• ふでのゆくまま

    何気なく歯を磨こうとしたら腰から電気が走った。「ぴきっ」と表現される例のアレが唐突に襲ってきた。いろんなものに捕まりながら机まで移動し、自分の状態を確認する。動ける。歩けるがちょっと痛む。念のため午前は休みを貰うことにして、バンテリン塗って布団に横になり、姿勢を変えたりしてみる。動かない箇所はないし、痺れもない。十年ぐらい前にもあったなこれ・・・などと思っていると、寝てしまった。。。。

    玄関のチャイムの音で目を覚ます。「たっきゅーびんでーす」と声がするので、反射的に飛び起きて玄関で受け取った。お、動ける。痛むけど動けるならなんとかなるだろうと、午後から出勤した。意識してそろりそろりと歩いて部屋に入ってくる俺の姿はキモかったことだろうさ。けっ。三日がたち、まだ重いものを持ったりはしないようにしているけど、日常生活に支障はない。よかった。

    十年ぐらい前に痛めたときは親が心配してサポーターベルトを送ってくれた。それがまだあったので巻いてみたがキツイの何の、十年前ならいまよりウェスト15cmは細いからなー。ところでダイエット中であります。緩やかに減っていってるんだけど、油断すると止まる。若い頃のダイエットはもっと簡単に減ったものだが。

    お年をお召しになりました。もう2011年も一ヶ月たつわけで、はやいはやいと時を忌む声ありて。

  • ふでのゆくまま

    ポットのない暮らし15年を経て、我が家に電気ケトルというやつがやってきた。著名魔法瓶メーカーのそれは魔法瓶機能がないのでちょっとがっかりだけど、沸かしたいときに沸かしたい量だけすぐ沸かせるのは便利っちゃ便利だなや。主な用途は春雨のもどしとカップ麺、わかめスープとなっております。梅昆布茶でも飲むかと思ったけど、あんなんかぶかぶ飲んでたら塩分過多になっちまーのでやめる。コーヒーも紅茶も好かない。うちには歯磨きの時に使うような、プラスチックのコップと保温タンブラーしかないのであります。

    欲しいものをそろえるのではなく、あるものに合わせて暮らす。ずっとそうして生きてきましたが、今回の電気ケトルを機に、百円単位の贅沢をしてみようかなと思う。

  • ふでのゆくまま

    double

    昔の歌人は詠みました。「月に鏡を取りに行ったのですが、月の風にあてられて病んでしまいました。貴方に遭いにはゆけませぬ」なんたら。実際はダブルブッキングの言い訳だったりしたようだけど・・・「月の鏡」というのを想うに足る、乾いた、凍った風が吹き付けております。不自然なほどに白く明るい月夜でこの冬一番クラスの寒さも爽やかにすら思える、のは、十分が限界でした。中間地点のコンビニで暖を取り、そこで冷え冷えのスパークリングウォーターを買う節操のなさにあきれる。ままよ!蓋を開けて歩きつつ飲む。爽快なり。水泡月夜ダブルブッキング、凍てて尚をかし。

    小一時間ほど商店街をうろうろして買い物したりしたが、妙に足が疲れた。普段は通勤に革靴、ビジネスシューズとか言われるやっすい合皮の靴で、デスクワークしかもサンダルに履き替えたりしているのでまあ靴に足が馴染んでないというか。靴はいて店内を蠢く仕事を数年やっていたときは流石に商店街歩いたぐらいで足に疲れなんて覚えなかったもんだけどなあ、これは単に年のせいにして良いのかしらあ・・・。あるいは普段の革靴に馴染みすぎて、今日みたいなモックシューズの履き方を足が忘れたんじゃないのか。ああ、日本に来て裸足ライフに感激する西欧人の話を思い出した。あいつら草履とかで暮らし始めるからなwよほど楽なのだろう。

    配達を玄関口で受け取っていると別の配達も来た。品物を確認して受け取り票にサイン。わしゃ問屋か。手間の省けるダブルブッキング。

  • ふでのゆくまま

    アンギャマン

    眠すぎる。充実した仕事をしたいもんだが。

    ふと気がつくと、玄関よりチャイムの音がする。かといって尋ねてくる人がいるでもなし、最近宗教の勧誘っぽい人が歩いているのも見たし、そのまま目を閉じる。昼ぐらいに起きてコンビニ行くついでに郵便受けを覗くと、どうやらそれが宅急便だったと知る。しかも午前配達指定してたごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

    「アンギャマン」って漫画買ったんだけど面白い。ざっくりと内容を言うと、歩いて大阪から伊勢神宮までを旅したルポタージュ。ほぼ全てのコマが道中の写真で、その上に書かれた人々(といっても本人とガイド役のキャラクターだけど)と構成も斬新。この作者、出雲大社までも同じように歩いたというのを自分のサイトで発表している。

    ううん、疲れが取れない・・・。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    あたたかいスープを

    冷めた料理が平気。実家では残り物のカレーを食べるときに、あたたかいご飯に冷たいカレーをかけて食ったものだ。コンビニの弁当も温かいと違和感を覚えるほど。アレは冷めるどころか冷たい状態で食うものだと体が学習してしまったのかもしれん。

    勤務地でさ、外で買ったり家から持ってきたお弁当とかを必ずあたためて食べている人がいる。これがちょっと衝撃だった。冷凍食品でも詰めてきたのか?と思ったほどだ。ま、周りを見ると、そんなに驚くことでもないらしい。その人が弁当を温めずに食べているのを見たことがないので、必ずそうしているのだろう。あれは好みの問題なのか、そうしないと食えないのかと気になってしまう。弁当なんて冷めて当然なんだから自分で食えないものを弁当に詰めるわけねーだろwwとは思うけど、神経質っぽい人は俺には全く理解できない。あの共有スペースの電子レンジが壊れたら彼はどうするんだろう、と書いたところで弁当持って他のフロアへ移動する彼の姿を想像して春雨ヌードル噴出したぶほほほwwwww

    という春雨ヌードルだって、ぬるい状態で食べている。給湯器のお湯が75℃までしか出ないからだけど、この十年以上もカップ麺の類はそうして食べている。熱すぎる麺類は食べにくくて好きじゃないし、ぬるくても不味いものではない。だから部屋にはポットがない。

    だけど、食事って活力の源であるわけで。人間にはそれ以外に必要なものを得る手段がないもの。面倒くさいからやらなくてもいい、誰にも咎められない(これ大事)から冷めた料理を平気で食ってきたけども・・・。ある日めげて凹んで疲れてしょんぼりしているときに、自分の作った野菜スープが、恥ずかしながら心に沁みた。クソ熱いときに冷たい麦茶をげふっと飲み干したときの爽快な感じ、その対極みたいな、涙腺ゆるむぬくもりを確かに感じましたよええ。嗚呼近代文明。甘えて良いか。そうして部屋で食べるときぐらいは温かい食事を心がけようと思ったのです。

    そしてレンジの調子が悪い。ばーか!ばーか!