終盤に「ここまでの人生むなしい」みたいな事を主人公は考えるんだけど、どのあたりがそう思えるのか分からなかった。確かに、マッチョが全裸で未来からタイムトラベルしてくるような面白イベントもなく、ただ日常が続いていた。主人公はなんとも恵まれた暮らしを続けていたじゃないか、むなしさを感じたのは何処だろう。長閑すぎたってことか。実は最初のほうを読み返せば、「作家になりたいと思った」という描写ははっきりとあった。しかし、作中ではそこに挫折したわけでもなさそうだ。目指したという描画もない。平穏に地方の貴族の暮らしを続けている。そうして「心が冷え切っていた😥」という主人公に首を傾げてしまう。なんなら主人公はどこも目指してはいない人物とまで言えるかもしれない。音楽を演奏を聴いて目が覚めた!みたいな描写は唐突過ぎて、漫画表現あるあるで納得するしかない。いや原作でもきっとそういう場面なんだろうけどさ。
これにて私は「失われた時を求めて」を読んだことがあるとは言えるだろうか。「漫画版なら読んだ事あります」とえいば嘘偽りなく事実ではあるけど、なんかこう違うよね。そもそも、本作の内容に興味があったというよりは、くそ長い作品読んだという体感を感じたかった。よくある実績解除の話です。話のタネ。だから他に候補はいくつかあった。
漫画で触れることで、最初の一歩、とっかかりには良いのではないか。そういう考えもあるけど、別に本書を踏み台に、この先の目標があるわけでもない。著者のファンでもないし、文学を修めようという気骨も無い。目指す方向がないのに一歩踏み出したもなんもないだろ。気合がねえから漫画版に手を出した。おお、なんか哀れだな。
しかしながら、今まで興味も示さなかった物語を覗き見た、ここら辺までは事実だろう。原典だけが唯一の価値を持つという時代でもあるまい。前述の通り、このシリーズにはまだ何冊も名作がある。人類の歴史に残るような文学・思想を漫画版で眺めただけで満足するのはあまり推奨されないような気もするが、しかし手が出ないまま呆けているよりは良さそうだ。例えばwikipediaのあらすじで済ますようなことよりは遥かにマシでしょう。折角なのでこのシリーズ、もう1,2冊読む機会を求めてみようか。
