ふでのゆくまま

見知らぬが仏

歌声が追いかけてくる。

ここ数年、歌いながら自転車で走ってる人多くないですか。鼻歌まじりなんて言い回しもありますけど、もっと本格的に歌唱しているような方々、見かけませんか。日が落ちてからと、日が昇る前後の明け方にお散歩の機会が多い自分には、このシチュエーションはちょっと怖いのよ。大丈夫かなと身構えるような事もなくはないのよ。不安を覚えながらも、知っている曲かな?と耳を澄ませるこころを何と呼びますか。あー…考えてみれば真昼間のほうが怖いか?

で。

その日も夕暮れにスーパーまでお買い物に出向いておりますと、後ろから微かに歌声が近付いてくる。こりゃまた大きな声ではっきりとした歌唱ではあるものの、何を歌っているのかはわからない。近づいているのだろう、徐々に大きく聞こえる。日本語っぽいかなあ。前方の信号は赤。歩みを止める。既に一台、自転車が車道の路肩に停まっている。こ…これはもしかすると…信号が変わるまですぐ隣で聞こえないフリをする時間帯が訪れるのか。知り合いじゃありませんよの顔を思い出していると、一台の自転車が「静かに」停車する。ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する、とともに、お隣りに停車した自転車を確認する。距離が近くて怖いので、乗ってる人物は見ないように努める。ロードバイクというのだろうか。ツールドフランスで選手が乗ってるような、前傾姿勢になるアレ。そんなタイプの自転車のようだった。

歌わんのかい。穏やかに心でツッコミを入れる。応答はない。あってたまるか。すると、静かで穏やかな緊張感のなか、どういうわけか、自転車が止まると歌声も止まることが、凄く当り前で自然な事のように思えてきた。ツッコミを入れてはみたものの、この状況にそんなに違和感を覚えない。きっと、他の歌声ライダーも同じことをしているんじゃないか?と考えた。確かに、この方々はあんなに目立つことをしながらも、面と向かって歌声披露したいわけではないんだ。自転車で通り過ぎてどこかへ行ってしまう知らない人だからこそ、街を行く人々とどうにかお互いに受け止めることができるシチュエーションなんだと。ということはもしかして。歌いながも家の近所までやってきたならば、あ、青になった、歌うのを止めるのではないか。知り合いの姿でも認めたら、歌うのを止めるのではないか。これらが、凄く当り前のことだと思えた。この人たちは、ご近所にお住まいではないと推測する。遠く遠く、一時間ぐらいの遠く、知り合いも住んでいないのを確認して、街で知る人のいない流れの者になりきったあたりで、声が出るんじゃねえかなあ。キリストが地元の街に来た時のエピソードを思い起こす。またあるいは、キッズと一緒で歌いたいときに歌が出てしまう人だ。自宅の玄関のドアを通っても、そっちの方向で振る舞いが変わらない類の人だ。

同じ町に長く住むと、よく利用する店舗の店員の顔を覚えたりする。それでも、制服を着ていない状態でその辺ですれ違ったりすれば気づかない事のほうが多いんじゃないか[要出典]歌声ライダーの諸兄もきっとどこかで目にしているかもしれない。あるいはこれから訪れるスーパーの…

歌声が追いかけてきた。声は止まることなく、ロードバイクが自分を抜き去っていく、その背中には著名メシ配達サービスのリュック。これが絶妙に怖いのよ…。


「UberBeats」って記事のタイトルにしようと思ったら、すでにいっぱいあった。

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