• ふでのゆくまま

    ざつ

    街角にて出会う狂気。「モデルルームはこちら→」といった看板を掲げるバイトが椅子に座って邪魔臭いところにのうのうとおり、だらしなく座るがあまりに看板の矢印が遥か北極星を目指していることなどに気付く気配はまったく皆無、なぜなら彼は我々には検知できない何者かと微笑を湛えながら会話を交しており(^-^)暖かな陽射しに上気した彼の紅色の頬はそこだけ朱筆のようでまだ乾いておらず、濃い眉の、著しい黒の立ち向かう希望。どうせわれわれはだまってやじるしのさきへすすむいがいにできることがなく、というようなことを書いてる自分のほうがよっぽど病んでいる。その手の方々というのはどうにも印象深い。頭の中で誰かと話すことを妄想する。それは助平な感じのアレかもしれないし、面接の練習のつもりだったり、プレゼンのリハーサルかもしれないが、つまりは切なる希望。うまくいくはずの未来を自分ひとりで必死で保ち続けていて、当然のようにそのような未来はやってこない、自分が所望した未来の希望は北極星を目指して離れていってしまう。偲びず、その希望に語りかける人々がいて、返事を得るために幾度となく繰り返すコンタクトの、果てに人々を殺すようなものどもが折り、浅ましい欲望の果てとささやかな望みの入り口は同じところにあることを一本の矢印が実況生中継していたわけですが、春先の空に、暗い闇に浮かびあがる地球から見た世界の中心の北極星が、なぜかきちがいの頬にあったというわけですね、ええ。我々は近くに居ます。衆生、観世音の名に祈らねばなりませんぞ。仏はみな微笑んでおりました。ぶたれたら頬を出せなどと戯言で御座います、微笑を可及的速やかに停止し、北辰を見極め矢印の如くに一点を射抜き、お前をぶっ生き返す。

    五月病というのは新しい環境に馴染めなかったりして疲れてしまう状態のパロディですが、今までにそのような症状の人を間近で見たことはありません。新卒採用の人が入ってくるような職場に勤めたことがないのです。が、今はわりと人数の居る中堅企業様に出向いてお仕事しておりまして、数名の新入社員の姿を見かけることも御座います。いやー、若い。自分が大学を出たばかりの頃にこんな新鮮さというか、瑞々しさ、なかったよなと。うちの会社の社員は年齢層が20代後半から30あたりに収まっていて、採用もほぼその年代。そんなわが社にも、設立数年を経て初めての新卒採用がやってまいりました。20そこそこの若者。これをトリガーに会社としてもなんらかの動きが必要なところ。社員一同でなんたらかんたらと。ホントにがんばらねーとなー。

    体重計に乗ったら新しい炊飯器など探している場合ではなかった。とほほほ。

  • ふでのゆくまま

    忙殺とは一体どういう状態なのであろうか。忙しくて死ぬのだろうか。忙しく殺すのだろうか。これはきっと、忙しいゆえに自分の時間が死ぬということなんじゃないのかしらん。ケツに回され続けたあれ、や、これ、や、その他諸々種々が、順番が回ってきた頃には死んでいるのだ、ああおっ母さん。

    というような雰囲気で以ってゴールデンウィークに突入する。休日出勤がど真ん中に入ったので、関西行きは中止。GWは近場のまったりをしつつ、修羅の如くにキーボードを叩いて、あれ、や、これ、や、の犠牲となった亡骸に命を吹き込む業務に勤しみます。

    そんなわたしを引っ張り出してくれる勢力も絶賛募集中。

  • えさのじかんだ,  ふでのゆくまま

    酢鶏

    昨日の晩飯には酢豚を頂きました。玉葱だけでできるレトルト物ですね。玉葱を炒めて、そしたらその具材を炒めて、ソース入れて出来上がり。肉までレトルト側でしたので、あまり期待してませんでしたが、まあまあ美味。あまりは翌日の朝飯に、即ち本日の朝飯に。昼。社員の方が弁当余ったのどうですかと。自分も普段同じところの弁当頼んでいるのだけど、本日は何故か注文していない。なんつーピンポイントな。ありがたく頂く事に。

    という訳で三食連続で酢豚を堪能したっつーかする羽目になったのであるが。

    豚肉じゃなくても美味しそうじゃないですか。鶏肉でもいける。で、酢鶏といえば名の知れた「人工無能」です。twitterでの活躍はこちらで。

    辛いの、とりわけ唐辛子が苦手になってしまったので、麻婆豆腐とか坦々麺は好かない。キムチもいかん。熱いのをふーふー食うのも好かないので、チゲ鍋とか無理。なので八宝菜や餃子、酢豚にほいこーろー、炒飯あたりが実にうめえ。・・・自分は大人になってから嫌いな食い物が増えたタイプ。去年親に聞かされて衝撃だったのが、幼稚園児ぐらいの頃は卵かけご飯が好きだったんだと、俺。今では生卵全般食べられない。いくらや明太子もダメ。目玉焼きもゆで卵もカチカチで良いし、すき焼きに生卵なんてそんな酷い話が東京では一般的だなんて。

    まあ、好きなものを好きに食えるのは幸せと言わざるを得ませんね。今日もグレープフルーツには塩です。

  • ふでのゆくまま

    杞憂

    昔のことで御座います。中国に杞という国があり、その国の人々はいつもいつも心配しておりました。「空が落ちてきやしないかしらん・・・」以って、無駄な心配、取るに足らない事を真剣に心配する様を「杞憂」と申します。ミサイルはどうでしたかねー。

    ミサイル、などと言ったけれども、実際になんだったかはわからんわけで。それでも、あいつらやりかねないよな~なんて不信感はありありと。国家としての格ってこういうところに出るんだなー。事前に打つ日時とか方位まで申告したのに、「すわテポドンか」と、この騒ぎ。だって脅し文句ばかり放送していたじゃん、って、本気で衛星を打ち上げようとしているのに、東側にある国が迎撃の構えを見せればそりゃあ憤りもするわな。遺憾のいー!だけど。そんなフリをして本気で一発撃ち込んで来ないかと。あいつらならやりかねないと、そのイメージばかりが付きまとう。実際にはやってないのにな。アメリカが日本に何をしたかを・・・まあ、この話は関係ないから置いておくけど、猿呼ばわりして数十万人規模で虐殺したわけで。しかし今そこにある危機的な意味で、恐るべきはその不可解ぶりと混迷ぶり。ああ、衛星だったとしても日本に落ちるに違いないよ!

    という、不信感を後ろ盾に、ちょっと防空演習しましたってのが正直なところじゃないのかなー。もちろん本気で撃ってきた場合もちょっとは想定しているだろうけど。本気で想定してあの程度の対応はどうかしら?軍事素人だけど。交通が規制されもしなかったし、お花見盛り上がってたよ、東京都内。撃ってくるわけねえだろ、国内政局的な茶番だと仰る夫人も居るし、種子島でも貸せばいいなんて金にシビアなイメージのあるエモンも言っているけど、自分の感覚だと、あの国にはそんな常識が通用しないな、ってイメージは一般的なものだと思われます。はい。とりあえず対策は取ることでそっちの批判をかわし、大事(おおごと)にはしないことで混乱をかわし、静々とコトを運んだことにしておきたいものです。

    ところで、配置したミサイルはそのままにしておくのでしょうか。だとしたらそれはそれで上手いなあと。

    で、結局なんだったのさ?????