ふでのゆくまま
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第二回 将棋電王戦 第二局 佐藤慎一 四段 vs ponanza
負けたあああああああああああqwせdrftgyふじこlp;いkyhwせdrftgyふじこl
終局直後、大盤解説をニコニコで見ながら書いております。解説の山口恵梨子女流初段は泣いてしまった。良い勝負で感激した、なんてことはあるだろう。でも、プロ棋士が勝負の結果で泣くなんて、泣くなんて・・・・・・・(´;ω;`)俺も泣いちゃう・・・
途中まで優勢だった筈なんだが、終わってみれば相手玉は鉄壁。攻める手がかりはあったように見えたが。なんで負けたのだろうか。
「敗着」という言葉があって、負けに至った原因の着手という意味なんだけど、今後検討が進むと、あの場面のあの手に替えて、こうすればいけてた、みたいな議論になるだろう。人間同士の対戦だと、実際は起こり得なかった事を話すのだから過程に過ぎない。しかしコンピューター将棋だったらどうだろうか??基本的にコンピューターの思考が同じなんだから、起こり得なかった分岐の再現が可能なんではないか・・・・。
「その棋士は救世主か、犠牲者か」なんて煽り、こうなってしまうと重いね。ただ、恥じるものではないと。
この負けが、どうしてこうも心に刺さるのかなー。多分、負けを諦めきれないんだと思う。飛脚より宅急便が早い、とか、100m走ったら高級スポーツカーが早いとはなにか別なんだ。人間が生み出したゲームで負けてしまうんだからなあ。ま・・・それを言ったら足し算だって引き算だって人間が考えたものか・・・。
あと三局。コンピューターも人間も徐々に強いのが登場していく。
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第二回 将棋電王戦 初戦 阿部光瑠 四段vs習甦
将棋知らないけど興味ある、なんて人はこれから毎週土曜日に、史上最高のイベントが行われているから注目してはほしい。本日その初戦が執り行われ、結果は、伏せる意味もないだろうから書きますと、阿部光瑠四段の勝利。まずは人類の勝利!!!一人で「いよっしゃあ!」とか声に出して言ってしまったのは、ジョホールバル以来じゃないんですか!!!
電王戦の概要を簡単に話すと、コンピューターの将棋ソフトとプロの棋士が「公式に」勝負する五番勝負。本日はその初戦というわけ。このイベントには将棋ファンからはかつてない大変な注目が集まっている。それにはそれなりにバックグラウンドのストーリーがあったりするのだけども、まず一つには「人類vsマシーン」なんてゲームか映画みたいな設定が大真面目に行われていること。熱い。そして、主催のドワンゴと将棋連盟がじゃんじゃんと予算と時間を放り込んで、将棋をニコニコ動画の人気コンテンツにまで育てたこと。関連PVの出来栄えもあまりにも秀逸。
コンピューター将棋はあまりにも強敵です。本気設定になるとアマチュアではほぼ敵わない。全国区の大会で優勝を重ねたり、まだキャリアの浅いプロ相手に良い勝負が出来るレベルじゃないと、勝つことはむずかしい。「ならプロならいけんるんでしょう?」
ここです。
「プロならいけるんですよ・・・ね?」というこの一抹の不安。これがこの上ない緊張感と高揚感を生み出す。
将棋の世界において、プロの存在は絶対。アマチュアとプロの差は圧倒的で、他のいかなるジャンルでも、ここまできっちりと壁が存在するジャンルは少ないのではないかと思える。しかし、コンピューター相手にはどうなのか・・・。もうはっきりと、アマチュアでは無理という結論があるなかで、その壁は堅牢なままなのだろうかと。我々人類は、コンピューターの圧倒的な処理能力を知ってしまっているからこそ、不安がよぎる。そのコンピューターにが一番得意な領域に、データ記録・検索・反復処理といったあたり(←てきとう)に挑む。テンションが上がらないわけがない。
もっと噛み砕くと応援しているチームが大一番で不利な状況。そんな試合を観戦するような感覚つうとわかりやすいかなー。なに。その種目に興味がないとわからんと?いっただろが「人類vsマシーン」だってよ( ゚Д゚) おまへさんは昆虫か?
下記PVも人の生き様が持つべき「事情」を推していて、いかにも「無機質な機械に立ち向かう人々」という演出がされている。これがまた恰好良い。登場するソフトの開発者も煽り役でヒールを演じてみたり、また一方、それを受け流して内に秘め、真摯にその職務を果たさんとするプロ棋士。それを天国で呵々と楽しんでいそうな故米長会長(´;ω;`)
人類に勝利を。
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というわけで自分も煽ってみた。どうしてもソフト側より人間側を応援したくなるわけです。ソフト作る側だって人間なのにね。
でも、こんなん巻き込まれちゃかなわん、って思ってるプロ棋士もいるよな、きっとw まあそこはそれ。
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僧籍の札の東風にはたはたと
財布がなあああああああああああああああああああああい!!!FUCK!!!
などと。気づくのは改札の一歩手前。定期もねえ。踵を返せば後ろの人にぶつかるが進みもできん。すんませんすんません。今朝は確かに確かめずに出てきた。家だ。戻るかー、こりゃ遅刻だー、はわわわわわわわ~~~~。
などと。思い出したりバッグに忍ばせた現金幾許か。助かった。ひっさしぶりに、何年ぶりかに在来線の切符を買う。何年も通ってるのに目的地までいくらかわからない。時間もないので適当に買うが、30秒がこんなに惜しいとはあゝ俺っち現代人の朝に生きてるう☆
まあこんなテンションになるよね、慌てすぎて。実際、新鮮な驚きばかりであった。ずらりとならんだ改札のどこが紙切符通せるところかわからないのでまごつく。降りるときも同じくまごつく。吸い込まれると思ってた切符が出てきたのでまごつく。どうやら高い切符買いすぎて乗り換えですよねって判断されたみたいだ。切符の仕舞い場所にも切符買ったおつりの仕舞い場所にもまごつき、所在無いわ。
この都市のインフラにあってsuicaは生まれるべくして生まれる革命だったのだな。技術的な運用面でも神がかった噂話が聞こえてくるんだよな。一回止まってフリーパスになった日があったけどさw
家に帰ってちゃんと財布が置いてあって何よりも安心した。頬ずりして寝る。愛してる。
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素足で踏むゴムの硬さの春の訪れを告げること
勤務地ではクロックスのばったもんサンダルを履いている。打ち合わせは突然他の場所になるかもしれないので、靴に履き替える。案外、他人の席とトイレぐらいしかサンダルで移動する場所はない。場所はないが、頻度はそれなりに高い。最初は仕事中は靴脱いでたんだけど、呼ばれたりする度に履くのが面倒で、サンダル導入となったのだよ。
どこで手に入れたか覚えてないビーチサンダルを履いて、ぺったんぺったんイワシながらのコンビニデビューしたのは30を過ぎてからでありました。ただビーチサンダルを履いたというだけで、どうにも気分が良い。通いなれた店ということもあるけど、棚からお茶をとるのも心が弾む。
無防備な足元。砂利の上でも歩きたくない。ぼんやりした日常も、装いを変えるだけで強く強く平和を感る。ヌーディストビーチとかキティガイかと思っていたけど、まあこういう心持ちがたまらなく好きであんなことをしているのかな、ぐらいには察した。あの地震の日、新宿ではスニーカーを買い求める人の群れを見た。都心から30kmぐらい歩いて離れたあたりで、何人か足の痛みに耐えて歩くOLさんを見た。津波にさらわれ、辛うじて塀に逃れたが素足のため移動できずに往生する人の姿を見た。あれ以来、職場で地震があると、すぐに靴を履くようになった。靴がないと死ぬ。不思議なことでもないんだよなあこれ。
・・・
寒さも和らいだという確信に、魔窟から引っ張り出してきたビーチサンダルを履いて、コンビニへ行く。足下のゴムからは確かに春のぬくもりと、何よりもその柔らかさが伝わってくる。普段はいろいろと余裕のない靴をはいておるのかと思う。しかし履物がビーチサンダルしかなかったら不便でしようがなかろう。
ボブディランは歌った。「It’s a wonder that you still know how to breathe. 」呼吸の仕方を知ってるなんてマジすげえ。いつか靴の履き方を忘れる霊長類のためにリズムを、ビーサン履いてペタペタと鳴らすものなり。
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隣の芝は美しく輝く
所用で役所にいったら開いてなかった。
とても天気がよいのでそのまま散歩して買い物して帰る、寂しいおっさんの休日である。どこに迷い込んでも帰れはするけど、知ってる道などありゃあせん。暮らしている街のご近所と言っても、普段歩く道は決まっているわけで、一本外れてふらふらと迷い込んでみれば、物珍しいものばかりがならんでいる。どこにでもある交通標識ですら異国情緒を放つといったあんばいだ。空は青い。素晴らしく長閑で、役所が閉まっていたいらいらも溶けていくというもの。切り抜くように硬質な白いプラントが、力強く視界に入ってきた。不躾な。
しかしこれはもしや?
仕事帰りの電車の中から、中空に灯る赤い灯りが、不自然な場所に見える。あの辺りにそんな建物あったかと思っって昼に見ると確かに大きな大きな建物が見えた。電車の中からではそれはだいぶ薄汚れて見えたが、こうして目の前で見上げてみると、空の青さに負けない潔白である。グーグルマップで調べたら、どうも横河電機の建物であるようだ。休日ながらも勤務している社員の人はたくさんいるようで、お昼どきのせいもあって人通りが多い。警備の人もこちらを伺っているので退散。
の道すがら、
不意にサッカーコートが目に入った。何か試合をしているので見物。地元の学校かな、なんて思ったんだけど、フィールドの脇ではトレーナーと選手がトレーニングしてるし、ライン際ではでっかいカメラ抱えた女性が写真撮ってる。プレイヤーもみんな大人だ。草サッカーにしては本格的だし、イベントにしては客もいない。しばらくゲームを眺めながらぐるぐると場所移動してると、YOKOGAWAの文字が芝生に白くかかれていた。社会人サッカーかな?
鳴り物もなく、実に静かである。ボールの音と、選手の声が響く。長閑だ。長閑、という情景が大好きだ。しかしサッカーって実際はこんな叫んで指示を出しながらプレイしているもんなんだな。実に緊迫感があり、輝く芝生の上で神事でも催されているような、厳かな雰囲気すら感じられる。こういうグラウンドレベルでみるのは高校のとき以来なので、つい長居して、前半の終わりの笛とともに帰路についた。餃子と除湿材とか買う。家で調べてみると、さっきのは横河電機のJFLのチームのようだった。
絆創膏が切れたので買う。年に一枚も使わねーだろって前に買ったときに思った気がする。以前買ったのは何枚入りだったんだろ。→二年前だったわ。。。https://blog.mogari.jp/archives/978