「十二人の怒れる男」を観た
Amazonプライム枠からの、削除間近でっせ~って表示があったので観てみた。名前は耳にした事ありますね。世間の評判を下調べすると歴史的な名作らしいが、古い映画はそんな評価ばかりだ。あるいは「死霊の盆踊り」みたいなB級枠。もっとしょうもないもの、見てみたいと思わなくもない。でも市民が動画を撮ることが無いような時代だもんな。
十二人の陪審員が裁判の判決(?)を下すまでの、一室でのやり取りを収めた作品。しかし法廷でのやり取りの場面が無い。やり取りが終わった場面から始まる。そこでちゃんとルールの説明があるので、こんなに議論が白熱する理由もわかるという良心設計。
本作は、裁判の場面もなければ、実際の犯行場面もない。真実は不明のまま、ただ証言に疑いが残るという点で解決し、さわやかにエンディングを迎える。疑わしきは罰せずとか、推定無罪とかいう考え方には沿った解決なんだろう。疑いが確信に変わっていくやりとりの過程が見事なもの。最初から最後まで面白かった。
しかしながら――――私には、Amazonプライムで数千件のレビューがありながら星スコア4.8という他に例を見ない極端な傑作であるということに、合理的な疑いを持っている。本作は傑作というには、疑問がある。私はその疑いを白日の下に晒す真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。んで時間も無いので本作は傑作ってことにする。だいたい傑作でええやろ、みんなそう言ってるし。11vs1だし。ほら、こういう重いテーマは傑作にしとけばええねん。証言だってあるし、レビュー警察は被疑者が実際にこの映画を見ていたという証言を得ているし。傑作でいいよもう。賛成。多数決。腹減った。ツウだしオツだし白黒だし傑作に決まってるんだ。「市民ケーン」も傑作になってるんだからこっちだけ違うわけにはいかないだろう、そうだろう?お前に何がわかるこのbluesky移民の(censored)野郎が縦長画面で(censored)😡😡
陪審員制度自体が日本に導入されて結構な時間が経つと思うが、自分はまったく馴染みがない。知人の知人の同僚ぐらいまで広げれば、この制度に参加したという人は1,2名いる。適当でええやろ、で参加している人がいないとも限らない。制度導入以前から、この懸念はあったと思う。実際どうなんだろうね。ググってみたら「裁判員制度」というらしい。裁判官は「法と良心にのみ従う」という設計になっているが、市民はどうなんだろう。その場の空気を読んで有罪にしました。不誠実だとは思うけど…責任負うべきなんだろうか…うーん。作中では、集まった十二人がたまたま知っているとか、たまたま自身に関連がある着眼点から目撃者証言の信憑性を揺さぶっていく。「ああいうやつらには罰を与えるべきだ」という主張もまた同じく十二人の中の一人が持つ、社会との関連性による主張である。だが、その主張は棄却されていく。真実に基づいての裁判とは、きっとそうあるべきなんだろう。でも本作みたいに、裁判員が探偵とか捜査官みたいなことをするなんて期待されているんだろうか。まあいいか。犯罪に関する市民の見識や良心なんて「犯罪者に容赦はいらないぶち込んでおけ」or「警察きらい」ぐらいなもんだろう。「私が必ず殺す」というのもあったな。
なお。
「猫も杓子も名作だ名作だ言いやがって醤油せんべいか」というフレーズを用意してみたのだが、いつの間にか商品自体がなくなっており、その後まさかのやわらか版になって再び顔を出していたという事実に驚きました。