• どくしょかんそうぶん,  ひどいもんだ

    「最貧困女子」を読んだ。

    岡田斗司夫って誰だ?

    何度か名前は目にして気になっていたところ、YouTubeの切り抜き動画を見てみた。ベテランの教師みたいな感じで、オタクカルチャーとのつながりという雰囲気はない。俺はてっきりもっとこう…その…アレな感じの人かと思ったら、実に穏やかな佇まいだ。という、その、岡田氏が、読み始めてすぐにしんどくなって止めてしまったと言っていたのが本書。何かのご縁ということで読んでみる事にしたったんですけど。

    著者の鈴木大介氏は、Mリーグでも活躍する将棋棋士の、ではなくて、こういったルポライターを得意にしている方。氏の著作を眺めるとなんとも迫力のあるタイトルがならぶ。「ギャングース」という漫画の原案となった著作もある。あの漫画で「タタキ」なんて言葉が読者層に浸透したもんだ。本著は2014年の著作だが、当時はトー横なんて言葉も今ほど世間には知られず、なんならTOHOビルそれ自体もなかった。しかし、生活に困り果てた若者の姿は確実にそこらにすっ転がって、いやなんなら、しっかりと根を張っていたと。

    著者は実際にそういう傾向にある人物へインタビューを繰り返し、その生活ぶりを明らかにしていく。彼女らはコピペのように似通ったルートを進んでしまう。家庭環境に問題があり、自立できないままに家を出たり、周囲から孤立して、生活に困って体を売ったりし始める。そりゃ選んでインタビューしてるんだから似通っているのは当然かもしれないが、そういうルートに乗りやすい環境、構造があるという事も指摘される。平たく言えば”悪い先輩”とかに篭絡されて在学中から売春を始めたりもする。そもそも一般的な就労が難しかったりする。昨今ちょくちょく耳にする、書類が届いても意味が分からないとか、手続きができないとかそんなパーソナリティがある。

    そういう人たちの事例が並び、徐々にその傾向というか因果が見えてくる。つまり、人間としての総合能力。知能、メンタル、器量が良くないので貧困に陥っています。こんな結論だったらそれは確かにしんどいわ。そういう人間を繋ぎ止めるのが福祉や行政なんだろうけど、そことも上手くいかない。上手くいかない理由にも、上記のように当人の問題がある一方で、制度上の問題も指摘される。例えば警察に頼っても、結局親元へ送られるのでは頼るどころか逆効果だ。その他、民間も含めて諸々の制度はあるけど、なんかうまくいってないらしいよ。じゃあもうどうしようもないんじゃないの。著者は以下のように断言する。

    ここに自己責任論など、絶対にさしはさむ余地はない。なぜなら彼女らは、その「自己」というものが既に壊れ、壊されてしまっているからだ。

    鈴木大介. 最貧困女子 . 株式会社幻冬舎. Kindle 版.

    つまり彼女らは、社会の道理でその立場に追い込まれている…などと解釈しては捻くれ過ぎかもしれないけど、そうだとすれば、やっぱりしょうがないかという考えにもなる。ただ、これは別にそういう事に手を染める女性に限らんと思うのだが。それでも同じ環境からちゃんと育って暮らしている人もいるよね、みたいな意見がそもそもズレてるんだろうか?つまり“同じ環境”ではないと。誰だって他人の人生など経験できない。理解は及ばない。

    ところが、業務として売春など始めると、同業者がおり、お客は同じ近隣の市民ということになる。つまり、みんな同じ競争原理の秤の上に乗っていて、不法な性風俗仕事の内側でも例外なく、さらに下層に詰められていく人たちが出てくる。そんな事までして稼げているならそれで生きていけるし良いんじゃないの?という意見もまた、もっと厳しい実情があったりするわけだ。

    著者はあくまでも「苦肉の策」としながらも、ざっくり言えばセックスワークの合法化を提言している。想像してみるに、「ご職業は?」「売春です」というやり取りが大っぴらにされる状態…いやそれはなんか違う気もするけど。でも、その結果っておそらくは大っぴらではないからこそ通用してるんだろう界隈のアレコレが世の中一般のルールで上書きされたり、なんなら大手派遣会社に吸収され…あ、それはそれで望むところか。いやほんとか?わからん。世界にはある程度売春や買春が合法という国だってあるだろうから、そういう所を参考にすればいいのかな?本書ではその辺には触れられていなかった。

    ピンとこない話と、納得できる話のみだれうちだ。自分が売春するわけもない(今のところは😱)から縁遠い話に聞こえるが、スコーーーンと一撃で、生きていくのもやっとの貧困に陥ることは知っている。ここまでの人生で、一歩手前の、まあまあ近しい体験もしてきたつもりだ。

    これはイスラエルやスーダン、ミャンマーあたりの戦争・騒乱を眺めながら世界平和を願うようなもんか?どうすればもう少しはマシになりそうなのか、みんな、本当にみんな目論見が付いていながら、どうにも手を出すことができず、出したところで力が及ばない。「みんな仲良くしましょう」は分かるけど、平和な国で長閑に暮らしていても、親子・同僚・ご近所と反りが合わないなんてことは日常的だ。貧困から抜け出すのに「もっとお金を稼ごう」なんて事だってわかってはいるけど、難しい。今月の所得に+5万円できます?10代で家から飛び出したような人にはなおの事、しょうがない。

    なんだこれ。本書の内容どころかたとえ話に出した世界情勢にしたって、しょうがないが結論じゃまずいって話なんですけど、ここにループしてしまうな。じゃあしょうがない!!本書を読んで、自分が同じ環境に生まれ育ったら同じになりそうって思うもの。こういう状況にならないための分岐が、下手すれば産まれる前だったりするし、自分の努力でなんとかなりそうな分岐があったとしてもそれが小学生ぐらいの頃に訪れても無理ゲーなのでしょう。しょうがないっていうのは、そういう環境が存在すること自体がしょうがないと。それでもまだ救いの手を差し伸べる方法はいくらでもある。ただ、それもうまくいかねえっっつう話でもあるんだけど。

    環境、社会が悪いって話も、制度が不十分って話も、確かに事実そうなのだろうけど、紋切り型すぎて知的好奇心に触れないというか、うーん、だからなおのこと本書は確かに、しんどい。たまたま。自分がその立場にないのは、たまたま。我々の暮らしと地続きの場所にある。だからこそ貧困に陥った人に救いがあってほしいと思うけど、しかし我々はやはり自分の貧困にも備えねばならないのでありまして…。

    ところで男子は?

    貧困男子はなにをしているんだろう。本書は女性の話ばかりだが、弱者男性なんて言葉だって昨今生まれたじゃねえか。親を含めた家庭環境、周囲との関わり、当人の生まれ持った特性、そこに子供のうちから男女差があるんだろうか。

    と書いてから、著者には「家のない少年たち」という著作もあった。男性のケースも書いてあるかもしれないと気付いたけど気付いてないフリをしてつづけると―――

    とはいえ、男子だと中学生ぐらいになったら親の暴力に立ち向かえるというのはあるかもしれない。だからって本書の伝える貧困の原因を解決できるわけもなく、暴力で親を家からたたき出したとて、一件落着なんてわけがない。でも、いわゆるガテン系の仕事に女性と比べたら就きやすいというのはあるんじゃないか。例えばベーリング海で蟹とるいうたら、頑丈な男子つれていくだろうしなあ。売春組織みたいなザ・違法ですというものと違って、ちゃんとした勤め先に巡り合えることもあるだろう。労働力の需要に応えることで、社会に参加できる。もちろん、仕事を続けていくにはちゃんと学習が必要だ。たとえガテン系でなくとも容易ならざる道だろうけど、一度参加する体験を得るというのは大事なんじゃないかな。この辺はセックスワーク合法化の話とも相容れるところ?

  • どくしょかんそうぶん

    「『国境なき医師団』を見に行く」を読んだ

    いとうせいこう。

    何者だろうか。むかしはテレビなどメディアで見かけた記憶があるが、インターネットではまるで見かけた記憶がない。wikipediaによると「ラッパー」という想像だにしなかった肩書があり、三島由紀夫賞や芥川龍之介賞の候補作を上梓した小説家でもある。みうらじゅんと一緒に仏像巡りをした人物であり、ケータイ大喜利のMCでもあった。うーむ幅広い。まさかビットコインの発明とかもしてないだろうな。

    本書はいとうせいこう氏が国境なき医師団広報の方と一緒に、現地を訪れたものだ。地震で無政府状態となってしまったハイチ、経済危機で大騒動になったギリシャ、フィリピンのスラム、南スーダンの惨禍から逃れた難民でごった返すウガンダ。

    なんでまた氏が国境なき医師団を取材するんだろうか。いとうせいこうの事が良くわからないと冒頭で書いたけど、ジャーナリストや医療関係者ではないとは想像がつく。何ゆえに国境なき医師団と結びついたものか謎すぎたが、その理由もまた本書で明かされる。

    国境なき医師団。MSF。

    何者…かは知っている。学生のお小遣い程度の額ながらも、寄付をさせていただいたことも何度かある。YouTubeをだらけた格好で見ている時に、ガザの”現地”から宣伝動画などが配信されると少々身が引き締まる。しかし現実の生活ではその活動をまるで見かけた記憶がない。幸いなるかな、住まいが瓦礫になるような事態は今のところ体験していない。我々がイメージする紛争地帯や被災地以外にも彼らの仕事はあるだろう。考えれば、緊急時に頼りになる人々が日常であまり目につかないというのは、安堵する。平和だ。良い事だ。日本にへばりついている自分が国境なき医師団の活動を間近で見た事無いというのも、そんな不思議な話ではない…と思いたい。

    本書は描写も主張も穏やかだ。牧歌的とまでは言わないけど、常に命の危険があるというような緊迫感のある戦場カメラマンの現地レポートとはどこか違う。彼らの活躍する場所というのは、例えばベトナム戦争時の、土嚢を積んだヤンキーのジャングル前線基地みたいな、雨ざらし急ごしらえの殺伐とした風景を連想していたが、そこまでではないらしい。長期にわたりこういう活動をするということは、そういう「生活」をするということ。それなりに生活可能な住まいなど施設が必要になってくる。貨物コンテナなどを活用した質素なものだけど、ここに居るぞと現地に訴えるものでなくては。そしてそのエリアでは武装が許されていない。君らの土地の風土や歴史は兎も角、ここは我々、国境なき医師団の領域だと。ここに助けを求めればなんとかなると、そんな威信と頼りがいが必要なんですな。ましてや政府が破綻しかかっているような地域ではなおのこと。

    淡々と内容を読みすすめていく。その具体的な活動内容がちゃんと書いてあるのが良い。つまり、医療的な緊急措置だけではなく、メンタルヘルスケアや、リプロダクティブ・ヘルス(要するに家族計画的なもの…?)への取り組みだったり。また組織としての働きぶり。医療チームは勿論、物資運輸のスタッフ、文化的な差異を緩衝するための専任スタッフ、ドライバーだって必要だ。世界を股にかけるとはこういうこと。「国境なき」とはこういうこと。活動内容は対極にあるだろうけど、どこぞの国の軍隊の特殊部隊みたいな印象すらうけてしまう。

    本書は「みんな思いやりを持って仲よくしよう」という感じの言葉で〆られた。そりゃあ当然にわかっている事ではある。とはいえ、そもそも世の混乱や不幸をたちどころに消し去る方法などないだろう。だから、悲劇は起こるという前提でいるべきだし、自分が巻き込まれるという想定を持つべきだ。明日は我が身。日本人には身に染みた言葉だ。前述のとおり、私は直接的には彼らのような団体の世話になるような事態に巻き込まれたことはない。それでも、災害のニュースを見る度に、自分がそこに居てもおかしくはかったと畏れに近い感情になる。

    我々には共通の敵がいる。

    以下余談のコーナー🥳

    本書では現地で行動を共にした医師やスタッフの名前が頻繁に出てくる。例えば「〇〇、××と一緒にどこどこへ移動して取材…」みたいな感じ。ここで、MSF広報の谷口さん。著者と本書を通じてずっと行動を共にしており、常に名前が出てくるんだけど、ずっと谷口”さん”であった。他にも日本人スタッフが登場するが、「寿加さん」といった書き方だ。どうもこれは当り前のことだし、もし自分が本書を執筆したとしても「谷口さん」になるだろう。他のMSFスタッフみたいに「下の名前」とかでは書かないだろうなあ。仮に谷口さんの下の名前で書いたら、著者の配偶者や娘のような印象になるんじゃないか。これも文化ってやつなのかなと思った。

  • fuckyeahinternet,  ぎょうむれんらく

    flashなむありける

    今は昔、flashというものがありまして、栄華どころではないレベルでインターネットで使われていました。既にflash技術そのものがインターネット関連の技術から排除されているので、当時の形そのままで使われる事はないでしょう。そういうわけですから、拙ブログの昔の記事も当時のyoutube埋め込みが真っ白になってたりするわけです。

    これも折角なのでメンテするかという休日の昼下がりだったのですが、どうやったら機械的に処理を完了できるかと考えてみました。そもそも、手作業だと簡単なのです。当時の埋め込みタグ(objectタグなつかしい)を削除して、今のyoutubeのURLを管理画面から張り付けるだけ。あとはブログエンジンで宜しくやってくれる。

    もし、プログラム的な発想で対応するならばどうなるかというと、dbに書かれている昔のyoutube埋め込みタグを現代の物に書き換えるという素人には手を出すべきでない内容になってしまう。AI先生の助言によれば、要するにブログエンジンの処理に、古い埋め込みURLの部分を書き換える処理を追加すれば良いという話。ソースコードまで提示された。これもご尤もだけど、テストしてみようとか、その後どんな副作用がありえるか、みたいなところはバチコリこちらで負わねばならない責任とリスクというわけで、やってらんねえ。

    結局、大した数ではないので手作業で処理してみた。(途中で飽きてやめた)この結果、そもそもyoutube上から動画が消えているパターンもかなりあった、エントリ事削除したり、懐かしいのお気持ちがエモかったりしました。でもこれって将来的にも同じ事が起こるだろうし、なんならYouTubeだってある日突然なくなったりするかもしれん。動画を埋め込むときに一緒に何の動画かわかるような概要を書かねばダメだな、という当たり前の気づきを再確認。

  • えさのじかんだ

    めし短観2026年2月

    ニッポンハムの「シェフの厨房 4種チーズハンバーグ」名前の通り、ヤケクソみたいな量のチーズソースがついてきた。怖くなって3割ぐらいは使わず捨ててしまった。ハンバーグ自体は冷凍食品にしては美味しいと思う。しかし阿呆みたいに油が出る。そのせいかもしれんけど、チーズの風味も朧気。総じてイマイチ~。

    https://www.nipponham.co.jp/products/processed_foods/frozen/table/22371

    コンビニで普通に並んでいる「スモークサーモン&クリームチーズ」サンドイッチが494円!ワロタ!こんなん逆に買うわwwwしかし味わいは普通。普通だけど、普通に美味しいの普通。実際に頂いてみると、過去に同じような商品なかった…?か?こんなに堂々とお値段つけられると、それだけの価値があるやらないやら、自分にはわかりませんなガハハハ。

    https://www.sej.co.jp/products/a/item/053468

    耳にしたことない企業のシンプル冷凍海老餃子。レンチンするまで焼売だと思っていたがどっちでも良いよね。シンプルに小ぶりのエビが一包みに一尾ずつ。すり身のイメージしかなかったので少し物珍しい感もある。実際に🦐エビの形のままのものをいただいてみると…うん、すり身のほうが好きかなあ。

    https://www.yuzucha-gmp.com/product/marine/ebi-gyoza

  • どくしょかんそうぶん,  むじか

    「津軽のカマリ」を観た

    高橋竹山である。

    その名は数多の音楽愛好家に広く轟き、津軽三味線と言えばまず名前の挙がる人物とされている。自分は伝統音楽に明るくはないのでして、その名を知ったのはJINMOというアーティストのギターマガジン連載コラムか何かだった。当時ギターを愛好していた自分にもずいぶんと感じ入るものがあったと記憶している。氏は眼前で初代高橋竹山の生演奏を観たことがある、とか書いてあった気がする。

    というような事を調べていたら、2002年当時の連載記事がjinmo氏のサイトで読める。個人的には映像よりもこっちを発見したことのほうが驚きだった。読みふけってしまった。

    http://www.jinmo.com/00/en/other/words/words11.html

    上記リンク先のJINMO氏の文章が当事者視点も含めて大変に読みごたえがあり、高橋竹山という人物について自分が何か言える事はない。

    さて映像本編。映像は冒頭から雪に埋もれる景色。高橋竹山の演奏映像集といった趣ではなく、彼の人生、取り巻く人々についてもふんだんに盛り込まれ、門弟などゆかりのある人々が出演しており大変に良い雰囲気だ。それでも演奏場面も多く散りばめられていて大変に満足。二代目高橋竹山のロードムービー的な趣もある。二代目は茶道の先生みたいな品のある姉さんだ。ひたすらに演奏を楽しみたい人には本作は不満かもしれないが、それは音源をお買い求めれば良いの話。

    肝心の演奏については、どうもしっくりこないというか、ピンとこないというか。中途半端にギターに馴染んだ時期もあるだけに、比較してしまうのかなあ。まさか高橋竹山と自分の演奏を比較するなんて話ではなくて、三味線の音の特性って言ったらいいんだろうか。リバーブの少ない単音メインの演奏はどこか迫力に乏しく思えてしまう。あるいはこの作品の音声による印象なのか。素人なので深い話もできないが、とにかく本作の演奏自体には満足できなかったのがちょっと残念。

    何かに混じってると音色がすごく生きてるような印象あるんだよなあ。