ふでのゆくまま

蔵前駕篭にのって

乗ってません。

蔵前駕篭という噺がありまして、いよっ。これを聞いていたのですが、下げ(オチ)がいまいち分からなかった。「ううむ、もうすんだか」と耳には聴こえるのだが、「済んだか」でよいのだろうか。調べると、確かに「済んだか」となるようで、身ぐるみを置いていけと追いはぎが出るあたりを突破する為に、最初から着物を脱いで駕籠に乗り、いざ襲われたというときに、もう身ぐるみを剥いだ後であるかのように追いはぎを欺くというオチだった。ああなるほど。

正月に増えた体重をちょっともどさなアカン、と冷蔵庫には蒟蒻と豆腐が常駐。ここで大手レシピサイトあたりで豆腐料理のレシピを眺めてみたけど、これといって興味を惹かれるものはなし。あ、でも、白和えって豆腐なんだよな。作ったことないので今後試そう。何の料理でもそうだけど、調理器具と具材に乏しいので簡単なのしか作ろうとはしない。そんなに時間もかけれないし。だから其の侭でもなんでも食える豆腐は、なんというか万能なんだよねー。

燃えないゴミの回収が久々で、アレを捨てようこれを捨てようと思っていたけど、面倒になってまあ次の機会に、となる。夜更けに気付いてもそこから押入れごそごそする気にもならんわけで。ほら寒いし。洗濯物を干すにも手が凍るよう。眠気がすっかり覚めていく。寒さで眠くなったら死ぬ手前というしな、

ほら、

暖かい中で安堵のうちに微睡む様な幸福を、もうちょっと追求できないもんかと考える。一日に満足して布団に入るようなことがなくなっているし、目覚めればいつもだるい、そしてまた一日が過ぎてしまったと思う。悔いているのとも違う、諦めたというに近い。普通の人は眠る前に一日の終わりを感じるものであろうか、自分はどうにもそのような感じがしない。ダラダラと時間が過ぎていく。

1000円しなかったMP3プレイヤー。風呂でのんびり音楽を聴くとき専用に使っていたけど、先日入浴中に寝落ちした際に水没し、そのままお釈迦に。値段考えるとどうでもよい損失ではあるんだけど、また同じのを買うには憚る使い勝手ではあった。そんなに風呂専用で使いたいなら、それなりに防水のあるものを買うのが良いのではないかしら。考えておこう。

通勤中に突然電車が急ブレーキをかかった。たまに急ブレーキはあるけど、今回のは結構な「緊急」感が出ている止まり方で、危うく倒れそうになった。事由もわからぬうちからちょうど地下でメールも送れないしどうしよう、なんて手前の都合を考える。駅からだいぶ離れたところで急ブレーキってただ事でない感じもあり、そわそわしていると、車掌より淡々とお詫びの言葉があり、何もなかったかのように運行した。

そのまま…ごとりごとりと揺られながら窓の外を見ると、暗い地下道の壁、車内の明かりに照らされて自分の顔が映る。改めて見てみると、車内の人々と同じように吊革に下げられた荷物みたいに、時々揺れている。で、先日聞いた蔵前駕籠を思い出す。駕籠というのは人が担いで走るわけだから実際のところ相当に揺れたんじゃないか。大八車に人を乗せる、みたいな発想がなかったのはなんでだろう。どう考えても楽だ。いっそ、駕籠を大八車に載せればほらそのまんま使えるんではないか。馬車はどうだ。牛車なら平安時代にもあったし、馬に引かせるぐらい・・・・なんて調べてみると、馬車は幕府が禁止していたらしい。ほお…。

カップヌードル8個セットかと思ったら20個セットだったので、つまりポチポチポチと60個買ったったったった。まあ暖かくなるまではこれで。塩分だけ気を付けましょうぞ。

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