私がオジサンになっても

兄夫婦に待望のご子息が、ではなく、わたくしオジサンになりました。技術用語では生誕40年というやつです。現世の魂も半減期、萎れて奈落へ落ちるまで。…まあ日付を見れば生誕日は一カ月もずれていますが。

20になった時も30になった時もこれといって感慨はなかったのですが、今回もまあないです。これもひとえにはどちらかと言えば平穏な選択肢に縋った人生故の奥ゆかしさ。おほほのほ。感慨もないなどと言っている本当の所は、例えば20歳までにはXXXを達成するとかそういう目標もなくただ歳を取ったというようなことの。

こんな調子だと、死ぬまでにはXXXXXみたいな目標も持たずに終わるんじゃないの自分。行きたい場所、食いたいもの、全くない筈がないんだけど、執着してないんだろうか、そういう機会があってもはてなんだっけ?と呆けて風呂でうたた寝する。死んじゃうわ。

執着してないのは目標の達成ではなく、人生自体なんではないか。身勝手な目標に情熱を傾けるのも、自分の魂の住処にすら横着を働くのもまた自分一人のこと。しかしこんなものをフワフワと認めていては仙人気取りで格好つけてる腐れインテリではないか。それは違う。20代の頃は格好良いのかもしれないが、40にもなればそんなアートを哂って業に浸らねばならんよ。怠惰の見返りが違ってくるんだ。

つまり皆様におかれましては、今後も宜しゅうとかそういう事です。

東海道中膝栗毛を読ん….買った。

最近の教科書にはどんなことが書いてあるのだろうか、なんて思ったりもする。漫画だって30年も続けば作風が変わったりもする。そら現実世界の科学の進歩もすさまじく、昔の常識が単なる誤りであったり、政治的な意図で円周率が3になったりする。インパクトがあったのでこればかり取り上げられているが、実際のところ良識と学のある人が見たならば惨憺たる内容だったりしないか。ナアニ、子供なんてyoutuberのいう事ですら簡単に聞き入れるんだ、ちょろいもんだよおまいさん…。

東海道中膝栗毛は、江戸の世のベストセラーとして名高い…と教科書に書いてあった。しかしその一説すら知らない。なんか二人旅の道中記という所までは知っている。何でもないニュースをぼんやりとみていると、実際何が書いてあるのか触れられていた。女を見ては一発やろうとする、障害者を見ては遊びの道具にする、などのなかなかにアレな内容であるらしい。そら教科書には出ない。源氏物語だって内容は、とかそういうこと言うほど詳しくない。

なれば読んでみましょうかと、上下巻買いました。岩波文庫から出ているものです。原文をちょっと読みやすい仮名遣いにして、註釈がついているというスタイル。古文の授業を思い出す。教養の高まりを感じます。現代語訳されたものも御座いますので、手っ取り早くという方はそちらを。なんとなくえげつない雰囲気があるだろうと期待して自分はこの当時の文体が生きているほうにしました。

実際のところ、流石にすらすら読むことは出来なくてなかなか難儀している。落語や時代劇みたいなもんを想像していると全く読めないと思う。まあ年内ぐらいに読み終われば上等なんじゃないすかね。夏休みの読書と洒落込むにはボリューム多すぎたわ。