なつやすみのしゅくだい
七月中に宿題を終わらせると、あとは三週間ほどの無為に生きたという、ら。の幼生は、中学も出る頃になると鶏口牛後と言い放ち、アリとキリギリスとら。というきんもーっ★な生態系で虚数解を屠った。・・・俺は大槻ケンヂか。実際は典型的な田舎もん高校生でスーパーファミコンに明け暮れ、18にもなりみつけた世界の刺激物が筒井康隆の小説という。地球は丸いと信じながらまっすぐ走って崖から落ちるタイプ。井の中の蛙、空と水底の区別もつかん。なれば、知らないものは存在しない心地、つまり不条理というか、世界に当然あるべきギャップに弱い。アリとキリギリスと家畜だな。過保護で奔放。今との接点を見つけるなら、当時から屠られるべく身に纏った体脂肪と、こうして文章をつづり、当時の恩師に人間としてインスパイアされて、こうして、いる。どう言ったら良いかわからんが、自分の個性のうちその、根、あ、これか、と言えるものの一つに、鎖国中のEDO-日本みたいな安穏を腹いっぱい貪り続けた宿題のでた夏休みがある。いわんや冬休みをや。
もう十五年になる。今俺が、15年前に書いた読書感想文読んだらどう思うかな。恩師からもだれからも絶賛され、公的に有頂天を感じたが、特にソレが公的にはなんの影響も無かったことになっている。今年読む本は、smartyとzendFrameworkとflexのお勉強。あとlinuxの資格勉強もしないと。読書感想文なんてどうでも良い宿題を楽しみながら取り組んだ、うへへ、手を抜いてもよゆーだごるああああ、とすら思った、あの神々しいこころが今はない。4年ぐらい前までは違った形であったな。
この前西瓜を食った。ふと思いついて塩を振るのをやめて一切れ食べた。その分軽いってこともなかった。31歳になったんだが、しゅくだいがおわらねえ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。