“帰ってきたヒトラー”を観た

これはたまたまなんだけど、「沈黙」と続けてこれを観た。神は何故に黙ったままなのか、という作品と並んで総統閣下が庶民をまくし立てる作品を観るというのはより一層愉快でありました。もちろんネタバレ。

さてさて。これは風刺色の強いコメディという枠の作品ではある、と思っている。ヒトラー今ここにが戻ってきたらどうなりますかね?というテーマ。史実を知るものであればそら何か起こるでしょうという目論見となります。ええ、今ここにヒトラーが。

「いやあどうなるんだろうか」

映画の設定ではなく、ここに、街中に。貴方の隣に。

「えっ」

街中にヒトラーが出て行って会話する場面で、時折顔にモザイクがかかったりするのは、そういう演出なんだろうと考えた。つまりはいわゆるエキストラの人々であり、本当にそこいらの市井の人々ではないと。だってドイツではナチス敬礼の真似しただけで処罰の対象って言うじゃないですか。そんな明示的に表現の自由を制限するの、実は珍しいことなんじゃないの?そうまでして否定したい(しかし勿論無かった事には出来ない)出来事だという訳であります。街中に登場しても、当然カメラがいてクルーもぞろぞろと一緒に歩いているんだから、何か撮影中だとは理解するだろう。悪趣味で恥知らずで教育の足りてないユーチューバーの仕業と思うかもしれない。やはり、無関係な人々は、この度が過ぎた作品の関係者だと思われてはたまらないという感情になるかもしれない。ということは演出でもなくて、本当に顔を写してはマズイという意味のモザイクか?

はて?と頭の片隅では疑問に思いつつ続きを見ていると、後半には極右政党の人物本人が登場し始める。名前ググったわ。実物じゃねーか。ええ…これも台本通りの演出ですよね…?自分は打ち合わせして置いて、画面ではしてない体って演出は嫌いですよ?

こうして見ているうちに、街中の人々の何処までが仕込みで何処までがアポなしで本気なのか訳が分からなくなる。どうなってんだこの映画。気は確かか。いいぞもっとやれ、やいのやいの。どっかにメイキングの映像でもないものか。撮影クルーは襲われたりしなかったのか。

大人なら一度は、ヒトラーがどのように支持を得てあの立場に収まったかをおぼろげながら聞き知ったかと思う。ナチス政権下での国内政治は実に規範的に上手くいっていた的な話も一度は耳にしただろう。自我の薄い気真面目君に「我が闘争」を読ますとああいうものに染まるからやめておけ、みたいなアドバイスをどこかで耳にしたことは?

この映画では、もし彼が本当に戻ってきたら?こうなるのではないかという予感を現代を生きる我々にぶつけてくる。くだらないジョークや映画的愉快な演出でパロディの体裁は保っているが、見ていると、これは起こり得ると確信を抱いてしまわないだろうか。この思いは破滅なのか?希望なのか?彼は実在したのだ。

フィナーレではオープンカーに乗って街を行く。見かけた人々はどのような行動を取るか?なんでもSNSで拡散されていく昨今、撮影はこの場面が最初に為されたんでは?と訝しいほどに人々のリアクションがストレートだ。それが現代あの土地で生きる人の自然な感情ということであり、彼の面影を模すること自体への評価なんだろうか。

総じてあの体験は人類にはネガティブなものだったという事になっている。一方で、”どちらか”に都合の良い事ばかりが取りざたされてきただろうことも事実だと思う。そしてこの映画で採用された場面も作り手に都合の良いものばかりだという事を忘れてはいかんのだが…。ともかく!時を経たからこそ言えることもある。さあ思い出を語ろうじゃないか。まだ語れる人はいるかい。

…いまだに顔写真の一葉で人類の歴史の一つの象徴だ。全く以て総統閣下は、—-。

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