ふでのゆくまま

祖父の葬儀へ

祖母が亡くなった時に、初めて弱弱しく狼狽えている祖父の様子が深く印象に残った。俺もすぐに行くぞなどと言い出して、まあどうしたものだか…こちらも輪をかけて狼狽えてしまった。五年になる。

祖父が亡くなった。一個前のエントリに書いていたが、この日も休日だった。祖母の時は土曜日で、すぐに帰ってきてほしいと父が言うからすっ飛んでいった。無計画な行動は恐ろしい、月曜にはいったんこちらに戻り、普通に仕事をして翌朝またすっ飛んでいった。今回は母から事前に連絡があり「どうも様子が良くないと病院から連絡があり、一旦すっ飛んでいったところで、もう長くはない」と連絡を受けた。いや祖母の時も入院していたしそう長くはないと覚悟はしていたのだが…。今回はやや冷静に、身支度や着替えの準備、諸々の予定の調整などをして、流石に身罷るまで側にいるわけにもいかず、亡くなったらすっ飛んでいくのだろうとすっ飛びルートを確認していたら、そのまま亡くなってしまった。

すっ飛んでいっても日が傾き、沈むほどの距離を経て暮らしていることを、こういう時にしみじみと感じる。いや3-4時間ほどでなんとか到着しますが、今回も月曜日に仕事をしてから帰省となった…。こうして3月11日は祖父の名で上書き保存された。これにて祖父母を4人とも送ったが、命日など一日も覚えていなかった。ここでようやく忘れ得ぬ日を得た。誰かの誕生日とかもほぼ興味なくて覚えないが、こればかりは忘れることもないだろう。

あの日に感じた、距離と時間のリアルな長さ。家族全員の安否も全くわからないままに夜を6時間ほどかけて部屋まで歩いた日、亡くなった家族に会うために快速と新幹線乗り継ぎすっ飛んだこの日。何にでも備えてリカバリーするなんてできない。何を諦めて生きていくのか、縋るものの予備もありますか?僕には黒ネクタイの予備がないですね…。

葬儀はなんというか祖母の時と同じく、アクシデントもなく…。ただ、祖母の葬儀の時には「誰だいあの人」という枠だった自分だが、今回ばかりは流石にその節はお世話になりましたなんて挨拶も交えつつ親戚に声をかけたりもする。しかし誰かの誕生日に興味のない自分が親戚の顔と名前などどれだけ一致するものやら。今回も隙を見てあの人誰だっけと聞いて回るはめに。

“順番”が一人ずつ進んでいくのを感じる。

祖母の葬儀の時に会わなかったご近所さんは、数十年ぶりに会うことになる人も多く、名前が出てこない。難病の夫を老々介護で支えている、というあの人、誰だっけと聞いたら向かいのおばちゃんだった。まさか忘れる筈もないが、やはり完全に見た目が変わってしまっている。自分の母もすっかり老人だ。

これで次の葬儀には自分が喪主ということになるだろう。遠方に住んでおり車もないですが大丈夫か。予算にも乏しいわ…。そんなことを心配していると、自分が最初に死んだりするんだろうな。まずは自分がしっかり生きねばなるまい、至極当たり前のことだわな。

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