ふでのゆくまま

銀翼の再発明

正月休みのうちから今年は始まった。24:00を回ろうかという時刻、駅に向かう道すがら、通りには人っ子一人いない、と言いたいところで、思いがけず、電動車いすに乗った方とすれ違ったのだった。

そのようなシチュエーションであるからには通りは大変に静か。見慣れる様子で近づいてくるそれが車いすだと認識してすぐに、車いすのモーター音も耳へ届く。だいぶ距離があるが、モーターの音だなと把握できる程度にはっきりと聞こえてくる。人も車も少ない、どころか自分とその方以外にはいないような状況のためだろうか、結構な速さで走らせているようにも思われた…なればこそあのようなモーター音もいっそう響いていたんだろう。こちらとすれ違う時にはややスピードを落としたようだ。振り返り見送ると、速度を落としたまま角を曲がり、住宅街の暗がりへ消えていった。走行音はもう届かない。

一月三日の深夜24:00近くに車いすの方が一人で走っているという、非日常な感じは感慨深く。今年はどうなるだろうか、なんて思ってみた。これから出勤である。翌日、というか当日の夜は運が悪ければ20:00ぐらいまでのお仕事だ。そのこと自体は一カ月も前から決まっていたことなので今更不平は言うまい。しかしながら、悪い予感ばかりしていた。結局その悪い予感は大当たりしてしまい、一週間ほどなかなかハードだったのだが。こっちもモーターが鳴りっぱなしでおま。ギュンギュン。

はたして振り返るに、今年の冬は雪が多かった。ふとあのような雪の日には車いすの方々はどうされているのだろうかと疑問に思う。車いすにスノータイヤなんて聞いたこともないが、どんなタイヤだろうと車いすでは雪の中では移動など出来そうにない。雪を掻き分けて進む様なパワーが普通の車いすに備わっているものだろうか。パワーが足りなすぎるんじゃないかと。

「車輪の再発明」って、よく耳にする例え。既に出来上がっているものを積極的に利用していくべきである、という考え方の一環で、わざわざ車輪を発明するようなコストをかけるなというような戒めである…あってます?雪の日に車いすはどうするのか、という点でもなにかこう簡素な発想で対応ができたら良いのだが。

ネットで検索すると、そりに載せてそのそりを他の人が引いていた。そりゃそうだよな。水の上を進もうとすれば車いすごと船に乗せる。そりゃあそうだよ。でも一人ではいかんともしがたい。タイヤの付け替えもちょっと一人ではできそうにないもんなあ。そんなことを考えて、雪どころか雨の日でも厳しくないか?って思い当たった。

車いすの方が雨の日に傘さして移動している所を見たことがない。カッパ羽織っているのは見たことがあるが、着るのも畳むのも大変そうだ。もちろんいろいろ工夫の余地はあるんだろう。

車いすでバスケとかテニスとか、正直無茶な事するなあって。スポーツだから無茶が出来るけど、ああいう競技をこなす人だって階段とか絶対むりでしょう。

では、車いすのほうを新しくするのでは。例えば風防付ければ雨は平気だろうか。でも乗り降りが大変そうだ。では、街を新しくするのはどうだ。車いす専用のインフラに溢れた街…というのもどうなんだ。街を一歩も出ることが出来ない、なんて状態では住みたくないだろう。では、人間の体のほうを新しくするのはどうだ。地球を変えれば都市部に雨や雪がなくなるな。水源にだけ降るとかいうこt

いつものくだらない話の流れになってしまった。こういう下書きを2カ月も放置しているから、本当に雨の中車いすで移動中の方を目撃する。寒さも緩んだ夜に、しとしとと雨の降る通りを静かに進んでいる。自分の手でタイヤを回して進むタイプだ。こちらも仕事からの帰路なので、夜の闇に紛れているが、カッパを着てはいるように見えた。髪と耳が見える。フードを被ってはいないようだ。首から上はかなり濡れているに相違ない。そのままゆるゆると暗い歩道を進み、角を曲がり、住宅街の暗がりへ消えていった。ん?もしかしたら年明けにすれ違った人と、同じ人だったのではなかろうか。

足を失った分、手でも増えればいろいろ捗るだろうか。なんなら銀の翼でも12枚ほど?そんな筈ないんだよね。経験ないからわからないけど、叶うならばもう一度足を、ってなるものではないだろうか。…生物は進化する、という考えでは、人類も遠い未来にその姿かたちが変わっているらしい。宇宙人みたいなデカい頭に退化した足、みたいなイメージ図を見たことがある。いわゆる原始人とか、そういうのと比べたら、今の我々も姿かたち、骨格は変化したと言えるのではないか。何かのアクシデントや長い時間を経て、魚は海から陸にあがったらしい。だったら同じだけの時を経れば未来の我々のすがたかたちもあるいは。

いつか自然の摂理がそういう変化をもたらす。変化が間に合わなくて死滅なんてことになる前に、文明でもろもろカバーしてきたし、しつつあるというのが現代で…例えば気象条件が著しく異なる場所でも衣類でカバーするとか船を浮かべて水の上に暮らすとか…。次なるフロンティアの宇宙での生活が始まったらどうなるだろう。今のところ、地球を模した環境を宇宙に用意しているけども、ある時に宇宙に適合した進化を遂げるんだろうか。空間で生きるのは如何にも無理だろうけど、重力が地球とは異なる世界に生を受ければどうなるか…。何世代も何世代も。そうなればどこかで人間は再発明されたことになるんだろうか?

何年も前から、宇宙へのあるいは特定の惑星への移住ってSF草子に花を添えるストーリーであった。技術的な観点で実現できそうになりつつある気もするが、地上の現実は、足の機能が喪失してしまえば雨雪に対応するのも難しいってわけで。これははっきりと格差だよなあ。次の人間の居住地では、こういうのもっとえげつなく広がるのだろうか。ゼロから都市を作ろうというのだからそれはもう文明と歴史の再発明になるし、差別と戦争の再発明にもなるんだろう。

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何が書いてあるのか読み返してもイマイチ意味がわからないが、再発明って言いたかったらしい。頭の悪さがここまで出てしまうのも個人的には面白い…。なんかオチを思いついた筈なんだけど完全に忘れている。まあ車いすのくだりが事実なので印象深く、ボツにせず記録に残しておきま。ギュンギュン。

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