• えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    カラスが鳴くからかえろう

    映画レビュー祭りもひと段落である…。映画レビューを重ねるうちに気づいたんだが、ほぼ絶対記載する内容の被りがないということに気づいた。あたりまえやん。同じ映画のレビューを二回書く阿呆がどこにいるか。そらそうなんですけど、平和な国でのほほんと暮らしておると気ままな筆も路頭に迷い、自らの足跡に慄くようなことが御座いますのよ。ほら、映画レビューもひと段落、って書いたの何回目だおい。ガクブルでありんす。

    で。

    定時退社を朗らかに炸裂させたら、見上げればまだ空が明るい。あけおめとか言ってたのは確か先々週ぐらい、そんな気分でいたらもう冬も終わりそう。日が沈む少し前の薄い茜に二つ、鳥の影。カラスかな。日の出日の入り、あけぼの飽きもせず。

    カラス増えた?石原慎太郎が都知事だったころは、確かポスターに本人が登場してカラス退治を訴えていたように思う。いやスギ花粉対策だったかな…。ご近所ではほぼ一匹も見かけなかったというレベルだったと思うのだが、氏の退陣してからというもの、ゴミ袋をついばむ姿をたまに見かけることがありとても鬱陶しい。今上の都知事はトヨス対策に腐心しておられ、って移転時の騒動以降あまりニュースを耳にしない。ひどい施設だというような話が流れてきたかと思えば、それは”活動家”によるフェイクだと流れてきたり。この冬は食材に乏しかった、なんて実感は自分には微塵もないところ、果たして市場移転が庶民の食卓へ影響があったかどうか。まさか、質は下がって値段も上がったなんてことだったりしないか。愚鈍にしてわたくし気づきもせず。それこそゴミを啄むカラスのほうが知ってるんじゃねえのか。ガクブルでありんすーの。

    冬の庶民のごちそうといえば、ミカンなんかは如何か。是なりと。しかし、あまり好んで買わない。ミカンって、そこらのスーパーで買うとおいしさの当たりはずれが大きくない?だもんで、隣に並んで売っている別の物を選ぶことが多い。例えば伊予柑や、八朔だ。八朔は少々苦みがあっても、ジューシーでよろしい。それに加えて、房の半透明な皮が剥きやすいとご機嫌だ。綺麗に剥いてタッパーに詰めて、軽く塩を振っておく。冷蔵庫へ。翌日のお弁当なんかに持っていくともう有頂天。この冬は今のところ100%好ましい塩梅の物を買えている。ミカンなどカラスに投げつけてやればよろしい。やーいやーい。

    しかしながら、油揚げに恵まれないということが起こるのが愚鈍な庶民の不徳。なんでも、油揚げの中に納豆を入れて包むようにし、そのままカリッと焼きあげると美味いらしいと聞き及んだ。では早速試そうと納豆と油揚げを買ってきたものの、あけてびっくり油揚げが袋状になっていない商品だった。どう言えば良いか…一枚の「揚げ」だった。風呂敷。布。しょうがない、まな板に風呂敷揚げを広げて、包丁を振るい、魚を捌くかのごとくスイーと切れ目を入れてどうにか袋状の部分ができた。その部分を使って一個だけ焼いてみたものの、薄すぎる部分からナットウキナーゼがこんにちはして崩壊。捨てるわけにもいかず口にするけども…これが不味くないのが悔しい。ちゃんと作ればそら美味そうなのが悔しい。

    後日別の商品を探してみる…どころが手に取っても袋状になっているかの判断が意外と難しい。どこから見れば判断できるのかわからない。仮に袋状になっていても、それが外側に向いているっておかしいもんね。売ってるの全部ひとつずつ買おうか?なんて迷っていると、お稲荷さんの袋を発見。おほほ、なるほどこれなら間違いなく袋になっている。そして適度なサイズ感がある。得たり、得たり。さあ、刻み葱を多めに入れたひきわり納豆を、これまた多めの醤油でまぜまぜしてから稲荷袋詰め。これをそのままこんがりと焼く。あまり油を引かなかったので、何個目かを詰めていたら最初に放り込んだのは食べごろを過ぎて焦げかかっている。慌てて箸でつまみ上げ、ひっくり返す。そのまま少し焼いて、齧る。

    改めて、不味いはずがない。納豆が好きなら万人いける味だろう。加熱時間が短いことにより、外は香ばしくあるも中の納豆が熱すぎず、もりもりと食べれる。冷蔵庫から出してすぐだったから功を奏したか。ごはんには大粒納豆が断然好みだけど、こちらは小粒やひきわりのほうが相性が良さそうだ。お稲荷さん袋を使うと簡単だし、作り始めてから5分ぐらいで口の中という手っ取り早さ。今後もちょくちょく作ろうか。ついでに、キムチ納豆も試してみたが、全く美味しいと思わず。難しいものだ。

    客先オフィスの自販機にコーンスープが追加された。じっくりコトコト。見かけると飲みたくなるが、あの、缶に残った数粒をすぴぴぴぴと吸い取るのは、勤務中はどうも憚られる。人気のないところまで移動なんてさらに阿呆らしく、となれば家で飲むかと。稲荷袋を買った後に店内を探す。缶のスープなんて売ってないよう案気もするな…というところで、はたと思い直す。もうちっとちゃんとしたスープを作るのは難しいだろうか。自販機で売られるようなものも、お湯で溶いてすぐにスープになるものも商品があるが、もうちょっとこう…料理っぽい味わいのものを作れないか。でかい器になみなみ注いで、スプーンなど使わずに、初場所優勝みたいに口付けてうおおおおってがぶ飲みできないか。ネットに答えを求めると、コーンクリームスープの缶が市販されており、そいつを鍋で加熱しつつ牛乳を加えて出来上がり。お好みで缶詰コーン増量クルトン追加チーズ沈殿などなどすればよろしい。ふむふむ。クルトン以外お買い上げしたものの、冷蔵庫の物品の消費期限の関係上、スープはいったんはおあずけ。

    そして消費期限の関係上作ったコールスローサラダにコーンを加えてみる。キャベツを適当に荒く刻み、コーンの缶を開けてドバー。チーズを少しだけ投入、レモン汁で割ったマヨネーズで和え、あら塩ふりふり胡椒ましまし。残ったコーンは良くわからなくなったのでひき肉と炒めて、ちぎったレタスの山にぶちまけてうおおおお。さらに燃えるゴミの回収日的な意味でそのひき肉と残りのキャベツも適当に炒めてうおおおお、これはそのまま食うか。ナンプラーを買ってくるのを忘れた。翌日作ったスープはとても美味しかった。量がありすぎてガブガブ飲んだだけ。庶民。

    カラスはとても賢いらしい。クルミを割るのに道路に落とし、自動車がそれを踏み潰すのを待つことがあるそうな。料理を覚えるような事はあるだろうか。さすがに料理とまではいかずとも、例えば人参の皮を食うのに、まだ中身のあるドレッシングの瓶を探すようなことがあるだろうか。あるいはすでに、そう、畑のものをそのまま食ってもまずいけど、放っておくと人間がほどよく調理して、袋に入れてお供えしてくれるんだぞ、なんて知恵を身に着けていないだろうか。そう、あの雑誌もあのウェブサイトも、星の数とはカラスの数。トヨス一派になってカラスを愛でるわけとは?「あいつらどうせ金を貰ってあることないこと書いてやがるのさ、先代の親父が躍起になって追っ払ったカラスが正直にウチの味を伝えてるってのは、皮肉なもんだとは思わねえかい。そのうちに入り口からでもカラスを迎え入れる店が出るってもんだな、は、は、は!あいつらも真っ黒でしゃんとしたナリに見えらあ!」

    ミカンは咥えて飛び去りやすく、厚めの油揚げは端をつまんで引きずりやすい。笑わぬカラスに慰みを、眠らぬ都市の料理人、春はあけぼの、クロウ話。

    6点


  • どくしょかんそうぶん

    「あたえられるか否か 徳川埋蔵金120年目の挑戦」を観た

    徳川埋蔵金!とくがわまいぞうきん!

    自分と同世代の人には、とても懐かしい響きの言葉ではないだろうか。細かいことを知りたいかたはwikipediaにでもお問い合わせいただければよいのですが、当時はTVでその発掘作業の特番が組まれたりして、とても人気だったのですよ。糸井重里が音頭を取って(?)数回番組が放送されたようだ。その何度かを、子供のころに見た。当時も、そしてこれまでもずっと埋蔵金は何も出ていない。糸井重里だもの勝手に掘りつくしてお宝も回収してから番組をやっていた、なんてありえる。おいしい生活。

    本作はその、徳川埋蔵金発掘にかけるある人物を追ったドキュメンタリーである。糸井重里が徳川家が江戸幕府の終焉に際し、赤城山に隠したとされる埋蔵金は現在の価値で数百だの数千億円だの兆だの!言われており、否が応でも盛り上がるというものではある…。述べた通り、結果として、いまだ発掘されてはいない。これはネタバレとは呼びませんからね?

    「徳川家の隠し財産」と言ってしまうと単なるお金持ちの、例えば今でいうなら孫正義とかcisの隠し財産みたいなニュアンスも漂ってくるが、言い伝えによれば当時の国家の運営資金である。その規模もガチであろうし、なんとか守るための工夫もまた桁違いと想像する。そしてその財産とは(実際に出てきてはいないけれども)具体的には大判小判であるとされる。物質で言えば金、カネじゃなくてゴールド。総じて質量も相当のものだろう。この金が実際に存在し、隠す計画を実行に移したとしても…どうだろう、可能だったろうか。江戸城から赤城山中まで、隠匿しきれるものだろうか。例えば関わった工夫を皆殺しにする、なんてことを実際にやったのかしら。守るための工夫。簡単に見つかるようにはなっていないだろうということ…うーん。さてさて。

    このドキュメンタリの主人公となる水野氏は徳川埋蔵金の発掘作業に携わり続けること、実に三代目にして120年目ということである。祖父が手にしたという資料から引き出される門外不出の情報を元に、穴を掘って埋蔵金を探している…ということなんだが、お年のせいもあろうか「一攫千金でおいしい生活!」みたいな欲にギラギラした感じはなく、物静かでどこか怪しい雰囲気満載の老人である。なお、前述の糸井重里版の番組にもゲストとして登場している。というのも、氏は赤城山一帯の地主でもある。発掘のために先代だか先々代がごそっと買ったらしい。へえ…。一族の使命ということだなあ。

    作品のバックグラウンドばかり書いている気がするが、実際作品の中身はどうか。映像はなんとも質素だ。一昔前の小規模企業のPRビデオのような、制作年度のわりにはやや安っぽい印象を受ける画質。例えば実家に帰ってこたつに入り、祖父とのお喋りを撮っているような、ぼんやりとまばゆい雰囲気。数兆円とも言われる埋蔵金を探しているような現場感には乏しい。一応作中に穴掘りの場面もあり、金属探知機で探っていく場面もあるにはあるが、120年に及ぶ発掘にかける哲学のようなものが本作品のキモとなっている。ひとときのテレビのブームも去って、それでもたまに訪ねてくるんであろう「埋蔵金の謎を解きました!」という訪問客を迎え、一応は話を聞いて現場に共に赴く。ふんふん、へえ、ほおと生返事をしているが、後でカメラの前では「あんなの出ませんよ…」とばっさり切り捨てる。

    印象深い場面はいくつかあった。とりわけ、実際に埋蔵金が出てきた場合について言及しているのが面白い。もし発掘されたとなっても、国は時間を稼いで諸々立法して自分にはまるごと渡さないようにするだろうというのだ。言われてみれば、実に現実的で冷静な見当だろう。wikipediaにもこういう観点の議論が書いているが、確かに出てきたものがひょいっと簡単に自分のお財布に入りそうにはない。ここからすこーし妄想する。そもそもが、「特定の地域では地面を掘って遺跡っぽいもんが出てきたら、工事を停止して届けなきゃだめよ♪」という規定も、日本のどこかにあるかもしれない徳川埋蔵金対策で作ったとしたら面白くはないかな。ありえない?どうかなあ。現代の埋蔵金、仮想通貨もブーム直前にずいぶんせかせかと法体系を固めたと噂されておりますよ?こっちもブーム終わってしまったが。

    さて、本作品に登場する水野氏は実は2011年に亡くなっている。ググってみると、それ以降2,3回ほど徳川埋蔵金関係の番組がテレビで放送されたようだけど…ご存知の通り発掘されてない。その放映内容は全く知らないけど…例えば巻物を読み解く、みたいな事しなくても探せるんじゃないのかって思った。今どきの科学力で、大量の金が埋まっているのであれば何か検知できるものじゃないの?火星や木製の成分?までわかるゆーてるじゃないですか。そこいらの土ンなかぐらいわかりそうな。

    探索手段はともかく、現物をその手にしないことにははじまらない。土の中にあるというなら、掘らねば。今も地面を掘っている人はいるんだろうか?自分としては、やはり何かしら出てほしい。例えば、小さい箱に小判数枚でも良い。何かが出た、という状況で人々がどう判断するのかが興味深い。「こんなもんだったのか」としょんぼりするのか、「これは次には凄いのが出るぞ!」と鼻息荒くするのか。竹やぶで現金拾った事件みたいに、どこからともなくスコップ持った人々が不法に侵入して大騒ぎにならんだろうか。下品な言い方かもしれないけど、今現在のこの国でどういう事が起こるのか、野次馬としゃれこみたい。時々アフリカあたりからニュースが流れてくるじゃないですか。タンクローリーや列車の事故現場から物資を盗もうと殺到する人々。日本のみなさまの欲とモラルは如何でございましょう。

    なお、エンディングのスタッフロールでBGMのクレジットが流れてきた点に驚いた。ええ、オリジナルなのかーい!


  • どくしょかんそうぶん

    “Cut Bank”を観た

    ネタばれですよ!ネタがばれるという意味です!

    これは面白かった。期待以上。ただ、Amazonプライムビデオのサイトは映画のあらすじ紹介文が。作品の主要部分の致命的なネタバレしてるの、ひどくないかなあ。たまたまながら、それを目にすることなく先に作品を最後まで視聴できたのは運が良かった。気になってほかの映画関係の情報サイトを見ても、見事に同じような文章が書いてあって、正直納得いかないというか。なんでこれ先に書いちゃうんだよ。この映画の内容知っていれば、そこは書かないでおこうってなるんじゃないの?今回参照したいくつかのサイトで、同じことが微妙に違う日本語で書いてあるのは、同じ英文を翻訳して記載しているのだろうか。例えばこういうのって、配給会社?制作会社?がオフィシャルなあらすじを配信しているのだろうか。だったら翻訳のブレでこのようなことになるのは頷ける。つまり、元の文章からネタバレしている。いいのー?

    と。業界の仕組みに疑問を投げかけるぐらいには残念だと思う。思うとともに、今までこのブログに読書感想文をかいたような作品は、事前にあらすじなんぞ気にせんと観たものがおおいなーとも気づく。考えてみればこれは当然で、「いつか見たいなー」などと記憶に留めておいた作品がほとんどだ。いちいち内容を確認したりしないわけだ。今後はどうなるかなー。

    自らの話はこんぐらいにして本題。あらためてネタバレよん。

    ちょっと人をだましてお金を搾取しようとしたら、その計画がちょっとしたことで綻び、それが拡大してどんどん大変な騒ぎになるパターン。そして最後の落ちが意見が分かれるところ、という作品。誰かが撃たれた風な動画を録画して、それで懸賞金を得ようという作戦なんだけど、この発想は見事。連れの女性が共犯ではないみたいなので、ローカルなミスコンの練習で動画を撮る、という行為がとても自然。後で見返すと、邪魔者の車がフレームインしても意図して録画止めないし、画面にしっかり映りこんでいるのを確認しつつ録画を続行しているのもなんとなくわかる。ミスコンの賞金で新しい暮らしをしたいという動機も実に自然。見事なもんだなと思う。

    偽装殺人なので、死体が出てこない、というところをすっかり忘れていたと見えるが時すでに遅し…ところが、破綻した計画はどこまでもすっ転がっていくもので、別のサイコ野郎に殺されて本当の死体になって発見される。しかし胸に銃弾の傷がない。保安官はこれをヒントに偽装を看破したようだ。さて、ここで最後の場面になる…。

    「人生の中で、時に事実は思った以上の時があるーーー今がその時だ」

    こうつぶやいて、なんと主人公に要求する。お前の犯罪は見逃す代わりに、懸賞金を諦めて街を出るという計画を実行しろと迫る。死体に銃弾を二発撃ちこみ、事件のつじつまを合わせて、って、そんなことしても死んだ後に撃ったなんて検死でバレバレに決まっている。これは一気に興ざめしてしまうが果たしてその意図は、というところ。懸賞金を保安官と主人公の雇い主でせしめようというのだろうか。偽装でしたと言えば主人公を捕まえなければならないから、見逃すのは温情ではある。しかし懸賞金の条件はそろっているように思える。主人公は数か月後に小切手を受け取ることができそうだ。代償として懸賞金を諦めろ、という発言は…見逃す代償に、だろうか。残ったみんなでグルになって懸賞金せしめる、みたいなストーリーもあり得るかな。

    「育った町を出る」ということは特別なことではある。作中、交渉の場面の直前に、保安官と主人公の雇い主は昔の話をする。町を出ていかなかったのは何故だったのか?と。最後のシーンは、街を出る主人公の車を町境の看板まで追いかけて諦める子供たち。自分も故郷を出て都会で暮らしている人間ではある。この映画に照らし合わせてみると、親が援助してくれたので出るのに苦労はなかった。単なる進学として扱われた。そして今になると、帰る、あるいは帰らずというところが特別なことになった。生まれた場所に戻るにも、特別が理由が要るのでしょうか。

    そらもう、要りますねよね、みなさん。

    さて。以下、作品の内容のレビューとは関係ないが、調べていたらとても面白いものが見つかったので暇な人はおつきあい。作品に出るこの街、cutbankはアメリカに実在する。カナダとの国境に近く、PUBGに登場するような街並み。googleマップで訪問してみたところ、画像データが殆ど2008年で、画質もすごく荒い。こんな昔のストリートビューが残っているの、実はかなり貴重なんじゃないのか?地図を見ても街の境界が紛争地域みたいな複雑になっている。映画にも登場する「アメリカで一番寒い街」と書かれたペンギンの置物も発見できる…が、作中の映像とマッチしない。おいてある場所が違うように見える。ストリートビューのデータが古すぎるんだろうか?作中の郵便局でのセリフ「358号線で殺された」に該当しそうな道路も実在する。358号線とそのままの名前だ。町から南へまっすぐ伸びている。例の動画が西のほうをバックに撮影されており、そこに北から郵便配達車が来る…というシチュエーションに矛盾なく一致するようだ。周囲の景色もしっくりくる感も…。

    しかし…いくらなんでもペンギンの周囲の風景が合わなすぎる。googleMAPでいうと、二号線を東南からcutbankへ向かってすすむと、INNと書かれた看板の前にいる。作中ではそんなINNはないので、意地になって適合する景色を探してみる。うーんうーんと調べると、なんとあのペンギンが映っている景色は、カナダの街だったのだ!

    http://ca.geoview.info/innisfree_cut_bank_penguin,93541969p

    「Cutbankのペンギンの故郷、innisfreeへようこそ!」なんて書いてある。なにこれ、ペンギンが映画で有名になってから書いたの?ww

    周囲の景色など考えると間違いなく、映画に出てくるペンギンはここだ。ストリートビューで移動すると、作中と全く同じ景色を得ることができる。裏付けとして、映画本編をお持ちの方はガレージでダンスの練習中のところに保安官が訪ねてくるシーンに注目されたい。背景にあのペンギンの後ろ姿がある。ストリートビューで上記のペンギンの後ろに回ってみると、確かにこの場所だと確信できると思う。

    ところが映画の中ではこのペンギンの正面に書かれた文字は、アメリカにあるCutbankの街のペンギンに書かれた文字だ。CG処理だろう。さらにラストシーンでは、自転車で子供たちが追いかけてくる道に看板がある。「Cutbankここまで、モンタナ州」と書いてあるが、カナダにモンタナ州の看板が実在するわけない。これはCGよりも設置したほうが早そうだ。

    当然、何故に本物(?)のCutbankにあるペンギンではダメだったのか、という疑問になる。カナダのほうが撮影コストが安いとかいろいろあるんだろうか。子供たちにラグビーボールを投げる場面も、ペンギンからすぐの場所だ。映画では奥の大きな建物にCUT BANKと書いてあるが、ストリートビューでは実際の地名であるinnisfreeと書いてある。その直後のシーンの郵便局もそうだ。建物がすぐ近くにある。ただし、壁の掲示が加工してある(あるいはストリートビューと時期がずれているだけ?)ま、いろんなところで撮影しているもんだね、と。

    ペンギンは腹に書いてある文句が違うだけで、人間は町を出るために偽装殺人を仕掛けなければならない。皮肉なものでございました。

    以上。

  • fuckyeahinternet

    確定申告でくらしの手続き系の検索結果の変化を感じ

    六年ぶり?ぐらいに確定申告をするのですが、当時はその一回きりかな~などと思っていたもので、学んだ結果はすっぽりと頭から抜け落ちております。とはいえ、日本国の統治機構が変わったわけでもありませんので基本的には同じことをするだけ。大体のところは覚えており、サササと検索した結果で事足りそうなんですが、細かいところは詳しく調べないとあやふや。そんな特異な例外パターンでもないので、ググればわかるやろーって、ググってググって。しかしその検索結果に当時と何か違う気がするなあと。

    妙に同じような事を書いてあるサイトがいっぱいヒットする。たいていドメインを取っていて、デザインも文章パターンも似たり寄ったり。

    google先生のウデマエにより、ちゃんとほしい情報が載っているサイトに飛ぶ…ことが多い。載っている情報が本質的には同じなんだから、内容が似ているのはそりゃそうだと。デザインだってまあ似ますよね。CMSとデザインテンプレなんだから。しかし数が増えた印象を覚えるのはなんでか。おそらくは、キュレーションとかいうものが持て囃された時代の名残により、そういうサイトがいっぱい増えた。もう一つ、実体験として確定申告をしたり、事前の調べ物をしてそれをブログに書いた人が増えた。合わせ技で、ただブログに書くぐらいなら、ドメイン取って広告でも貼るか~なんて人も増えたかもしれない。

    ITスキルの話も含めて、世の中の変化が顕出したパターン化もしれねーなあと。自分も変化せざるを得なかった一人。でも「検索結果に変化を感じた」とか冷静に考えたらアブナイひとみたいな物言いじゃないか。主は言われた「ググレカス」するとGoogleがあり、検索結果があった。Alphabetは儲かった。一日目であり、最後の日である。

    しかして、過ぎたるは猶及ばざるが如しと申しますね。本当に欲しい情報になかなかたどり着かない。「申告すると得ですよ!」とか、「こんな書類が要ります!」とか。知っとるわーい!何度か調べているうち、ある正解と思われる答えが出てきたので、以下に書いておきますが、こんな場末のブログではたどり着く人もおるまい。

    国民年金の控除証明書に記載されている額以上を収めた時も、確定申告の時に受領捺印済みの領収証を合わせて添付すればOKのようです。コンビニで払ったときにスタンプ押してもらうあれ。ところが、よく見たらこれは送付されてきた控除証明書自体に書いてある。なんでもググれば早いなんて思いこむと無駄な手間がかかる、良い事例でありました。神は死んだ。

    さー残り項目を埋めていこ~。