• えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    隠れ家へと至るは

    徒歩にて今の勤務先から自社事務所へ向かう道は、同僚というか上司というかが開拓したルート。電車で向かうならL字型に移動する、その二点をなるたけ直線で結ぶようなルートで、とはいえ、天駆けるわけでもあるまいし一直線なんてわけにもいかないわけで、そこいらの路地をくねくね曲がりながら。

    いわゆるオフィス型の雑居ビルが多いエリアを、大きい通りのひとつふたつ裏となるようなルートで進んでいく。繁華街と言えるような所は通らないけど、ぽつりぽつりと飲食店は見かける。仕事が終わって、帰る前にメシでも、なんて感じで近所に勤めている人々が利用するのだろう。ちらりと覗いてみる感じではどこもまあまあ人が入っているし、やや古びた佇まいは常連客を一杯抱えてもう二十年やってますよわははは、みたいな、安心できる雰囲気。

    そこをただ、移動する為に通過する我々。ひと仕事が終わって、さらにもう一仕事、みたいな、日によっては萎え萎え、日によってはやる気バリバリ伝説世露死苦ではあるけれど、基本的にはテンションも低く、静かに静かに行進していく。昼間に訪れることがあれば荷捌き車などもっとあるだろうし、この地域に住む人の姿もあるのだろうけど、この季節は完全に陽が落ちていて空気自体が静かだ。夏には小学生の姿なども見るけどねえ。

    同僚が空腹を訴える。体重は俺の半分の割にはよく腹減ったと訴えやがる。最近この通りのお店を開拓したいようだ。勤務地からも事務所からも離れた場所を開拓するのか、などとも思ったが、隠れ家探訪みたいでいいやもしれぬ、というわけで同僚の指差す看板にふらふらと惹かれてご来店をキメるわけだ。

    ここ一週間で攻めた隠れ家はラーメン屋とその向かいの餃子屋。ラーメン屋は「本店」なんて付いていたがカウンターのみの6席ぐらいの狭いお店。昭和中期ぐらいから動いてそうな食券販売機はやはり、隠れ家ポイントが高い。食券には番号しか印刷されず、その番号で店員がオーダーを判断している。お水はセルフのようで、入り口近くにコップと古めかしいウォーターサーバがある。一番奥に座ってから気付いたので面倒で水なしで。つけ麺を頂く。麺はごんぶとで大変に美味でありました。その他は全部微妙。でも不味くはないよ、きっと。これが週始めのお話。さて、昨日の餃子は如何。

    こちらは様子を伺うと店内に一人しか客が居らず、カウンターの5~6席のみの狭い店。およよ、どうですかねーと思いながらも入ると、二階にもテーブル席あるらしい。店員は中国系の方であるのは「いらっしゃいませ」の発音ですぐにわかった。自分は水餃子セット。同僚はえびにら餃子セットを注文。しばしぼんやり待つと、ぽつぽつと客が入ってきた。「オマタシマシター」と運ばれてきたものはflickrにあげたのでご覧になってくださいませよ。でけえ。うめえ。思わぬところで満腹になった。カウンターが埋まるようになってお客が来た。明らかに満席なのに奥どうぞ、というので奥にもう一つカウンターがあるのかなと思ったら、端っこの席で飲んでたオヤジがそそくさと立ち上がり、カウンターの中に入って何食わぬ顔でいらっしゃいませ、とかいうので水餃子吹いた。きっとみんな家族なんだろう。で、ここに住んでいる。じゃなきゃあこの規模の店に、性別年齢ばらばらの店員六人はないわー。

    どちらも満足だし、なぜかどちらもおごってもらったので大変に嬉しいが、ここじゃあ同僚から隠れることができんな。住んでいるところに近いと自室でいいって話しだし。むーん。

  • ふでのゆくまま

    どうぶつのつり

    なんとまあ。(いや、釣ってはないけどね・・・。)例えばライオンが水のみ場で待ち伏せするってのは良く知られていると思うけど、あれはきっと、一匹の後をつけていったらたくさん集まってました~うまうま。みたいな感じかな?なんて思うけど、エサを撒いて魚を集めるとなるとなかなかやるじゃないかと感心する。雛にエサをやるあたりから着想を得たりしたんだろうか。地引網とか使ったらたのしいw

    カラスや猿の農作物への被害は昔からあるんだろうけど、今後はいろんな動物の知恵に悩まされることがあるかも知れねーなー。

  • ふでのゆくまま

    あけまして。

    年賀状の返事がひょっこり届いた。あー、受験ねえ。受験の思い出話とか始めると毎年同じなのでやめておく。小学生ぐらいの時に酔ってじいさまがいっつもシベリア出兵の話ばかりで、そのぐてんぐてんな憤りに付き合うのが苦痛だったわけだけども・・・自分もそろそろ、幾度でも幾度でも語るたびにその言葉の端から、堪え切れずに何かが漏れてくるよおな思い出があっても良いんじゃないか、なんて考えたりもした。瑞々しい思い出って良いよなあ。うーん。なにかないかなー。ここぞというときには、こいつを頼りに歩いてゆくのだ。

    座右の瞑。

  • ふでのゆくまま

    現場でおきている

    頭数足りません!ということで、会社の工事部隊のお手伝いに。もろもろ運んで設置して配線してうんたらかんたら。いやー、運動不足がこたえますな。この体型で狭いところに伏せたり潜り込んだりしつつ手を動かすのでつかれるし、配線を踏んづけないようにするから無理な姿勢にもなる。息が切れるようなしんどさはあまりないけど、(そりゃあたまには凄い修羅場もあるだろうさ)じんわりとした疲労が午後より襲い始めて、動きも判断も鈍る。前職場では毎回のようにそうだったんだけどなー。やれやれー。

    とはいいながらも、作業自体は大きなトラブルもなく、順調に進んで、ほぼ予定通りに現地解散。ホント疲れたので、みんなまっつぐ帰路に。普段集金している職場もすぐ近く。その時よりもだいぶ早い時間。休日ということもあって、人の姿はまばらながらも、学生が多く、どこかで入試でもあったんだろうかと思う。でも夕方六時までかかる入試なんてあるかいなー?中野で乗り換え待ち中に電光掲示板がけたたましくバグっており、陰惨な気持ちになるが、その、むこう、空が美しい。

    東京の景色はこの時間が一番綺麗だと思う。日が沈むその時間、茜色と藍色のグラデーションの、えろいことえろいこと。無駄に深呼吸をしつつ、おうちへ、かえり、いま、まったりとな。

    さて、日記も書き終わったし、またごそごそやるかー!

  • ふでのゆくまま

    びゃうびゃう

    電線が鳴っていた。

    この日春一番が吹き荒れた都内、とっぷり陽が落ちた後に外に出ても、冷たさは殆どない。仕事を済ませ月光そぼ降る帰路は24:00をまわっている。空き地に井戸でも掘るような機械が突き刺さっていて、大地がチョコレート状に溶けたような様子を思い浮かべる。あわてて月が息を吹きかけて凍らせる。その固まった大地のかけらが命の証、祝福の絆。電線の鳴る音は故郷を思い出す。正月に泊まりに行った母の実家に吹き付ける寒波。家全体がごんごんと鳴る。電線も鳴り止まず、何処かの家の何かが飛ばされて転がっていく。とても寒くて、重いぐらいにかぶせられた布団にすっぽりともぐりこんで、ふるやかに暖まる、溶かしていく、足を伸ばして、まだ固まっているところにふれて、びくりと足を引っ込める。風の音から逃げる。今は味方がいない!

    冷蔵庫の中身を思い出そうとするのだけど、薄暗い部屋にぽそぽそ漏れるオレンジの光だけが思い起こされて、こころが暖まらない。コンビニでお茶とおにぎりを買って帰り、冷蔵庫を開けると自分が作った蒟蒻と生揚げの煮物が冷えていて、冷えに冷え切っているのだがぷにぷにしていて、月光の祝福が足りないと思ったので庭に捨てた。雲の流れが速くて、これでは今夜は無事には済まないだろうと思って、脱兎の如くに月から帰りついたが我が家、非常用持ち出し袋の緒が切れた。チョコレートがいない!

    あああ、思い出した、この電線の音は、縄跳びで二重跳びが出来た子の。びゃうびゃう。