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ゆらゆら帝都
地震はいつか絶対来るなんてことは承知の助でありんす。地球の仕組みに依るものだから、絶対になくならない。
「そろそろ」危ないなんて話を何年も伝え続けてもさほど価値のある情報といえないと思う。俺は前から同じようなこと言うてるな。毎日地震予報しなさい。んで、先日の地震の際、自宅にいたので揺れが収まった後、思いついてPC机の下にもぐってみた。避難訓練であります。体の収まりを確認してみると、自分の体型でも全身が天板でガードされる格好になった。ただ、土下座というかハイハイの姿勢にならざるを得ない。上下ひっくり返って、つまり、仰向け立膝の姿勢になると、踵あたりから天板からはみ出ているようだ。まあ本気の非常時にそんな体制で潜り込むわけはないのだが…。横向きでも事情は同じようなもんだった。建物崩落して閉じ込められ、長時間サバイバルを強いられるような事態になれば、姿勢を変えることができるのは大変に生存確率あがるのでは…うーんどうだろうか。
机の下には、飲料水と缶詰と、例の水で戻せるご飯がストックしてある。LEDの懐中電灯もある。あとは靴と靴下も置いておけば良いのかもしれないが、スペースも無限にあるわけではない。建物が崩落!机の下で一命を取り留めたが出るに出られない!というときに、五体満足なら三日は生存可能な量がある。だけどね、この建物ごと崩れる地震が東京にやってきて、三日で自分のもとに救助が来るなんて…うーんどうだろうか。来ないよな普通に考えて。
兎に角、実際にもぐってみて、もうちょっと「その時」にも使えそうな備蓄を机の下に移動しておくか、などと思った。不安に駆られたと言えばその通りだが、実際に助かる可能性にかける余地があるのではないか?と希望を見出したともいえる。まーーーそんな怖ければーーーー東京離れろってえ話ですがーーー。
地震台風テポドン火山自治体の財政治安隣人(censored)、いろんなリスクを考えて国内で一番安全っぽいのはどこだろうか、すぐ結論でるんじゃないかと思った。岡山島根鳥取の近辺だろうって。でも、人生を捨てて放蕩しようってんじゃない。生活をするんだ。将来を見据えてではなく、明日引っ越しますぐらいの勢いで移住できるところ。インターネットが安定していれば趣味と暮らしはOK(と言い切る覚悟がこの20年定まらない)仕事は…うーん、どうだろうか。大体さあ、武蔵小杉の失敗例にあるように、急激に人気になるエリアはインフラや行政が追いつかないことがある。充実を待てば安くは住めない…うーんどうだろうか。
さてさて。こういった検討を、どこまで実践したらよいのか、いまだに全くわからない。自分が人生で身に着けた知識が、体験が、こんなことも判断できない。決断して実行できない大人が一番イタイ。情報を集めるだけなら、みんな小一時間で同じ情報レベルに到達できる世の中。情報量をどう評価するのか。〇〇という判断をするに足りるのかどうか。
…などと書いていたら、下記のような資料のニュースが届きました。
https://www.jishin.go.jp/evaluation/seismic_hazard_map/
地震の発生隔離を色分けして日本地図にプロットしているんだけど、分けパターンに違和感を覚えるというか…なんだろうこれは。色分けの閾値がパーセント区切りで、0-0.1-3-6-26-100となっている。技術的に意味のある区切り方なんだろうか。例えば、俺の住んでる街は6%起こるらしいぞ!というのを、どう評価するのか、結局わからない。300年とか500年とか時間のスパンだったら自分に意味がないと判断できるけど、技術的に正確性は落ちそうだよね。実際のところ、関東一円は全部26-100%のエリアなんで深く考えることもない。震度6ぐらいなら絶対起きると思っておけば良いようだ。ということは、それでは済まない規模も起こりえるんだろう。
心配だけが募る。地震に恋でもしてるのか俺は。どれだけ心配しても極論すれば、その瞬間何処にいて何をしているのか、そういう運の要素を否定できない。だから、運が良いときにその瞬間が来ると仮定して、その運を逃すものかと考えれば…あれこれ自宅で備えるのは無駄にならんと信じたい。逆に地下鉄に乗っているときに発生、とかだったらもう知らない。ばーかばーか。
でも、スマホのモバイルバッテリーを持たずに電車に乗って出かけたことは、あの地震以降一度も無いんじゃないかな…。
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めし短観
スーパーでウィンナーとか見ていたら、ふと「生ハムでは白メシにはちょっと合わない」という発言を思い出した。誰の発言だったか思い出せないが、こんなタイミングで思い出してしまってはスルーするわけにもいかない。幸い炊飯スイッチ入れてきたので、目に付いた生ハムをテキトーに買って帰り、めしに合うのか試すことにする。結果として普通に美味しい。刺身をおかずにメシを食ってる感覚に近いのではないか。…そもそも生ハムって何に使うの?
生姜ご飯というもんを、炊いてみる。美味いものでも、不味いものでもなかった。使い時を見失って捨てる直前の生姜で炊いたので、もし鮮度が良い生姜だったらもっと香りが強烈になるのかもしれない。ただ、たとえ良い生姜を使ったとしても、もう一度やる価値はないかな~~と思える程度の味だった。これはしょうがない。-3点。
ノンカフェインのコーヒーというものがあったので買ってみた。缶に入ったコーヒー飲料ではなく、インスタントコーヒーでだ。あの、粉のやつ。普段通りに湯を注ぐだけ。…味にも香りにも違和感はない。カフェインを取りすぎないようにってコンセプトの商品だと思う。コーヒーはそんな好きでもないのだけど、インスタントコーヒーは扱いが楽なので冬場は大体おいてある。「はーーーー糞眠いあqswでfrgthyじゅき」って時の気合補充にはアツアツでニガニガしいコーヒーが手っ取り早い。しかし45gの瓶を消費するのに一か月以上かかっている。取りすぎがどうのなんて気にするレベルではないと思うだどうか。なんてことを言っておると、鶴瓶の麦茶にもノンカフェインがある。流行りか。去年も言ったかな。
しめじのいしづきが無いやつ。言ってしまえばバラ売りの商品が売ってた。…これだと一本単位で売ってるみたいな話になってしまうな。分離済みのしめじが300gぐらいのパッケージで売ってた。ちょっと洗ってそのまま鍋やフライパンに放り込む。シンプルに便利だわ。あのいしづきの部分は確かに捨てるしかないもんな。このパッケージを作るにあたり、分離したいしづきが大量発生しているわけだ。有効活用されていると良いんだけどね。でも菌類にそんな心配無用か。
いっぽう、セロリがわ~っとみんなでしがみ付いたように売られていた。青梗菜みたいな状態でくっついている。なるほどこう育つのか。…というか、青梗菜どころかバカでかい白菜ぐらいのボリュームで生い茂っており、この量で買う人いるんだろうかと心配になった。自分も嫌いじゃないけど、いくらなんでもちょっとな。
冷凍餃子で、そのままフライパンに並べて着火、放置で良いって商品がある。便利になりましたな。羽ができるのがウリらしいんだけど、自分は羽は要らないのです。もう一つ、最大手の商品もあり、そっちのほうが味わいは好みだが、そちらは蓋をして焼いてくれということだ。どっちつかず、適当なほうをかごに放り込んで買っている。本日は羽のほうを作っていると、ふと、焦げの進み方に偏りがあるのに気づく。羽がガリガリに焦げた部分があり、その反対側はまだ真っ白で小麦粉のままという感じ。これは、加熱しているポイントがフライパンの中心からだいぶ外れているということだ。そんなの意識せず使っていることが可視化された。がさつ。
その、パッケージを捨てる時にふと思いついて、氷を作った。くし形の氷がたくさんできたが、餃子っぽさはほどんとない。無色透明だしそりゃあそうだ。面白いことに使えそうにもないけど、製氷皿なんかよりも簡単に氷を外せるのはとても良い。もともと凍った餃子が入っていてそれが簡単に外せるんだから、水を入れて凍らせても外せるのは道理である。オレンジジュースとかだったらミカンに見えるかね。面白いものがないかなと、ネットで適当な製氷皿商品を探すと、バリエーションに乏しく、退屈だった。
そうだ、春の訪れを告げる麦茶の儀を執り行わないとね。
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雑記
ファミマの向かいにファミマの看板が聳え立った。これはもしや、噂のフランチャイズ制裁出店かと震えた。資本主義の末法。きっとオーナーが本部と揉めて…って、どうも、ただの移転だったようだ。コンビニの契約形態にもいろいろあるんじゃないかと想像するが、元の店舗は普通に営業をしていたのに、なんで移転が必要になるのか。相当な費用が掛かるだろう?土地や建物の契約関連でやむを得ず、みたいな?にしても、そんな都合よく近接地があったものだ。グーグルマップで調べると、そもそも以前のお店の駐車場としても使える、大手パーキングサービスだった場所に新店舗が出来ている。いろいろ事情がありそうだが、探るべくもなく。旧店舗の場所に何ができるか、というのが気になる。予想してみよう。ん~。幼稚園か保育園なんてどうかな。
みずほ銀行のシステムが大きなトラブルを起こした。あそこは過去にも大きなトラブルを何回か起こしているので、今回はどうなることやら。つい最近、拙ブログにも感染書籍の書籍のレビューを引用したけども、大きな企業同士が合併して、旧〇〇社の社内派閥とかがあって、その軋轢がシステムの構築に出ているんだろうと邪推する…絶対にその影響はあると思う。「この仕様は変えるな!」みたいなことを堂々巡りで議論した挙句、取りまとめの偉い人は諫める言葉も聞かず、自分の判断のせいにされたくないので、「言われたとおりにやれ!」としか現場に言わない。全部妄想でしかないけど、そうに決まってるだろこんなの。とにかく今回もまた、現場のかたの苦労が偲ばれます。
…というのを、書いているうちに詳細がニュースで流れてきたり、また別の障害が発生したとか流れてきたり、大変にあわただしい。マイクロソフトだってAppleだってgoogleだってバグや障害を何度も起こしている。今回のみずほは、いわゆるマスコミの槍玉にあがった状態で大騒ぎになっているんだとは思う。ニュースのネタになるってやつ。今回のマイクロソフトの件だって大きなニュースで、みずほ銀行より影響受けた人は多いのにニュースにならなそうだもんな。悪意のある粘着ならマスコミの得意分野ということだし、ついでに宝くじは本当に当たるのか、とかにもメスをいれてみては如何か。
就職活動の解禁日がどうの、という広告を見かけた。まだそんな活動あるんだなあ…。人事の職務に就いたことはないので、自分がそういう活動をしていた時代からの変遷は全く知らない。解禁日ってなんだよ、釣りか。リクルート社に採用活動丸投げしてるんじゃないか?なんて噂がたつようなっ企業様には、もごもご。
夕方から掃除機をかけて、その時にすこし開けた窓をそのままに翌朝目が覚めるまで。冷え冷えに目がさめるも、外に出れば日差しはもう暖か。引っ越し作業のトラックを見かける季節になった。東京は人口減少で空き家が目立つようになるって耳にするけど、今年はまだ進学、就職で上京する人は多いかもしれない。ネットワーク越しになんでもできるようになり、自分も東京に住んでいる意味は薄まっていく。どうしようか。
梅が咲いた。
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[完了]メンテのためしばし閉じます
タイトル通り。やらかすと消えます。
[追記]完了しました。こんな大げさな告知いらんかったんや!
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ecoなる御神体に殉じ
ただの袋でしかない。
何がどうエコロジーに寄与しているのかどうか、疑問が残るけども、世の流れに一旦は身を任せてみるものなり。たまたまガラクタ箱から出てきた薄ぺらキャンバス地の袋を半年使ってきたけど、もうそろそろ駄目だ。昔の大手CDショップの袋をイメージすると宜しい、あんな形をしている。その持ち手の部分は負荷がかかり続けて少し歪になったような感じがあり、底のほうを覗き込んでみれば縫い目が解れてきている。運んでるときに崩壊したら大変だ。諦め時だろう。
こいつは何度も漂白した。輸送中に肉や魚から出た汁がしみ込んだりしてしまって、なんとも不衛生。考えてみれば当たり前に当り前のことだけど、エコバッグなんていままで使ったことないもんね…。食品を運ぶ袋を使いまわすとなれば、衛生面に気を配る必要がある。学びがありますね。
使い勝手の良い袋を一つ駄目にたところで、じゃあ今後は、今まで通りのビニール手提げ袋を毎回買うようにしようか?とも思ったが。乗りかけた船、さらにご時世に乗ることにして、今度は大きめのトートバッグをお買い上げした。300円ぐらいで売ってるのではなく、ちゃんとした3000円ぐらいのもの。これなら他に使い道もあるだろうけど、基本的には近所の買い出し専用だな。汁の漏れそうなものは、ビニールに包もう。あのロールになって袋詰めスペースに置いてあるやつ。今まで自分で包んだことはなかった。汁が多少漏れても、気にすることなんぞなかったんだから。これであのビニールの消費量が上がったら、エコでも何でもない。マジでどういう発想でこんな政策に…。
三島由紀夫の「潮騒」を読んだ。なんとなく、どこかで、だれかが、おすすめしていた。紙の文庫でお買い上げして、湯船と電車のなかで読んだ。オフトゥンの中でも少々。本作は三島が実際に島に滞在して書き上げたんですって。こういう島の人の暮らしというと、最近は某人気芸人のイメージがあって。本作の主人公も大悟のちょっとやせて、さわやかでクセの薄い人物像を思い描いた。自分は文学はもうあまり嗜まないけども、本作は丁寧な文章が並ぶその様子だけですげーーってなった。久しぶりに、文字を追って読み進めるということの楽しさを感じた。こんな感情がわたくしにもございましたよ、たしか中学生ぐらいのころかな…どこかの社長だか政治家だか、インタビューに答えて言うには「夏休みには避暑地で読書をします」みたいな事を語っていて。「大人のウソだ!」って思っていたんだけど、そういうのもええなあと素直に思えるようになってきた。これが贅沢なんだと。
とはいえ、質素に暮らしておりますので賃貸の狭い湯船というスケールに縮こまっております。実際に本作を読む気になったのは短めの作品だから、というあたりを明らかにし、マァ、自分のような人間は決して文学などを語ってはいけないという、お気持ちの表明。誰かが絶賛しているから気になった、というような作品のストックも、また、なくなってしまった。カラマーゾフの兄弟とかユリシーズとか、とにかくなげえんだよ畜生。死ぬまでに読むモチベが得れらればラッキー。
椅子のクッションが表面ボロボロになり、そろそろ変えたいな、というところで、実は一つ使っていないストックがある。高さがあってボリューミーな、ケツの形に合わせて変な湾曲のクッション。以前これに変えたら、椅子であぐら姿勢が難しくなった。ひじ掛けの下に膝が収まらなくなる。いろいろ調整しても、結局落ち着かないなあと思って、薄いウレタンのものを使い続けていた。ストックのままゴミにしてしまうわけにもいかず、その厚いクッションを実際にいま、ケツのしたに敷いているのだが、厚みができることで、机との高さというか距離が変わってしまう。数センチ、なんなら三センチぐらい?座高が高くなっただろうか。よって、キーボードの入力にものすごい負担を感じる。どう言ったらよいだろうか、手首の角度が変わって、いかにもスジを痛めそうな負荷がある。ディスプレイも少々見下ろすような感じだ。体をおかしくしてはかなわんので、椅子か机の高さを調整すればよいのだが、五センチぐらいは調整が必要そうだ。仕事でもプライベートでもこの机にしょっちゅう座っているのだから、妥協は良くない。高さだけが問題ならば、DIY的な手法でできる範囲で、なんとかできないか。ここまで入力しただけで手首痛いぞ。こりゃあかんやで。
100円ショップで売っているようなウレタン?の床マットを八等分ぐらいにして、何枚かずつ机の脚の下に入れ込む。こんなストックもあると便利なもんですね。高さはだいぶ快適になったが、机の脚のしたに柔らかい層があるのだ、そのぶん揺れやすくなっているようだ。キーボード入力ぐらいならなんの問題もないと言いたいところ、メインのディスプレイが揺れやすいものなので、何をしても常に揺れてるような…。あるいは今までもこうだったんじゃないか?うーん、うーん。
乾電池を捨てるにも回収方法が特別というのは、理解できますが、いわゆる「モバイルバッテリー」は自治体の回収の対象ではないとのこと。自分で回収場所に赴いて捨てましょう、ということですが、大手家電量販店なんかに回収ボックスがあるんですって。そこで、実際に店舗に足を運んで捨ててきた。あまり目立たなかったので店内きょろきょろ探してしまった。回収ボックスというかもはやただのゴミ箱を見つけ、本当にこれか?と確認するために中を覗き込んでみる。休日のおひるごはんの時間帯で、すでに5つほどモバイルバッテリーが捨てられていた。ついでにYバシカメラでポイント残高もチェック。思ったより残っていたが、消費期限が迫っておる。そこで今この場で使い切ってしまおうとして、店内各フロアをぶら~っと見渡すも、必要なものがあるでもなく…。おお、こんなものがあるとは!なんて発見もなかった…あ、これは一つあった。電源の延長ケーブルに、USBポートが備え付きのものが置いてあった。モバイル機器の充電に便利かな?なんて思わなくもないけど、今使っているものから買い替えるほどのものとも、思えない。そのまま帰った。モバイルバッテリー捨てに来た人、ほぼ全員同じ行動するんじゃないかなー。ぼんやり思ってたら電車で3駅寝過ごし、ECOの神様の夢を見た。
『あなたが捨てたのはこn』
「要らないもの全てです」
『meh』