ふでのゆくまま

ゾルゲの墓

天気の良いある日、ふっと思い当たって多磨霊園に足を運んだ。ふと思い当たって、でなければ足を運ぶことはないと思われる。親戚が埋葬されることもないだろう。あえて可能性が一番高い親戚は…自分かな。ここは自ら下見をしておくか。無駄な思いあたりと実践である。さて、地図で見る限り、阿呆みたいに広い。多磨駅を下車して、霊園を目指す。道中に何件も石材店があり、墓石を売っているようだ。墓前に供える花を売っている店もあった。例えば釣りの名所に釣具屋があるみたいなもんだろう。墓地への通り道であるからして、そんなに驚くようなことではないのだが、その規模が窺い知れる。ふむふむ。ふと、広大な墓地であるからには、ちょうど葬儀後の納骨などしている可能性もあるわけだ。墓地って本来は呑気におさんぽするような場所ではない。不安になるが、ま、出くわしても距離を置けば大丈夫だろうと考え直す。

到着。谷中霊園は通り抜けたことがあるが、ここはもっともっと広い。地図で見ると数倍はある。区画がきっちり整理されていて、新興都市の地図のようでもある。霊園では、「清掃用具を貸し出しますので管理事務所まで~」なんて放送も流れている。「不審者に注意!」なんて看板もあり、管理が行き届いている感じがある。どうみても不審者な自分はやはり気まずさを覚える。花も線香も持ってないし、肩に下げたショルダーバッグの中身はカメラだ。警備に声でもかけられたらどうすっかなあ…とややオドオドしながら歩くと、ごっついデジカメを堂々と構えて写真撮っている先客がいたので、まあなんだその、大丈夫そうだなと。

しばらく当てもなく歩いてみる。ここに墓を建てるのに幾らかかるのだろう。どこも立派に見える。富裕層の、あるいは古くからこの辺に住まいの方の墓所というわけだろう。時折、墓石に十字架が掘られていて、墓碑にマリアXXXXと掘られているものがあったりする。墓石が横倒しになっているものがあって、震災以降放置されているのか?とぎょっとするが、そういうデザインなのだろう。流石に近寄って眺めるほどの勇気もなく。名刺入れというものが置いてある墓も多々あった。初めて見たので驚く。後で調べると、そこまで珍しいものではないらしい。お参りに来ましたよ、という連絡替わりとなるんだろうなあ。合理的な話ではある。どうみても妖怪ポスト的な風情で面白い。

その一方で、草ボーボーという墓もあった。墓石が殆ど見えない。その区画の前には、管理事務所の名前で立て札がたててある。読むと、一年以内に連絡がなければ無縁墓地にして処理しちゃうよ?という意味のことが書いてあった。高い金を払って放置するとも思えず、どんな事情なのだろうと想像する。関係者がみんな亡くなってしまったのだろうか。親族もみな遠方でわざわざ訪れはしないような状態になったんだろうか。墓であるからには、一般的には納骨されている。無縁墓地にして処理、とはどういう処理なのかわからないが、訪れる人のなくとも死者はそこに眠るというのに。寂しい話だ。

ふと、日本語ではない言葉が書かれた黒い墓石が目に留まる。故人の写真と思われるものが掲げられている。外国人だ。黒い墓石には「妻石井花子」と掘られており、写真を見るべく近づいてみると、手前のグレーの墓石には日本語も彫ってあった。リヒアルトゾルゲ。……!?戦時中のスパイではなかったか。映画化なんかもされたはず。テーマ曲がStratovariusの曲ってことで覚えがあった。

このように広大な墓地だと、そらあ何かしら歴史に名が残っているような人もいるだろう。(帰宅後に調べたら岡本太郎夫妻の墓もあったようだ)ゾルゲの墓にはまだ瑞々しい献花がある。現在もソ連駐日大使館の人間が墓参しているのだそう。調べてみると、彼の諜報活動により、ソ連は日本軍への備えを西部戦線に転向、それを契機に独ソ戦に勝利した、ということらしい。ソ連にしてみれば英雄ということにでもなろうか。その後、ソ連は突如として日ソ中立条約を破棄して北方領土に侵攻してくるが、それはゾルゲが日本にて逮捕・処刑されてから数年後の事となる。墓碑銘にはこう刻まれている。

「戦争に反対し世界平和のために命を捧げた勇士ここに眠る」

なんとも、かの政治思想に都合の良いことを言っている。しかしながら、どこかの国英雄が、どこかの国では石を投げられるというのは、あたりまえの事かもしれず、逆もまた然り。何回も思い出す。911テロを報じるニュースで、崩れたビルの映像の後に、歓声を上げて喜ぶ人々の映像が流れてきた。Go to hell americaとかかれたバンダナを巻いて佇む女性の姿も。見る人によって歴史の複雑さ、その切れ端というものは、こんな墓碑銘にも残されるものであろかしらん。

日本はWW2以降は戦時下にはない、というのが客観的に見ても事実なんだろう。そら朝鮮戦争とかあったけど、昨今はテポドン飛んできても普通に出勤したし。一方で、映画やゲームに観るような諜報戦的なものが現在はどこでも行われているというのもまた、事実と言って差し支えない筈だ。それはなにも直接的なネットワークやシステムへの攻撃だけにとどまらず、例えばメディアを通じてのプロバガンダ的なものなど悪意を込めて拡散されるようすを見て取ることもできる。何かが爆発したとか誰が死んだとかでは語り切れない、戦争も平和もそのありようの複雑さに背筋の凍る思いがする。

ゾルゲの墓は、無縁墓地とはならんだろう。もはやなんらかのモニュメントである。あの国のやることには、領有を主張しかねない。墓の一つで政治的にもなんなら軍事的にも意味があるっつーなら、そらあ足を運ぶぐらいする。ま、ロシア政府が建てた墓ではないとされているが…。シベリアで命を落としたいわゆるシベリア抑留者の遺体には、草地となりゴミが不法投棄されるがままの土地に眠ったままのものがあるそうな。抑留者の会などの活動も、近年は閑散としているようだ。(※ネットを漁ってみた程度の感想です。)

数千の墓石を、ただ石ころを眺めた、ある夏日の昼下がりで御座いました。

おそロシア。

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