• ふでのゆくまま

    藤浪対策

    野球は詳しくないですが、ルールは把握しているので観戦は楽しめます。子供の遊びレベルなら実際にやったこともあります。キャッチボールとかまだできるでしょうか…もう30年ぐらいボールに触ることもなく。そんなわけで、数年とか十年というレベルで全く興味をそそられず、故にイチローが安打記録を更新したとか、大谷の二刀流がそこそこ通用した、という程度の情報しか追っておりません。イチローも引退かあ。こんな話題が旬のうちに上梓しておきましょ。

    藤浪対策という言葉がふと目に入って、この投手のことを思い出した。そもそもは、イップスという症例についてググってみたら彼のプレイ動画が出てきた、というわけなのです。確かに藤浪投手は素人目にも危なそうなデッドボールを当てておりました。なんなら頭部のヘルメットにもスコーンと。

    どんなスポーツでも危険な行為にはルール上の制裁が課されるもんだとは思います。日大タックルみたいに意図的にケガさせようとしたとかはまあ論外としても…ルール上の調整という意味では、危険な行為を受けたほうにメリットが与えられる。サッカーのフリーキックやPK。バスケットボールもチームのファール数がかさむとフリースローが与えられる。ボクシングや格闘技のように、そもそも危ない事してますというスポーツでも、男性の急所攻撃は禁止、頭突きは禁止といったルールの制限がある。で、野球の投手に於いては、デッドボールでバッターランナーは進塁する。また頭部へのデッドボールなどで危険球を投げたと裁定されれば、即座に退場なんですって。

    このルール上の調整を以て、あとは心行くまで全力でプレイする、恨みっこなし!ということで丸く収まるもんだろうか?いやいや、収まらないから今回のように”対策”だなんて話になる。ここでいう対策とは、藤浪投手は右バッターに対して危険なボールを投げてしまうことが多いので、対戦相手は左バッターばかりを揃える、というものです。選手のケガを避けるためということか、なるほど。しかし何も解決には及ばない。危険球を投げれば退場たが、投げるまでは何も起こらない。

    プロ同士の行為なんですから、高い技術とスポーツマンシップに則りプレイするというのが、建前のはず。スポーツマンシップというのは、わざとぶつけたりはしない、ということで、また一方で当てられたほうもルールに則った処理を以て、この結果を許容するというもの…。では高い技術とはどうだろうか。プロの高い技術…。デッドボールがそんなに珍しくないのは知っているが、こんな話題になってしまうような対策をたてられるほどには技術が信頼されていないと思う。あと所属チームも信頼されてないよね、これ。

    F1の話。たまーに接触した後にドライバー同士が揉める場面がある。その後のインタビューなんかに応じて言うには、「殺す気か!って怒鳴った」など。確かに、F1では本当に人が死んでしまう。あのような極端な世界では、どこまでがプロの技術で、どこまでが制裁を受けるような、誹られるような危険な行為なのか、素人目には判断が難しい。ルールとして定められているものはあるだろうか…?あるいは、結果として事故にならなかったらセーフみたいな運用でやっているんだろうか。何度も言うけど自分の素人目にはそう見えるというだけ。裏では揉めているのかもしれない。

    話を戻すと、「バッターが除けたからセーフ」これで現場やファンが納得しないだけの何かが、この状況にあると思う。ワザとじゃないだとか、イップスのせい、だとかじゃなくて、何かこうみんながなるほどーって言うような落としどころが。藤浪投手ばかりやり玉にあがっているように見えてくるが、例えばスイングすると半分ぐらいはバットが守備の選手やベンチ、観客席にすっ飛んでいく選手がいたらどうだろう。

    野球っておそらくその歴史の最初っから、ピッチャーが全力でボールを投げ込むスポーツだよな?たぶん。過去に同じような問題が起こったことないのだろうか。


  • どくしょかんそうぶん

    “Alive”を観た

    邦題は「生きてこそ」となっている。事実を元にした映画というのはなんぼでもあるが、とりわけ本作はその事実が非常に過酷であった点で有名である。あまりに有名なのでネタバレとかどうでも良いよね。原作を読んだことがあるので、映画作品としては特に大きな感銘は受けなかったものの、ちゃんと最後まで鑑賞した。

    飛行機が墜落。数十人が墜落事故での即死を免れて生存したものの、救助隊に発見されぬままに捜索が打ち切られてしまう。冬のアンデス山中に取り残された人々のサバイバルを描く作品。最終的には、事故の状況からするとちょっと想像できないぐらい多くの人が生還する。これは事実であるからして、その疑問に対する答えは用意されているわけだ。例えば乗客はラグビーチームの一行が乗っており、そのほとんどが若く体力に優れていたこと。その中にたまたま医学生が乗り合わせていて、応急処置ができたこと。機体の残骸がある程度シェルターになったこと。

    “食料”を手に入れたこと。

    宗教的な背景を抜きにしても、まさに究極の判断と言われるにふさわしい。彼らの状況を緻密にシミュレーションしても、自分だったらどうするか、など考えを巡らせてもさほど意味はないだろう。あの場にいたという人間以外には、語るべき点も少ない。生きるか死ぬかでaliveのほうを選んだ、というだけのこと。生存者たちはお互いの決意を確かめ、初めて肉を口にする。数日前まで仲良くやっていた人々を。そんな場面においても、ド迫力の遺体の肉塊が画面にでーーーん、なんてことはない。ホラー作品ではないからなあ。

    …なんて油断していると、俯瞰の画で人々の隣に血まみれの人間型の骨格が転がっていたり、救出要請に旅立つチーム与える肉が実にフレッシュでドキッとする。特に前フリもない。食べる場面を見て、なんだビーフジャーキーじゃないか、これなら俺でも食えたかな、なんて生温いことを考えていると、こういう迫力の描写にはわわわわってなる。これは監督の狙った演出かなあ?もし自分が監督するとしても、助かったね良かったね、だけの物語にはしたくはないもの、このぐらい凄惨なものを見せないと。おそらくは、実際にも、こうだったのだろう。後から食料になった人々は、きっと新鮮なまま胃に入った。実に、実に凄まじい話だ。

    なおー興味を持って本件にかかわる情報を探そうという諸兄は、事故は南半球で起きているということに留意されたい。10月→12月と暦が進むが、厳冬期から春に変わっていくというのはそういうわけである。

    それと、鶏肉の味に近いらしいですよ。

  • どくしょかんそうぶん

    “兜町コンフィデンシャル”を読んだ。

    兜町とは、東京証券取引所の存在するあたりの住所。東京証券取引所から、茅場町駅のあたりにかけて証券関連会社などが多く、ゆえに兜町と言えばそれは自ずから金融証券関連のトピックを連想させるものである。

    前評判の良かった本作、実際に読んでみるとこれが非常に読みにくい。唐突にいろんな人物が現れては消えていく。場面に登場するのではなく、ただの説明で出てくる。〇〇の関係者の××がオーナーのなんたらかんたら…そんなことを大量に書かれても、関係が把握しにくいったらない。しかしこれは、致し方ないとも感じた。作者が追っかけた、実際の事件がそういう構造なのだ。裁判の過程を追ったりしたら、こうだったんだからしょうがない。複雑さを利用して不正に(あるいはグレーに)資金を調達したりしていた、というような事件だったのだから、文章にしても複雑で読みにくい。

    じっさい、作中の登場人物や、企業は実名であり、試しにそれらの単語をググるといくらか情報がヒットする。もめ事や裁判などの情報がヒットして、そらそうでしょうな、と。

    つい最近、DLEとかいう会社が上場以来ずっと粉飾決算でした、みたいなニュースがあった。兜町コンフィデンシャルを読んでいる間にもこのニュースが頭をよぎり、証券取引所も舐められたもんだなあ、などと思っていた。DLEは経営陣の逮捕はされなそうだし、3000万円ほどの追徴金で済むらしい。ヒラの会社員だって場合によっては経歴詐称は解雇にも相当しよう。職によっては刑事罰の対象にもなろうものだ。それがねえ…。

    あまり投資に詳しくはないけど、定期的に「公表前から不自然な株価の動き」と揶揄されるようなインサイダー疑惑の取引の噂を目にする。アウトかセーフかで言ったらアウトなんだろう。しかし交通法規とか租税の話と同じで、どこまでも純なまま、100%法規に従ってやっていけるものなんだろうか。まったく往来のない場所で赤信号無視したこと、本当に一回もないですか?

    されば、金融の世界において「これより先アウト」の線はどこにどうやって引かれるんだろう。日々の営みに織り込まれた、アウトとセーフの判定が存在するだろうか。先の信号の例で言えば、「歩行者の時はセーフだが車の運転中はアウト」という線を引いたら、皆さんどのぐらい納得します?

    本作が上梓されたころ、アフィリエイトのスパムはあった。例えば、広告とは判別困難なリンクや画像を踏ませるための、ある種の工夫が存在する。これはどこまでがアウトで、どこまでがセーフだろうか。web技術者界隈では、web技術用語を使ってある程度筋の通った説明ができる。そうして一定の基準が出来上がる。こういうの、コンセンサスと言えるかな…?では仮想通貨はどうだろうか。某スピンドルはどうなった? coinhiveはどうだ?それよりも遥かに遥かに長い歴史をもつ証券取引所、株式市場はどうなんだ?

    ここに線は引かれました。光の速さでめぐらされるのです。そして線を人間が引くのであれば、引いてる人間が線の先頭におる、これまた道理。3億円強奪がとはしゃぐ与太郎を後目、500億円の窃盗譚が風化。あなや、仮想通貨自体も風化し、この風は光を超え、流れてゆくのでございままままままま。

    株とか事業に出資というのが、そもそもローカルなスキームだということですかね。未解決の犯罪ではかる話じゃあねえけども。経済わかんない^q^

  • ふでのゆくまま

    袖の扱いに困る

    袖と申しましても、不正なマネーの話ではございまっせんで、被服のお噂でございます。

    家事などしておると、袖というのは邪魔になります。単純に濡れますからね。また、こんな体形の都合でXLとかXXLなんて服を着用していると、ちょっと袖が長かったりすることもあって…。もちろん家事をするときに着ているような服は袖をまくりやすかったりもするんですが、ずっとやってると袖口が伸びちゃってビロンビロンになってしまう。経験上、ジャージが一番袖がびろ~んとならないので、エプロンのような扱いで家事の時はジャージを着ることにしましょう。ちょうど今ジャージの持ち合わせがないのでこんな事をしたためました次第。

    これからは寒さも和らいで来るので、半そでの服になればそれで済みます。世間の奥様はどうしているのだろう。厨房の洗い場なんかはどうだろうか。自分がバイトしていた頃は袖まくりだったかな~。

    今年度というか…去年の分の納税も済ませて、こちらの袖にも困ってはいるのですが、窮するほどでもなく。いまんところはね。未来とか不安でしかない。そんなに希望ばかり投げつけてあの方たちは、とつてもはしたないのね、ヲホ、、、。あとは世界にSodeなんて街でもあればと思いましたが、なかなか見つからないのでここで〆。今回も実用性と機知に富みました。

  • ふでのゆくまま

    書を捨てよとおくの街へでよう

    さあ地震だ何を持って飛び出そう!という準備や心構えが役立つかどうか、結局は運であるとしか言いようがない…。それでも、非常時の持ち出し袋なんかをまとめると、「これを持って脱出すること」という明確なミッションが誕生する。あわわわわわって慌てるよりは遥かにマシな被災生活のスタートになる…かもしれない。毎日半分以上外に出てますけどね。

    さあ引っ越しだ!ふと思いついただけで、何の目途も立てていないのに持ち物の処分に余念がない日々であります。実行に至る準備は何もできておらず、物件も決めてないからには退去日も引っ越しの手続きもなにもない…。ただ、どんな形であれば転居となれば、確実なことには部屋にあるものすべてを持っていかねばならない。んで自分の持ち物を眺めると、ここに「これを全部運ばねばならないが、事前に減らすことが出来る」という明確なミッションが誕生した。何かの時に役に立つはず、良くわからないから取っておこう、みいなものをどんどん処分することになる。すなわち!コンピュータパーツ関連の箱や、ジャンクパーツそのもの、数年前の役所の書類…あなや、十数年前のものまで出てきた。十年袖を通していない衣類、あれやこれやなんかや。

    こうして不用品が減ったからと言って、セットで必須のアイテムが増えるわけでもなく、その活用の幅が広がるわけでもない。押し入れにスペースはできたが、タオルなど日常取り出す品を入れてもしょうがない。今置いてある場所から移動しようもない。ほかに三段カラーボックスが丸っと空いたが、そこに何かを入れようか?しかし入れるものがない。ではこのボックスがもう邪魔なのか、というところの判断が先送り。さらに本棚までまるっと空いてしまった。もともと、この本棚は背の高く軽い板でできた、不安定な物なので重い書籍をそこにストックする気になれず、薬箱や領収書の類といった軽いものをケースに入れて積んでいた。一連の処分を経ると、そういうものが全部押し入れに収まってしまった。薬箱が押し入れでは不便だわ、と元に戻すなどすると、押し入れにも本棚にもカラーボックスにも空虚が点在するという、歪な計画が露になった生活空間が爆誕してしまったのである。本棚の隙間に顔を突っ込んだら高次元に繋がっていてにょきっとのぞき込めるぐらいしないと寂しいわ。インターステラー部屋だ。わはは。あのシーンの元ネタはドラえもんの引き出しだって知ってました?嘘です。わはは。

    そういえば「インターステラー」がamazonプライムビデオの無料枠に入っている。まだの方はぜひ。

    本質的には暮らしの快適さの追求ではなく、運搬の手間を軽減する、というお題目で断捨離したわけで。具体的にXXXがスムーズにできるようにとか、XXXを置くスペースを作ろう!ということではないのだ。ところが実行してみると、余裕を得た。いわゆる遊びという意味での余裕。これをこっちにまとめれば…と考える余地ができた。物理的にも、こころもちにも。その思惑こそが却って抜け出せない沼地の感も強いが、一旦動かしてみる、いまいちなら元に戻す、という作業はスムーズにできるようになった。これはもう一度工夫してみる余地があるか。

    いや引っ越すという仮定だろうがと。この部屋でいまから工夫してどうする。ごもっとも。

    単に引っ越したぐらいでは、日常必要なものが変わることもないだろう。だったら、部屋に置きたいもの、押し入れに放り込む物の選択も同じになるハズだ。でもウォークインクローゼットなんてある部屋になったら、スーツと上着、衣料品は入るだけ全部そこに…またロフトなんてものがあったら、やはり布団はそこになるだろうか。いやいやロフトは面倒くさそうだなー。現在住んでいる街は気に入っているので、なんなら数件隣でも良いかなって思わなくもない。でもせっかくだから、ご予算などに応じて何処かへ行くだろう。なんて…そんな選択を楽しめる余裕があるかの如く勘案している、そういう緩みがダメ人間。遊びと緩みは違うのだよ。

    書を捨てる話書いてねえな。

    昨今は不用品の処分の方法が多様化致しました。オークションやフリマ形式で自分でネット上に出品出来たりしますね。公園とかでやるようなフリーマーケットはもう下火なんじゃないかなー。では自分も、というところで、ものぐさ属性が発動しました。こうかはばつぐんだ!これらのサービスを利用するにあたり、売りたいものを「出品」という表現になりますが、実際買い手が見つかるまでは手元に置かねばなりません。発送するには、梱包してコンビニへ持って行ったり特定のサイズの梱包を事前に用意する必要があったり、それなりに手間です。こちらの手間だけを都合にすれば、できるだけまとめて売りたいものですが、買うほうからすれば、その選択はシビア。無駄な物品まで買う人などおりますまい。

    どーしよーかなーと思っていると何もしないのが自分の性格。ローカルな古書店を訪れることにしました。ついでにDVDとCDも数点。十年以上も前でしょうか、お金に困ってCDを売った時は、両手ピキピキ言わせる重さだったものですが、今回は紙の手提げ袋にややずっしりという程度。

    買取額の計算を待っている間に、「野村證券第2事業法人部」が売られているのを発見してピクッとなるが、ここで荷物を増やしてどうするよ。殉じましょう。amazonさんから闇金ウシジマくんが月末に届きますがそれはそれ。結果として1450円という買取価格で、皆さんはどのぐらいの量を想像されるでしょうねえ。CD一枚だけ400円の値が付いたものがありました。そんな売れ筋なものを持って行ったつもりはなかったし、最新ものものではリリース日は二年以上まえだったはず。なんかプチプレミアでもついたろうか。あとは100円とか50円とかそんなもん。

    こうして大騒ぎしてなお、手元に残った「書」にはいかなる理由があるだろう。技術系の書類は当然売らずに置いてあるんだけど…それ以外。お気に入りの書物。こういうものまで全部捨ててしまうという方針は、実際とても合理的なものであるんだが…自分にとっては大事なものというのがあって良いじゃないかと。あるべきですよね、と。文庫本3冊、CD3枚に収まってしまった。

    「電子書籍」の一言で書いてある内容ぜんぶ吹っ飛ぶのはわかるんですけどー。音楽だってamazonプライムミュージックじゃねえかよ。 技術系の本、たいして読んでないものも有用な事が載ってると思えばこそ取っておくわけで、段ボール三箱にもなっている。当然、ほぼ全部が電子書籍で読めるだろう。ようやく防水を謳う電子書籍リーダーも出てくるようになったし…風呂で読めるならな~~~。ところがその端末、利用者の評判がいまいち。紙の温かみ~~なんてオカルトなことを言わないけど、こういうボトルネックがあればこそいつまでも躊躇っている。紙の本のボトルネックは暗いところで読めないということなんだけど、そんな状況ねえよ。

    引っ越しの着手まで間があるので、その技術系の書籍も捨てちゃう選択を考えるのだろうなー。電子書籍が流行りだしたころ、こうした多量の本をスキャンして取り込むサービスがあったのを思い出す。当時はいまいちピンとこなかったけど、十年近くたって需要を実感。

    でも「自炊」って言われてたのはなんでだ???