おすすめのごほんは?
知人におすすめの本を訊くなら自分も挙げねばなるまいて、しかし自分は読書家でもなくなってしまった、ということで。→にバナーも貼ってるけど、アンソニー・ボーデインの「キッチン・コンフィデンシャル」が最近は面白かった。そこそこ古い本だけどね。
あとは過去に読んだ本の印象など、インターネットで全部吹き飛んでしまった。捨ててしまったからかも知れない。本棚には中谷美紀のインド旅行のエッセイ(しかも一巻だけ)とその「キッチン・コンフィデンシャル」があるだけ。伊勢物語は退屈で風呂で十分ぐらいでやめてしまった。何度かいろんなとこで書いてるけど、心にぐっと来る物は本棚からはなくなってしまった。世間の書店にもまだあるだろけど何でか何年も足が向かないね。
媒体が変わった、というだけで俺の好きなものは世に溢れている。失望することもないさね。
あー語ることもないわー。うんこうんこー。
もともとエッセイとか旅行記、ルポタージュ風の手記とかが好きなんだけど、そういうのってそれこそインターネットのものになったし、そりゃ本も読まないわ。
あのねえ、こうまでして本を読まない正当化理由を書き連ねるということは、読まないことに何か後ろめたいものがあるのだよ。例えば本を読むことがインテリなら、インテリに思われたければ本を読むだろうさ。人間は感情豊かであるべきだと思うし、心の有り様でとらえる世界の渕こそ美しけれとも思うし、だけど情報はインターネットにあり、知性はインターネットにあり、感情の紬もインターネットにあり、これ事実でしょう。
インターネットの無い環境なら読むか?読むだろうけどそんなお膳立てありなら猿だって興味を示すだろう。
また、読むことにも後ろめたい何かがある。どうしても書籍というか文庫本小説?とインターネットのfacebookやらtwitterやらそこらのブログとの間に、両方選んではいけないような壁を感じる。提供の容態が違うだけじゃないか。なんで本を手に取ることも、捨てることも共に後ろめたい??
ここに破壊の意志が本に対して向けられることとなる。これが本を書く人間や、読む人間への敵意ではなければよいのだが。年に一度か二度、手書きで縦書きという「本来」のフォーマットで文章を書く機会がある。文字は恐ろしく下手くそで、そこに心の篭もる余地は無い。ああ、後ろめたいのはこれかあ・・・。クソが。
じゃあインターネット上でおすすめなのって言われてもなー。でもま、ま、例のいとやなぎさんhttp://itkz.blogspot.com/は天才だとおもう。この意見はインターネッのみではなく、一般的な社会人(俺とか)たちの間でも支持される意見です。特に読書や書籍が好きな人。
2件のコメント
黒仔猫。
本屋にて、小野不由美の復刻版「ゴーストハント」最終巻が平積みされており
「ついに完結」「全巻セットはじめました」なるPOPがついていたので
迷うことなくオトナ買い。
10ン年前に図書館で借りて全話読んでたし、アニメも全話みちゃったので
目新しいのは一冊もないのだけれど、
昔のは少女小説文庫で出していた関係でキャラ設定や文章、漢字の使用などに制約が多かったらしく
ガッツリ書き直しているとのことなのでちょっと楽しみ。
そしてまだ1冊目に手をつけていませんよ(あれ?
いしにょ
本屋も滅多にいかなくなったなー。ふらーっと立ち寄ってひょいとなんか買う、みたいなのが粋なのかもしれん。デビルマンこんどさがしてこよかな。