日記どころじゃない。
大げさに言うのならば、インターネットはこの西洋文明が、いやいや、人間があるかぎり利用され続けるだろう。技術的な革新は当然今後も相当数見込まれる。インターネットという名前ではなくなるだろうし、現在の技術的な云々も『むかしの船乗りは北極星を目印にしました』みたいな太古のライフハック伝説の一節に収斂され、他愛の無い話になってしまう。
しかしどうよ、オレゴン州の農家のオヤジの日記とか、地球の裏で爆撃され肉片になる人々とかを観察できる、場合によっては意見するなりなんなり、直接関わることができる。すげえな。先日、ustreamでGNRの曲を練習中・・・か単に見せびらかしたいだけ・・・の外人さんのチャンネルを見てた。見てるのは自分ひとりだったから軽くサシで話したようなもんだった。十分ほどだったけど、まあ楽しかった。んー。すげえな。お互いに誰かわかんないんだぜ?そりゃ調べればわかるけど、そのときそこではあんまり意味は無くて、「何か聴きたい曲あるかい?」「”Locomotive”とかどうよ?」「難し過ぎて無理だっつの!:(」なんてやり取りが成立したことがすげえ。ほんとすげーよなあ。
と、ここまで。この自分の意見に賛同するには条件が二つある。インターネットと、日本語だ。この二つの条件をクリアした僅かな人の中から、さらにごくごく僅かの人が、これを読んでいるわけ。・・・ところが、これは、もしかしたら数千年残る文章になる。枕草子みたいになるかもしれない。聖書になるかもしれない!「おいおい、古代人、いろいろ入ってる財布落とすなんて何やってんだよ!」みたいに突っ込まれるかもしれない!!
というわけで財布落として大変です。日記どころじゃない。