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暦の上では
暦の上では秋ですね、という言い回しがあるけど、これが今後一致することあるんだろうか。本日は暦の上では秋ですが、なんと!現実世界でも秋になりました!うおおおお!!全員優勝!!
外に洗濯物を干したままなのを、風呂に入るときに気付く。服をもう一回着てから取り込むと、夜を吸い込んでじんめりといやな湿り気。自分が外に出ると干してあるのが見えて、そこでああ取り込むの忘れてるな、なんて気づくんだけど、外に出ないと視界に入らないから取り込むの忘れてしまうことが多々ある。雨戸を閉めていれば雨が降ったのかすらもわからない。
わたくし、てくてくと道を歩きまして、イベントホールから交差点一個ぐらいの公園で休憩していると、茂みや壁に向かって並んで立っている人の姿が目に付く。ああこれは、以前も見かけた、ネタ合わせというやつだ。もう日が暮れかけて、姿は良く見えない。これから本番なんだろうか、最後の練習と言ったところか。この場所でそんな姿を見かける事自体は何度かあったのだけど、この日は数が多かった。そうなると、遠慮がちに人のいない場所を選んでいた芸人たちも、増えるにつれ徐々に場所がなくなって、人のいるほうへ近づいてくる。ついに隣のベンチで漫才始まってしまった。聞こえないふりをするんだけど、聞こえてないわけない。面白くはなかった。こっちとしてはゆっくりしたかったところを、悪気はないとはいえ邪魔された形になるので、意地になってスマホの画面を見たまま居座るのであります。そのうち何か面白い事いわねえかな、ぐらいの期待もあった。
というところで気づいたんだけどこいつら酒臭い。なんだこれ。披露宴の余興の練習か?もし芸人だったらお前らに売れてほしくないなあ。だって嫌だろうそんなの。売れてほしくないあああああ、こいつらああああと強い思いを胸に抱きまして立腹。立秋やからもうええわ。
ムツカシイ書籍に挑戦しようのコーナー。1年に1回ぐらいはトライしたい。暦の上では三日で心が折れると言われておりますよ。前回その枠として採択したのは…「塗仏の宴」だろうか?長い物語だったが、面白かった。今回の候補は、「カラマーゾフの兄弟」あるいは「重力の虹」あたりを考えた。後者は難しい文学みたいなキーワードでググればすぐに出てくるぐらいの本命ではあるが、電子書籍が見当たらなかったので除外。そんな理由で弾いて良いのかと憤る読書家の諸氏もいるかもしんねーけど、令和5年であると認めたまへ。前者は電書があった。う~ん、これかなあ。しかし古い本ばっかり候補にあがる。新しい作品も読んでもいいよな。うーん。そうそうそ、ライトノベルってのも読んだことがない。ライト?ノリが軽いの?わからん。
もう一つの候補、「裸のランチ」も電子書籍が存在しなかった。あれれ。きっと電子書籍化するのにもそれなりにコストがかかるんだから、売れそうにないものは今後も電子書籍に出てこないんだろうか。いずれ世の中から消えてしまう?でも世の中には「自炊」している人がいると期待すれば、地球のどっかにはデータがありそうだが、自分の手に入らないのであれば、どこにもないと一緒だ。
そうであれば―――青空文庫を覗いてみると、ニコライ・ゴーゴリの「鼻」を見つけたのでなんとなく読んでみた。これは何かのパロディなのか風刺なのか…あまり面白くはなかった。
あれこれ言って、結局「文学部唯野教授」をkindleストアでぽちっと。筒井康隆は若い頃にブックオフでだいぶ買ったけど、これは読んだ事ない。…筈。「今夜、全てのバーで」の時みたいに、クライマックスで読んだことあると発覚するかもしれない。まあええか。覚えてないのであれば、どこにもないと一緒だ。
暦を数えるだけの理性あればこそ、季節を追いたて足が早まる。
まな板を買い替えた。
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「ラーメン赤猫」を1巻だけ読んだ🐈
わたくしは犬派でもなく、猫派でもなく、なんならアンチペット派。アレルギー御座いまして。さらに言えば、ラーメンだって好きではないのだが、作者の名前にアンギャマンってあって読んでみた。まさかアンギャマンかと思ったらあのアンギャマンだった。へええ。
上記のリンク先で描かれた作品には、編集者に奥村勝彦の名前があって驚愕し、大変面白く読ませていただいた。
漫画業界の仕組みは分からないが、単行本まで出れば立派な漫画家って肩書になるんじゃないかな。作者のアンギャマン氏は以前、某所に「ニートで暇だからなんたら~」って写真を貼っていた。その後漫画+写真画像形式で公開していき、上記リンク先のようにその行程が単行本になり…。このラーメン赤猫も連載されて単行本にもなって、なんか素敵なサクセスストーリーに見えてくる。さらなるサクセスへ至るには、他の大成功した著名作品に倣うなら、アニメ化とかゲーム化とか映画化とか?
万人向けで、アニメ化あたりまで行けそうな雰囲気あると思いますよ。
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BBCドキュメンタリー「J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル」を観た
https://www.youtube.com/watch?v=zaTV5D3kvqE
ジャニーズ事務所というと、ジャニーズのタレントを定期的に放り込んでくる事務所というイメージ。そのまんまか。自分にとってはどれもこれも大差ないように見えるグループが、こんな幾つも登場してみんな人気出るのは凄いもんだと思っていた。…実際は人気なのかどうかもわからん。人気なんでしょう?
ジャニー喜多川氏について、ホモセクシュアルな噂はずいぶん昔から目にしたことがあった。しかし週刊誌で騒がれたのが2004年とかそんなに古い話だとは思わなかった。これなら、自分が最初に噂を知ったであろう時には、既に「事実です」とお墨付きが出た後だったことになる。とはいえ、別に自分がタレント業界に縁があるわけでもないし、「へ~」ぐらいの感想だったと思う。「●●は実はカツラ」ぐらいの軽いトピック。しかし冷静に考えると、例えば教師が生徒と性的にアレコレやったのが明るみに出たら、噂や批判どころでは済まないのは明らかだ。だからジャニー喜多川が裁判での事実認定後も死ぬまでジャニーズ事務所のトップの地位にいたというのは、やっぱりとんでもない話だ。
本ドキュメンタリーでは、その当時被害にあったという証人が登場することが一つの目玉のようになっている。個人的な印象だけどカメラワークが弄りすぎというか…どう言ったらいいんだろうか、如何にも編集で会話の順番などを弄ってるように見えてしまうのがちょっと残念。実際にどうなのかはわからない。
ある人はインタビューに答えて言う。
『受け入れたのは日本なんですよ』
子どもがいじめられて自殺する、受け入れたのは日本なんですよ、ミサイルが好き放題飛んでくる、受け入れたのは日本なんですよ、テレビ持ってれば見なくても払ってください、受け入れたのは日本なんですよ、持ってなくても払えよ、受け入れたのは日本なんですよ、楽曲の著作権料は音楽教室であっても払え、受け入れたのは日本なんですよ、上場前からずっと粉飾決算でしたが大してお咎めなしです、受け入れたのは日本なんですよ、子ども健全育成大使はこの方です、受け入れたのは日本なんですよ、子供が銃で死にました、受け入れたのはアメリカなんですよ。そんなわけあるか、と憤ってもみるものの、受け入れないというなら何をするべきなんだろう。
本ドキュメンタリーは無茶な事はしていない。良識的というか、誠実というか、事を荒立てないことが次に繋がるという日本的企業風習をリスペクトしているのか。実際の被害者の証言を得ました、ジャニーズはブランドどころか秘密結社的です、企業としての真っ当な対応はしてくれませんでした、というあたりで、素直に手を引いている。BBCという超大手の仕事であるからして、日本語以外に中国語版も(勿論英語版も)あり、反響も大きいようだ。
率直に言うと、自分はジャニーズに送り込んだ親御さんに興味が出てしまう。勿論、すべてのジャニーズが大人の後押しでテレビタレント業界を目指したとは限らない。だからって小学生とかがそんなさあ。どんなプランなんだ。自分の子供が権力者の老人におちんP弄られだりXXXXがXXXXと引き換えに、運が良ければちょっくら売れるかもしれないぜよっしゃあ!って、どんなプランなんだ。子供からそんな事をされたと訴えを受ける事だって当然あるだろう。どうしたんだろう。勿論、そこで止めさせた親御さんだって少なくはないと思う…うーん…どうなんだろう。
ここ数日(2023年9月8日)は、ついには日本のメディアでも騒々しくなった。
2023年8月29日、自ら設置した「再発防止特別チーム」において、ジャニーズ事務所における同族経営の弊害が指摘され、ジャニーズ事務所代表取締役からの辞任を求められた。その際の報告書にて、ジャニーズ事務所の株式の全てを保有していると記載された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%B3%B6%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%99%AF%E5%AD%90株式100%持っている人間が同じで、企業が変わったって言えるんだろうか。ビッグモーターも似たようなものでしょう?子供のXXXXXに手を出した人物はもういません。なるほど確かにそりゃそうだ。では受け入れますか日本。ここらで手打ちだ。自分もずっと皮肉並べて書いているけど、灰になるまで叩いて燃やせなんて処方が、毎回正しいとも思わない。それでもあからさまな権力者がいて「こんな事して良いわけないよなあ」なんて思いながらも”そんな”物事が続いてしまうのであれば、同じ穴の狢ではないかな。
悲しいかな同じことはどこでも起こってしまう。我々のお勤め先でも、学校でも。暴君とリーダーシップの裏表。結果としてジャニーズは大きな大きなタレント事務所になった!って万歳しては北の将軍とじゃない?世にいう清廉潔白ではビジネスをやっていくことは難しいという…ノウハウ?とは、別の話じゃないかと思うんだがどうかな。
少なくとも業界は受け入れたのではないか。あそこのお偉いさんにキッズのXXXX弄らせておけば業界が賑わう金の
玉卵が続々と。あんたそんなの止めたらどうかね、って言えるだけの人間どれだけ要たんだろう。それをスクープ(今もこんな言葉使う?)した雑誌だって、もしかしたら、きっとおそらく、そんなの止めたらどうかねって手段で情報を手に入れたのかもしれない。この一年ぐらい。月に2,3回。燃えるごみの日にペットボトルが捨ててある。1~2本。俺はそれを見逃して受け入れている。下手人を探す面倒くささと、日常顔を合わせる相手それも場合によっては全く理屈の通じないXXXと進んでコンタクトを取る危うさを考えてしまう。んで得られるものは…なんだ?とりま天秤にかけたら一瞬で音を立てて傾き台座が割れてもうたがな~。しょうがないよね~。
“もしこれを受け入れてしまえば、次は子供たちの番だ”
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「サルでも描ける漫画教室」を読んだ
AIが動画を作る2023年に、1990年刊行の本書を読む。21世紀愛蔵版とのことだ。他でも耳にしたことあるけど、愛蔵版って具体的に何??時は平成2年。バブル経済のお弾け遊ばせられる年ながら、ちびまるこちゃんとスーパーファミコンが子供たちに人気。自分も実際にその時代をエンジョイしたキッズの一人であった。記憶にあるにはあるが、今となっては遠い世界と言って差し支えない。東西ドイツが統一され、ナミビアの独立によってアフリカから植民地が無くなった。本書冒頭には「紙の消費量は、その国の文化のバロメータだと言われます」とある。今そんなことを口にすれば蛮族扱いされかねないし、さらにはサブリミナル画像を仕込めとまで言い出す。遠い。遠い時代の古い書籍だ。
「教室」ということで、漫画制作にあたってのノウハウを愉快に紹介するといった内容。漫画家を目指した事がないので、どこまで本気でどこまでジョークなんだか微妙な内容もある。とはいえ、それは本作の味であり、噓八百並んでいるわけでもない。制作技法に始まり、漫画のジャンルごとの要点、そのカラクリを解説していく。ちゃんとした学びもあるだろうけど、今風に言えば「漫画あるある」という雰囲気かな。正直に言えば、2023年現在においては本書の漫画制作ノウハウは新しい情報とは言えない。でも自分にとって必要な情報だったら、それを古文書から得てもサルの鳴き声でも街の落書きでもなんでもいい。それが現代でも通用するのであれば、猶更のこと。
幼年向け漫画についても項を割いて語られている。「キャラクターが商品化されて儲かる」可能性があり、この儲けがウマいと。自分は同じノウハウを読んで感心した記憶がある。あいまいながら、「燃える!お兄さん」4コマ企画みたいなものだったと思う。自分は中学生ぐらいか?これは現代に至るまでの35年と100日後に死ぬ歴史を経て、鉄板の常識なんだろう。自分がキッズの頃に何か欲しかったアニメグッズあるかなあ。幼稚園キッズとかなら本当の子供だましで良いんだろうけど、10歳ぐらいになるとあまりにくだらない玩具に興味を示すわけもなかったが、そうだ、ファミコンソフト!北斗の拳、ドラえもん、ドラゴンボール、聖闘士星矢。全部遊んだことあるぞ。
小学生でもスマホ持ってる現代だったら、ゲームやアプリになりやすいような漫画にするんだろうか。それだったら、今となっては漫画の内容がなんだってソフトウェア化できそうだ。競馬場でかけっこするゲームが大ヒットってんだからなあ…。料理の画像を撮るとラーメンハゲが真っ当な批評してくるアプリとか、位置情報を指定するとゴルゴが狙撃可能な近傍の建物を教えてくれるアプリとか。後者は大炎上待ったなしの予感もする。
漫画はサルでも描けるのかもしれない。でもサルでも売れる漫画となると話は別だと思う。売れている漫画を解析(?)して本書で紹介されるようなメソッド、法則が見いだされる事はあるかもしれない。逆に本書のノウハウを準えれば売れるかと言うと、そうでもない。これは当たり前の事を言っているが、売れる/売れてないの境目から細かく細かく分け入ってみれば、何もかも同じだったとはならないだろう。マニアに人気とか芸術的価値だとか発売日に雨が降るとか良くわからないものを振り分け振り分け、突き当たったその先にある、僅かな僅かな言葉にならない1フレーム未満の差異があるだろう。神髄と呼ぶのかもしれない。
人とサルの違いほどは大きくないだろうと、想像するんだ。
なお内容は面白くはなかった。実用性はわからん。
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ぬるいわ
そういえば、ぬるま湯で洗う事が推奨されているものがあり、その準備として給湯器の温度を36度にしたのだった。それをすっかり忘れていて、その日の夜、風呂でシャワーを浴びながらそのぬるさに「壊れたかな?」と恐々としていた。蛇口をひねればお湯が出る、便利な世の中の有難さよ。いつだったか給湯器が壊れたとき、ビジホに泊まったっけなあ。
その時に世話になったホテルも、今はなく。またこんなことがあった時のために、場所とかお値段とか押さえておくか、なんなら意味もなく一泊してみたりしようかしらん、と調査を始める。するとすぐに、もう一個近場にあった筈のビジネスホテルも無くなっていると判明して少々狼狽する。ググって出てくるホテルは少々遠い。急場しのぎでの利用を考えているんだから、少々すまいから遠くても問題ないが、近いほうが助かるに決まってる。ホテルに入ったものの、いったん家に戻らなきゃいけない、なんてこともありえるんだから。電車に乗って大きな駅へ移動するか、あるいは徒歩20分といった感じで、ちと心もとない。「わけあって自宅で一晩すごせない!」こんな時、世間の人は漫画喫茶とか利用するんだろうか。漫画喫茶も利用したことないなあ。そういえば、どこかにシャワーがついているコインランドリーを見かけたのを思い出す。なんとなく記憶を頼りに地図上をうろつくと、先ほど見つけたホテルよりははるかに近い。風呂関係のトラブルだったら、こっちのほうが急場しのぎには良いか。
漫画喫茶も貧民窟みたいなイメージになって久しい(個人の感想)gmapのレビューとか眺めても、ちょっと利用する気にはならない。
だったら、給湯器が壊れても自宅でシャワーや風呂が使える工夫を考えてみるのも、良いか。さっそくキャンプ関連の情報を漁ると…例えば、ビニール袋にお湯入れてつるして穴をあける、というシンプルな方法が紹介されていた。お湯5リットルだとして、重さ5キロになるわけだが、そんなもの吊るせるだろうか?ネットの浴室干しのためにマグネットで受ける部分を張り付けて、竿を渡してある。Yamazakiの物干しホルダー。商品説明によると6kgまで耐えれる。家で非常時に使うのだから、もうちょっと軽くして、二袋に分けるとかでも全然問題ない。
今はUSB給電でお湯を汲み上げるシャワーなんてのも、あるのか。ポンプで圧縮空気を使う商品もある。園芸で使いそうなやつ。…ああ、だったら、じょうろでシャワー浴びればいいのか。これは簡単そうだけど、園芸やってないとでじょうろ持ってるやつ居ないだろう。
というわけで、ビニール袋でシャワーを実践してみました。いつものようにろくに画像や動画はありません。ユーチューバの皆さんは防災啓発案件でやってみてください。キッズは夏休みの自由研究だ!
今回はあくまでシミュレーションということで、まず、給湯器をぬるま湯35度にセット…できないな。ま、一番低い温度にして今回の体験にしようと。シャワー用途に用意できる温水の量は限られている。普段のように充分に熱い42度ぐらいのお湯を用意するよりは、ぬるま湯で水量を増やすことが大事とみました。今は給湯器で用意してますが、”本番”ではバケツの水に電気ケトルで沸かした熱湯を入れることになります。ケトルの容量は僅か1.2リットルなのですが、これでお湯が用意できるでしょうか。AI君に聞いてみたところ、ジュールがどうとか難しい蘊蓄も並んで大変に学びがありますが、「100℃のお湯を約2.8リットル加えると、20℃の水を35℃に温めることができます」だそうです。計算わからないので検算なし。水の質量は5リットルで計算をお願いしましたが、こりゃ無理だ。仮に最初の水温が30℃でも、35℃まで挙げるのに1.6リットルの熱湯が必要。蛇口から30℃の水が5リットル出てくること、あるのだろうか。温水プールの温度は20℃後半ということなので、目標値を再設定する。
「20℃の水が5リットルあります。水の温度を25℃にするには、100℃のお湯を何リットル加えれば良いですか。」
🤖>1.58リットルです。
現実味ある数値になった。しかし5リットルの水に足すと、重量が耐荷重性を超えてしまうなあ…。また、20℃と想定しているお湯割りする前の水温、こちらは現実的なのだろうか。そこを考えてなかった。水道水の水温は水道局にちゃんと資料があった。すばらしい!!
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/suigen/topic/03/
うーん。これはもう無理よ。夏以外には耐えうる温度でビニール袋シャワーを浴びれる機会を作るのは難しそう。ガスで湯沸かしも併用すればお湯の量は足りるかもしれないが、熱湯お代わりしている間にも冷めるもんな。しかも今回は外気温37℃という真夏にやっております。冬は快適とは程遠そう。
さて、理論を考察したは良いですが、家に温度計がありません。給湯器の温度も実際はそんなぬるま湯に設定できませんでした。そのため、実践した内容は以下です。水道水をバケツにだいたい3リットル用意して、電気ケトル目いっぱいの1.2リットルの熱湯を足す。熱すぎて浴びたら死ぬんじゃないかというお湯ができる。水が少なすぎたか?水を足す。それでも、十分すぎるほど温かいお湯になった。これをコンビニで買い物したときのビニール袋に入れる。全部は入りきらないので適量。体重計にこの状態で乗せると4kgほど。すでにわずかながら水漏れしている。
物干しざおにS字フックをいくつかぶら下げて、ぬるま湯の入った袋を吊るす。服を脱ぐ。袋の下に立膝。爪楊枝で穴をぷすっと開ける。十か所ぐらい開ける。お湯が飛び出す方向がまばらになってしまうが、これはしょうがないんだろう。ごくごく低水流のシャワーとしての役割は果たしてくれている。体を洗って、泡を落とすことはできる。たぶん40℃ぐらいのお湯になっているので、真夏の自宅の風呂という事もあり、体は冷えないレベル。髪を洗って濯ぐのは無理そうなので、こっちは水シャワーで。使い続けて、お湯の量が少なくなると、水圧が下がる。そのため、お湯がシャワー状に噴き出なくなってしまった。ちょろちょろ水漏れ状態になった。この状態になるまで、3分ぐらいはいちおうはシャワーとして利用できたと思う。体のほうをあっちこっち動かして、お湯が当たってほしい場所を移動させながら。
まず、chatGPTの計算は合っているとしても、適温のお湯を用意するのは手間だ。計算なんてしてられないので、これなら耐えれるという程度のぬるま湯を、なるべく多量に用意するのが良い。ただし、ぬるま湯をチョロチョロ浴び続けるのは、かなり不快。また、冬にやるのであればさらに大量のお湯が要る。自宅でやるなら命の危険はないだろうけど、でっかい鍋とかで湯沸かしできないと厳しい。
以上。
限られた時間、水量で、自分はどのぐらい満足できるのかを体験しておくのは、十分に意義のある試みだと思います。これで平気なもんだな、と思うか、絶対にムリだっ!て思うかで、備えの内容も心構えも変わってくることでしょう。