帰省のあと
無為を為しに帰省しているので、滞在48時間中半分以上寝ていた気がするが一向に問題はない。今年もその足跡などもそもそと。
郷里には水郡線というマイナーな路線の駅もあった。水郡線、地図などで見る限りではやまあいを無理やり走っているような路線で、その景色たるや大変に俺好みに違いなく、この機に乗って帰りましょうそうしましょういざいざ、調べを進めるうちに絶望的な所要時間、またそのダイヤの悪さなどがあって断念した。始発で三鷹を出て、水戸に着いて一時間以上待つとか意味がわからない。それでも、その駅の近くには愛着のある景色が広がっていることは違いない。しかし、その駅を利用するということは、バスなど走っているとは思えず、徒歩なら目的地の実家まで三時間以上かかるという常軌を逸したルート設定。酷暑。死ぬ。
死しれば墓地。では祖父の墓を目的地に設定し、そこで父に迎えに来てもらおうという魂胆。駅に着いたら連絡する手はずを無視、墓参りをすませた時点で連絡をいれよう。目的地が墓地ならば目的はお参りであるから、それに必要なグッズなどがあるはずだが、当然常備していない。出発前夜の夜更け、コンビニで線香、ライター、酒を買う。翌朝早くに、出発する。
水郡線のデザインに吹いたwwなんだあれ。
GoogleMapが高性能すぎて田んぼのあぜ道を示した、その可能性にかけてあぜ道を目的地と思われる方へ一人歩む。ボストンバッグを抱えて田んぼのあぜ道を、へとへとに疲れた様子で奥まったほうへ一人歩む男性。「自殺しようとしている人がいる」などと通報されてもおかしくない。実際されないように明るい笑顔で「ちわー」などと挨拶をしていた俺はえらいね!駅で水を買っていて正解だった。頭にタオルを載せて、その上からじゃばじゃば浴びる。田んぼを歩いているのに日陰なんてない。タオルも持ってきて正解だった。マジで倒れる。ひとまずは、川を渡る橋。そこを越えればあとは確実に道がわかるんだけど、そこまでが遠い。草むらの背丈が高くて先の状況がわからない。川沿いの堤防の上の道に出てちょっと安心する。これで流石にまようことはない。
橋をわたる。目的地の墓地が彼方に見えることで安心し、座り込んで休憩。息が上がっている。本気で熱射病を心配して、さらに水を被る。ここでようやく、「わたしはいったい何をしているのでしょう?」とまっとうな疑惑が入道雲のごとくに、とはいえ、景色はあまりに美しいの一言。いつか夏の暑い日に歩きたいって十年も前から思っていた、ことにして、がんばって歩く。クソがクソが。自販機を発見し思わず拝む。ポカリが売り切れててケリを食らわす。
祖父の墓の場所を少々失念してしまった。坂の上の、奥まったところ。。。というのは覚えていたのだが。何度かうろうろしているうちに、祖父の名前を発見する。黒いボストンバッグはそれ自体がもう熱くなっていて、中の酒もぬるい。ふたを開けたところで、どうしたものかと迷った。乾杯でもないし、献杯でもないだろ。豪快にだぼだぼとぶっ掛けた。直ぐに日本酒の香りが広がる。線香に点火。手向け。立ち去りがたく、景色をしばらく眺めてから、親父に連絡をする。居場所を告げたら「はあ?」といわれた。そりゃそうだ。
空き家になった祖父の家の前にふてぶてしく腰を下ろし、到着をまつ。「子供を誘拐しようとしているひとがいる」と通報されてもおかしくない、というか同級生なぞにでくわさんだろうな、あわわ。父の見慣れない車が着くと、助手席には母も乗っていた。一通り事情を話し、家へ。
土産などを渡す。昼飯、着替えて、荷物を整理し、ているうちに寝た。以降、数時間ずつ転寝をしただけの帰省となった。晩御飯。転寝、散歩。
散歩、なんだけど22:00ぐらいに出ようとしたら親にとんでもないと驚かれる。この時間にこの田舎で出歩くことは職務質問の対象であるし、また治安もあまり良くないのだと言う。懐中電灯を持っていけなどといわれて流石にたじろぐが、アイス買ってこいとも言われ、何なのだお前らは。アイスは帰宅途中でだいぶ溶けた。ハーゲンダッツで美味い美味いと言ってくれると買いに行った甲斐があるのね。親のPCの調子を見てたら25:30になった。このやろう。
翌朝。普段どおりの時間にきっちりおきる。メシ。本を読みながら転寝、昼飯、転寝、散歩、晩飯、転寝、読書、風呂、読書、寝。合間合間に会話など。何もしていない。素晴らしい。
朝飯にサーロインステーキは失敗だった。大変に美味だったのは良いけど、帰りの新幹線でずっと胃がどうも。
かつてない残暑、という感じの日々にぶち当たってしまった。避暑値はマイナスですらあったけど、太陽を浴びたいと思っていたのでまあよかった。郡山から新幹線に乗るときは、大宮で降りるとだいぶ安いといまさら発覚して大変にくやしいいいいいいい。以上。つかれた。