どくしょかんそうぶん

「一発屋芸人列伝」を読んだ

誰が言ったか「一発屋」

すっかり定着した言葉だと思うし、結構古い言葉だとも思うがどうだろうか…。「D万円」とか「ザギン」とかそういう言葉と同じような経緯かな。特定の界隈の身内で通じる符牒が、世の中に広まったのかしらん。

一発しか世間を揺るがさなかったが、少なくとも一発は揺るがしたと言える。あるときにはふっと名前を、顔を、ネタを思い出されることがある。そんな「一発」まで到達すること自体が、とてもとても難しい。本書に列挙された芸人も、記憶に残っている名前が目立つ。ハローケイスケ、天津・木村、ムーディ勝山の3名は知らなかった。知られてないなら、思い出されもせんやないっかーい(カチーン)

名前に心当たりのない芸人の部分は読み飛ばしてしまったが、それ以外の一発屋芸人のエピソードには、ちょくちょくネットのどこかで読んだようなものもあった。きっとそれらのネットで見かけた文章なりなんなりの情報源に、本書も含まれていたことだろう。それでも飽きずに読むことができたのは、著者の筆力(ふでぢから)に依るものが大きいと思う。著者自身も一発屋の名跡であり、その大看板を背負いつつ、ちゃんと一発屋当人たちに取材した賜物でもあるだろう。コントや漫才を作る芸人というのは、どこか文筆やらトークやらに長けているイメージがあるよね。

一見、安易で稚拙と思われがちな彼らの芸だが、全く脈絡もない二つの言葉を並べ、韻を踏み、かつ笑いも取れるこの”大喜利”の難易度は高い。何故なら少しでも「意味」が生じた瞬間、ただの駄洒落と堕すリスクを常に孕んでいるからだ。そもそも、意味を見出し思考の拠り所とするのが人間の本能。それを避けて通る彼らの押韻スタイルは、誰にでも真似できる代物ではない。

本書「ジョイマン」の章より

各章ともに実に読みやすい。一発に至るまでの経緯はどうか、一発が炸裂中の生活はどんなものか、その後はどうなったか。そしてどうやって現在に至るのか。そう、「で、今は何してますの?」で終わりにせずちゃんと面白そうなエピソードを紡いで人となりを掘り出していく様子は、まるでスーパースターへのインタビューだ。いやいや、一発だけではあったが、スーパースターにな(りかけ|った)人たちではあるのか。「ジョイマン」の章は白眉であると思う。自分は彼らジョイマンが人気だった当時というものを知らない。amazonでやってた「ドキュメンタル」において、ジョイマンの高木の写真が笑いを誘う仕掛けに使われてから存在を知った。誰やねんて。著者は一発屋にフォーカスした本書で彼らを「0.8発屋」と認めた。それを由としている。一発に至っていない触れやすさ。いじりやすさ?そうしてそこに居るだけでいいという境地。扱いが伝説の域じゃねえか。志ん生か?

「近頃わ御夫人もナナナナーなんと申しましてな」

ところで。本書の構成。当人に取材を申し込み、直接会ってインタビューと言う構成から想像するに。インタビューを断られた芸人もいたのではないか。一発屋と言われてたまるものか、と憤った人もいるんじゃないか。自分はまだ一発当ててませんから、と遠慮した人もいるんじゃないか。具体的な名前が想像できれば面白いと思ったが、出なかった。病気の子供はいないんだね論法でこれを由としたいが…本書の取材時期は、内容にぽつぽつ出てくる日付から拾うと2016年から2018年ごろのようだ。それから数年経過して2023年となった現在、新たに一発枠になってしまった芸人も確実にいるんじゃないかと思う。その芸人の名前をオカンが忘れてもうてー。

大スターを夢見て芸人の道へ踏み入れた人たちには、一発屋というのはうれしい肩書ではないと思われる。二発目、未来がないと思われているということだ。でも、そんな人いましたねって、思い出に浸ってしみじみするのが妙に快い気分になる。ああ日本人的な情緒なんじゃないか。もののあはれ。

知らない芸人読み飛ばした癖に何を言うか。


正直に言えば、新たに一発屋枠になった芸人としてピコ太郎を思いついたんだけど、ピコ太郎のキャラが”芸人”と言われると違和感覚えるし、まだタレントとしてCMキャンペーンなどに起用されているみたいなので、「一発屋芸人」には当てはまらないのかなあと。底ぬけAIR-LINEのキャリアを含むのかとかそんな話もあるもんね。

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