ふでのゆくまま

whole into infinity

身のほどを知るには高い壁に当たるだけでは足りませぬ。深い穴に投げ落とされ、その底に両の足でただ立ち尽くすのです。

昭和の風情というのはそれだけですでに日々の希求であり郷愁であり暴利であり。風に吹かれた灰と水に浮かぶ髪の、行く先を違えながらも、同じ深さに産声のあるように。

なんともオツな佇まいをしておった店が、いつしかシャッターが下りたままになり、外れた雨どいなども直されぬままとなり、雨宿りもできん軒先、が、取り壊されて放置されることひと夏、どうやら何か新しく建つようで、囲いが出来、草が刈り取られ、資材を積み上げ、おお切りたての材木の匂いに秋の夜長をうっとりとさせたまらんなげひげひ、

やがてイナゴの単騎で飛ぶが如くにしずしずと唐突に小型ショベルがガコガコと穴を掘り始めた。なんだかつげ義春の漫画みたいな倒錯したふうけいだった。あれが高度な仕組みで制御されているなどとは全く以って思えない。ねじ式だったりするんぢゃないのか、ごががががががが。月が綺麗な夜に、パワーショベルはなくなっていて、土台にセメントでも流し込まれていて、、ああ大体家の形がわかるね、なんて吹き出しつきで独り言を言ってもみたい頃合、深淵が縦に展開されており戦慄し。

なにごとだ。

穴が深い。ぱっと見では三メートル、いや、もっとあるのではないだろうか。その区画の一杯に、穴が掘られている。意図はあるだろう。だけど、区画一杯、ドカ弁のように掘られているのだ。虐殺された民族衣装が並んで埋葬されている動画を見たばかりで非常にこわくなった。この無造作は人間にありえる所為なのか。あのパワーショベルは案外本当に子羊のラッパで進軍してきた青い馬なのではないか。ああああ。

簡単な囲いの、おそらくはパワーショベルが通った、鉄板がひいたままの場所は、その柵の目がゆうに1mもあり、中に入ろうと思えばすんなに入れる。ただ、中=穴の中なんだけど、この場合。・・・入りてえ・・・。唐突にこの穴の中に降りたくなった。子供の頃畑に闖入してトマトを潰して怒られた頃の、あの好奇心。あそこを歩いてみたい。

・・・ちぇ。

ここ最近、その穴が見たくて帰る道を変えている。もう十年以上もあまり陽の射さない家に住んでいる。暗がりには希望をかんじてやまない。

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