安全第一
各駅停車の電車に乗った筈なのだけど何故か駅を通過。前のほうの車両の吊革につかまって立っていたので通過する駅のホームを見て、あれ?って思った。程なくして急停車。なんだなんだと思っていると、車内放送で案内があり、20分ほど待たされて元の駅までバックして、その後は何もなかったかのように運行。
何もなかったわけない。不自然だ。車内放送は「停止位置を大幅に超えたため戻ります云々」というけど、どうもブレーキの気配もなかった気がする。運転士が居眠りでもしてたんだろうか?だったらすぐに降りないと次には命が無いかもしれない。
普通より早い時間の出勤で、多少遅れても言い訳がたつ、というような事情もあり焦ってはいなかった。このまま乗っていて大丈夫だろうか、次のカーブでひっくり返ってすっ飛んでいくのでは、なんてことを心配しないのがこの国の暮らし。福知山線の事故の経過とされる文章を読むと、ぞっとする。多分、おそらく、もしかしたら、だけど、この事故の車両に乗っていた人でも、なんかおかしいだろって気付いたひといたと思う。月曜日の午前9:00過ぎ、降りて乗り換えたり待つような余裕のある人が多いとは思われないけど、もしかしたら、亡くなった方の中には、これに乗ってて大丈夫か、なんて思いながら事故に遭った方がおられたかもしれない…。降りて助かったという人も、いるのかもしれない。
自分が体験した急停車、ネット上で全く騒ぎにはなってないなーと思ったけど、一部マスコミのニュースにはなっていた。
http://www.asahi.com/articles/ASKC23D3YKC2UTIL00H.html
レインマンて映画見た事ある人多いと思う。彼は、カンタス航空の飛行機じゃないと乗らないと主張して兄を困らせる。今までに一度も墜落してないからと。この行動は精神的には病理のほうへ分類されるもんだと思う。「生活」が破綻しかねない。
安全第一にも限界があるんだろうなー。ちょっと危険でも良いから電車うごかしてくんねえか?みたいな割と大参事にはならない程度には、質の世さが担保されている、されて、され、されているといいんだけど、謎のO-157流行とか、精鉄がどうの車の検査がどうの、ちょっと価値観変えないと命が危ないなんてケースが増えてくるんでしょうか。これについていつもながら、まず自分の考えはこれ。
めんどくせ。