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ざっき
師走もそろそろ後半かな、そんなときに寒波がやってきた。
どのぐらい積もっているかな、なんて街角ライブカメラのようなものを探した。グーグルマップで降ってそうな地域をうろうろする。日本海側から山沿いの地図を滑らせていると、不意に甲府へ到着した。そういえば、行ったことがあると急に思いだした。何年か前の大雪では、現地は大変な思いをされたようだが、冬季オリンピック中だったのでマスコミはスルーした!なんて言われていたっけ。今回はどうだったんだろう?
甲府のあたりをズームアウトして眺めると、東京から思ったより遠い。新宿から高尾まで行ってもはだ半分ぐらいが。当時は、たしか電車で日帰りで行ったはずなんだが、こんな時間かけて移動したっけ?前の日泊まったっけ?こんなふうに、記憶のあやふなことったら。だから、この三年ほど東京の外に出ていないな、という記憶もあやしい。あやしいが、どうやら本当のようだ。
東京の、外。
壁の外が出てくるなら人気アニメの話だが、自分はこんな自由な世界で、旅に出た経験にも乏しい。旅ねえ…。グーグルマップをそのままゆっくりズームアウトを続けると、主要道路が葉脈みたいに表示されて、人間の存在感が消える。やがて草を食いすぎて緑になった牛みたいなパターンで染められた、おなじみの美しい我が国にっぽん。そのままズームアウトを続けると、やがて宇宙から見た地球の様子に、様子に、あれ?ならないな。昔はgoogleMapでズームアウトし続けると、GoogleEarthの画面にならなかったっけ?ううう、記憶のあやあやふやな事ったらら、人類は月には行ったっけ?富士山の高さは二万哩、円周率はきっちり2、ハイゼンベルク描像を下限とした湯豆腐の煮え具合。
前澤氏が宇宙へ旅立った。んで、何をしたかは知らないが、帰ってきた。「宇宙へ旅立った」なんて亡くなったという比喩みたいだな。金持ちの考えることはわからん、という言い回しがこんなにしっくりくる人物もそういないと思っているが、本当に宇宙行ってきた。外国メディアの発射シーンの映像を見たが、「billionaire」って肩書で紹介されていて、そう表現されると改めて「道楽」って感じがする。確かにただ宇宙に行きたい人ってだけで、何もない。映像を見ていて、不謹慎だけど何かトラブルでも起こらねえか、なんて思っていた。でもロケット打ち上げでトラブルってそのまま木っ端微塵ってこと。別にあやめるつもりはないので無事に帰ってこれてよかった。費用についてもそうだけど、良く行く気になったもんだ。確かに「宇宙へ行く」なんてことは、実際に体験してみなければそれについて何も語れやしない。これがそのうち「飛行機に乗った」ぐらいに気軽になれば、語るようなことも無くなるのかね。地球の外。
大晦日、夜更かしする気にならず、いつもより相当に早く寝た。日の出はるか前に起きて、そのまま行ってみたかった場所に、電車に乗ってなんとなく。都内を離れると、初詣と思われる人たちで電車は思ったより混んでいた。「良いお年を~」とボケながらわいわいと電車を降りていく若者を横目に、わてくし蚊帳の外。なんとなくでお出かけを後悔するほどの寒さだったが、道中夜明けと初日の出は文句なく美しい。
帰宅、洗面所の電球がきれてた。伊達巻まる齧ってふて寝。なんだこれカステラじゃねえか。ケッ
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めし短観
鍋の素スープじゃんぶらこ、時々肉とか魚とかちくわぶとか。みたいなもんを週に三日も食っていたのだが、考えてみればこんなのラーメンの汁で野菜を茹でて食っているようなものじゃないかな。塩分と油を控えめにすべく、いわゆる水炊きでポン酢への転換。ここで100%の転換すると飽きてしまうので、ほどほどそこそこ。ポン酢8:こってりスープ2ぐらいで攻めよう。
餃子にはお酢というのがここ十年ぐらいお気に入りですが、胡椒を入れるという情報を得た。実践してみると、不味くはねえけど美味くもない。そろそろ何も付けずに食う、にたどり着くことだろう。じっさい、水餃子はそれでよい。焼きはどうかな~。
花椒(ホアジャオ)を買った。粒のままで袋に小分けされている。なんで買ったか意味わからないが、これはどうするのだろう。ググって出てきたレシピで、麻婆豆腐に入れるという当たり前なものがあったので実践。こういうものをちゃんと風味豊かにするには手順があるんだろうが、ひき肉と一緒に炒めて誤魔化す。うーん、いまいち。使い切るのめんどくせので、次の麻婆豆腐で全量消費を宣告する。当然ながら、麻婆豆腐の素を買い忘れた。よくある事なので、豆腐とひき肉炒めに花椒の粒をどばどばと。今度はスプーンの底で荒めにつぶしてまぶしたが、そんな美味しいもんでもなかった。
良く行くスーパーの水菜はもうちょっと少量で売ってくれねえかなあ。あいつは薬味枠だと思えば少量で良いんだ。葱ほどいろいろ使えないような気がするし。例えば、刻んで冷ややっこにぱらぱらと?蕎麦にぱらぱらと?味噌味にぱらぱらと?全部いけそう。ムムムと再考すると、これはは芯?茎?の部分の話で、水菜にはふさふさの葉っぱがある。あいつの処遇なあ。
料理酒もみりんも消費期限があるんだが、あまり使わないもんで。意識して消費しようとしても、ブリ大根を二日おきに作るとか雑なことヲホホ。和風料理のレシピを参照すると、何にでも使っているぐらいの勢いで出てきやんの~。はいはい使って差し上げましょ。適当なレシピを巡っていると、「貝割れ大根」って書いてあった。誤植かなと思ったが一般的な用法のようだ。発芽した様子が二枚貝に似てなんたら。しかし、大根に似てないんじゃないか?でも緑の頭に白雪肌。あるいは味か。わかめと大根おろしに貝割れをファサー。
菓子パンって食べない。サバの塩焼き定食(大盛り)よりもカロリーあるものが合法とは恐ろしい。そんなものは若くないと食えませんが、たまにはいったろやないかい!というのが人間型のいきもの。チーズだウィンナーだというのもあるが、おそらくそれは「総菜パン」なんだろう。菓子パンを所望するだら甘味。クリームパンうぐいすパンあんぱん。んで、イチゴ大福を買って帰るいきもの。
子供の頃、爆発的に流行ったと記憶している。その頃の記憶と比べてどうよ、この小さい事。中のイチゴなんて1/4ぐらいにスライスされてる。齧った時に丸ごと入ったイチゴの汁が垂れてくるのを、あばばっていうて零さないように食うのだ。最近、缶詰とかお菓子とか飲料、あらゆるものがサイズ小さくなって売られていて、日本が貧しくなったとかなんとか言われております。手のひらサイズのお菓子でしみじみ実感できるから、如何にもその通りと思えて怖い。
中国の搾菜の売れ行きで、現地の景気を計るという搾菜指数とか言われるものがある。らしい。(最近はどうだか知らないけど)中国では労働者が景気の良い働き場所を求めて、億の単位で移動するらしい。となれば、労働者が沢山押し掛ける地方で搾菜の売れ行きがあがるから、その土地の景気は良いと判断するわけだ。日本の食品のサイズも景気判断の指数にでもなるだろうか、あるいは悪意のこめられ具合か。でも、指数とか婉曲的なものじゃねえよな、どストレートに誤魔化しやがって。
おせち関連商品が売られていた。12月もまだ半ばだというのに、なんて思ったが次の週末はクリスマス。試しに何か手に取ってみると、消費期限が12月30日とか書いてあって、そらそうなるだろって。東京に出てきてから、しばらくは年越しそばの習慣を守っていたような気がする。学生を卒業してからは、大みそかに郷里にいたことは1,2回しかない筈で、一人でずずずずと。いつしかめんどくせえのでやらなくなり、違う趣旨のものを食べてみようという動きも疎かに。春雨スープを食べて来年は清らかに生きたいなんて思っておったのです。今年は半減期に到達しそうなポテチと、桃屋の搾菜とイチゴ大福でも昼から食って、風情の自壊を堪能するとしたい。
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「AKIRA」を観ろ今すぐ
なんでも、作者の大友克洋氏の何かが来年発売になる記念ということで、2021年12月28日までYoutubeで無料で見れる。お前らも観ろ。アニメでAKIRA、ゲームでportal。この二つは義務教育。細かい話はオタクさんがたに任せて我々パンピーはとにかく観ましょう。
「バックトゥザフューチャー」と同じで、小間切れに引用された場面とかが幾つもネットにある。本編通して観るというのは子供の頃以来だ。その子供の頃にしたって、ローカルなお祭りとか垂れ流しにされているのを見たような記憶。電話帳みたいなサイズのコミックは、大人になってから読んだ。
まごうことなき傑作。例えばこのサムネイルの場面。バイクに乗ったまま横に滑らせて、視線をカメラに向けながら遠ざかる。この場面のオマージュ、パロディだけでも世中に幾つあることだろう。
個人的にはやはり漫画版の印象が強いため、このアニメ版は「なんか唐突に終わったなあ」という印象になる。爆発の場面繋いでエンディングまでワープした、みたいな。とにかくみましょう。
あ、オマージュを集めた動画もあった。のび太も出てくるんだけど、あれ本物か?ww
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「寄生獣」を読んだ
懐かしい。以下、ネタバレです。
Amazonプライムで無料枠で3巻まで読んで、知っている場面と記憶にない場面があった。多分、以前読んだ時には立ち読みでもしたんだろうなと思う。床屋で待ってる時とか?4巻以降を電子書籍でお買い上げ。やはり所々知っている場面があったりした。
連載は1990年から、1995年。当時はやっていたタイプの漫画のように、すごいパワーを得た主人公が格闘アクションする。連載時期はドラゴンボールで言えばナメック星に向かう~連載終了までの期間。本作は強敵と戦うだけではなく、地球と人類のありかたについての疑問を呈するというシリアスなテーマがある。最終巻、作者の後書きも載っているんだけど、印象深い一文がある。
「寄生獣の開始・第一話を描いた頃、世間は現在ほどエコロジー流行りではなく、環境問題についてもさほど騒がれてはいなかった。つまり、『愚かな人間どもよ』と言う人間が滅多やたらにはいなかったのだ。」
寄生獣 10巻あとがき作者のいう「エコロジー流行り」というのが具体的に何かはわからない。ただ、この作品が連載されていた当時の自分は中学生、高校生だった。自然環境への取り組みがされていなかった、なんて記憶はない。ダイオキシン問題で、そこいらの庭の焼却炉でゴミを燃やして処分することなんてできなくなった。フロンガスの件もこの頃じゃねえかな。人類がなんとかする必要がある、という認識はだれしも持っていた。それこそ「人類が悪い!」みたいなのはモチベこそ違えど似たようなことが聖書関連にもあるとかないとかあるとか。
適当な事いうておりますが。
で。
最後まで一気に堪能したんだけど、物語の最後のほうで少し首を傾げるところがあった。市長を名乗る寄生生物を射殺したところ、実は市長は普通の人間であったことが判明する。なんとビックリ…ところが、その人物はミギーにより寄生されたものと判断されている。5巻ぐらいかな、街中で演説しているとき、ミギーによって壇上に六人いるとカウントされていた。その六人に含まれている。ミギーは「私もこの距離では見分けにくい」と言っているから、確かに彼が寄生されていると断定はしていないが、壇上には彼を含めて六人しかいない。おやおや?
こういうのが伏線っていうのか?(どうも、伏線が伏線がって読書感想文ばかり目について辟易するんですがー)
こいつが寄生生物組織のボスであると、一部の隙もなく読者に思い込ませるためのフリなんだろう。作中では、街頭演説の場面の後すぐに、ミギーがこの”人物”の事を評している。「人間に成りすまして勉強しているうちに、本当に政治に関心をもつようになったのではないか」とか、「案外立派な市長になるかもしれん」とか、「戦っても勝ち目もないし」など。これで人間であると思って読んでいた読者はいないんじゃないかなあ。
ところが、人間だと判明したときの「あれ、こいつ人間だ」で済まされてしまうのもまた見事な展開だと思う。こいつが人間だったという事は、どういうことか。読者に投げかけているわけだ。演説の場面は、正体不明の敵を偵察に行ったら想定以上に大人数でマズイ、という緊迫した場面。この場面ではト書きでしかない彼の演説の部分だけあらためて読み返してみれば、割と普通の政治的主張に読める。実際は、連載当時では尖っていたのかもしれない。
どうも人類の存在自体が災いであるという発想を人間自身が持つということ…そういう発想に至ること自体が、そういう目的の”生物”が誕生すること自体も、生命の大きな仕組み、流れの中にあるというなら?
あほくさ。
なお、本作はイエローモンキー種以外の人類は登場しない。地球と生命という大きなテーマがありながら、地方都市の騒動で畳んだのも、見事なもんだなあと思いました。本当にそういう処理をしそうじゃないすか。
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ざっき
リュックのサイドにポケットがついているやつ。ペットボトル収めるのにちょうどよいやつ。どちらかと言えば、本格的なアウトドアブランドの商品に多い印象。自転車が趣味の人は、なんかチューブ繋いで乗ったまま水分補給できる仕組みを使ったりするんだって。という、そのポケットにビール缶らしきものを格納しているお姉さんが気になってチラチラ。土曜午前の電車なんですけどね。
降りる駅が同じだった。立ち上がってそろりとそのお姉さんの後ろについて、確認するとプルタブが開いている。真冬の怪奇。中身があるのにそんなところに格納して持ち運ぶわけない。運ぶ理由はなんだよ?空なのかな?ふと、ゴミ箱がなくて、家まで持って帰る途中ではないかと気づいた。それなら合理的なような、いやいややはり珍妙なような。
突然スマホ充電できなくなったかと焦ったが、どうやらUSBケーブルがだめになっただけのようだ。そういえば、部屋で使っている電源タップも物によっては十年以上つかっているのではあるまいか。ついでに変え時かしらん。こおゆうのは全部いっぺんに変えると困ったことになったりするので、電源タップ二つばかり買う。プラグの差込口もふえたので、まとめることができる。一個減らすことができた。何かの非常時に役立つかもしれないから、一番長いのは残し、あとは捨てよう。
良く晴れた日の朝、敷布団が干してあったのだが、マンガみたいにおねしょのような跡がついていた。そういうデザインの布団か?そんなバカな。単身者向けのマンションに見えるのだけど、お子様がお住まいだったんだろうか。でもま、大人でもお漏らすことは、あるもんね。
以前より読んでみようかと思った作品があるのだが、買おうとおもって探したら思いのほか長編だったので日和った。あと、電子書籍だと古本に比べて圧倒的に高い、下手すると10倍近い。短編だったらちっとは安い感じがあってさー。
https://gomibon.hatenablog.com/entry/shortclassics
幾つか読んだことがある作品もある。読んだはずだけど全く内容思い出せない作品も。「車輪の下」とか「ジギル博士とハイド氏」とか。うーん、このリストからどれか選ばせてもらおか~…うーん。うー…む。200ページって一日で読む量なの?学生の頃、金もないし勉強する気力もない連休、一日で一冊ぐらいで文庫本読んだことがあった筈。朝から晩まで布団に転がって読んでれば、200ぐらいはいけるか。100回ページをめくる。二分で読んだとしても、3時間ちょっと。案外余裕だな。当時より脳みそと眼と体力の衰えがあることを考えると、一日かけてまったり200ページは良い線なのかもしれない。しかし困った、まるごと一日を読書なんぞに費やすつもりも、なくなったのである!嗚呼!ま、適当にぽちっと電書買い。「でんしょ」で変換できないのね。
深夜2:00ごろに湯船につかり、そのお湯を抜き忘れて翌朝8:00ごろ。まだわずかにぬるい。洗濯に使うことにした。残り湯で洗濯するのは何故なのか。もちろん、勿体ないという節約の意向が主だ。ほかに、お湯だと良く落ちるというメリットがある…らしい。スチーム吹きかけて汚れ落とすのあるよな。しかし、一晩かけてぬるくしたお湯、不衛生じゃねえのか?自分のだし汁。あるいはこういう発想が水と空気がタダと思えるほどに先人が研鑽を重ねたお国かしらん。
最近、自分のうんKが妙に匂う。何が変わったわけでもないにどうしたかな。体調の問題か?気になって自分の排せつ物を眺めてみる。…うーん。傾斜に寝そべるうんKが水面より上に顔を出している。これでは匂う筈だ。となれば、便器内の水位が下がってしまったのか?今までの水位が不明だが、かりにそうだとしても、そんなもん調整できるのかな。
他に心当たりといえば、炭の香りの芳香剤を置いている。空になっているとか?いちおう調べると、空どころかなみなみと入っている。鼻を近づけると確かに仄かな香りが漂ってくる。もっとよく見ると、満タン入っている。凝視してまじまじよく見ると、中蓋が閉まっていた。Oh!!Shit!!草!!この体験を以てこの消臭剤の効果のほどははっきりと確認された。みんなもうんKのお供に。「消臭力 トイレ用 炭と白檀の香り」ですって。芳香剤や香水にアレルギー反応起こすことがある自分でも、この一年以上安心して使っております。