in-out-in put
例えばある事柄を習得したいとする。exhaustって英単語だったら、辞書をひいてみる。Goo辞書によればこんな意味でした。これだけで「ふむふむ、覚えたぞ」となるなら簡単なんだけど、これがもっと長くて使用頻度も低いような単語だったり、英単語ではなくてなにか長い手順を含めたtipsやら料理のレシピやらだと、初見で全て把握して理解するのはしんどいわけで・・・。
そこで実際にその知識を利用するときに手元で参照できるようにメモを取ったりする。単語帳を作ったり、ブックマークをつけたりドッグイヤーをつけたりする。反復して行うようなものだったら、そのうち自然に習得するわなあ。で、体感的なもんだけど、自分で必要な情報だけのメモを一度作ってみたほうが、習得効率はあがる。自分のメモが意味不明だったら、必要な情報が抜けているか勘違いしている。新たに情報を足したり内容を精査したり、というその過程が、脳内でもトレースされて、内容の濃い、というか基礎の硬い習得に繋がる。
過去の自分って言うとヘンだけど、一昔(場合によっては数秒)前の自分との質疑応答が最新版として記憶に残るoutputの質を高めていくんだろうなああ。他人に教えることで理解が深まるというのは、他人は過去の自分とは違う質問をしてくるからだろう。してこなかったにしろ、理解、習得するまでに持っていたほうが良い前提となる情報や知識、経験といったものが個々に異なるから自分が習得したことを伝えるのにずいぶんと違う道のりを通ることになるかもしれない。その道。眺めの違う道を通ることで得られる知識もあるだろかー。脳内であっても、旅は良いものだのう。
なんだけどさ。旅に出たまま帰らない人もいるわけじゃあないですか。自分は無事でも次に通った人が「あなや!」なメに遭うやもしれないじゃないですか。そこで、そのメモをペタペタと貼り付ける。孔明の罠はここにあるぞと。昔に比べて、なんか疑問点が誰かのblogで解決したりもしやすくなったと思うわけでえ。即ち、うぇぶのほそみちを歩む人たちに、幸あらんことを。