うぇぶのほそみち

更新頻度あげたいですね。

特段の事情がなければ一週間も開けば怠慢でありんす、すいません。ある物事の不履行に際しまして、世間一般では「身内の不幸」なんてのが定番の言い訳ですが、そんなことやってると「君の祖母は毎年身罷るのかね??こらっ。」「あ、いや、あのう」などと筒井作品の一場面になってしまう。のとは対を成して、PCが死んだというのはいくら死んでも死に切れず、何度でも蘇っては死ぬと言うことで、言い訳としてはすばらしく便利!!!

だったのはもう昔の話、いまどきどっからでもインターネットはご利用可能でありまして、勤務先からブログに書くぐらいできるし、携帯から簡単なメッセージを投げることもできるのですよ。だいたい、PCをすぐに再稼動できる準備をしておかないのも怠慢でありんす、すいません。いや、こんかい自分のは死んでないけど。

ともすれば、唐突にある人のweb上での更新がなくなった場合は、真面目に身の上を案じるのが昨今の風潮。これは当然のこと・・・。近所の老書道家(や、単なる爺さんの趣味であったのかもしれないが、自分の中では書道家ってことにしといた)の作品が自宅前のショーケースに飾られていたのが、最近取り払われてしまって、空っぽのまま暫くになる。見た感じかなりの高齢であったようなので、残念ながらそうなのかと受け入れるしかないわなー。

自分だったらどのぐらい姿を消せば、「ら。はどうしたんだろう?」なんて心配されるんだろうな。「便りがないのは良い便り」ってえのはもう今の時代には無理があって、返事がない、それは本当にただの屍になっている可能性が高い、高すぎる。

インターネットもやはり既存インフラに乗っかっているわけだ。いつかあったみたいに、広域停電にでも巻き込まれれば使えなくなる。けれど貴方がメールの送信でもブログの更新でも良いけど、する意思があったとして、国内で普段どおりの生活をしながらも一ヶ月以上の長期にわたり全く更新できないって、想像つく?

おお、いるなあ、って確認するだけでも心安いならば、やっぱりインターネットを使うと便利なんだと思う。ブログが更新されているなあ、とか、チャットツールにログインしているなあ、とか。

前置きおしまい。その、空っぽになったショーケースをみて耐えられなくなったので、実家の親をインターネットに召集することにした。PCを贈った。つうか手渡した。あとはプロバイダーと契約してくれればそれで良い。いまどきの新規契約ってどうなってんだろうか。自分のときはゲートウェイの設定とかのマニュアルが付いてきて、当然ながら全く意味もわからずにDSNのIP設定した記憶がある。

いまだに一人立ちとはいえずに日々を暮らしている自分が、ようやく両親に対して自分の「暮らし」をお届けすることができる。せけんいつぱんで言うところの、両親に結婚を考えている恋人を紹介するとか、そういう感じ。親から何を受け取ったのか、正直わからないんだけど、いまフィードバックを送る準備が、少しだけできた。

でも、その時間が余り長くないんじゃないか、ってことも少しわかった。

2件のコメント

  • いしにょ

    あれ?歩兵の?あのブログは既に削除しておりますが、ここではゴツゴツ飯ネタかいていきますよー。

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