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紙屑にすら及ばないのだ
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/23569
冒頭のリンクりよれば、著名投資家のウォーレン・バフェット氏は、現金12兆円を保有しているとの事である。つい最近も数億円を窃盗した警備員が逮捕されたていた。数億円でも持ち運びは相当に困難だ。12兆円て。ちょっと電卓叩いてみよう。こちとら義務教育を修了しており、兆の単位は理解可能である。
「円」と報じられているので、日本円で12兆円を保有していると仮定する。12億枚の一万円札を保有していることになる。百万円の札束が厚み1cmと言われる。12億枚では、1200万個の札束が出来る。積み上げれば12万メートルになる。すなわち120キロmになる。これは大気圏を突破し、オーロラを見下ろす高さだ。
積み上げるわけあるかーい!そらそうだ。たとえが稚拙であったし、そんな使い方をしては紙屑だ。では12億枚の一万円札が紙屑になったとしたらどうだろう。一万円札は、A4用紙にだいたい4枚強収まるらしい。わかりやすくするために、4枚ちょうどとしておく。義務教育の限界がここに。紙対応。
12億枚の一万円札が紙になったとして、A4用紙で3億枚相当ということになる。紙切れ三億枚の時点で理解を超えている。こいつに財産としての価値はあるだろうか。Amazonさんによれば、500枚入りのA4コピー用紙が、500円で売っている。わかりやすいではないか、一枚一円。紙切れ三億枚で三億円の価値がある。
12兆円も持つと、そのすべてがただの紙切れになっても、凡人の生涯より価値があるということです。わーすごい火を放とう。燃料としての価値を火力発電所の発電量あたりと比較しましょう。しません。
こうして、賑やかしに計算してみたけど、そもそも12億枚の一万円札って現実に存在する?日本国民全員が現金10万円もっているようなものか…だったらそのぐらい当然あるよね、国外にもいくらでもあるだろうし。ググってみると、1万円札だけで年間で10億枚ほど刷っているようだ。なんだよそんなあるのか。じゃあバフェットも大したことねーなー。
漢数字と数字を意図的に混ぜ込んでみたけど、皆様におかれましては違和感覚えたでしょうか。
ニコタマの金持ちどもは堤防を現金で補強しろとか書こうとしたけど、不謹慎なので書かない。
雨が降らずば一大事。雨が降っても一大事。ずっと曇りでもそこそこ一大事。安定とは静止している状態のことではなく、巡り続ける仕組みの安定のことなんですね。お天気とか現金とかブログのヘッダー画像とか。毎年10月1日に更新していたんだけどなあ…。
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エサ短観
干物じゃないホッケが売られていた。買った、焼いた、食った、クッソ不味い。ホッケじゃなかったのではないか。ハビタブルエリアから降ってきた事象のなりそこないの死体の肉。ちょっと何言ってるかわからないですね。ホッケが干物じゃない、というだけでここまで不味いものだろうか?本当にホッケを買ったのか。仮に火星人だったとしても不味いものは不味い、クッソ不味かった。
一方で、カップ麺が美味い。体に良くないから、と若人の頃もあまり嗜まなかったのに、ここにきてすごく美味しい。すぐ美味しい。逆。手間がかからないという点をZ旗よろしく掲げて売り場のストックから買い物かご、そこから胃袋までなだれ込む無駄のない所作、アビスで弾けた泡が日本海へ浮かぶまでに光速を超えるんですってよ奥様。あらやだ最近台風が多いと思ってたのよう。
「カップ麺も干物じゃないか」と書いてみようとしたが、だったらメシだって干物だし、塩なんて海水の干物だ。地球をおにぎりぐらいの干物にしたら、味わいも噛み心地もバリエーションに富むだろうか。中東から齧るひとは大胆な
談志男子で、オーストラリアから南太平洋あたりから齧る人は穏やかに様子を見たい志ん朝慎重派だろう。実際はどこから齧ってもクッソしょっぱい。血と汗と涙、人が海よりくみ上げたもの。土塊を編み上げた味わい。台風で出来た水たまりに映る月の、黄色くやや歪んでたくあんに見えた。紀貫之はよっぽど腹が減っていたのだ。
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うたせゆ
シャワーヘッドが外れないタイプ。シャワーヘッドが外れるならそれでもう打たせ湯を堪能というもんだけど、さてどうするか。要するにお湯が拡散せずに落ちれば良いのだから、穴の開いたビニール袋でも被せればよいのではないか。実際にやってみると溜まったお湯の重みで安定せず、そらテープやら何やらで固定すれば無理やり打たせ湯と言い張ることもできるが、毎回風呂に入るたびにつけ外しできるわけねえだろ。常にずっと打たせ湯モードとはしたくないのだ。お風呂の〆は冷水散布というのが日本のユニットバスのしきたりゆえ、その時は打たせ湯モードでは面倒だ。掃除の時とかもシャワーじゃないとな。うーん…
という
自分の手にはタオル。あっ。タオルをシャワーヘッドに被せる。以上です。
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“週刊新潮”を読んだ
「タイに行ったぼちぼち有名らしいお笑い芸人がセックス業務の現地女性と仲良く写真を撮っていた!」これは令和を揺るがす大事件。以下例示も諦めるほど芸能人のドラマがどうの、という話が続き、こまかな特集ページがある。葛飾北斎について、特に目新しさはないエピソード。この夏いきたいお城がどうの。ふ~ん。
稲川淳二の肩書が「怪談家」となっていた、デビュー時以来で平野啓一郎氏の近影を見た、童謡赤とんぼの歌詞は「追われてみたのは」ではなく、「負われてみたのは」だった。このあたりがクライマックス。
こういうの、病院か理容室の待合ぐらいでしか見たことないなーって思ったけど、なんならそれに特化している造りなのではないか。エッセイの類も特集も短く簡潔になっていて、長時間読み続けるようなものではない。写真と何かコメント。見開き2ページぐらいでざくざくと消化されていく。「次へ、はい次へ」って。それなりに取材に行ったりもしているようだ。連載されているエッセイなども多い。壇蜜はブログもあんなみっちり書いて、まだ週刊誌でエッセイも書くのか。すごいな。こういう造りの雑誌、製造コストは高いんだろうか、安いんだろうか…8月15・22日夏季特大号は440円。たまにはこういうのも買ってみるかー?という思いつきには十分こたえてくれるお値段と中身。でも毎週は要らねえよな…。バイト先が新宿にあった若かりし頃、路肩で100円で売っているこんな雑誌や漫画などちょくちょく買ったものだ。今にして思うとあのお金は何処へ行ったのだろうか。週刊新潮あたり取材しねえかな。
「ちょいと、ちょいと!そこん道端で本を売ってる若旦那!」「おや、こ↑んつわぁ」「まーたやってるよ。はいはい、こんつわってね。黙って並べた表紙眺めてても退屈でございやしょ?どうです、たまにはちょいとこっちの話にも混ざりやせんか」「でも、わたくしなんぞが混ざっては、あしゅうがすから」
週刊志ん朝。
3点。
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めしにしましょう!が終わった。
新刊届いた~ってamazonの箱を開けたら、帯に完結とか書いてあってビビった。えええええええ。なんだよ大好きな作品だったんだけどね。ウシジマくんも終わってしまったし…。そんな残念がっても詮方ないのですが、それにしても惜しい。
この漫画に登場したメニューの中には、「やろうとすれば出来るな…ってやらねーわw」というものがあった。…全編ほぼそれだった気もするけど…そもそも”やろうとすれば”という条件が真になる理由はなぜか。それは勿論、我々のこの暮らしの豊かさよ。圧倒的である…。ああいう料理をやってみようというのも、真似してみようなんていうのも、これは現代東京に住むゆえの発想なんだろうか?冷静に考え直してみれば、食材にしろ調理機材にしろ、今は全部ネットで買えるのかもしれない。だから世界が羨むという東京のお台所事情は、あんまり関係ないような気がする。それにしたって日々飢えていれば、「風呂にお湯張って豚肉低温調理しよう」なんておもわねーよ。欲望、まさに欲望!トウキオには食えるエサしか置いてない!
電気ガス水道。ここ東京の世界有数の生活インフラのエナジーを料理にぶっこんでいく、無尽蔵なればこそ。欲望に文明をプロットし、天の恵みをオーバーキル。
Because it’s there.
そこにめしがあるから。良かったですね。良かったです。