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イスラエルとパレスチナと
専門家でもないので具体的な意見もないし、事実認識に正確性はありません。
ただ、素人目にも今回は双方の本気度が伺える。ガザからイスラエルの市街地へロケット砲数千発。イスラエルから反撃の空爆でビルが消し飛んで、酷いことになっている。
あの土地での騒動の度に、どんな背景で揉めてんだっけ?と軽く調べたりする。いわゆる「三枚舌」とも揶揄される、WW2状況下においてのイギリスの外交が良くなかったという意見には頷ける。ただ、wikipediaぐらいの簡素な記事で調べても、その後のパレスチナ側の組織で分裂やらなにやらがあって、ひたすらにややこしく暴力的な方向へ転がっていったような印象もうける。オスロ合意はニュースで見た記憶もあるけどなあ。クリントンの前で握手する二人の画像。その後の武力衝突により、オスロ合意は反故にされたというのが一般的な認識らしい。
この問題の解決ってありえるんだろうか。何度も戦争を続けてきた結果、遺恨だとか感情の話が表に出てきてしまって、さらには過去の歴史とかも掘り起こして、ついには何の理屈も意味をなさなくなっているんじゃないかしらん。落としどころが無いんだろう。文化的にそういう思考もないのかもしれない。何度もお互いに攻撃をやめましょう、ぐらいの話にはたどり着いたと思うけど、ハーフタイムみたいな休憩に過ぎず、すぐに次が始まる。長年の闘争で家族が殺されたとかそれぞれの感情が絡み合って、落としどころが見つからないんじゃないか。手打ちにしましょうと言いだせない。もし民の声が、お互いが灰になるまで焼き尽くし合いを望むならば…いやいや、本当にそんなことあるか?過去の歴史によれば、宗教や民族という要素がお互いを焼き尽くすほどの燃料になるということは、なんとなく察する。さらには陸続きのお隣りだから遠慮や加減がないのかね?
かつてとある東洋の島国が。
もろもろあるけども、事実として開戦に至った。開戦やむなしと判断がくだるような”圧”を受けたという。その後どうなったかはご存じの通りで、もう80年になろうとしている。80年。この80年の間にいろいろあったけども、少なくとも民間人が爆撃されて死ぬようなことのない平和が訪れて、戦時の感情は徐々に中和されていったと思う。関係者が亡くなったり、組織がなくなり、国際的な事情に流されて、いろいろいろいろあった。パレスチナだって、例えば2世代ぐらい平和が続けば、根本的な何かが解決していかなくても、徐々に良い方向に向かっていく可能性もあると思うんだけどな。
炎を消すのに犠牲が要るならば、外から燃え尽きるのを待つのが合理的な判断になるんだろう。どうなるんだ😥
いろんなサイトであの辺の地図を眺めていると、英語表記のものがあった。ガザ地区は”Gaza Strip”で、ニュアンスはなんとなくわかるような。ヨルダン川西岸は”West Bank”となっていた。ただ、西岸なのか。テルアビブは”Tel Aviv-Yafo”だった。合併前の都市の名前が残っているみたいだけど、日本語でそんな言い方は耳にしたことないなあ。
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春巻の皮でブリトー🌯いけんじゃね?
以前、自分でこさえた野菜春巻きがクッソ美味いと評価したことがありますが、それ以来もたまに春巻きやっておりました。正統のレシピも、悪ふざけもしました。
https://blog.mogari.jp/archives/5613
あるひセブンイレブンに行ったところ、弁当の類がすっからかんで、代わりにブリトー買ったんだけど、こいつ春巻きそのまんまでいけんじゃね?
まずはジョンソンヴィルのごんぶとソーセージを茹でます。キッチンペーパーで水気をとって、春巻きにのせまして。そこに溶けるチーズを追加。胡椒をすこし振りかけて、巻く。ちょっと大きすぎたがはみ出て上等!あとはなるべくチーズが漏れないようにコロコロと転がして焼くだけ。
もぐもぐ。ソーセージとチーズと春巻きのバランスがわるくてあまり美味しくない。
完。
春巻きの皮を普通にフライパンでコロコロしながら焼くと、どうしても焼きムラが出ます。そのあたりの歯ごたえの違いも美味しいものなんですが、中に入っているソーセージが強力すぎてそんな風情を語ってられない。ブリンブリンの歯ごたえしてます。春巻きの皮を二重にして巻いて、少々厚みを出したところ、マシな感じはありましたが、ガッツポするほどでもなく。また、噛みついた瞬間にソーセージの汁気がでますが、焼いた春巻きの皮ではうまく吸収しないというか…なんというか。なんだろねこれチーズと混ざってもいまいち美味しくない。千切りキャベツでも足すべきだったか。味付けももっと味の濃いサルサソース的なものなら良いのかな。
なお、インターネットにてこの脱法ブリトーに挑んで生還した人々の談話を集めると、ハムを使えとのことです。今回のジョンソンヴィルたまたま家にあったのね。もちろん面白そうだと思って面白85%で実行に及んでいます。春巻きでいけんじゃね?と思いついたのは、家に帰ってブリトー咥えながら冷蔵庫の中を見たときなんですよ。これは叙述トリックだ!
まーそのぉ…
シンプルな料理も、定番の家庭料理も、ちょっとしたズレで大惨事になるということ。これはお馴染みの「嫁のメシがまずい」にて大いに学びがありました。なんでも良い部分と良くない部分がございます。みなさまは真面目にやっていきましょう。
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靴の穴が
ここ二年近く、ご近所の買い出しやお散歩で使っていた靴に、穴が開いた。というのに電車の中で気づいた。いつから開いていたのか。歩数にして200万歩は歩いているので、十分に働いてくれた。靴底を眺めてみると、結構すり減って平らになっている。まもなく穴が開いて、水たまりの水がしみてくるようになる。理屈で言うと単純に滑って危ないし、もうちょっと早くに履くのをやめるべきだったんだろう。
足のサイズにもフィットして大変に良いというわけで、同じ靴をストックしてある。よろしく頼むやで二代目くん。…さて、三代目も用意するかという話になりますが…これは保留。初代くんの亡骸は、燃えるごみとして荼毘に付される。どうせ燃やしてしまうなら、分解して使えるものをいただけないか。例えば衣料品でもポケットの部分を切り取って収納に使うとかある。しかし、靴では…。結局捨てた。
昆虫くんが屋内に登場したときに、叩き潰すウェポンとしてはどうかと思ったんだけど、ここ数年はスリッパを導入したので足りている。手にはめて鍋掴み!持ちづらくて危ない。ソールの部分にしてもすり減ってボロボロだし、何かに使えそうって気にはならない。質の良いゴムではあるんだろうし、無理やりドアストッパーとかに使えるかな。机の角とかに貼って、怪我防止とか?
皆さんも靴の使い道など模索されては如何でしょうか。
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「はりぼて」を観た
富山の新興ローカルテレビ局が、市議会のなんか不正を暴いてなんたら、というドキュメンタリー。取材してたら不正が続々出てきました~って話。内容はあらすじ通りというか、捏造された領収書がザクザクでてきて市議会議員たちの不正が発覚していく。ま、それだけと言ってしまえばそれだけ。もちろん、それだけで大問題だとは認識しております。
本作の映像って、本作品で初出なんだろうか。取材が続いていた期間にテレビ番組内でも流したと思うし、そう思われる場面も作中に見て取れる。事件から数年経過して今、なぜ映画という形になったんだろう?何か主張したいことがあったんだろうか。わざわざ(?)映画化して、タイトルを付けた。号して「はりぼて」と。言葉の意味自体は普遍的な物だ。じゃあ「はりぼてなのは何か?」って事になるんだろう。本作を観た印象だと、ちょっと捻くれると「市民の声」とかになったりする?
配信サイトのレビューには映像は三流なんて書かれていた。現場記者のドキュメンタリーなんだから、そんなもんだろうと考えていた。実際に観てみると想像内の映像だったけど、確かに少々わかりにくい感じがあった。最初のほうにあったナレーションが途中でどっかいってしまった…。「半年前」と画面に出た後に、いつ現代に戻ってきたのかわからなかったし、何度か映っている建物もなんだかわからないし。→ググったら富山市庁舎っぽい。キャスターが部長に「話いいですか?」って伺う場面の映像もなんだこれ?ってなる。テレビ局って、業務中のオフィス映像がストックされてるもんなの?最後には、「んでどうした?」みたいな疑問が残ったというか。う~ん🤔
報道とかで目にする、インタビュー中の画面に表示されている氏名と肩書。やっぱりこれがないと、いまいち話が入ってこないものだな、という実感があった。でも映画で画面に人物が出る度に、ふわふわ名前がくっついて浮かんでいるというのも、コレジャナイ感あるもんな。なんか不思議だ。俺は一体何を観たんだ。
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「マイ・ウェイ」を読んだ
ドキュメンタルにのそっと参加していた。特に大きな見せ場もなかったあのハチミツ二郎ってオッサン誰だろう?そんなイメージの人も多いんだろう。かくいう自分も、その名前を久しぶりに耳にしたのは、自身の手術がうまくいかず「THE SECOND」の初戦が不戦敗に終わったというニュースだった。その後、「THE SECOND」にて対戦するはずだった金属バットとの埋め合わせ的なイベントが決定するも、自身の体調問題により延期となる。おいおい大丈夫かね。居ても立っても居られずに、本書を電子で手にする。
この…少し前。ハチミツ次郎の日記がnoteに公開されていた。コロナに感染以降、病状は悪化していること、離婚して娘と暮らしていること。日付にして1~2年ほど前のものだが、ずいぶんと細かく残されていて読みごたえがある。量もあるのでnoteの日記を読み切らないうちに、本書を読み始めることになった。「君バツイチらしいね?」「とっくにバツニだよ!」
大人は若い人間が好きだ。
モモ肉に臭みがないから年老いてからは若いころの(都合の良い部分だけの)思い出が色めき、年の離れた若い人との会話が若さの追体験みたいで、それだけで興味深い。話が合わないのが面白い。そう思う一方で、自分が若いころを振り返れば、さほど親しくもないのに親ほど年の離れた人物との会話なんて、めんどくせえと思った。軽くあしらうわけにもいかないが、慇懃無礼に応じるには腹立たしい場面だってある。流行りものの話になれば、おっさんの若い頃にも同じようなのが流行ったと”得意げ”に言いだす。これは実際にそうである事が多いんだけど、そりゃ若い時分にはなんでも新しいんだから、人類n度目の流行であっても実感するわけがない。子供の頃から、大きくなればわかると言われ、大人になったらおっさんになったらわかると言われる。人生って奥深いですねえ、なんて飲み込めるかどうかは…言われた相手に依るんだろう。子供の頃は架空のヒーローに、若者になれば何かこう憧れの人物に、その人生に、自分の理想を重ねてみるもんだ。そんな相手に言われれば、半分出まかせ半分コピペの人生訓だって、印象が違う。自分が実際にそんな風に煙たがられがちな歳になって、「若者は」「おっさんは」「おばはんは」という枕詞が、細やかな物語を艶やか全開下品の趣に塗りたくる事も、また霧中に掲げる傘の重さにお気持ちが押し黙る事も、そのロジックがよくわかるようになtt…わかるように――?どうかな。自分の人生には、そんな時に思い出して語らったりする味わい深い物語に乏しい。自分に憧れています!なんて人もおらんわのよさ。
若者に限らずとも、芸人や音楽家なんて存在は、彼ら自身の若いころの下積み物語に興味がわく。代替の人にとっては、少なくとも自分とは全く違った道を歩んでいると映るからだ。本書の内容も、昔からのハチミツ二郎ファンなら知っているような内容が多いのかもしれないけど、若き日のハチミツ二郎と他の芸人との思い出話なんかも豊富に綴られていて興味深い。そんな語りに、立川談志の名前が出てきた。また出てきたよ家元。M-1の審査員とかもやったから、漫才をの舞台に立つ芸人ならば、挨拶ぐらいしたことあるんだろうか。また家元は気まぐれな人という印象だ。若手と一席を共にして、おちょくって遊んだり、また逆にお墨付きを与えたりなんて事をやっていたんだろうか?それにしたってどこか認めるものが無ければ、わざわざ声をかけて誘ったりはせんだろう。そうしてお眼鏡にかなったのが、上岡龍太郎、ビートたけし、爆笑問題、東京ダイナマイト、おぎやはぎ、パックンマックンのパトリックのほう。
家元の話はおいといて。
当然と言ってはおかしいのかもしれないが…裏事情や揉め事も赤裸々に描かれている。キーとなる人物の名前が出なかったり、本書中で触れられる男性芸能人の名前が三●又●というふうに、素人目には全く皆目見当がつかない芸術的な伏字になっていたりする。いやあ誰なんだろう。本当の最後まで伏字のままの人物が実際誰の事だか気になってしょうがない。下衆である。知ったところで顔もわかるまい。裏話が面白いのはよくある話だけど、そこを求めて本書を買ってない、というテイを貫くつもりだったんだけどな。そして著者のプライベートも赤裸々に。そのへんについては、先にリンクしたnoteのほうが詳しいが、本書もnoteの内容に繋がるような激しくもしんみりとしたエピソード。
良く言われることに「人生は選択の連続」というのがある。自分の続けてきた選択がいわばマイ・ウェイとなる。陳腐な言い回しにしか聞こえないけど、誰の人生だってそういう見方で評価が可能だ。それは採点するという意味ではなく、検証というニュアンスでの評価。あの時は追い詰められていたとか選択が無かったとか、嘘偽りなくそうだったとしても、後で振り返ると別の道が発見されることもよくある。本当に選ぶべき選択肢はもうちょっと前にあった、とかね。
実際は何一つ巻き戻すことなんてできない。でも歳を取れば、若い頃と同じ課題にどこかでぶち当たる事がある。その課題の先に待っている屈辱も誉れもテヘペロも、2回目ならきっとマシな選択を取る事ができるんじゃないか。二度目のバツに備える。そんな憶測程度の目論見でも今後の希望にできるんだったら、振り返るのは他人の人生でも良いんじゃないか?それが人の世にいう物語ってやつじゃないか。文化とか社会性。では、誰の物語を選んで読むべきか。そう、ハチミツ二郎!!…そんなわけないよね。でもな、何十何百何億と物語を手に取ればその中のどこかには…人に届く物語がある。心に届くのではなく、こんにちの現実にお届けできる物語が、ある。
正直な話、若い人が本書を手に取る理由はあんまりない。でも、選択肢の多さが豊かさ、安らかさに繋がると考えるんだったら、こんな物語を読んでみても良いんじゃない?大人になればわかる物語を、ちょっとだけ背伸びして覗いてみるのだ。ハチミツ二郎があなたのヒーローじゃなくたっていい。貴方以外の人生もまた貴方だと感じることがあれば、道は増えていく。伸びて交わり、明かりが灯る。
…だからって小学生に読ませる本でもないけどね。やっぱ上京してきた若人とかが読むと良いとおもいま~。