ふでのゆくまま

  • F.U.C.K.,  ふでのゆくまま

    ぱちんk

    何十兆円産業とか。個人的にいろいろ謎なんだよね。アムステルダムでは麻薬が(厳密には細かい規則で制限はされそうなもんだけど)合法である、とか、そんな感覚に近いかな。自分が部外者ぶって、そんなこともあるよね、って納得しておくか、みたいな。それでもぱちんkよりはアムスのほうが興味あるけど。

    ぱちんk屋の店先に、新台の広告とか出てる。ばんばん出てる。美空ひばりとか冬のソナタとか、やりたい放題過ぎて清々しい。今日見つけたのは「ゴースト」だって。どこをどういうルートで話を通せばそんなの実現するんだろうな。通してないのかもしれないが(笑)ATMを店内に設置するなんて話も出てるし。貯金も全部頂こうってことだよなあ。マトリックスのあの、培養人類思い出すわあ。

    国籍法云々も揉めてたけど、結局は通った(らしい)。テレビ見ないからわからないけど、殆ど報道されてないって噂も聞いた。本当?父親が認知すればOKだっけ?ニートを就業させるのも、子供を教育するのもほっぽりだして、海外から労働力ですかね?自分が生きているうちにクソみたいな差別社会が展開されるんじゃないのかな?実際に事細かに調べてないから、何処がどう具体的に問題なのかとかはわからない。でも、「騒ぎ」になったときに、マスコミよりはネットで情報を求めるべきだなってのは諸々で確信したし。

    世を憂える人間が、政治じゃなく暴力に訴えたときに、それをいつまで否定できるか、正直な話、自信がない。自分だって重い不満を暴力で解決したこともあるし、自分の信念は不確かで、他人の常識との共通解は減っていっている。誰に倣えば良い?霊が一個ずつ失われていくことがこわい。ぱちんk現実世界。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    国分寺でおのりかえ

    国分寺・・・若人の強がりに大人は俯く街・・・アスファルト仕掛けのライ麦畑。白線の内側をお歩きください。返り血色の特別快速。串刺しになってエスカレーターへ、これが大人の嗜み、即ち全体保持。あぶれば滴るぼくのちーしーおー♪さて。電話をかけると、「正しい番号ではありません」とか言われて焦るどころの話ではない。数えたら十桁しかねえじゃないか。コマツタナリヨー。どうすんべ?携帯からtiwtterのダイレクトメッセージは送れない・・・と思う。携帯の番号さらすのもどうか。思わず頭に手をやるとタクシーの運ちゃんがびくっと動きかけた気配を感じて、冷静を装うことにした。しかし寒い。

    しかし良く見ると着信履歴があった。こいつだー。程なくして邂逅。予定の店満員で閉口。ぬううん。致し方あるまい、居酒屋テックな場所を。。。おお、一休があった。担う職務の重さに隔たりあれど、話は弾んだ。

    ところで会員カード作ることにして、料金がいくらかかるとか言われたんだが、それがお会計に乗っていたのかもわからんのだ。確かなことは、そんなカードなど渡されてはいないということなんだが。国●寺北口の一●。やるなあ。見習いたい。

  • ふでのゆくまま

    しぶやでメシ

    渋谷で久々に某と会食。業界の先輩であり、仕事も成功してるので、まあ、参考になる話が頻り。野心を仄めかしておられたのでまた楽しみ。いまならタダで手伝いまっせ、とかいうので地獄を見せてやろうかと思ったが、自分が想定しうるぐらいのは過去に潜り抜けてきているだろうか知らん。マークシティに道玄坂の上のほうから入る入り口があったとは。待ち合わせに少々梃子摺る。そのまま神泉のほうまで歩き、路地の傍らの店でもぐもぐ。うめえ。

    「隠れ家」的なお店を見つけると言うのが、じぇんとるめんのステータスのようなんだけど、最近その理由が良くわかる。やかましい学生の一団とかが来ない店。黙々と思索が天動説。あなや、透ける、透ける。・・・でも、自分は外食自体を滅多にしないし、心当たりはない。ま、紳士にもほど遠いのになにをのたまうか、って。しかし、店でなくても良いなら心当たりは少々ある。隠れ家というか屋外だ。○○公園のあそことか、あのビルの階段の、とか。俺は伏兵か。

  • F.U.C.K.,  fuckyeahinternet,  ううう,  きかいじかけのかみ,  ふでのゆくまま

    心の声をつなぐのは・・・。

    哲学とか心理学。そんな範疇で精神とか心を語ることって少なくなってない?いや、調べもしないで言ってるけど、ニューロンだシナプスだ脳内物質だうんたらかんたら。心とは食いすぎれば溜まる脂肪みたいなもんで、鍛えればむっきむきになる筋肉みたいなもんで、損壊すれば医者になおしてもらうものなんだろ、きっと。心を怪我してしまった人たちは例えば犯罪を犯してとっつかまったりする。どこかで何者かによって手厚く保護、どころか隠匿されていたりする。またそんな状態からどうにかして元に戻ろうと、戦っていたりする。まったく普通に日常を営んでいたりする、俺なんかには全くわからないほどの努力をして。

    車椅子で過ごす人のためのスペースとか、施設とか、あるのが常識、ないなんてそれは社会が壊れてるといわんばかりの手厚さ、自分だって明日車に突っ込まれればそうなるだろうし、支援してくれるような人には全く心当たりがないので、形だけでも道があると言うのはありがたいのではないか、だけどそれにはコストがかかる。税金とか、誰かが力を貸してくれるとか、金を出すとか、細々とした事を手伝ってくれるとか。今、世界が、自分の住む世界が平和であることに具体的に感謝する対象はいないけど、「そう」なったときに棄てられずに済む、まだ抹消登録されずになんとかなる、何処にどれほどの感謝を奉げれば良いのかしれん。いや、実際は開き直って今よりもタフに生きるかもしれないし、現実には周りから善意だけが帰ってくるなどありえない。でも、普通は言葉と心が通じる人々に、その存在に感謝する。することができる。普通は。普通は。壊れているところがないならば。

    死滅病棟 ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路

    荻野君を見たことがある。その、渋谷のマックでUstreamで流された動画を、たまたま、見た。そこに集った人たち(参照記事中で名前が挙げられる人たち【追記:名前出てくる人全員がそのときそこに集ったわけではないようです】)は、誰一人しらない。ただ、参照すべき事例に満ちたブログなどを執筆しているので、そのハンドルネームは知っているとか、そんな感じ。野次馬でしかなかったけど、どんなことになるんだろーねとぼんやり動画を見ていた。カタコト追い出しも見たな。荻野君のtwitterのアカウントも見た。なんかヘンなことかいてんなあ、なんて。それ以降の経緯などは知らないけど、今回の最初もとの記事を読んだら、そういうことだったらしい。

    赤の他人という立場を離れて言うと、個人的に他人事とも思えない心当たりもあって、しんみりした。しんみりした、それだけ。おやすみなさい。

  • ふでのゆくまま

    手に入らない

    読んでみるか、などと思った「日本語が滅びるとき」が都内大き目の書店で探してもない。アマゾンではバカ売れらしい。これは単に便利だからというよりも、amazonでお買い物たくさんする層で話題になったからですよねー、きっと。amazonで買い物しない自分はいつになったら感想文かけるんだ。