ふでのゆくまま

春樹を知らない子供たち

というわけで村上春樹を読んだ事ないわけですが、人気作家であるということしかしらない。文学というか、小説をもう二年ほど読んでない気がする。思いつかないんだから読んでないのだろう。お気に入りの作家だと思っている平野敬一郎も、実際のところ「日蝕」と「一月物語」しか読んでない。人気作家というか大御所になると、どうもどれ読んでも同じなのかしら、的な詮索を始めてしまって、あまり気が乗らない。そんな中で宮本輝は気に入ったっけな。なんでだ。

そこに文体、とかいう概念があるわけで。文章を書く人間にとって、他者と同じ事を書きながらも無遠慮に無尽蔵に個性を洩らし続けることのできる、まぶたの裏で燦々と輝く神のカンニングペーパー。かみだけに。もし、自分が読んで面白いと思うかどうかが、文体にかかっているなら、読まないことには把握できないではないか!嗚呼!めんどうくさい!

なんて考えているころに、コトノハなんてサービスに加入してひとしきり遊んでみて、文体を通して中の人のキャラクターが見えるというのは、果たして素人なのか玄人なのかと。あ、読むほうじゃなくて書くほうが、ね。

検索したらこんなの出てきた。・・・わかんねえ。こういう解釈が嫌いで文学部をやめて法学部にしたんだった。そっちも大失敗だったけど。作品のある部分の、あるいは全体の意図など本人の口から出たもの以外信じられるわけ無い。

では、俺がお気に入りの作家なり画家なりを推薦するに、どうすんだろう。つげ義春、ベクシンスキー、PainOfSalvation・・・・どうするんだろうな?

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