社に交わりてアカくなる
何か買ったとか、何か食ったとか、どっか行った、とか、そんなの他人が見て興味持つものかね?なんてふうに昔は思っていたんだけど、実際、他人のそういうブログとかSNSとか物量が増えてくると、触れる頻度もまたうなぎ上りに増えて、その状況に置かれてみると、なんともたいそうおもしろい。「袖擦り合うも他生の縁」とは良く言ったものではあるが、このシチュエーションに於いては無関係もまた一つの関係のカタチという感じがある。どこの誰とも知らないどなたか様の晩飯が失敗しただとか、不正に憤慨しているだとか、そういったものが水たまりに注ぐ雨水のごとくとめどなく、とめどなく。これを、まあそういう言い回しにもできるね、ではなくて、実感できるようになったという点、またいつもの「インターネット素晴らしい」の話です。知らない人だから面白いと感じることがある。知らない人だから腹抱えて笑うこともできる・・・。
んで、まあ、その冷たい水たまりの水面をぼんやりと眺めているとやがて何か香り立つ感情が、ある。この時、俺が飲む茶は旨いし、効いている音楽は耳に馴染むし、財布の中身は潤沢に、ならないのは資本主義の致命的な欠陥だコラどうなってんだ。ブラフマンに宇宙の理を見せつけられたゴータマ少年も、風吹かぬ宇宙に何かを感じたに相違ない。香りが何かを想起させたに違いない。つまりインターネットで悟りは開ける、やった!!
まあコピペで写経を許すような気軽さがこの宇宙にはあってほしいし、また一方手書きの真摯さが微塵も汚されない気風もあってほしい。56億7千万回のコピペが物量により認められるのでもなく、一枚の真言が希少故に美しいのでもなく。人々の生き様や理念が、相反してなお凛としてほしい。その結果無秩序が面白いとかいうつもりではない。そこに成功事例がないこその現世だとも思う。AKIRAに出てきたミヤコ様が言ってたような、宇宙の流れ…いつの間にかなくなった水たまりに、またいつか雨が注ぐ。そのサイクルにカエルが気づく瞬間があったなら。空から見ているから気づいた、ということではなくて、なんかこう、うーん。ゲコゲコ。
悟ったカエルのかいた冷や汗が、ちょっとだけいい匂いがする。雨の匂いを忘れてしまえば、それに気づくと仰せの方々。
このエントリの下書きの最初は「鰻くいてえ」だったんだけどな。んでタイトルが「電気うなぎの夢を見るか」しかしうなぎを食いたいという思いに一点の曇りもない。ある梅雨前の一日でございました。