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雑記
おおお。
二つあるシーリングライトの電球の一つがふいと消えた。取り外して見てみると、ぐるぐると細い管がかまぼこ状にはい回っている。その根元のほうが黒くすすけている。そらあ寿命でしょうよ。借主の自腹事案なので、Amazonさんで適当に買って取り付けようとしたら、これが物理的に収まらないっぽい。「ぽい」というのは、その接触箇所を確認できないからでして。金具の口径はあっているんだが、買った電球の尻のほうのふくらみが豊かすぎて、金具と名称不明、電力を供給するための場所が接触するに至らないんではないかと思う。電球を取り換えてみても、同じだった。
考えてみれば、今時そのぐらいのバリエーションありまんがなあ、当然。うかつだった。しょうがないのでもう一つ買う。細長タイプなら大丈夫だろうと思ったら今度は長さがギリギリだった。どうにか収まり煌々と。しかし…これは外すときに外せないパターンじゃないのか…:;(∩´﹏`∩);:ま、まあ、最悪、発光する部分を破壊すれば外せるだろう。
たまたまゴミの日が翌日だった。すでに一個、めんどくさくて捨てずに放ってあった電球があったので、今回交換したものと一緒に捨てる準備をする。「割れないように買った時のケースなどに入れてください」などとお役所から通知がされておるが、あるわけない。何か代わりになるものはないかなと探しておると、スマホの箱に電球を入れて捨てるというのは面白いかもしれないと思いつく。程よく入りそうだぞとサイズの確認をし
あっ。
強く押し込みすぎたようだ、手の中で割れてしまった。床にも少々飛び散った落ちた。流石にこのままに出来ないので、掃除機で吸うことにしたんだけど時刻はもはや丑三つ時。ごめんねすまんねもうしわけないと思いながら吸い込む。この掃除機は買って十年近くになるかもしれない。ネットのレビューで音がうるさいと書いてあった。買い替えを迷って二回ほど見送ったんだけど、また迷ってしまう。家庭用掃除機なんてそんな画期的な発明されてないだろ、壊れてもないのに、積極的に買おうという気にならんのです。るんば君はエントロピーの方向性が違うので、拙お部屋では活躍を見込めそうにありません。
休みの日の昼下がり、コンビニ行くかしらん、というところで、スーツをクリーニングに出すの忘れているのに気づく。ジャケットとスラックスをそのまま雑に畳んで手に抱え、前回お願いしたとこr
えっ。
店を閉めてしまったがな。スーツを手に困惑あたふた。クリーニングとコインランドリーはお散歩のときに何度も目にするのに、いざお世話になろうとすると、あれ何処だっけ?ってなるんだ。ググるマップ先生に聞いてみると、他のお店はコンビニよりも遠いので、いったん諦めて帰宅する。その…お世話になりたかったお店は、閉店するほどさびれてもなく、利用客の姿をなんぼでも見かけたんだけどな、何かあったんだろうか。クリーニングに出すものって、多くはいわゆる「スーツ」の類だと思う。昨今の世相で、男女ともスーツを着る機会も減った。だったら、クリーニングに出す機会も減っただろう。そういう事なのか。
ついでにいろいろ調べていると、自宅から送れるクリーニング、なんてサービスがある。自分の場合はご近所のお店に持っていくほうが気軽で良いんだけどな。頻度も高くないし。どうせ、持って行ってよろしく言うて帰ってくるだけでしょう?自分で洗うんじゃないんだから、そんな手間でもないんだよ。リモートワークが普通になったからはなおの事。毎日スーツを着るような日々が来ない限りは、クリーニング店を推進したい。
売地になっていた土地、の、隣のほうも更地になったと思ったら、次に見かけたときには基礎工事が始まっている。これは売却ではなく、持ち主は同じで、家の建て替えというパターンかな。こうなると、更地のままの売地が目立って気になる。売れない理由が何かあると思うんだけどな、素人目にはわからない。不動産の検索サイトなんかで探してみるも見つからず。実はもう売却済みか?非公開ってこともあるのかもしれないけど。適当に検索していると、自分が知っている場所も出てくる。ただの土地でこのお値段+建物+恒久的な税金+今後のメンテ費用-現在おすまいのお家賃。ううむ。無理ぽよ。
まだ「坪」という単位で情報が載っているんだな。流石に平方メートル(㎡)表記が先に書いてあるけど、一方で坪単価情報も載っている。ついでなので面白がって田舎のほうと比べてみると、坪単価100倍違うなんてざらに出てくる。う、うーん、行ったことも無いけど買えば行くことになるから、お買い得!(錯乱)
人が住むには土地が要るが、どこもかしこも誰かの持ち物。どこかから土地を得ようってなるよね、そこはわかるぞプーチン。しかし貴君も老けたじゃないか、ABCニュースのyoutubeで見かけても、誰だか分からなかった。もうちょっと大人しくならんもんか。あんた「等」が元気になって、近所に赤い旗の国の建物ができるよりは、空き地のほうがまだいい。積極的に買う気にはならない。
クリーニング店ができるならアカでも良い。粛清クリーニング!記憶も記録も驚きの白さ!箱に詰めて自宅から送るだけ!
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あの空耳「農協牛乳」は本当に”Don’t Stop dancing”なのか
始めに書いておきますが、結論出ません。
著名な番組に「空耳アワー」という企画があって、これは「英語の歌が日本語でヘンテコな文章に聞こえる」という遊びです。歌唱であるからして、その節回しやリズムのクセが多分に日本語に聞こえる助けとなっているわけで、これを文章で説明してもまったくわからない。一応こういうものだよ、という意味で著名なものを書いておきますとーーー。
Metarica “Enter Sandman”より: ‘Til the sandman he comes→千代田生命に行こう
SHAGGY “Soon Be Done” より:Put your hands together. Somebody say yeah→東急ハンズ次は、傍に西友
カタカナ英語で「ヒーカムズ」では絶対に「行こう」にならないですが、ネイティブが歌うとそう聞こえてしまう。こういう笑い。んで。特に有名なものに、princeの曲の空耳があります。その空耳内容が以下です。
prince “Batdance” より:Don’t Stop dancing→農協牛乳
これは流石に無理じゃないのか。確かに農協牛乳と聞こえて大笑いした記憶があります。令わ4年となってはこの疑問に解決策があるのでは、とインターネットに飛び出してみました。故人となってしまったprinceですが、オフィシャルチャンネルがありました。実際に聞いてみましょう。
聞こえると言えば聞こえる。洋楽の場合、日本に入ってくる時点で、歌詞の情報は割と適当だとドリアン助川が言っていた。この部分は実は”Don’t Stop dancing”と言ってないのではないか。その可能性を探って、今度は歌詞を探しました。ググって出てきた結果というだけではありますが、リンク先を参照しながら頭から音源を聞くと、確かにこの部分の歌詞は”Don’t Stop dancing”になってる。
https://www.google.com/search?q=prince+batdance+lyrics
ここで前後の歌詞を見ていくと、”I’m not gonna kill you”というモノローグがある。農協牛乳に近いのはこっちのような気がしてくる。カタカナで書くなら「のっごなきゅーりゅー」みたいな。そう思って何度か聞くと、今度は”Don’t Stop dancing”にしか聞こえなくなった。5:54秒のあたりでははっきりと口元が映るんだけど、芝居がかってるし当方素人だし、判断できない。しかし6:20秒ぐらいからの連呼では”dancing”と聞こえる。何回かわめき叫んでいるうちの、そのどれか一回が農協牛乳に近かった。あるいはその一回は、収録時に間違って”I’m not gonna kill you”と叫んだとか?これは邪推が過ぎるか。
“Don’t stop 牛乳”と叫んでる説はないかな。ないですね。以上です。
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「ヴェニスに死す」を読んだ
所々、早口言葉かよ、というほどに読みにくいなあと思う。これは古典的な海外文学を読むと毎回おもってしまうんだけども、この言い回しは何某の事を言っているな、とか、明示されていないけどもあのなんたらの引用だな、とか知っている人には明快なのかもしれない。発表当時の人々も、そうして読んだんだろうか。
じじいが少年に(*´Д`)ハァハァする話なんだけど、めんどくさい言い回しが続いていくだけで面白くはない。内容についても特に感想がない…kindleで拝読したんだが、本を読み終えるまで20分とか表示されている箇所で本編が終わってしまった。残りはあとがき。風呂で最後まで読むかと意気込んだところだったので、二分ほどで終わってしまいずっこけて浴槽に沈んだ。しょうもないのであとがきを読んだけど、作者の名前はトーマス・マンだそうな。世界史で出てきたか?wikipediaも確認したけど、知っている著作もなく。興味も膨らまねえは。日本語翻訳版には「ヴェネツィアに死す」という書籍もあって、なんだこれ???と思ったが、ヴェニスとヴェネツィアは同じ都市だった。現地語と英語読みか。トウキオと東京のパターン。一番の収穫はこれやないけ。
以上。
ところが。
モデルなった美少年は実在しており、しかも身元が割れているという!ウホッ。wikipediaに当時の写真まであるが、1911年の写真ではなんとも言いようがなく。自分も本書を読むには読んだので、どんなキッズなのかイメージしながら読んだ。西洋人で、じじいがウホる美少年。自分の記憶にあてがえる人物ストックはない。自分はなんとなくウィーン少年合唱団に居そうなキッズを連想した。作中で年齢に言及あったかな?ケが生えるような年代だと、ターミネータ2のあいつ。
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めし短観
醤油の容器は既にあの、押したらちゅーって出てくるタイプが主流だと思う。ただ、このタイプは中が洗えない。廃棄するときに、キャップを外そうとするが、引きちぎると蓋部分だけ外れてしまう。ハサミで首のあたりから分断して中を濯いで捨てているが、某メーカーのものはもう一方の大手に比較してちゃんと蓋が取れると気が付いた。ふむ。
料理酒の消費期限が三か月過ぎている、のみならず、当たり前のことだがパッケージ記載のものは、未開封での期限であるわけで。思えば夏のうちに封を開けたような気がする。その後常温なわけで、こりゃあだめだ。廃棄。漫画かコントで「酒が酢になってしまう」というのを見かけた記憶がある。試しどころか、と思ったけどやめた。匂いは酸っぱい気がしないでもなかった。
料理酒を使うつもりだった何かを料理酒抜きでこさえるか、というわけで、たまたま作る予定だった茄子のオイスター炒めを味噌味に変更。味醂味噌を大匙一杯まぜまぜ、砂糖を小さじ1、味噌を増量で(゚д゚)ウマー…漢字で書いてみると「味」の「醂」と「味」の「噌」なんだな。インターネットで語源とか調べてみると、まあそれなりに納得の情報が出てくる。どうせwikipediaがヒットするんだろうなと思ったら、味噌や味醂の製造メーカーのサイトがヒットした。こういうのって、なんか良いよね。「噌」という字は味噌にしか使われないという情報も得た。
こんなわけで噌の一文字だけ眺めていると、横わけの髪にした眼鏡の人物が受話器に向かってクレームをつけているように見えてしまった。ちょっと釣り目で怒っている感じ。フォントによっては再現してくれると思うがどうですか。
味噌の消費期限も近づいているので、利用頻度を上げてみそ汁など作る。ここ1年ほど使っている味噌のパッケージは手ごろなサイズと丈夫さがあって使い道がある。冷蔵庫で刻んで余った野菜とか薬味を入れるのに程よい。また、引き出しの中でコンソメや顆粒出汁の使いかけを入れておくなどしておる。味噌自体の消費頻度もそんな高くはないので、今のを使い切ってもパッケージは三つ目だが、数が増えれば冷蔵庫の中身は四角いこのパッケージで一段ぐらいは埋まりそうだ。透明なパッケージに野菜の使いかけが入れられて、整然と並んでいる冷蔵庫を想像したまへ、人間性の喪失とのご注進。冷蔵庫の掃除をすれば玉ねぎの皮がほろほろとこぼれている、これを人間性という。
曇天、湿った冷たい風も時に心地よく、北陸では大雪の恐れありという昼に薬局へ行った。すれ違いに薬局から出てきた男性二人連れ、各々その手にアイスを持っていた。アイスだけ、包装の端をつまんでぷらぷらと。アイスが食いたいな、っつって薬局へ行ってアイスだけ買って帰る、なかなかできることではない。行動力ってこういうことかしらん。例えば一階がコンビニとか薬局という物件に住んでいたとしても、自分ならやりそうにない。いつか薬局にはいくから、その時にアイスを買う気持ちにでもなれば、なんてな。
だいぶ前の話だが、カキづくしなんて弁当があったのでトライしてみた。牡蛎は好かないので食べることはないんだけど、まあこの機会にリトライ。カキフライと、牡蛎の炊き込みご飯がメインのひとしな。残念、おいしくはなかった。
シチューを作って食べた。カレールーみたいなのを投入する庶民タイプ。分量通りに作ったんだが、どうにも塩分が濃い。カレーだって塩分バリバリなんだけど他の香辛料が強烈であまり意識してないんじゃないかと思う。数年に一回、みたいなめし、何かしら愛着がある。子供の頃はシチューってわりと食べた気がするんだ。確か、ジャガイモはいってた。そういえば東京に出てきてから、カレーにはじゃがいもを入れなくなったな。傷みやすくなるし、冷凍保存しても解凍した時にジャガイモが邪魔になる。美味しくなかったり凍ったままだったり。近いうちに余った半分を使って、シチューを作る。ジャガイモは入れようと思う。
噌<ころすぞ
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雑記
人生には秘策が要る。ところが持ち合わせがない。もうダメだ良いお年を。もうダメだドットコムまで取られているのでもうダメだ。もうダメだ {} もうダメだ
任意の七文字の正規表現出てこなかったのでもうダメだと思ったが日本語だけ抜き出す正規表現ってなんだ文字コードの先頭とケツ探すの?
https://stabucky.com/wp/archives/7594
{それでですね}
ここ数年漢字が書けなくなっています。文字を書く機会が減っているのは世間全般皆様同じかと思います。自分も例に漏れず、手書き文字なんて滅多に書きません。書く機会はもう、自分用メモと何かの書類のフォームに記載するときぐらいしかない。この二つ、必要とする語彙が全然違う。後者は名前や住所とか、「漢字忘れちゃった」では済まない情報が多いので忘れることはあまりない。さらに、書くときに調べることができるケースが殆どではないだろうか。
前者のメモ書きよ。漢字が出てこなくても平仮名とかで誤魔化してそのまま。「信らい」「放き」などと書かれていると、何か特別な読み方をする単語に見えてくる。忘れることは贖えないとしても、覚えなおそうとしないのは実に良くない。良くないんだけど、漢字ってどう勉強したんだっけ?
インターネッツのスラングに「写経」というのがある。特にプログラムの学習において、提示されているサンプルなどをそのままキーボード叩いて入力するという意味。動くものを用意するにはコピペでも良い。むしろ間違いがないようにコピペ推奨。でも、学習という場面においては単純な事の積み重ねで間違える、という体験を踏むのもきっと大事なんだ。手を動かして覚えるということかな。えらいもんで、確かに十五年ぐらい触れてないギターのコードを忘れていない。頭の中でここをこう押さえて…というのを把握できる。んじゃ、漢字の書き取りでもやってみるか。何せ文字も汚いんだよなあ。
義務教育を世間並みに履修できなかった人と(ネット上で)コミュニケーションとる機会があった。大真面目に「電卓があるから計算できなくても良い」とか言い出した。勿論、後は電卓をたたけば良いところまで正しく事を進めるのが学ぶべきことがらであり、平たく知識というんじゃなかろうか。計算機があるから~なんて言ってる人間は結局叩くところまで持っていくことが出来ないというイメージだ。
日本生まれ日本育ちの大人が「平仮名があるから漢字を書けなくても良い」とか言い出したら流石に石が飛んでくるんじゃないでしょうか。いうて自分だけのメモですから、とか、歳を取ったらこうなる、とか、言い訳は正当だが果たして聞き入れられるでしょうかー。
そこで、手書きの文章を載せたブログを、ユーザー登録してくれた人限定公開で始めることにしましたというのは嘘ですが、いったん手書きで書いたものを誤字も含めてそのまま上梓するというのを今度やってみましょう。AIが文章を生成するご時世に於いて、吐息にあてがうもののあはれごっこをインターネッネに写経する尊きに、合掌。