ふでのゆくまま

ほっとけ

インターネッツのどこかで読んだ話である。例によってうろ覚え、真偽は気にしていない。

船が転覆し、海に多くの人が投げ出された。と、そこへ、人々の求めに応じるかのように仏が突然現れた。仏は人々を救うべく、その手を伸ばした。さて、仏が最初に救ったのは誰だろうか。…答えは、いちばん近くに浮かんでいた人。

小咄のようにも聞こえるし、何か深い意味があるようにも思われる。手を差し伸べて「救った」と「掬った」をかけたギャグのようでもある。仏is神asGODなんだから、みんなをふわ~~~って陸地まで飛ばすこともできそうだ。金魚すくいみたいに掬って救ったって?どうも、これは神SUGEEEEという寓話ではなく、説法めいているというか、何かを示唆しているようだが、なんだろうな。近くから手を差し伸べるということは、自分の順番が来るまでは頑張れって言ってるのかもしれないし、助かるのは一番近い一人だけだということでも話の筋は通る。仏の救いはベストエフォート型で提供のご案内なのか、はたしてVIP専用サービスなのか。

たまたま近くにいました、というだけで助かるの助からないの、信心深い人からすれば不条理に思わないだろうか。なぜ私を助けてくださらないのか、と嘆きながら沈んでいく人がいるかもしれない。救いは必ずあるのではなかったか。「まあまあ、旦那様、それでも地獄には落ちやせんから」

現世には期待することがないという心構えなのかな。ただただ、地獄へ落ちるのが怖いという思いか。自分のようなものでも、地獄が本当にあれば嫌だし避けたいと思うし、神が本当にいればその顔色うかがって生きるかもしれない。地獄も神も、どちらも無いというのが揺るがぬ真実であるから、われわれはただただ、溺れてゆくのでありました。

すると水底には豪華絢爛な宮城があり、一匹の亀が此方へ向k

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