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さけ
少し前に、たまに酒を飲むようになったとか書いた気がする。リンゴ味のスパークリングワインとか。で、昨晩はリンゴ味のチューハイを、缶で二本ほど飲んだ。アルコールの風味はやっぱ好きじゃないけど、(でも、みりんとか、平気だなあ)これはタダのリンゴジュースではありませんかとグビグビグビ。これが深夜三時ごろ。九時少しまえ、起きたら気分が悪い。んんむ、今日が休みでよかった。やっぱ酒はダメだ。すすんで飲むのはもうやめにしよう・・・。
ひとまず食事とって、漫画など読んでいたら回復した。洗濯機の裏側の蓋を開けて、まだ修理できる可能性を探す。素直に電気屋さん呼べよという話だよな。でも、開けてみてわかったんだけど、なんか洗濯槽っぽいところにヒビが入ってる。まあこれが原因で調子が悪いかどうかの判断は付かないし、ヒビが仕様なのかもしれないけど、なんというか、諦めが付いたというか。おにうを調達するかー。ヨドバシカメラで偵察したら、三万円あれば買えそう。斜め回転するドラム式のはいくらかと思ったら15万円とかしていた。十年以上使うことを考えれば、その値段の差は、機能の差であっけなく埋まるものなんだろうなー。いや、機能の差なら買った瞬間に埋まるか。じゃあ時間?ま、いいや。それは買わない。
酒が好きではない話をするたびに、それは本当に美味い酒を飲んでいないからだと、何度説かれたことかは。それは多分正解だと思う。都会っ子に田舎の野菜食わせたら嫌いって言わないかもなーって思うもの。実際、そこらのスーパーの野菜は、まったく美味しいものではない。でも、だからって、美味いものを求めてどこかの市場まで行くかと言われると、まさかね、行かないよ。そこらの美味しくない野菜で十分に満足している。酒だってきっとそうで、月の雫とかそういうお店のカクテルで、十分にお酒を飲んでいるって気分になる。コンビニの缶チューハイも、味はともかく、寝る前に飲んだら起きて具合が悪かった。ほうれ、酒っぽい、酒っぽい。ご近所に適切価格で美味い酒が買えるところがあったら、自分ももうちょっとは酒が飲める人間になったのかもしれん。洗濯機だってそうだ、乾燥機付きの洗濯機なんて使ったことないけど、不便などあるものか。足りている。素晴らしい。理想のケツなど追ってたまるかと。てめーら%#%&”#は一生&#&%だばーか、けっ。酒もってこおおい。
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タワー
タワーリング・インフェルノだったかな。高層ビルの火災の映画。バックドラフトっていうのもあったねー。もう昔の映画だから、細部は覚えていない。→ネタばれなので見難くなっております→貯水タンク爆破して火を消すのはどっちだっけ?
はてさて。三鷹駅北口にもお隣、吉祥寺に負けまいとクリスマスなイルミネーションが出来たとのこと。もちろん、その評判は芳しくなく、実際に足を運んでみると、雰囲気的にも物理的にも浮いている電飾の線が、樹木に引っ掛かっているという按配で、真ん中のメイン?の飾りが緑一色で、カキ氷のメロンじゃねえのと、うーん。・・・。周りが静かなんだから、もっとしっとりとやれば良いのに。
遥か頭上に。もりもりと建築が進む高層マンション。アレができたらこのあたりも変わるのだろう。不景気だなんだと言っても、クソ田舎から東京に出てきた自分は発展しか知らん。昨今の政治のヤバさ、どれほどの不幸を齎すことになるやも。こわいなりねえ。
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ぐるぐる
ぐるぐる(@@;
ここ一ヶ月ほど、ぐるぐると仕事でてんぱっていたら、十二年ぐるぐるし続けた洗濯機がそろそろヤバイ。うちの家電どもは全く屈強なもので、唯一脱落した非日本製のテレビと、雑な扱いで使用頻度の高かったIH調理器以外、揺ぎ無く日々の暮らしを支えてくれている。ありがたい。幸せすぎる。ところが流石に・・・。うーん。久々にコインランドリーのお世話にならねばなるまい。思えば、何か隠れ家的な作業場が欲しいみたいなことを以前書いたけど、こんな形で一時的にでも実現しそうではある。洗濯から乾燥までやったら、小一時間ぐらいにはなるだろう。ノートPCでも持っていって、なにやらもそもそして時間を潰すのも良い。災いぐるぐる福となす。ほほほ。冬じゃねえか。クソが。
現実的に考えて、買い換えないといけないわけで。これ書いている時点では修理で済むかどうかわからない。排水の途中でエラーになって止まってしまうので、排水の機構がどこか詰まったりしているのではないか。相変わらず日付変わる頃に帰宅な按配で、どたどたと大騒ぎしながらいじる訳にもいかず、週末を待つ。連休だし。休日出勤だし。クソが。
忙しいとネタにして笑える些細なトラブルに対して酷く攻撃的なリアクションをする。ブログの文体ぐらいならどうでも良いが、つい世間様其処彼処に牙を剥くと、こてんぱんにぐるぐるされてしまうので、早く穏やかな心を取り戻したいぐるぐる。
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ホワイトボード
amazonとかコンビニとか、便利なものは裏方が苦労する。悲壮だと言って良いケースもあるだろう。労働力を表に出さないだけでは産業革命は起こりませんよ。IT革命は知らん。などともにゅもにゅのたまっていたら、amazonから品物の届くのあり。段ボールにDVDと、チラシが入っていた。あえて外したのか嫌がらせかと思うほどに縁遠いチラシ。amazonのwebサイトのお勧めアイテムやらなにやら、あの高度なシステムはいったいなんなのだ。単に発送順にざざざざと入れてるのだと思うけど。
ホワイトボードを買って来た。A3ぐらいの小さいのを、マグネットなどを使ってドアに取り付けた。このドア一面を二番目のdashboardにいたしませう作戦!仕事も趣味もパソコンつうわけで、生活の殆どをPCの前で過ごすようになった。独り身だから家事のときは離席するけど、これで何かの手違いで家事のできる嫁さんでも貰ってしまったら、マジで動かないんじゃないかしら・・・。用事が済んでしまうのだから効率的だ。すごい。IT革命来る!でもなあ、それは良くない。二足歩行の霊長類的暮らしではない。みさらせ、身の丈ほどの高さに燦々と下らぬ用事が書き込まれる様の仰々しき。
まー・・・・サイズも大きくないし、買い物メモぐらいしかないんだけど、この、立って字を書くことも新鮮で、それなりに楽しんでる。それ以外にもマグネットと壁掛けポケットみたいなものでいろいろ取り付けた。外に向いている方は鉄のドア、内側は賑やかにいろいろ貼り付けてるって按配。どこのご家庭でもそうなのかもしれないけど、妙に象徴的な裏と表、内と外であるのこと。
「amazon受け取り」とか書かれているのを見ると、何か違う・・・と思わなくもない。
夜更け。白い雲がじっと浮かんでいるのだけど、白く見えるのは地上の光が届いているからだと思う。違うのかな。いつだったか静岡に仕事に行った帰り、東名高速道路を走っていると不意に開けた目の前に、煌々と光の帯が続いているのを見て凄く、凄く感激したのを思い出した。近所のアパートの部屋から漏れる光も、全て全て美しいなり。日光を最近浴びてないなー。一日なんもせずに光を浴びたい。そんな予定を、ホワイトボードに書き込みたい。最近の夢はそんなところですかね。
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久々に読書:twitter社会論
文字が!文字が縦にならんでいる!
という新鮮な驚きを表現しようと思ったけど、たまに読む漫画は縦書きでありました。しかし、読書を全然していないというのは本当。ブログやらなにやらをもりもり読んだり書いたりしてはいるから、文章自体から距離を置くことはない。でも、一年か二年ぐらいは自分でこういう本を買って読むなんてしてないんじゃないのかなー?本ってこんな軽くて小さいものだったのねうふふ。
twitterとは、このブログの→のほうでなにやら動いてるあれ。どうのこうのと解説めいた話は検索すればいくらでも出てくるけど、インターネットを余り使わない人は、始めるまでは全く意味がわかりますまい。この本は、そのtwitterというwebサービスを真面目に淡々と陳述していく・・・。自分も二年ぐらいは使っているはずなので、本書で引用されているtwitter絡みの出来事とかも、「あー、あったねえ」なんて感じで思い出す。ボンベイのテロのとき、中国の地震の時、秋葉原の殺傷事件の時・・・は自分は外出中だったけど。直接twitterとは関係ないけど、googleが壊れた件も個人的には印象深い。自分が気付いてtwitterに書いたら、他にも気付いている人は大勢いて、てんやわんや。そのてんやわんやも、シリアスなものじゃなくて、「何かヘマこいたのだろう」という楽観的な空気まで感じられたものだった。この本では全く触れられていないけど、個人的にはgoogleの件が一番印象深いかもしれない。
この、「同じ時代を過ごしましたね」的感覚を、現世の時間よりは幾分か早送りした速度の時間軸(=TL:タイムライン)で共有できる感覚が、twitterの面白いところ。mixiではこんな感覚なかったな。何かしら知人である理由が必要だったろ、あそこは。で、自分も著者の津田大介氏も当然twitterユーザーであって、となるとこの本を読んでいる感想は、和やかな感じの酒席で、慎みを持ちつつ、思い出話に花を咲かせ、かつ、真面目にその事象に意見を付与している・・・みたいな。おお、そういう席は好きだ。著者との間には、リアルライフでは全くつながりはないけど、共有するものがありましたよ、と。
という書き方すると、結局mixiみたいにお友達ツールって印象になってしまうのかな。本の内容自体はもちろんtwitterやってない人にも伝わるように丁寧に書いてある。実社会での利用事例や、それに関する考察など、実に隙がない。けど、ユーザーとして参加した時の雰囲気は、実際にある程度使わないとわからない。まあそりゃそうだ。やってみる?
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で。この本、初めてamazonで買った本ということになる。僻地に住んでるわけでもあるまいし、書店でも結構置いてあったけど、まあ、新しい社会論の本を、新しい方法で買うのも良かろうと・・・。いや、いいきっかけになりました。