-
雑記
リステリンの「オリジナル」というフレーバーがあったので買ってみたが、すごい味わいだ。でかいボトルで買ってしまったが、まあ薬だと思うしかない。こうかは ばつぐんだ!これを使った後だと、通常?の青いミントのやつは、子供だましというか…。乳幼児向け歯磨き粉とかそういう印象になってしまう。ハードコアに口をゆすぎたい人にはお勧め。令和だし。
実に日本人である実感がわく時。「納豆の食べ方座談会」が時折持ち上がることありますね。各々お好みのカスタマイズしたお召し上がり方が御座いますが、そのパターンもさすがに限界がありんす。消費しつくすといずれひきわり納豆にはシューベルトを聴かよう!みたいなことになるが、人類の知恵で踏みとどまっているところ。自分は最近実践しているのがこちら。「メシに乗せる手前の状態で冷蔵庫で一晩寝かす」つまりこういうこと。パックから器に移し、からしとかネギとか醤油とか付属のたれとかまあお好みで入れて、軽く混ぜる。んで、蓋して冷蔵庫で一晩。それだけ。厳密な比較はしてませんが、粘り気が薄くなります。んで、ネギの風味が強くなります。もう全体にネギ臭いと言えばいいかな。こうしたことで…実はそんなに「美味い!」とも思わないですが、少し別の食べ物を頂いている感覚になりますね。メシに乗っける前に少し常温になじませると良いでしょう。
何かの漫画で納豆の天ぷらってのやってたな。味わいも想像が付くし準備も片付けも面倒で試す気にはならず。あゝそういえばむかしこのブログにも書いた。大豆の水煮かってきて自分ちで納豆化するやつ。これは市販品に比べると粘り気に劣り、先に書いた冷蔵庫寝かせ納豆に近かったのではないか。あの時は確かに美味かったんだけど、もう一度やろうとも、思わないものだ。
ここのところ、しばらく仕事が忙しい。いやいや間に10連休あったろ、と言われればそれはそうなんだけども。これはノーカン。んで久しぶりにほぼ定時に退勤して外へ出ると、見上げた夕暮れの空が実に美しい。背の高いビルが一棟だけあって、空とセットで見上げている。とっぷり夜が更けた時間なら、所々に灯るあかりとビルの壁面の暗さ。この時間ならじんわりと色味を空に合わせるように変化する、その途中。もう少し眺めていたらこのビル透けるんちゃうやろかーってね。おや壁も床もなくなったあちらの部屋からはノクターン。石のおうちは薄く塗られてはためくがごとき、揺れて凍り付き透けていく。ぱきぱきと。
ぽりぽりと。サラダにベビースターみたいな揚げた小麦粉の破片はいっているやつ、食べにくいからゆっくり頂くことになって、結果それは健康に良いのでは、という感じです。だったら納豆飯も爪楊枝で食くうか!橋を捨てよ匙を投げよ。心構えなんていうものに期待するよりはそうやってハードコアに矯正したほうがだいたいは正しい。こうかは ばつぐんだ!
うーす、雑記でございましたー。
-
ゾルゲの墓
天気の良いある日、ふっと思い当たって多磨霊園に足を運んだ。ふと思い当たって、でなければ足を運ぶことはないと思われる。親戚が埋葬されることもないだろう。あえて可能性が一番高い親戚は…自分かな。ここは自ら下見をしておくか。無駄な思いあたりと実践である。さて、地図で見る限り、阿呆みたいに広い。多磨駅を下車して、霊園を目指す。道中に何件も石材店があり、墓石を売っているようだ。墓前に供える花を売っている店もあった。例えば釣りの名所に釣具屋があるみたいなもんだろう。墓地への通り道であるからして、そんなに驚くようなことではないのだが、その規模が窺い知れる。ふむふむ。ふと、広大な墓地であるからには、ちょうど葬儀後の納骨などしている可能性もあるわけだ。墓地って本来は呑気におさんぽするような場所ではない。不安になるが、ま、出くわしても距離を置けば大丈夫だろうと考え直す。
到着。谷中霊園は通り抜けたことがあるが、ここはもっともっと広い。地図で見ると数倍はある。区画がきっちり整理されていて、新興都市の地図のようでもある。霊園では、「清掃用具を貸し出しますので管理事務所まで~」なんて放送も流れている。「不審者に注意!」なんて看板もあり、管理が行き届いている感じがある。どうみても不審者な自分はやはり気まずさを覚える。花も線香も持ってないし、肩に下げたショルダーバッグの中身はカメラだ。警備に声でもかけられたらどうすっかなあ…とややオドオドしながら歩くと、ごっついデジカメを堂々と構えて写真撮っている先客がいたので、まあなんだその、大丈夫そうだなと。
しばらく当てもなく歩いてみる。ここに墓を建てるのに幾らかかるのだろう。どこも立派に見える。富裕層の、あるいは古くからこの辺に住まいの方の墓所というわけだろう。時折、墓石に十字架が掘られていて、墓碑にマリアXXXXと掘られているものがあったりする。墓石が横倒しになっているものがあって、震災以降放置されているのか?とぎょっとするが、そういうデザインなのだろう。流石に近寄って眺めるほどの勇気もなく。名刺入れというものが置いてある墓も多々あった。初めて見たので驚く。後で調べると、そこまで珍しいものではないらしい。お参りに来ましたよ、という連絡替わりとなるんだろうなあ。合理的な話ではある。どうみても妖怪ポスト的な風情で面白い。
その一方で、草ボーボーという墓もあった。墓石が殆ど見えない。その区画の前には、管理事務所の名前で立て札がたててある。読むと、一年以内に連絡がなければ無縁墓地にして処理しちゃうよ?という意味のことが書いてあった。高い金を払って放置するとも思えず、どんな事情なのだろうと想像する。関係者がみんな亡くなってしまったのだろうか。親族もみな遠方でわざわざ訪れはしないような状態になったんだろうか。墓であるからには、一般的には納骨されている。無縁墓地にして処理、とはどういう処理なのかわからないが、訪れる人のなくとも死者はそこに眠るというのに。寂しい話だ。
ふと、日本語ではない言葉が書かれた黒い墓石が目に留まる。故人の写真と思われるものが掲げられている。外国人だ。黒い墓石には「妻石井花子」と掘られており、写真を見るべく近づいてみると、手前のグレーの墓石には日本語も彫ってあった。リヒアルトゾルゲ。……!?戦時中のスパイではなかったか。映画化なんかもされたはず。テーマ曲がStratovariusの曲ってことで覚えがあった。
このように広大な墓地だと、そらあ何かしら歴史に名が残っているような人もいるだろう。(帰宅後に調べたら岡本太郎夫妻の墓もあったようだ)ゾルゲの墓にはまだ瑞々しい献花がある。現在もソ連駐日大使館の人間が墓参しているのだそう。調べてみると、彼の諜報活動により、ソ連は日本軍への備えを西部戦線に転向、それを契機に独ソ戦に勝利した、ということらしい。ソ連にしてみれば英雄ということにでもなろうか。その後、ソ連は突如として日ソ中立条約を破棄して北方領土に侵攻してくるが、それはゾルゲが日本にて逮捕・処刑されてから数年後の事となる。墓碑銘にはこう刻まれている。
「戦争に反対し世界平和のために命を捧げた勇士ここに眠る」
なんとも、かの政治思想に都合の良いことを言っている。しかしながら、どこかの国英雄が、どこかの国では石を投げられるというのは、あたりまえの事かもしれず、逆もまた然り。何回も思い出す。911テロを報じるニュースで、崩れたビルの映像の後に、歓声を上げて喜ぶ人々の映像が流れてきた。Go to hell americaとかかれたバンダナを巻いて佇む女性の姿も。見る人によって歴史の複雑さ、その切れ端というものは、こんな墓碑銘にも残されるものであろかしらん。
日本はWW2以降は戦時下にはない、というのが客観的に見ても事実なんだろう。そら朝鮮戦争とかあったけど、昨今はテポドン飛んできても普通に出勤したし。一方で、映画やゲームに観るような諜報戦的なものが現在はどこでも行われているというのもまた、事実と言って差し支えない筈だ。それはなにも直接的なネットワークやシステムへの攻撃だけにとどまらず、例えばメディアを通じてのプロバガンダ的なものなど悪意を込めて拡散されるようすを見て取ることもできる。何かが爆発したとか誰が死んだとかでは語り切れない、戦争も平和もそのありようの複雑さに背筋の凍る思いがする。
ゾルゲの墓は、無縁墓地とはならんだろう。もはやなんらかのモニュメントである。あの国のやることには、領有を主張しかねない。墓の一つで政治的にもなんなら軍事的にも意味があるっつーなら、そらあ足を運ぶぐらいする。ま、ロシア政府が建てた墓ではないとされているが…。シベリアで命を落としたいわゆるシベリア抑留者の遺体には、草地となりゴミが不法投棄されるがままの土地に眠ったままのものがあるそうな。抑留者の会などの活動も、近年は閑散としているようだ。(※ネットを漁ってみた程度の感想です。)
数千の墓石を、ただ石ころを眺めた、ある夏日の昼下がりで御座いました。
おそロシア。
-
「いまさらですがソ連邦」を読んだ
ソビエトロシアでは、本がkindleを読む!
ソ連は20世紀を振り返ろうとすれば、その物語に欠かせない国家であります。クッソ広い国土から集められた軍隊がアメリカとドンパチやっていた、というざっくりしたイメージ。昭和生まれの自分には、ちょくちょく漁船が拿捕されたというニュースとチェルノブイリ原発事故の記憶があります。ところで今、「ゴルバチョフ書記長」を噛まないで言えるか試したらサラッと言えた。あれれ。なお、実際のところアメリカとは直接ドンパチしてはないと思うが、どうだろか。
国家の歴史は1922年から1991年と、世界史年表で見たらちょろっとした帯の長さである…しかし前述の通りアメリカとの競争や、日本との関りでもわが国民には印象深い。今現在も、領土問題で揉めているではないか。ロシアの戦闘機が、年に何度領空侵犯してくるかお調べになるとよろしい。祖父はシベリアを生き延びた。日本もバチバチやっているんですわ。あんな麻布の坂の上に大使館建てやがって面白くねーわ聞いてるかプーチンゴルァ。あそこは日本国の警官が常駐しているようで、いつ通りかかっても物々しい。
…という、ソ連邦の歴史をふむふむと読むことが出来る本書。手書きの文字と豊富なイラストを使ってて、所々で旅日記的な風情がある。全体的に軽いテイストで良い。ただ、iPhoneのkindleで読むには厳しいサイズ感なのが残念。本書では、いかにもなイメージ通りのソ連の、またそれが事実上は、共産主義国家を代表するものとしてのソ連を描いてる。国家の興りから、クーデターによる消失まで。その内情たるや、改ざんされるづけるドキュメント、働かない労働者、移動の自由が制限された国民、空っぽのマーケット、気合の入ったプロバガンダ、スターリン主義、飢饉で逃亡する農民、粛清により姿を消した人々…。もう無茶苦茶だ。そのなかで、世が世なら、北海道はソ連邦領土になっていたという事実。スターリンはその気満々だったんではないか。仮にそうなっていたとして、沖縄みたいに後年返還され得ただろうか?北方領土はいまだに返ってきません。いうて、米軍基地がなくなる未来も考えにくいけど。
現地ソビエトロシアに於いても、このような時代を体験した人々の数は減っているだろう。人の命に限りある限り当然である。日本における戦中生まれもいずれはみな世を去る。wikipediaやらのインターネットに残った情報で、事実関係を知ることは難しくないと予想されている。その時のテンションというか、我々ひとりひとりが感じる空気感?みたいなものは、仮にTwitterのようなものの情報をすり合わればどうにか伝わるだろうか。我々が今後生きるにあたりては、このような”歴史書”から少しでも学び、役立つことがあれば良いなあと思う。
インターネットこそ改ざんされ続けるドキュメントでは?といわればそれもそうなのですが、インターナショナルよりましだ、ということで。真実は一つにあらず、無限というならそれを追求するまで。万国のインターネット者よ、団結せよ!トウキョウジャパンでは、インターネットがインターネットする!
-
「雨に唄えば」を観た
見終わって、さて本作の公開年はいつだろうかとググってどーん。1952年。サンフランシスコ講和条約が1951年でありますよ。吉田茂がブイブイ言わせていたころですよ!これだから戦勝国は!みたいな噛みつき方をしようとも、1952年の日本でも宝塚歌劇団が営業しているし、世界の黒澤もブイブイ映画を作っているのでありました。羅生門が1950年発表。まあとにかくも、歴史的な作品というわけです。しかしフルカラーなのは当時から?昨今の技術によるもの?モノクロのイメージがあったんだけど、どこでそんなイメージがついたものだろうか。
ミュージカルということも知らなかったので、とにかく賑々しいではないですか。BGMに合わせて人が動くということだけで新鮮。どうにも縁遠い世界。作品の中でも、ブロードウェイがブイブイいわしているような事を歌っていた。ああ実際そうなんだろう、1952年のニューヨークというものは。自分にはターミネーターやブレードランナーみたいな、実際には人類の歴史に登場していない世界のほうが”見慣れている”世界に思えてくる。同年、第一回のミス・ユニバースが開催されている。優勝者の顔も若い乙女の祭典というイメージにマッチしない。写真の一枚だけで語ってもしゃーないか。
本作は出演者が良く動く。歌って踊る。踊りはどう見ても本人、歌も本人だと思う。吹き替えで他人だったら面白い。作中、声がひどいということで吹き替えという当時としてはド斬新な発想に至る、というのが物語のクライマックスとなるんだが、それで実際の制作現場も吹き替えなのかーいって。ああ、「天使にラブソングを」でもあの内気なシスターの歌が作品で唯一の吹き替えだと知って仰天した…という個人的なエピソードはみなさんにどんだけ縁遠いでしょうかー。
地球の裏に及ぶ遠さが、一番有名なあのシーンで一つ、縮まる思いがする。何かのきっかけで、雨が降っている中を歩くだけで楽しさを覚えるようなこと、ある。歌って踊ってなんてことは流石にないけれど、湿った風のにおいやすれ違う車のタイヤの音とか、どういうわけか快いときがある。この作品もようわからんが陽気なバイブスで人々が踊っておられるなあ、というのを鑑賞する心地よさ。どう表現していいかわからないがなんとも上品なノリの良さで、思った以上に観てて楽しかった。
トウキョウジャパンの十連休は雨が多い。今上の帝やらシンゾーが珍しいことするからこうなるのだが、まてまて自分がミュージカル映画など観たせいかもしれない。これは自分が降らせた雨と、ポジテブなバイブスでお外に出ようぞ。小一時間後には自分を恨んでそうなあたりが俗物。ヲホホ。噂にたがわぬ良作でございました。
-
+連休
何度か妄想したことだ。数千年の未来に、今の時代の人々のツイートなりブログなりが「ほえ~」なんて歴史的な資料として参照される日。例えば気象観測データがなくなっても、そんなような情報をかき集めてみたところ、お天気がわかる。わかったから何なのだ、とはご尤も。あるいは何か事件事故の類がわかったりする。あゝこんにちは未来、十連休というパワーワードに酔うみじめな我らの声は届いていますか?じゅーれんきゅう。漢数字で書くと十常侍みたいだな。
一味唐辛子
二虎競食
三郷ジャンクション
四天王
五目寿司
六波羅探題
七福神
八百万
九尾の狐
十億円くれ
ところで、十連休の擦り合わせて今月末は忙しかった、という人もおられよう。自分も例に漏れず。帰宅したら日付が変わっていたことも数度。洗濯もできないので風呂上りに乾いたタオルがなかった。ハンカチのストック、脱いだ衣類で体を拭う。タオルもないのにハンカチにストックがあるということは、今日使ったハンカチは三日ぐらい洗ってないんじゃないかな。斯くも無計画。気づいていればタオルぐらいコンビニで買って帰ることもできた。いや、風呂に入る前に気付け。
現金もおろしてないなあ…というところでふと思いついて、50過ぎぐらいの客先の方に声をかけてみる。「一昔前は、GWには銀行でお金おろせませんでしたよね」って。自分の記憶では、大学生の頃はもちろん、卒業して数年ぐらいはそうだった記憶がある。店の入り口にポスターはってあって、この期間はおろせませんからお気をつけくださいと。「困ったもんだよね、当時は今みたいにネットで買ってクレジットカード払いもなかったと思うし、suicaで買い物もなかったからねえ」とのお答え。ははあん、手元に現金がなくとも大丈夫というわけですな。
新しい紙幣デザインという話題もあった。肖像の人物が変わるわけだ。このキャッシュレスの時代に、などという向きもあるが、特段機能に変化があるわけでもなかろうし、適宜やったれとは思う。労力に見合うかは知らない。ところで自分の記憶によれば、お札のデザイン変わったなーと認識したのは一回だけだ。野口英世千円札になったタイミング。調べてみれば、樋口一葉も同じときに変更されている。なんでかその印象ないけどなあ。そして諭吉はずいぶん長い間変更されていないようだ。
https://www.npb.go.jp/ja/intro/ostu_history.html
ところで上記のリンク先は国立印刷局なのだが、所々に「D千円券」とか書いてあるのが面白い。テレビタレントが使う数え方を連想してしまう。もとはジャズメンの遊びだったといわれる数え方で、日本で(厳密にはイタリアで)のドレミファソラシドが英語圏ではCDEFGABCになり、故にここでDと言えばそれは2を意味する。じゃあD千円券とは二千円札のことかwwなんて思っていたら「2000年にD二千円券発行」と書いてあり草が生える。D千年にDD千円券。
考えてみれば、よ。貨幣も休日も、国家の定めがその機能の主たる根拠である。当時の国家にはそれができるほどの権力があり、貨幣が通用するほどの国力もあったと知るには、良い証左となりうるかもしれません。
しかし令和元年は令和C年ではちょっと違うなあ…。