• どくしょかんそうぶん

    「ある行旅死亡人の物語」を読んだ。

    ここ数冊続けざまにドキュメンタリーものを読んでいる。はっきりとこういう系統が好きになったという自覚がある。…別段、ここ最近の傾向ではなく、昔からそうだったと言えばそうなのだが。基本的に長ったらしく書かないし、無駄な情報が載ってないので読みやすい。何度か吐露したことがあるが、長い作品は途中で人物とか地名とか覚えてられなくなる。それはいいとして、本書。事実をまとめた内容であるにも関わらず、逆にゲームや映画のシナリオだと言ってもらったほうが納得できるぐらいの展開を見せる。うーむ。人生。 

    著者は現役の記者という事で、端正な文章は読みやすく、見習いたいところ。ただ、わたしはマスコミ仕草が好きではないので夜討ち朝駆けなんてエピソードを武勇伝でぶっこまれたおりには少々ピキピキしました。(#^ω^)ピキピキというだけなので大丈夫人生。

    しかして本書は大変おもしろかったのだが、そもそもこんな大がかりな物語となる、そのきっかけになった物体の最終的な帰結について、述べられていない。何故、そんなものが室内にあったのかは謎のまま。著者らの働きにより処遇の方向性は決まったと見受けられたので、実際にその後どうなったのかが気になるところだ。これも書かれていない…よね?身長133cmの謎も、現場から紛失したと思しきものも、謎のまま。

    ただ、そんな疑問をすっ飛ばしても大変に読みごたえがある。取材が本職の記者、その仕事っぷりがまるまる書籍になった。きっかけがご遺体の発見という事なので、読んでて楽しいだのカタルシスを覚えただのってあまり適切ではないのかもしれないが、実際たのしい。冒頭にも書いたように、ゲームみたいに物語が進んでいく。当人たちも結構楽しかったんじゃないのかなって思える。

    昨今では孤独死という言い回しに説明が要らなくなった。知れ渡って馴染んでしまった。ただ遺体が見つかった、というだけではなく、その生前の暮らしぶり、社会のかかわり、故人の性格というところまで察せられる印象がある。そして、突如として亡骸が産声をあげるという事でもある。各々の職務に応じて、その生前の姿とは全く関わりのない人々が、亡骸と新たな関りを持つことになる。今回は記者の目に留まり、80年に及ぶ人生のトレースが始まったのだ。そうして勝手に追い回して最後に「会ってみたかった」ていうのもなんかアレだと思ったけど。ま。ま。

    ところで。

    行旅死亡人の定義は各位ググって調べてもらうとして、その亡骸はいろんなところで見つかっている。他の行旅死亡人のケースでも、本書と同じように丹念に調べたら何か出てくるんだろうか。行旅死亡人の情報をまとめたサイトがあって、以下リンク先のように本書のきっかけになった官報も残っている。その他のケースの情報見てると死因:縊死だとか、発見された場所が奥多摩だとか富士樹海のあたりだとか、明らかに自殺との関連が高い。

    https://kouryodb.net/discoveries/8983

    発見された状態にもよるんだろうけど、わからないものなんだな。吾妻ひでおの「失踪日記」を思い出した。吾妻氏も、ホームレス状態の生活をして、山中に潜んで居たりしたらしい。それと似たような暮らしのを続けるうち、山中で亡くなったりしてしまうこともあるだろう。吾妻氏の場合は行方不明者かなんかの届け出が出されてて、街中で警察の職務質問をうけ、一回捕獲されたという話があったと記憶している。行旅死亡人だとそういう届け出もされてないか、あるいはされていたとしても、人間だかなんだかわからん状態で見つかるとか。

    だいたい、奥多摩とか富士の樹海なんて北海道や鹿児島やブリスベンあたり海外なんてところからやってきてそこで死ぬわけもない…と思うので、ほぼほぼ東京近郊の人だろう。そこらのビルや橋から飛び降りたり、部屋で死んだら迷惑がかかるってんで、そんな山に踏み入っていくんだろうか。それでも気が変われば…電車に乗って帰ってこれるような場所。その選択が実にリアルだと思う…。

    そんなこと思いながら情報を漁っていくと、新宿駅で山手線に飛び込んだ20前後の人物、なんてケースもあったし、下水処理場で発見された胎児なんてのもあった。そりゃそうよ、そりゃあハードな話だよ。たどってみれば物語がぽわーんと何か出てくるんじゃないか、なんて呑気な構えで触れていいわけがなかった。ただ、

    生き様と死に様、その境目がどこか明確にあったりするのだろうか。そんなことを想像したりしなかったり。走馬灯の逆さ巡り、閻魔おじも夏休み。ご冥福。