今月の現金支出を一円単位で計算しようの試み、月末にいろいろあったせいで完全に意味不明になってしまったが、数百円ぐらいの誤差に収めたと思う。それ以外の支出は明確に額面が残るため算出可能・・・現金支出+クレジットカード+家賃が総支出。で、計算した結果、赤字になった。親に次の法要の分の交通費も援助してもらってまあその分黒字ではあるけどさ。

びんぼう過ぎる。

こういうことをどういうフォーマットでお伝えすれば良いのか。祖母が身罷りました。

覚悟はできていたというか、誰が見てもそう遠くない未来にといった感じでしたが、土曜に唐突に亡くなったと父から電話を受けて慌ててしまった。先ほど帰宅した部屋はバラしたPCとか燃えないゴミとか散乱している。式では初めて、あるいは30年ぶりぐらいに会う親族に励まされ、20年も顔を見なかったようなご近所さんたちにお手伝いいただき、終わってからも計算したり漏れが無いか確認したりとはわわわわ。悲しむ暇もないとはこのことか・・・いや、落胆してへたり込むようならば、そのぐらい忙しい方が良いのだろう。

さすがにご近所さんは俺がガキの頃からお世話になっており、顔を忘れていても声で誰だか分かったりもした。自分が郷里を離れるタイミングでちっちゃかった子供らもすっかり大人というわけで、これはさっぱり誰かわからない。5歳→20歳なら誰だかわからないが、18歳→33歳なら丸分かりの事が多く、向こうはこっちを知っていたりもするのだが。おばちゃんズもおばあちゃんズぐらいの年齢だけど印象は変わらないもんだ。大きな怪我も病気もなかったのではないか、ということだな。

それは叔父にしたって同じなんだが。まあご近所ズは歳も同じぐらいだから叔父を知らないだろうけど、親戚ズはみんな知ってた。親父の弟だからな、そりゃそうかなあ。

顔も名前も覚えきれないままに終わってしまった。親族として参列する以上は世話になった人間のことぐらい覚える必要があるんだが。次の法要で行くときに確認しておこうか。しかし次は日帰り行脚になるだろうし時間がないだろう。顔を覚えても自分との関係性がわからないと、声をかけるのも難しい。適当に「おじさん」とか呼べば良いのかと思っていると、再従兄弟です、なんて紹介されたりする。じゃあ○○さんだな。ああ年下だと○○君か。あああああああああああーもう・・・写真付き名刺って便利なんですねー。いまではそれもネットの役目。

通夜で寝るときにはくものがないと言っていると(通夜が斎場だとも自分が泊まるとも聞いてねーっつんだよ)叔母が貸してくれたスウェットがヒョウ柄で、面白がって写真を撮るのでポーズなど決めたら、次の日親戚一同に得意気に見せて回っていた。見た人も微妙な笑い。そりゃそうだろ。俺もリアクションが微妙。追っかけ回して止めるぐらいすれば面白いけど、仏式で言う告別式の直前にそんなことしたら斎場の人からも怒られるわ。ちなみに叔父は、通夜の部屋に入ってくるなり俺を見て吹いた。まあ20年の不躾に、この日のためのネタだったと思えば悪くない。せっかくなので手元に欲しいな。あとでくれって言ってみよう。

祖母の話がちっとも出てこない。

まあ良いじゃないですか・・・。

昨今のお買い物

まずは、とある御座を挙げさせていただきます。二畳ぶんぐらいをカバーする手頃なお値段の御座をネットでお買い上げ。しばし日付が開きまして、はい届きました、梱包開けました、先ずはばさーっと広げてみたところが何と吃驚異常に臭いのです。あまりのことに咽せました。全体から漂い来る恐ろしい臭いです。異臭とはこのこと。どこかに変な液体でも着いていないかとひっくり返したりすると、その作りの粗末さに目を覆うばかりであり、目を覆うならば今度は異臭が際立って鼻に来るクソが死ね死ね死ね。

天日干しなどで解決するやもと思いましたが、今年のガンガン照りの陽光に3日ほど晒すも改善はなく、飽きれてどうでも良くなって放置、ある日の夕立に濡れているのに気づいて「もおいいや」と遺棄を決心致しました由。作りが粗末なんでハサミで簡単に捨てるサイズになって嬉しいなったら嬉しいなー死ねー。まあ3000円でこんな口汚く罵るもんでもないのだけれど、あまりにアレでしたので。

続きまして、映画DVDですが…こいつは項を改めて。

次に、ディスプレイを載せてスペースを有効活用できます的な台。キーボードをしまえば机が広く使えます的な台。名前なんていうのかしらこれ。PC関連商品というカテゴリーで買いましたが、ホームセンターみたいな所だったら半額くらいじゃねえか、というようなお値段でした。あと5cm幅があれば言うことなしなんですがねえ。もう一つ上のサイズは20cmほどもデカくなり、そうすると収まらない&高いのでこの商品で妥協。こちらは満足。

さて——–

物欲という言葉の響きが愉しい。あれこれ所有を達成したいという欲求は、なければ困るという品々を求める事とは明らかに異なっている。この国では無ければ困る物は簡単に手に入るから、どうにも達成感がない。頑張って予算をやりくりしたとかはまた話が違うと思うんだけどね多分。物欲という響きには、欲しい欲しいという状態を心にもやもやと抱きつづけているニュアンスがあると思う。衝動買いなんて言葉もあるけど、そいつに比べるとどうも、淫靡な気配すらある。衝動買いの「買い」の部分を除く、残るのは一目惚れのような「きゅぴーん♪」とした感情。次に見かけたらどうしようかしらいやんいやん。恋する乙女かっつーのよ。はああん。

という。

ものすらインターネットで得ています自分、そんな珍しくもあるまいと思っている。マウスでコチコチとクリックすりゃおうちに届く、大変に素晴らしい。そりゃ買い物のほとんどがそうなるってもんだよ。でもやっぱり現物を目の当たりにするのとは違うんだよなー。人間の脳ってのは大変に出来が良いと思うんだが、やはり現物を見るのとネット上でスペックを眺めるのとは全然違うんだ。コップ一つでもそう。ただし、その、現物をみたいがために時間作っておでかけして、なんてことは殆どやらない。でも、買うつもりが無いとなると、現物を見て回るほうが楽しい。そりゃそうだ、ネットで適当な商品を見て回って何が面白もんか。

ここに、商品と人間のあいだの関係性の変化が見られる(国語の教科書っぽく)

現実のお店がカタログなんだ。現物そのものが見れる、場合によっては専門家の見立てをしてもらえる、なんと買うこともできる!すごい!ネットのお店は倉庫だ。そこに載っている全ての商品は自分用の在庫でしかない。発注手続きをすると、保管料金を運送料金を払って、家に届く。品物の値段なんて払ってる感覚がないよ!

そういえばamazonの在庫が買える店ってできたようなニュースをだいぶ前に見たが。どうなってるのかな。

それは#$%&が燃える温度

収支、などというけど、平凡民、昨今の社会事情では貧民層に分類されるワテクシ、お給料しか稼ぎがございませんで、そら、計算も、引き算だけになるっつ塩梅で、どうもね、定期的に増額されるものの、計算上は減ることばっか考えてるってえ塩梅で、どうもね、穴の開いたバケツ、鼠の暮らす蔵って塩梅で、どうもね。しかしながらそのバケツ、どこに漏らすかをこの手で動かして選べるって塩梅で、どうもね、世界はそれを自由と呼ぶって塩梅で、どうもね。

その穴がちょろちょろだから、どこに撒こうか、なんて心配もしていられるつううもんで。この世界にはもっとでけえ穴を抱えながら右往左往する人がいて。会社経営なんかそうなのでしょうね。ずごごごごごごごごと水が入って、どばばばばばばばばばと水が流れ出ていく。もはや動かすこと叶わず、溺れる覚悟で潜って穴修理するなり、そんなもん脇目もふらずにもっと水を!!水を!!みずーーーーーーーってまあ。

これが落語なら穴の無いバケツに喜んでたらすっかり干上がった、というのがいかにもなオチ(サゲって言うんでしたっけ)なんだけどなー。怠けてねえで働けってな。ああちょっと書いてみたいな。だれか書く人いねえか。安敦誌の人とか一筆どうですか。

みんな水の漏れてるバケツを抱えて走っているとしたら、現代社会はビョーキだろうか。しかし世界は乾いている。漏れた水こそが、我々の生きる糧を育む。燦。水が漏れねば世界は燃え上がる。どばばばばばばと垂れ流しのたうち回って暮らすことこそ、是としなければならぬ。ビョーキなのはこの世界のほうなんだと認めることを、ある人は「神は死んだ」と表現しました。落語なら没だクソが。

遠く我々の祖先が陸に上がって以来。そういう機関でしかない我々。安いSF。士農工商犬エスエフ。筒井康隆。水筒。出納。ほら話がつながった。お前の札束が燃えたら、水をかけるの?もっと札束持ってくるの?

それはお金が燃える温度。

というわけで。華氏451を読んだ。自分は華氏911の方を先に知ったので、いつか読んでみるかなんて思っていたんだけどようやくここで。感想文。この本に限らず、事前にあらすじとかどういう作品か、とはそんな情報は充実しているもんだ。「昔のエスエフ」という視点が抜けぬままに読み終えた。焚書とか検閲とかそのテが好きそうな人が好みそうな紹介ばかりされているが、その部分がそんなにキモだったとも思わないというか。書籍の内容を有害として焼くというのが国家によりもたらされた世界とみるならそれはそれで良いし、作中に出てくる壁テレビの思惑というならそれでも良いし、まあ足しても良い。人間は自由を求めて戦うものだ!という文学の世界の鉄板ネタ、一昔前のIE6でも崩れないCSSみたいな感じ。どうでもいいね!

で。やはり昔のSFだなあと。当たり前だけど作中の「本がなくなってしまう!」みたいな危機感にリアリティない。今は「電子書籍の世の中が来るぜよ!」詐欺からちょっと歩み出た感じ。それでも紙という素材のメリットは一切失われていないのがすごいなと思う。燃やせば消えることが圧倒的な利便性なのだ。インターネットにより、各種『思惑』の保全はとても簡単になり、また一方で、廃棄は不可能になった。(ああ統制とは甘美。エアーズロックにノミを打ち込め)また、「テレビによる文化の破壊」は成功したかはわからないけど、ターンは終わっていて、(日本だけかもしれないけど)死にかけている。廃棄は有料になった。

インターネットが何もかもぶっ壊している。自由の筈のインターネットが、華氏451の世界になぞらえると、どうも本を焼く側にいるようじゃないかと思える。インターネットは、捨てるという自由を奪った!!無かったことにする、人類の知恵を。猿のメディア。いいねボタンを一億回おせば英雄!

Favorit 10000000+ それはブログが燃える温度。

空のバケツ被って窒息死ぬしかない。穴の開いてないバケツで。