• えさのじかんだ

    昨今の餌事情

    サーターアンダギーというものを買ってみた。三個入り。出来立て!とポップ付きで店頭に置いてある。手に取ると、確かにけっこう暖かい。ずんぐりと丸く、大きなおかきみたいな見た目だ。持つと見た目よりも、ずっしりと重みがある。これが豊穣ということよ、おほほほほ、ホクホク満足してお買い上げ。帰宅し、存分に鑑賞して、写真に収め、そっと押し入れに格納。

    直ちに取り出してガブガブと食いついてみたところ、ただもっちり油っぽく甘い揚げ小麦粉であった。これは…ホットケーキミックスを思い出した。あれで作った、ボテっと油に放り込んだもの、カーチャンが号してドーナツ。あれと同じ感じ。正直に言って期待ほどおいしく頂けたとは言い難い。これは水分が少なくじっくり揚げてあるので保存が効くらしい。まー育ち盛りの小僧のおやつだなあ。おっさんのお昼ごはんじゃないわ。いわんや夕の膳をや。

    ではクジラはどうだろう。

    結構な距離を歩いて雨のお散歩としゃれこむ。太陽が出てこねえんだからヤケではある。普通歩かないよ、という距離を経て、うっかり「プロの店」食材店を見つける…。珍しくメインお財布を持っていた。一名様ご案内。肉肉デカい調味料魚肉飲み物。ヒラマサが一匹デンっとおいてあったり、なかなか迫力がある。アブラカレイのエンガワを発見してカゴに放り込む、と、別の列、真っ赤なサクが目についた。白い粒が特徴的。アイスランド産、ミンククジラ。クジラ肉といえば子供のころはボチボチ食べたはずだ。ステーキのような食べ方だったと思う。ああ、そうだそうだ、祖父が好きだった。

    こいつがなんと、美味しくなかったので気落ちしてしまう。レバーに近い。またはブリなどの血合いの塊とか?苦手な食い物やんけ!小さいサクを、半分はソテーしてお醤油で。いまいちなので塩コショウ。ううむ、残り半分を天ぷらに。これは「めしにしましょう!」という漫画に描いてあって是非ともやってみたいと思っていたんだけど…しかしそもそもクジラ肉のサイズが小さすぎたか、せっかくの天ぷらでもサクサクジューシーな感じがなかった。それこそ漁港など、キロ売りしているようなところで、でっかいのを買う機会があればまた同じことを試す気にもなるけども、もう一度同じこれを食おうという気には…。あるいはクジラ料理の店でもいってみるか?

    エンガワもそれ自体はまずまず美味しかったが、そのまま食っても普通の白飯にはそんな合うわけもねえっつの。寿司だと一番好きなんだが、まるで駄目だ。やはりちゃんとしたシャリと握りじゃないとダメなんだねえ。…普通の白飯?おお、そういえば、

    少し前に、

    ご飯に混ぜて炊くと麦飯になる、というものご存じかしら。麦の押しつぶして乾燥したようなのが、スティック状に小分けされて売られておりました。試したところ、確かにほんのり白米とは違った風味が混じり、プリプリした食感は魅力的なものでありました。…ではこの麦だけで炊いたら?スティック三本ほど普通に炊飯器に投入。水加減は邇邇芸命と心を通わせて計り、炊飯ボタンをぽちっと。……。ミラクルが起こって上手に炊けたのですが、予想通りに予想通りで面白くもない。ぽいと放り込んでかみしめると、ずーっと口の中にスフィアを感じる。そしてこの味わいは麦の味、ということの筈なんだけど、小麦粉とは違うし。なんと書き記したもんかね。ところで…これはどう頂くのが一番うまいのだろうか。麦飯の食文化にでも詳しいサイトあるやろか、なんて考えてつつも箸は止まらず、結局は納豆とザーサイとでわしわしと全部平らげた。

    あっ…!?白米を頂く時の擬音は「わしわし」が作法に則ったものだが、麦飯はどうだろうか。白米に比べて粘り気がなく、各々の粒がくっついていない。形は先に述べたように、白米よりは球にちかい。やや茶色いか。もう一つ、侍と百姓なんて時代を描いた映画や漫画を見ると、どうも白米100%の飯というのは贅沢であったかのようなイメージがある。しゃーないので雑穀を足して食う。その中に麦がある、というイメージがある。であれば、「わしわし」のように続々と口腔に押し寄せる豊穣の白い波という連想はややそぐわないのではないか。もう少しこう、食事をハードコアに切り取った視点の擬音になるべきだ。楽にならざりぢっと椀を見るような…。実に難しい。

    ムギ難題。

    ホットサンドメーカーというものを、買…おうとしてやめた。食パンに何か挟んで焼いて封をする。実にお弁当に都合が良さそうに思えるが、そうして焼いたパンからぼろぼろ零れるであらうパンくず。惜しいなあ、職場にもってくお弁当に向かない。どーせ冷まして持っていくことになるしなあ。自分の事だから、焼いたホッケやサバ、美味いという実績のある納豆、さらには酢豚とかレトルトのハヤシライス(のソース)なんてものも挟んでみようとするだろう。うう…楽しい…。やはり買いたくなってきた気がするが、もう一周冷静に考えると、一回やったら満足して終わりじゃないか…プライムデーのセールも過ぎたというに…。いやでも、いやいやしかし。これはおかしい、おかしいぞ。なんでこないにあんな焼き鏝セットみたいなもんに惹かれるのか…。こ…これは…孔明の罠だ!退けっ!退けっ!買いませんでした。

    饅頭というものは、孔明が南蛮制圧の折に行った儀式だかパフォーマンスがもとになっているという逸話がある。肉か何かで人の頭を模したものを川に流したなんたら。包んで蒸して封をする。蒸す、という調理は一人暮らしのおっさんではなかなか実践する人、おるまい。多量のお湯と、高熱の湯気が籠るだけの大きな鍋や、ちゃんとしたせいろが要る。あるいは最近のレンジだとできたりするんですかねそういうの。これはパンで挟んで焼くよりも調理技術の介入度が高そうだ。自分には作るのは無理だけども、試せと言われれば、焼いたホッケやサバ、納豆、酢豚やハヤシライス、クジラ肉にエンガワ、サーターアンダギー及び麦まで包んでみようとするだろう。麦まん。かじったら麦飯が出てくる。ハードコア。あゝ、コンビニにはおいてない。

    ライ麦ってどういうのだろう。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なのだから、れっきとした種であると思う。ググってみると、確かに「ライ」という植物に日本では麦とつけて呼ばう、というような情報が出てきた。映画の題名であるからして「らいむぎばたけ」で語呂が良いわけだ。途中で面白くなくなって、読まずに捨てちゃったんだよな。じゃあ今度はライのほうを食ってみてはどうだろうか。こちらもググると、想定通りではあるんだけど、パンと焼き菓子ばかりだ。作れるわけないよねーなにがハードコアだボケ。って…ぼんやりクックパッドのサイトを眺めていると「ライ麦パン」という文字の並びに、何故か見覚えがある気がした。「ライ麦畑でつかまえて」以外にライ麦なんて聞いたことがないと思っていた。もう一回ググったったら、別名「黒パン」とあって、ああ、給食の時に嫌いだったあれだと。給食に出てきたパンはなんであんなに不味かったのだろう。家庭で美味いパンを食っていたような記憶もないけど、パンが嫌いということも無かった筈だ。食わず嫌いではなく、あの、給食に出てきたパンは実際に不味かったのだろうと思う。ライ麦パンに限らず、なんでも給食に出たパンは好かなかった記憶がある。砂糖まぶした揚げパンでも、そんなテンションの上がるガキではなかったと思う。何かトラウマでもあるのか。当時も今も、牛乳が好かないのも、何かあるのか。給食になにかったのか。大人になって、嫌いな食べ物が減ることは良くあると思うけど、自分は減る一方で、増えてもいる。親が言うにはたまごかけご飯とか大好きだったらしいけど、今では生卵どころか、半熟も口にしない。無理だもん。いつからだ?何があった?宿命か、あるいはまた、孔明の。

    食わずぎライムギ難題。

    2点。

  • ふでのゆくまま

    和民ケーン

    なぜ「市民ケーン」のレビューを書いているときに思いつかなかったのかと反省の念を込め、本稿のタイトルにした。それ以上の意味は特段ない。しかし考えてみると、この和民のボスは映画と違って実際に政治家になった。なってしまったというべきか。これは実に恐ろしいことでありましたなあ。

    本当に一か月ぐらい太陽を見ていないのではないか、と思いを巡らせる。ぽわわん…。巡らせすぎて海馬が擦り切れるかと思われた。どうも本当に見てないようだ。毎日出てくる筈の太陽を一か月見ていない。とんでもない怪異ではないか。平日まいにち午前に出勤しとるいうねん。しかし、…この怪異にあってもへの河童で暮らしている。…本当に怪異なのだろうか。「いやいや、梅雨は毎年こんなもんでっしゃろ?」と言われれば、「ああそんなもんか」とも思うし…。

    実際、今年は日照が異常に少ないというのは事実のようで、なんならタイ米騒動になった1993年が引き合いにだされるほど、らしい。はえ~。事実を突き付けられても、ああそうなんだやっぱりね~というほどの、天気に依存しない暮らし。太陽が出なくても、直接的にはそんな不便を覚えない。雨が降っては不便だと思う。曇りには…えーと…。何もないな。考えてみれば、「太陽が出ない」って言っても本当に地平線から登ってこないんじゃなくて、単に雲があって邪魔というだけ。雲が出る/出ないのほうが、太陽が出る/出ないよりも、空を見上げた感想として素直にも思えてきた。でもね?雲があっても、特に何もないわけやん?…こうして、結局のところ興味は、雨が降る/降らないに絞られる。傘を持つ、持たないに直結する。しかし、しかし、晴れの日に傘を持っていても、邪魔というだけで困らない。傘を持っていれば天気はどうでもよ、あれ、これ前に一回書いたな。

    傘の一振りでお天気などどうでも良いと思えてしまう。あれ?今日は本当に太陽が出てこないよ?って七月に暖房いれるような本当の怪異にでも見舞われれば、その時はお天気というものを深々と考e…エアコンあるから大丈夫、で終わりそうな気もする。そこはそれ、お天気次第で絶滅しかける、というところを克服したと思えばええやないかええやないか。そして次には消費エナジーの問題を克服しないとなあ。常温超電導はよ~。

    黒いショートパンツに黒にポロシャツでご近所のスーパーへ出かけたんだが、ショーウィンドウに映る自分の姿が妙に非日常。サッカーのジャッジみたい。胸ポケットから黄色いカードを出しそうな。こんな間抜けに見えるとは思わなかった。でも、それだったそんな風に装いを整えてしまえばいいんだ。おお、あそこに審判がいるなあ、となる。審判に見える装いの奴がいるwwwではなくなる。ああ100均一で黄色いバリバリ財布とか売ってないかな。なんなら本当にイエローカードとレッドカード売ってないかな。40を過ぎてトータルコーディネイトに目覚めるがごとくよ。

    どうしても和民でオチないな。

    住まいの目の前の道で工事が始まった。休みの日におうちでブログなど書いて居れば、ドガガガガと小刻みなビートもまた愉しい。問題は、散乱し放題の砂利。おかげで玄関が砂っぽくなってしまった。ずっと雨なのでぬかるんでいて、靴にへばりついた小石と砂が玄関に少しずつストックされていきよる。掃除機で吸ったろか、あれ、でもこんな十年以上も昔のサイクロン掃除機って砂とか大丈夫なんだろうか。箒はこのまえ捨ててしまったなあ。仕方ないので、雑巾でちまちまと一か所によせる。小さじ半分ほどにはなっただろうか。外に持ち出してファサー

    どうやら自分にも天気の影響あった、ということでございますね。梅雨が明けると、去年のような酷暑がやってくる。

  • ふでのゆくまま

    梅雨も滴る

    「プラズマクラスター」という響きが、どうにもダサい感じがあるのはなんでだろう。なーーーにがプラズマだwwwと冷やかしてしまうところ、ところが導入したらずいぶんと効果的なのを体感できるときたもんだ。堂々と部屋干しもできるようになった。でも、電気代がお高いんでしょう、といえばそうなのだけど、雨が続けば毎週のようにコインランドリーで500~1000円使っていた分を考えると…どうでしょうか。

    部屋全体に効果があるので、カビの心配はだいぶ薄れると期待したいし、クラスター君の設置個所からは離れたところにつるしてあるシャツやらにもまた、いくらかは効果が及ぶと期待したい。ところがクラスター君、ある程度湿度が下がると勝手に止まるらしい。んじゃあ湿度が上がったら再開するかってえとそうでもないのか。乾きすぎると不快だったりするんだろうか。わからんけど。

    こいつで除湿した後の睡眠がすこぶる快適であります。六月の終わり、本格的な暑さはもう一つ峠を越えてから、スイカと冷やし中華はまだおあずけ、という感じがありますが、それでももう、まごうことなき夏ですわ。あのどんより厚い雲の向こうには、まぶしー太陽の無邪気な殺傷能力がぎんぎらぎんにさりげなくぅ↑…んで…除湿運転は室温があがるんですよね。排熱があるので。それをエアコンの冷房でカバーして、なんてやってると電力で地球をしばき倒してるだけになりかねないんでまあ節度とモラルと工夫。扇風機捨てちゃったのは誤ったな。サーキュレータ買うかしら?

    どうどうと部屋干しもできる。今までは部屋でただ干したらくっさい異臭がしたもんだ。ところがほとんどにおいがない。プラズマクラスター君すごいぞ。こいつの使い方として、より効果が高いことには浴室干しがあるらしい。なるほど、クラスター君を狭い空間で運転させれば、効率よかろう。どうせ外出時に運転することが主眼なら、浴室運転をしたほうがよさそうかな?でも、当然突っ張り棒が要る。これは入浴時には外したい感がある。着脱が簡単なんてところに重きを置いた商品あるだろうか?浴室だとなおのこと壁面を傷つけるわけいかないし、それに突っ張りの負荷をかけても平気なもんだろか。

    平気だからみんなやってるんだろう。そらそだ。

    便利な機器をさらに都合よく使おうと我儘をこねくり回す。ところが何時もの事で、面倒だし適当で良いかとその働きぶりを眺めることの、ものぐる干しけれ。なんつってwwwうっはwwwwww

    不躾な雨に草生える、水無月も暮れのことでございました。

  • どくしょかんそうぶん

    「市民ケーン」を観た

    成金が女でコケました、というお話。あらまざっくり。このぐらい古い映画(1941年公開)だと何度も見かけて飽き飽きするようなパターンの展開だとか、そういうレビュー好きな人たちの言う”クリシェ”のようなもの…そもそもの起源であったりする可能性まであり得る。「あーよく見かけるあれですか」というような素直で生意気な印象をレビューとして書き記してよいものか躊躇する。「いやいや世界初ですから」なんて突っ込まれてしまったりしてね、ほらわたくし小市民だから~。ぬほほ。

    などと。何か多作との類似点探しに終始するほど退屈だったわけではないもんでぇ。世に曰く、こちらは映画史上屈指の名作という声もあるとのことらしい。勿論というべきだろうか、2019年に初めて観た自分はそういう印象は受けなかった。具体的にこれは凄い!みたいなものがなかった。この作品の公開当時はずいぶんと業界内から批評されたようで、そういう点から逆にたどってみると…傑作という評価に値することもまた、真実味がある。でも自分にはこんな古い映画での撮影技法の話を並べられてもピンとこないし、演技がどうこうもこれといって。豚に真珠。誰が豚だよ。

    原題も「Citizen Kane」であるからには、市民のケーンさんであってる。「市民」というところが本作の鍵であるのかもしれないが、これまた2019年の日本に生きる自分には、あまり馴染まない意味合いが込められているかもしれない。作中では、親がたまたま財産を得て、自身は新聞社を経営して大当たり、大統領の親族と婚姻する。この筋書きにあたり、主人公は市民だと言って、特に違和感は覚えない。ケーン氏と同じように成功を収めたとされる実在の人物をモデルにしているとの事だが、そこに何か込められた意図はあるだろうか。

    これが「軍属民ケーン」だったら、ほかに活躍の場があったようだ。「原住民ケーン」だったらどうか。まだアメリカになっていないアラスカとハワイでも題材になるだろうか。「江沢民ケーン」だとエスエフかと思ったら1941年だと江沢民は15歳だから何かあるかもしれない。つーかお前存命だったのかよ。「方幹民ケーン」だとさすがにwikipediaあたりから民で終わる人名を拾ってきたとバレますよ申し訳ありませんでした。

    とあるメリケンのボスの、「人民の(以下略)」という有名な演説がある。この演説を教科書が紹介するには、peopleを「人民」と訳していた。citizen=市民とはなんなのか。真面目に考察とかするわけもないですが、我々が持つ漠然としたイメージ、それがこの作品そのものである可能性もある。

    なお、アメリカ映画なのに銃で人が死なないのはとても奇怪なことであり、叙述トリックの起源となった可能性があります。2019年より東京都民がお伝えする感想は以上ですへんしゅーちょー。