書を捨てよとおくの街へでよう

さあ地震だ何を持って飛び出そう!という準備や心構えが役立つかどうか、結局は運であるとしか言いようがない…。それでも、非常時の持ち出し袋なんかをまとめると、「これを持って脱出すること」という明確なミッションが誕生する。あわわわわわって慌てるよりは遥かにマシな被災生活のスタートになる…かもしれない。毎日半分以上外に出てますけどね。

さあ引っ越しだ!ふと思いついただけで、何の目途も立てていないのに持ち物の処分に余念がない日々であります。実行に至る準備は何もできておらず、物件も決めてないからには退去日も引っ越しの手続きもなにもない…。ただ、どんな形であれば転居となれば、確実なことには部屋にあるものすべてを持っていかねばならない。んで自分の持ち物を眺めると、ここに「これを全部運ばねばならないが、事前に減らすことが出来る」という明確なミッションが誕生した。何かの時に役に立つはず、良くわからないから取っておこう、みいなものをどんどん処分することになる。すなわち!コンピュータパーツ関連の箱や、ジャンクパーツそのもの、数年前の役所の書類…あなや、十数年前のものまで出てきた。十年袖を通していない衣類、あれやこれやなんかや。

こうして不用品が減ったからと言って、セットで必須のアイテムが増えるわけでもなく、その活用の幅が広がるわけでもない。押し入れにスペースはできたが、タオルなど日常取り出す品を入れてもしょうがない。今置いてある場所から移動しようもない。ほかに三段カラーボックスが丸っと空いたが、そこに何かを入れようか?しかし入れるものがない。ではこのボックスがもう邪魔なのか、というところの判断が先送り。さらに本棚までまるっと空いてしまった。もともと、この本棚は背の高く軽い板でできた、不安定な物なので重い書籍をそこにストックする気になれず、薬箱や領収書の類といった軽いものをケースに入れて積んでいた。一連の処分を経ると、そういうものが全部押し入れに収まってしまった。薬箱が押し入れでは不便だわ、と元に戻すなどすると、押し入れにも本棚にもカラーボックスにも空虚が点在するという、歪な計画が露になった生活空間が爆誕してしまったのである。本棚の隙間に顔を突っ込んだら高次元に繋がっていてにょきっとのぞき込めるぐらいしないと寂しいわ。インターステラー部屋だ。わはは。あのシーンの元ネタはドラえもんの引き出しだって知ってました?嘘です。わはは。

そういえば「インターステラー」がamazonプライムビデオの無料枠に入っている。まだの方はぜひ。

本質的には暮らしの快適さの追求ではなく、運搬の手間を軽減する、というお題目で断捨離したわけで。具体的にXXXがスムーズにできるようにとか、XXXを置くスペースを作ろう!ということではないのだ。ところが実行してみると、余裕を得た。いわゆる遊びという意味での余裕。これをこっちにまとめれば…と考える余地ができた。物理的にも、こころもちにも。その思惑こそが却って抜け出せない沼地の感も強いが、一旦動かしてみる、いまいちなら元に戻す、という作業はスムーズにできるようになった。これはもう一度工夫してみる余地があるか。

いや引っ越すという仮定だろうがと。この部屋でいまから工夫してどうする。ごもっとも。

単に引っ越したぐらいでは、日常必要なものが変わることもないだろう。だったら、部屋に置きたいもの、押し入れに放り込む物の選択も同じになるハズだ。でもウォークインクローゼットなんてある部屋になったら、スーツと上着、衣料品は入るだけ全部そこに…またロフトなんてものがあったら、やはり布団はそこになるだろうか。いやいやロフトは面倒くさそうだなー。現在住んでいる街は気に入っているので、なんなら数件隣でも良いかなって思わなくもない。でもせっかくだから、ご予算などに応じて何処かへ行くだろう。なんて…そんな選択を楽しめる余裕があるかの如く勘案している、そういう緩みがダメ人間。遊びと緩みは違うのだよ。

書を捨てる話書いてねえな。

昨今は不用品の処分の方法が多様化致しました。オークションやフリマ形式で自分でネット上に出品出来たりしますね。公園とかでやるようなフリーマーケットはもう下火なんじゃないかなー。では自分も、というところで、ものぐさ属性が発動しました。こうかはばつぐんだ!これらのサービスを利用するにあたり、売りたいものを「出品」という表現になりますが、実際買い手が見つかるまでは手元に置かねばなりません。発送するには、梱包してコンビニへ持って行ったり特定のサイズの梱包を事前に用意する必要があったり、それなりに手間です。こちらの手間だけを都合にすれば、できるだけまとめて売りたいものですが、買うほうからすれば、その選択はシビア。無駄な物品まで買う人などおりますまい。

どーしよーかなーと思っていると何もしないのが自分の性格。ローカルな古書店を訪れることにしました。ついでにDVDとCDも数点。十年以上も前でしょうか、お金に困ってCDを売った時は、両手ピキピキ言わせる重さだったものですが、今回は紙の手提げ袋にややずっしりという程度。

買取額の計算を待っている間に、「野村證券第2事業法人部」が売られているのを発見してピクッとなるが、ここで荷物を増やしてどうするよ。殉じましょう。amazonさんから闇金ウシジマくんが月末に届きますがそれはそれ。結果として1450円という買取価格で、皆さんはどのぐらいの量を想像されるでしょうねえ。CD一枚だけ400円の値が付いたものがありました。そんな売れ筋なものを持って行ったつもりはなかったし、最新ものものではリリース日は二年以上まえだったはず。なんかプチプレミアでもついたろうか。あとは100円とか50円とかそんなもん。

こうして大騒ぎしてなお、手元に残った「書」にはいかなる理由があるだろう。技術系の書類は当然売らずに置いてあるんだけど…それ以外。お気に入りの書物。こういうものまで全部捨ててしまうという方針は、実際とても合理的なものであるんだが…自分にとっては大事なものというのがあって良いじゃないかと。あるべきですよね、と。文庫本3冊、CD3枚に収まってしまった。

「電子書籍」の一言で書いてある内容ぜんぶ吹っ飛ぶのはわかるんですけどー。音楽だってamazonプライムミュージックじゃねえかよ。 技術系の本、たいして読んでないものも有用な事が載ってると思えばこそ取っておくわけで、段ボール三箱にもなっている。当然、ほぼ全部が電子書籍で読めるだろう。ようやく防水を謳う電子書籍リーダーも出てくるようになったし…風呂で読めるならな~~~。ところがその端末、利用者の評判がいまいち。紙の温かみ~~なんてオカルトなことを言わないけど、こういうボトルネックがあればこそいつまでも躊躇っている。紙の本のボトルネックは暗いところで読めないということなんだけど、そんな状況ねえよ。

引っ越しの着手まで間があるので、その技術系の書籍も捨てちゃう選択を考えるのだろうなー。電子書籍が流行りだしたころ、こうした多量の本をスキャンして取り込むサービスがあったのを思い出す。当時はいまいちピンとこなかったけど、十年近くたって需要を実感。

でも「自炊」って言われてたのはなんでだ???

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