• ふでのゆくまま

    三浦弘行九段不正の証拠はなし

    不正した証拠は出てきませんでした、と結論。黒だとしても隠せば簡単に出る筈もないのでまあこれはこれとして…。まあシロでした。しかし叩けば埃とはこのことか、きな臭い情報の出てくるのなんの、野次馬が騒ぎ出すの(俺だ)、勝ち馬ライダーが登場するの。

    (※自分は記者会見は見ていません。以下、見ないままで書いてます)

    1月のイベントのキャンセルは連盟が勝手にやったらしい。当然、都合によりゲストを変えるぐらいの権限はあるだろうけど(ないというのもおかしい話)、本人が知らないままってのはどうなんだ。知らせても揉めるだけとか判断したんだろうか。そうしたら当日会場でつまみ出すしかないけど、そのほうが揉めるどころの話じゃねえと思うんだけど。あるいは単なる後日連絡を三浦側が材料にしているだけか。

    渡辺明を処罰すべきとか言い出す輩も出てきた。失笑するしかない。これで黒だったら良くやった!とか言うつもりなんだろうか。カルト宗教じゃあるまいし、人を疑うだけで罪であるとか非常に気色悪く、まともな人の意見ではあるまい…と思ったら、渡辺が連盟に相談する前に週刊誌の記者にリークしたという情報が出てきた。

    これは処罰に値するなあ、流石に。twitter炎上案件と同じで、故意だろうと天然だろうと擁護できないわ。例えば施設の警備を請け負う会社から派遣された警備員が、何か不備を見つけて、その情報を一人で勝手にどこぞで公開するようなもんか。まずは然るべきところへ、というのが常識なんだけど…しかしこれも考えてみれば、発表された情報以上の裏がありそう。渡辺はだいぶ前からきっちり規制すべきと意見を出してきた一人なので、すでに何度も同様の試みを内部で”常識通り”行っていたんじゃないか。今回はあまりにアレだから強硬策に出たのかも…。それにしたって記者にメールってなんだよ。何か入れ知恵した奴いるんじゃないか?

    まあ実際、効果覿面だったよな、これだけの騒ぎになって。こうでもしないと連盟は何もしないだろうなあ、なんて思われているのかもしれない。連盟と言っても、要は棋士の人々であるからね、身内。何か言いやすいこともあるだろうけど、逆に全面的に個人に協力することもなかろう…。どうも連盟の対応が拙かったようだなあと思う。みんな思ってますか、デスヨネ。

    渡辺が何を言おうと、「証拠はあるのか、ないなら聞き入れない」ぐらいでよかったか?実際言ったかもしれない。あまりに言うのでこっそーり調査もした、証拠は出ない。しかし対局した棋士はおかしいと言う。タイトル持ちクラスの棋士を揃えて品評会しても、これはおかしいと言う。証拠は出ない。どうすれば良いのかねこれ。将棋連盟はどこぞのスポンサー様がなければ続いていかない商売。騒ぎの発端は棋士にあるにしろ、その後の展開っていろいろ不自然じゃないかな…。何か勘ぐってしまう。

    ところで、もしこの件、黒だけど証拠でなかったのパターンだったら、何が考えられる?スマホは適当に別の端末使えば良い。現場を押さえられなければはいこれ、って不正に使ってないのを出せばよい。PCはAWSでもなんでも、クラウド上にサーバ作れば良い。お家PC探しても不正の証拠は出てこない。クラウド上のをいじったログぐらいは見つかるかもしれないけど、そのログは何処から入手すんのか。プロバイダ…?警察の犯罪捜査でもあるまいし、手に入らないんじゃないか。「彼」はPCとかに疎い?その証拠は?

    この辺はもう調査内容の詳細まで見ないとわからないよね。個人の行動からプロバイダ、関連しそうな名義のスマホ全部、なんてレベルまで調査しているのか。単に専門業者にPC渡しました、で終わっているのか。

    まとめ。

    1:連盟の対応は拙かった。
    2:ソフトに敵う棋士はいないんじゃないの。
    3:野次馬は気楽すぎて、処罰しろ(キリッ)だの、ブログに好き放題書いたりする。

  • どくしょかんそうぶん

    “まあだだよ”を観た

    なんだこれ。

    以下ネタバレです。

    黒澤明の映画と言えば…。羅生門は見たことがある筈だ。モノクロ映画なんてだけで物珍しく、まあまあ面白かったんじゃないすかーなんてね。こちらの作品は…うーん。どうなんだ。まあ面白くはなかった。先生との交流を描く、ということなんだけど、あんまり交流って感じには思えなかったんだよね。世話焼いた、みたいな。何をそんなに尊敬する先生なのかね、ということは一切映画で出てこないので、何をやっても唐突というか。あれが先生じゃなくて社長でも同じなんでは。なぜこの人たちはこの先生を慕っているのかわからんのだもの。もしかして介護がテーマなんじゃあるまいな。

    というツッコミが出るほどに、関わり方自体にはブレがない。

    歌を歌いだすというのはとても奇異な行動だ。時代が違うという事で納得するしかないかそこは。でもやはりそこが薄気味悪いんだ。やーホント披露宴も忘年会ももっと静かにできないものかといつも思う。最近ではどうせ”社交的”なイベント扱いなので知らない人もいるから、黙っているなんて気まずくて耐えられない、そりゃそおだ、だから黙ってても気まずくない関わりの人って貴重よ。

    …時代が違うんだよ、時代が。先生。

  • どくしょかんそうぶん

    “Back to the future”を観た

    あまりに名作過ぎて、所々が何かに引用されているのを目にするうちに大体内容を知っている、という作品。ちゃんと見るのは初めてだけど、とあるシーンに見覚えがあったので子供の頃テレビで見たのかもしれない。さて…。

    いちおう以下ネタバレ…なんだけど伏せる意味あんのかね。

    やはりいろいろ断片的な情報が多すぎた。なんかこれ知ってる、みたいなシーンや台詞ばかりで、正直初めてなのに新鮮な感じがなく、ちょっと飽きてしまった。プルトニウム盗んでシリア人がてきとーな車にのってコメディよろしく奪い返しにくる、とか今なら使えない描写なんだろうか、なんて。ワゴンのルーフから適当に身を乗り出してライフル撃ってくるってw

    この映画に限ったことではないけども、知名度の高いものは、その作品にまつわるものが他の映画やゲームに出てきたりする。こういうのはwikipedia見ると詳しく書いてあんなーやっぱ。lone pineって町の名前はゲームで見た事あるし、

    最後も感動のお別れをしたと思ったらすぐに未来から戻ってくる、なんてオチまで知ってるんだもの改めて見るまでもなかったんじゃないかこれ。そんなわけで特段面白いとも…つまらないとも…。主演をチャーリー・シーンだと思い込んでいたら違ったのが確認できたというところが収穫か…。

    ところでこの作品、1955年と1985年をタイムスリップする物語で、作中にもその30年の変化が現れている。なんでも、この期間中にロゴの変わった企業と契約して旧ロゴを出したりしているらしい。凝ってる。30年もあればそらいろいろ変わるが、事実、この期間にアメリカでは黒人に選挙権が与えられるようになってる。…そんなリアリティを出してくる必要は何処にもない作品だし、アイデアがあったとしてもやっぱやめておこうなんて話になっているかもしれない。ネタにしても際どいぜ、なんてな。賢明な判断だろう。

    しかしあるいはもっとリアルな話で、—-1985年の映画公開時には、黒人なんて映画であえて登場させるものでもない、なんてみんなが思っていたのかもしれないんだ。実際ハリウッドとはそういうところだろう。#OscarsSoWhiteってハッシュタグも話題になったようだ。

    1985年からさらに30年とちょっとが過ぎた。未来はどう変わっていますか、ドク?我々にはもう、次の30年が見えないんだよ…。

  • どくしょかんそうぶん

    “fargo”を観た

    車の中でだんまりのシーンのパロディをNostalgiaCriticの動画で見たことがある。コーエン兄弟というのは有名だ。程度の前知識で。以下ネタバレです。

    ネタバレ…というほどの中身はないですが。

    映画のオープニングで、事実を基にした映画で云々と告げられるんだけど、これ妊婦の警官というのも事実?凄いガッツだ。作中じゃ単身いろんなところに出向いて最後には犯人に銃まで撃ってる。…見終わってからwikiにあたると、史実という冒頭の字幕も嘘であり、ついでに婦警役の人は監督の夫人であった。そんなところが一番驚くべきところっつうのもどうなのか。damm it.

    俳優のみなさんの演技はもとより、なんかこう…表情が良い。面構えというのかな?うまく言えないけど。実際、婦警役の女優さんはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞する。企みごとが失敗していく後に引けなくなって派手にめちゃくちゃになっていく…。よくあるパターンではあるけど、多方面取り繕うとして失敗して弱み握られてあばばばば、というパターン、リアルライフでも遭遇することあるので見る度に身に沁みます…。

    ただ、この感想文書くにあたって史実ではない、と知ってしまって、正直興ざめ。だって春になったらあそこに埋めたの出てくるんじゃないの。実際はどうなったんだろう?なんて終わった後に興味津々だったのに。「ヤナギタ」さんはなんだったかわからない。

    ストーリーが犯罪がらみであることもあって、唐突に出血系のグロい場面があったりする以外は、総じて落ち着いて見ていられる作品。「冬」の雰囲気もShiningなんかと比べても落ち着いていて良い。おこたでミカンを剥きながらどうぞ。

  • えさのじかんだ

    だって豚だろう。

    子供の頃、というほどに昔のこと。とあるテレビでの企画をネタに、みんなで話に花が咲いた、そんな場面だったのではないかと記憶している。料理をしない人に料理をさせてみると酷いことになる、とか、そういう話をしていた。至極当然なんだよな。ルールの知らないスポーツに放り込まれる様なもんだから、意味の分からない行動になる。けど、子供の頃から母の料理の手伝いが好きな食いしん坊デブ親孝行な息子としては、そんなに変なものが実際できるのだろうか、と思っていた。

    その料理というのが、味噌汁にウィンナーが入っているというものだった。

    どういう発想だろうかと皆で笑いあったものだ。確かに我が家で出されたことも、どこかで出されたこともメニューに載っていたこともない。当時は福島の片田舎暮らし、まして餓鬼、誰かが階段で躓いたというだけで一日笑っていられるような日々だったんだから、味噌汁にウィンナーなどと聞けばそらゲラゲラと笑い転げたもんだ。

    流石に大袈裟だな。ところが東京に出てくると、全国から集まった人々の、その地元の暮らしに驚くことが多かった。味噌汁にじゃがいもを入れるのは主に東北地方だけであるらしいと知った時の驚きはなんだろう。周囲の驚きっぷりはそうでもなかった。味噌汁なんてなんだかんだで大抵のものが入る。じゃがいもとはあまり耳にしないねえ、みたいな軽い驚きであった一方、自分はというと「いや嘘だろおい」って慌ててしまった。

    外食で味噌汁を食する機会はそこそこあるかもしれないが、具材に着目することはほぼない。和食の定食なんかでは味噌汁がつくことが多いが、具材はワカメが一番多いと思う。小さい角切りの豆腐や、油揚げが入っているバリエーションまで含めると、個人的な経験ではほぼ100%に近い。

    そういえば酪王牛乳が福島にしかないと知った時はぶったまげた。このブログに書いたのも今年の事で、そう昔のことではない。風習の豊かさとは実に面白いもんだ。それならば味噌汁だって普通にウィンナーを入れることはあり得るかもしれませんね。だって豚肉だし…。沖縄とかどうだろ。百聞は一見に如かず。味噌ベースに出汁と野菜と豚肉。豚汁じゃん。実際やったらいけるんじゃないの??

    というわけで…。やってみたところ思った以上に美味しくなかったというわけです。ウィンナーを噛んだ時に出る油がいまいち。豚肉で作るなら肉の味わいがしるに染み出しているものですが、ウィンナーの場合ほぼ皆無なので、じゅわっと口の中に広がる肉の味わいと味噌汁の味が、全然合わない。驚いた。もっと濃いめの、味噌煮込みとまで言えるような濃度ならばまだ美味しいかもしれませんが、れっきとした味噌汁ではどうも。このようなコンセプトだから出汁をレトルトの顆粒かつおだしにしたのもイマイチな原因だったろうか??

    野菜は人参大根、食前に刻み葱。大根の甘みがウィンナーの風味に負けて、気色悪い甘みに変化している。ウィンナーは「薫香」を選んだのだけど、スモーキーな風味が強い点はマイナスだったろうか。もっとやっすいパサパサのウィンナーのほうが相性が良いのかもしれないが、二度と試すまい、というほどに期待外れで〆。

    続きはデイリーポータルあたりにまかせた。頼んだぞべつやく。