記憶もあてにならない

チャレンジャー号の爆発事故をご存じの方は多いと思いますが。

先日、とある街を初めて訪れてちんたら歩いていたら、視線の高さ、思わぬ近さに旅客機が見えた。ほえーと眺めていると、さらに続いてもう一機ゆっくりと続いている。位置的にはもう羽田空港しかありえないので、旅客機が見える事は直ぐに納得できた。あのまま着陸するんだろうか。快晴の薄汚れた都会のそらに霞んで、滲んでいる。爆発せんだろうなあ、なんて思っていると、ふと、滲んだ機影で冒頭のチャレンジャー号の事故を思い出したのだった。あの日は確か、小学校を休んでいて、昼下がりに元気になって祖父母の居間でテレビを見ていた筈だ。やがて事故の一報が入り、ちょうど休憩中だった両親もテレビの前に佇んで「ひえ~~」なんて驚いていた記憶が、ふと、よみがえった。

まてまて。

チャレンジャー号が空中で爆発飛散した映像はくっきりと記憶に残っている。地上で悲鳴をあげる現地の人々の様子までも。これがおかしい事に気が付いた。前掲のwikipediaの情報では、現地時間では午前11:39だそうな。日本時間では深夜の1:39であり、自分が見たのがライブ映像の筈がない。時間的にも、日本の翌朝のニュースに間に合わないわけがない。みんな朝のニュースで知るだろう。その日学校を休んだ自分は朝起きてこなかったため、自分がニュースを見ていなかっただけ、と考えると辻褄はあう。事故の日付は1986年1月28日で現地は火曜日、ならば自分が事故のニュースを見たのは水曜日の昼過ぎということになる。家族は朝のニュースでは映像を見ていなかっただけかもしれない。

記憶などあてにならないもんだね。ならばついでに、平成になった日も自分は学校を休み、同じように家族そろってテレビであの小渕さんが色紙を披露するシーンを見た、という記憶になっているんだが…。実際どうだったんだろうか。検索したら1989年1月7日は土曜日だった。例の色紙のお披露目は14:00過ぎ。なあんだ、やはり記憶違いだった。家族はあまり曜日に関係のない仕事をしていたが、こんな大きなイベントに仕事の手を休めてテレビの前に集合したんだろう。

今と違って、手元のスマホでyoutubeの動画を観れる時代じゃない。テレビは二台あったと記憶しているが、それでもみんな一ヵ所に集ったもんだなー。今更30年前の、そんなパーソナルなものでもない記憶を訂正したところで、何も起こりはしない。だけど、なんかの折に記憶違いで単なる嘘を言ってしまうかもしれないしな。こうして調べる事ができるテクノロジーに感謝し、ついでに2001年9月11日とか、2011年3月11日の記憶にパッチを当てて、どうでも良い事に時間を使ったわけです。

このエントリを書いたのは2018年5月17日の0:30ぐらいであります。将来この日の事を覚えているだろうか。今日は天気予報に反して晴れ。30℃を超えた。シャツの色は白。上着は着て出勤。クールビズでこの一年ずっとネクタイなし。水曜日。定時帰りが推奨される曜日で、30分ほどの残業で退勤。地下鉄の車中、ずっと技術系の真面目な雑誌を立ったまま読んだ。カテ6のケーブルの扱いだとかを読んだ。読んだ本の発刊が2011年で、少々内容が古いが、為になるものだった。初めて二台持ちにした安いスマホ、SIMも刺さずに、電力がどれだけ持つのか試すべく持ち歩いた。そのことは誰にも言う機会がなかった。晩御飯は戻した乾燥ワカメと、茹でた鶏むね肉。練り物と豆腐の煮物も食べた。1:00を回り、そろそろ寝るかと、布団に入る。

…ところで、当時小学校は土曜日休みだっただろうか。

あゝなにもわからない。ぼくにはなにも、わからない…

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